第9話 再会は戦場にて
――アストリアン南西 魔力観測所
アリはゼノと魔導騎士団数名を引き連れ、南西部の魔力観測所にいた。
フェンリルの出現を受けて、アストリアンでは東西南北それぞれの国境付近に、
魔力の流動を検知する新型探知機を導入した。今日はその試験運用を兼ねた視察である。
『もう古の魔物の出現がなければいいのだけど……』
被害の再来だけは、何としても避けたい。
運用に問題はなく、もし魔物が現れれば、より早期に察知できるだろう。
少しの安堵も束の間、急報が届く。
――グランゼルドとカルディナスが開戦。戦線がアストリアン国境付近まで北上中。
アストリアンはグランゼルドと隣接し、カルディナスとも一部で国境を接している。
戦火が国境に迫っているという報せは、もはや他人事ではなかった。
開戦は予期していたが――
「国境を越えようとしているだと……アストリアンを巻き込むつもりか」
アリは即座に、国境方面へと馬を走らせた。
✦ ✦ ✦
――グランゼルド南東 ヴァレオス平原
グランゼルド帝国南東のヴァレオス平原。アストリアンの国境からもほど近い。
その戦場で、ルイは自ら剣を振るい、指揮を執りつつ魔法で応戦していた。
グランゼルド軍は遠征続き、そして他の任務に戦力を割いていることもあり、兵団にも疲労の色が伺えた。
『我が軍の士気が落ち始めている……援軍が来るまで持ちこたえねば』
だが、戦線は思うように収まらず、じわじわと北へ――アストリアンの方角へと広がっていく。
「戦線を拡大するなと、アデルに伝えよ」
ルイは伝令を飛ばす。
『このままでは、アストリアンの領土に踏み込んでしまう……』
アデルは指揮を引き締め、戦線の拡大を抑えようとするが、
カルディナス軍は逆に、アストリアンの方角へと攻勢を強めていた。
『なぜだ……? カルディナスの指揮官は、本気でアストリアンを巻き込むつもりか』
焦りが、ルイの胸をよぎる。
――そして、ついに戦線はアストリアンの国境を越えた。
✦ ✦ ✦
カルディナスの魔導騎士団が一斉に詠唱を開始する。
カルディナス小隊長ヴァルター「ゴーレム・ヴォカーレ!」
数体のゴーレムが出現し、アストリアン領内へと踏み込む。
彼らは国境内の施設を巻き込みながら、グランゼルド軍を強襲した。
施設付近にいたアストリアンの警備兵も巻き込まれ、数名が負傷した。
カルディナス小隊長ロイゼン「フルミナス!」
雷撃魔法が放たれ、グランゼルド兵数名がダメージを受ける。
カルディナス兵たちが沸き立つ。
「すげぇ!」「さすが小隊長殿!」「今のうちに攻め込め!」
そこへアストリアンの警備兵たちが駆けつける。
「なぜ国境内に……!」「兵が負傷したぞ、避難と手当を!」「陛下に報告を……!」
グランゼルド軍はアストリアン領から敵を押し戻そうと魔法を展開。
ルイは副団長レオン、小隊長セリオスの元へ合流する。
グランゼルド副団長レオン「イグニヴォムス・ドラコ!」
炎を吐く竜が現れ、カルディナス兵に大ダメージを与える。
グランゼルド小隊長セリオス「テンペスタエ・クルスス!」
嵐の奔流がカルディナス兵を吹き飛ばし、戦場が激しさを増していく。
「くっ……!グランゼルドの奴らめ!」「攻撃の手を緩めるな!攻めろ!」
カルディナス小隊長ロイゼンが再び詠唱を始めようとした、その瞬間――
「――サンドラリス――」
凛とした声が響いた。大きな声ではなかったが、
戦場の者すべてが、その声を確かに聞いた。
次の瞬間、カルディナス軍の前衛陣の上空に、横一列の稲妻が奔る。
ビリビリと空気が焼け、『バリバリッ!』『ビシャァァン!』という轟音とともに落雷が襲いかかる。
「うわあああああああ!」「ぎゃあああっ!」
しびれと痛みにうめきながら、兵たちは次々と膝をつく。
幸い致命傷には至らなかったが、全身を駆ける電撃に誰もが悶絶していた。
何が起きたのか――
カルディナスもグランゼルドも、誰もが理解できずにいた。
カルディナス小隊長ロイゼンの魔法ではない。確かに聞こえた別の詠唱。
ルイは声のした方向に視線を向けた。
そこにいたのは――
黒馬にまたがる黒衣の騎士。深くフードをかぶった小柄な人物。
背後には、屈強な青年が一人控えていた。
「何者だ!!」ロイゼンが叫び、剣を振りかぶる。
だがその人物は、斬撃が届く寸前に宙を舞い、ひらりと身を翻した。
次の瞬間――ロイゼンの背後に、立っていた。
「いつの間に――!?」
狼狽するロイゼンは、雷撃魔法「ヴォルタグラ」を放つ。
「姿を見せよ……!!」
その人物は右手を掲げ、淡く光る半透明の結界を展開。
雷撃を受け止め、衝撃波を四方へと散らした。
その拍子に、フードがはじけ飛ぶ。現れた顔に、ルイは息を呑んだ。
『……あれは――!』
雷が収まり、結界も消える。
ロイゼン「くそっ……!」
自身が使える最大の魔法が無効化された。ロイゼンは膝を折り、戦意を喪失する。
ルイ『アリ……!!』
無意識に、名を呼んでいた。
あの威厳、あの風格、そして空気ごと変えるような存在感――
間違えるはずがなかった
アリがゆっくりと振り返る。
「やあ、ルイス。また会えたね?」
にやりと笑うその顔に、ルイは言葉を失う。
✦ ✦ ✦
……ずっと、会いたかった人。
目の前に、その人がいる。
緊迫した戦場だというのに、ルイの胸は高鳴って仕方なかった。
アリは空気を変えるように、静かに言葉を紡ぐ。
「ここはアストリアン大国の領地。
我が国を巻き込んで戦を起こすとは……我が国に対する挑発と見てよいのか?」
戦争など、どの国とも望んでいない。
だが両国の事情を把握できていない以上、今は中立を保ち、第三者の立場として発言するしかない。
ルイが謝罪の言葉を口にしようとしたそのとき――
「そうそう。挑発だよ?」
のんきな声が、カルディナス側から飛んできた。
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この緊張感の中で、冗談を言うような男――
アリはその声に、やはりと内心でため息をついた。
赤い髪、鋭い眼差し、引き締まった体躯。
強烈な自己顕示と支配欲を感じさせるその男が、カルディナス軍の中央を割って現れる。
カルディナス小隊長ロイゼン「アレクシス様……!」
そう、この男はカルディナス帝国第一皇子――アレクシス・ロウグランツ。
次期皇帝として目されている、現皇帝の長子である。
彼は堂々と笑みを浮かべ、アリの方へ歩を進めた。
「よぉ、アリア。また会ったな?」
アリの口調を真似るようなその言い方に、アリは顔をしかめた。
「げっ……」
ゼノも思わずつぶやく。
「うわ、またあんたか」
「おいおい、また二人してその態度かよ。あからさますぎるだろ。こっちは陛下にお会いできて光栄なんだぜ?」
そのやり取りを見ていたルイは、アレクシスの言葉に反応した。
『……陛下? 誰のことだ?』
そう。ルイはまだ知らなかった。
アリ――アリア・クラリエルが、アストリアン大国の皇帝であることを。
アリは薄々察していた。
――アストリアンを巻き込むよう仕向けたのは、この男だと。
「アレクシス皇子。どういうつもりだ。他国の領土に踏み込み、巻き込むなど、正気とは思えぬ」
幸いアストリアン側の被害は、建物一棟の損傷と数名の軽傷で済んでいる。
だが、故意に国境を越え、こちらの兵士を負傷させた事実は消えない。
もし「アリに会うため」などという理由で越境してきたのなら、もはや呆れるを通り越して笑うしかない。
「まあまあ。今回は多めに見てくれよ。すぐに引くし、建物の修繕費は俺が出す」
「結 構 だ!」
アリはぴしゃりと切り捨てるように睨んだ。
『さっさとアストリアン領から出ていけ。これ以上、面倒を起こすな』――そう言わんばかりの視線だった。
アレクシスは、その無言の圧をしっかりと受け止める。
(……また雷でも落とされそうだな)と、苦笑した。
アリは、負傷した兵の容態を確認するため、警備兵を呼び寄せた。
警備兵「陛下、ご心配なく。全員軽傷で、手当は完了しております」
「そうか……」
この場はもうじき収束するだろう。
グランゼルドとカルディナスの問題だ。アストリアンは、深入りすべきではない。
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――ルイはようやく気づいた。
アストリアン大国の皇帝陛下――その名は『アリア・クラリエル』。
“アリ”というのは、その愛称だったのだ。
「……アリが、皇帝陛下……」
思わず、ルイは小さく呟いた。
そのとき――
グランゼルド軍に急報を告げる伝令が駆けてきた。
「ルイ様! 王宮より火急の知らせです!」
伝令が駆け込み、ルイの前で片膝をつく。
「……皇帝陛下が、お倒れになりました」
「……なにっ!? 父上が!? 容態は……!」
伝令「早朝より意識が戻っておりません。急ぎ、ご帰還を!」
ルイは顔色を変え、思考が一瞬空白になる。
――この場を離れるわけには……
だが、父が倒れたという報せは、今すぐ帰還すべき重大事。
その葛藤を察したアリが、ルイに言葉をかける。
「ルイ皇子。即刻軍を引き連れて、帰還なさいませ。この場は私にお任せを。」
その瞳には、優しさと覚悟が宿っていた。
もしも万が一の事態なら、父に会える時間は限られている。
アリは、そういう状況なのだと理解していた。
ルイはためらいながらアリを見つめた。
巻き込んだうえに、他国の皇帝に場を任せるなど、皇子として情けない。だが――
『……甘えていい。行って』
そう告げるようなアリのまなざしに、ルイはそっとうなずいた。
判断は早かった。
「アリア陛下。ご厚意、感謝いたします。本件の詫びは、後日必ず――」
「うん。早く、ロイ陛下の元へ」
アリの言葉に背を押され、ルイは馬を駆り、戦場を後にした。
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「逃げていくぞ!」「追撃を!」
カルディナス兵が盛り上がる。
だが、アリがその前に立ちはだかる。
「というわけで、アレクシス皇子。帰ってくれない?」
穏やかな微笑に見せかけたその一言に、
アレクシスは苦笑しながら肩をすくめた。
「なにが“というわけで”だっ……」
とは言いながらも、その空気は読んでいた。
これ以上は引くべきだと。
「……グランゼルドとの決着は、もう少し先になりそうだな。お前ら、引け!」
ロイゼンらが従い、カルディナス軍は踵を返す。
アレクシスは去り際、馬上から一言残した。
「じゃあな、アリア。また会おうぜ」
アリは、軽く手を振るようなそぶりを見せながら、心の中で嘆息した。
『……やれやれ』
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――帰還するカルディナス軍勢。
騎士団団長ゼイガルが馬上から問いかける。
「アレクシス様、アストリアン側の国境常駐部隊の数と配備、確認できております」
「おう。よくやったな」
その返事は軽いが、目的は達せられたという手応えがある。
カルディナス上層部は、いずれアストリアンをも勢力下に置く可能性を見据え、情報収集を命じていた。
今回、越境というリスクを冒したのも、それに従ったまでのこと――表向きは、そういう理屈だ。
「お見事でしたね、アレクシス様。アストリアン皇帝陛下の雷撃を間近で見るのが、“今回の任務”だったとは」
ゼイガルが、わざとらしく皮肉を込めて言った。
「うるせぇぞ、ゼイガル。……まあ、収穫はあったな」
アレクシスはニヤリと口元を緩ませた。
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