第29話 愛は呪いに似ている【セラ視点】
※前話のラストからの続きとなりますが、本編は“彼女”の物語──セラ視点でお届けします。
これは、すべてを奪われた女の物語。
奪われたのは命じゃない。心でもない。
わたしの“世界”を奪ったのは──あの化け物。
愛した人は、もう戻らない。
ならばせめて、壊してやる。あの怪物を。あの存在を。すべてを。
狂気でも、哀れでも、後悔しても。
わたしは止まらない。
その路地の一角、影のようにたたずむフードの少女と、彼女に声をかける大柄の男。
「……成果は、どうだった?」
重く低い声が、風のざわめきに溶けた。
リーズは一度だけ、静かに首を横に振る。
「そうか……」
男は少女の返答に、とくに失望も喜びも見せなかった。ただ、少しだけ声の色を変えて付け加える。
「……無理はするなよ」
「……とと様、大好き」
ぽつりと呟いたその声は、無意識のまま彼の足元へと身を預けていた。
思いがけない言葉に、男の肩がわずかに揺れる。
「……どうした? 何かあったのか?」
「ううん。ただ……次に行く場所、見つけたんだ」
「そうか……」
男は少女の頭にそっと手を置いた。その指先に、どこか戸惑いが混じる。
「なんだか……嬉しそうだな?」
リーズはフードの奥で微笑んだ。けれどそれは、ほんの一瞬。
すぐに表情を隠すように、フードをさらに深くかぶる。
「気のせいだよ、とと様」
「……そうか。じゃあ……帰ろう」
男は静かに呟く。リーズはもう一度だけ男の手を握った。
そして二人は、裂け目のように開いた魔力のゆらぎに身を沈め、闇に消えていった。
◇ ◇ ◇
時は少し遡る。
誰にも知られず、誰も寄りつかぬ部屋。
“秩序の院”の奥底──研究室。
石造りの廊下は灯火を拒むように冷え、静まり返った空間にページをめくる音だけが響いていた。
ボロボロの魔道書を抱え、長机にうずくまるひとりの女。
その姿は、かつて“美しい”と評された面影とは程遠い。
乱れた長髪、唇の血色も消え、目の下の隈は深く黒い影を落としている。
それでも彼女は、指先を震わせながら紙をめくる。
「……あいつを……壊す術……」
掠れた声が、誰もいないはずの空間に吸い込まれる。
その言葉は呪詛のようであり、祈りのようでもあった。
(壊さなきゃ……壊してやらなきゃ……)
(あんな怪物を……ノクスを奪ったあいつを……!)
女の名はセラ。
かつて“見た目だけで男を手玉に取る女”と揶揄されたその美貌は、今や執念の業火で焼かれていた。
そのとき、背後で足音が止まる。
「セラ……」
声の主は、男だった。
かつて彼女と同じ資料を、違う目的で読み漁っていた男――エルディス。
「……何日も眠っていないじゃないか。もう、やめろ。お前が壊れてしまう……」
彼は優しく言った。そう、優しさだけは──誰よりも。
だが、その言葉が逆にセラの胸を焼いた。
「だったらあなたがやればいい……!
あなたがノクスを巻き込んだんでしょう!? なのに……!」
感情が、暴れ出した獣のように声を歪ませる。
「あなたに触れられても、何も満たされない……!
私の心は、もうあの人のことでいっぱいなの……!」
セラの言葉に、エルディスの表情が歪む。
それでも彼は、手を伸ばした。
彼女を抱き寄せ落ち着かせようと、そっと腕を差し出す。
けれど──
「やめて」
その一言が、ナイフのように鋭かった。
セラはわずかに身を引き、拒絶の意思を明確に示す。
沈黙。
その言葉のあとに訪れたのは、心が切り取られたような静寂だった。
エルディスの手は、中途半端な宙で彷徨い、やがて力なく下ろされた。
「……セラ。俺だって、ノクスの命を奪ったあいつを消したい。だが……」
「聞きたくない……!」
激しく言葉を遮り、セラは彼に背を向けた。
涙ではなく、怒りでもなく、ただ空っぽな心を抱えて──。
エルディスは、震える唇を噛みしめる。
(ずっと、君を守るつもりだった。ノクスを犠牲にしてでも、君の心を手に入れたかった。けれど、今の君は……)
「……俺の言葉は、もう届かないんだな。好きにしたらいい……」
足音が遠ざかり、再び沈黙が戻る。
セラは感情を押し殺し、再びページをめくる。
そのとき、指先がかすれた紙に触れた。
(これは……)
震える手で取り出したその草稿には、見覚えのある筆跡が踊っていた。
『魔力の干渉と相互作用に関する仮説──ノクス』
目が釘付けになる。
そこに綴られていたのは、あの人特有の筆跡──
きれいとは言い難い。少しだけ右上に傾く文字の癖。
(……ノクス……)
一瞬で胸が熱くなり、視界が歪む。
次の瞬間、彼女の思考は──あの白く明るい学舎へと、一気に引き戻されていた。
お読みいただきありがとうございました。
愛ゆえに狂い、狂ったまま進み続ける彼女が、どこにたどり着くのか──
よければ、最後まで見届けてください。
次回も、どうかお付き合いくださいませ。




