第8話 消せない痕跡
古の魔物を討伐した翌日――
アリ、ゼノ、そして魔導騎士団は、ルノワール湿原一帯の調査にあたっていた。
「あの魔物が何者かに召喚されたのだとすれば、どこかに痕跡が残っているはず」
アリはそう見ていた。
魔導騎士団の団長レイガルが馬を駆ってアリのもとへやって来た。
「陛下、湿原の南東に、神殿と思しき建物がございます。
付近の里の者によれば、数日前、その神殿上空に暗雲が立ち込めていたと――」
あれほどの魔物を召喚するには、神殿のように魔力の流れが安定した場所が必要だ。
さらに住民の目撃情報があるとなれば――
「行ってみよう」
アリは即座に決断し、魔導騎士団とともに神殿へ向かった。
神殿を目にし、ゼノがつぶやく。
「外壁が剥がれかけているな……かなり古そうだ」
「だが、この造り……格式は高そうだな」レイガルも冷静に見立てる。
確かに建物は古びている。だが、アリはこの場に満ちる魔力の流れが淀みなく、極めて安定しているのを感じ取っていた。
――ここはいったい、どんな神殿なのか。アリはその起源を調査するよう指示を出す。
――神殿内部へ。
一見したところ、ごく普通の内部構造に見えた。だが、アリの勘が鋭く働く。
祭壇に近づき、そっと詠唱する。
「……アウラ・センス」
【空】属性の空間探知魔法。一定範囲の魔力の残滓を可視化する術だ。
次の瞬間――
アリの足元に、うっすらと文様が浮かび上がった。
魔法陣の一部と思われるが、全体像は判然とせず、しかもかなり消えかかっている。
「……魔法陣、か?」レイガルがつぶやいた。
魔法や魔法陣の痕跡は、通常は見た目に残らないよう消去される。
だが、強力な魔力で刻まれた場合や、ごく最近使用されたものであれば、わずかな痕跡が残ることがある。
今回も、その例に該当するのだろう。
ゼノが魔法陣の中央に目をとめた。
「ここ、焦げてるな……何か燃えたか?」
ほんの一部に、焼け焦げたような跡があった。
指先でなぞると、炭と共に小さな白い石のような塊が現れる。
「なんだ、これ……?」
アリ、ゼノ、レイガルの三人が覗き込む。
「うーん……石?」
首をかしげるばかりで正体は分からない。アリはこの石も調査に回すよう命じた。
「魔法陣の痕跡も、焦げ跡も、まだ新しい……ここで召喚が行われた可能性は高い」
「じゃあ……前に現れたハーピーも、どこかの神殿で召喚されたってことか?」
「その線もある。レイガル、ディアル草原周辺の調査をお願い」
「御意!」
✦ ✦ ✦
リヴァルネ王国から帰還したアリとゼノは、すぐさまアストリアン王宮の書庫へと向かった。
神殿で見た魔法陣の正体、そして召喚魔法に関する記録を探るためだ。
王宮の書庫には、国内外の古文書や禁書級の魔法書まで数多く揃っている。
だが、魔法に関するすべての記録が網羅されているわけではない。
特に古の魔法に関する資料は、そもそも現存数が極めて少ないうえ、各地に散逸しているとされており、
アストリアンの書庫に所蔵されているのは、そのごく一部にすぎない。
ゆえにアリでさえ、全容を把握できているわけではなかった。
アリとゼノは黙々と書をめくり続ける。
やがて、難しい顔をしたアリにゼノが声をかける。
「姫……どうした?」
「神殿で見たあの魔法陣……どうも、五大魔法の召喚陣とは構造が違うの」
「違う……?つまり?」
アリは深く頷く。
魔法に精通する彼女であれば、五大魔法で使用される陣式は見ればすぐに分かる。
だが、今回の魔法陣はそのいずれとも一致しなかった。まったく未知のものだったのだ。
だからこそ、自分の記憶と文献で確認を取りたかった。
「……古の魔法による召喚陣の可能性がある」
ゼノは息をのむ。
「……姫以外に、古の魔法を使える者が……?」
現在、アストリアンで古の魔法を使える者は、アリただ一人とされている。
近隣諸国においても、古の魔術の使い手が存在するという話は聞かない。
ただし、どこかの国が隠匿している可能性、あるいは個人が秘匿している可能性は否定できない。
だがもし、それが――
古の魔物を呼び出し、世界に災いをもたらす存在が、敵であったとしたら――
アリとゼノの胸に、言い知れぬ不安が走った。
✦ ✦ ✦
レイガルに命じた調査結果をもとに、アストリアン宮中で戦策会議が開かれた。
会議では、古の魔物と神殿に関する情報が共有された。
まず、ルノワール湿原に存在していた神殿の名は『カエルム神殿』。
記録によれば、これは五大魔法の【空】に属する古い神殿であるという。
また、魔法陣の中央で見つかった白い塊については、古びた「牙の一部」である可能性が高いとの調査結果が出た。
それがどのような生物、あるいは魔物のものかは未特定だが、遺物として召喚に用いられた可能性がある。
さらに、数年前にハーピーが出現したアストリアン北東部・ラディアル草原周辺の調査では、
国境を越えた先、グロザリア領内に『アエリス神殿』という神殿が存在していることが判明した。
この神殿は【風】属性に属するものとされ、すでに陣式の痕跡はなかったが、
祭壇中央の床には、かすかな焦げ跡が確認されていた。
また当時から神殿にほど近い集落に住んでいる住民から以下のような証言が得られていたという。
「神殿の上空に、突如として黒く渦巻くような雲が発生し、不気味な静けさが辺りを包んでいた」
「空気が張り詰めたような異様な雰囲気で、鳥の声も止み、まるで何かを“呼び込む”ような気配だった」
当初は自然現象とみなされ重要視されていなかったが、
今回ルノワール湿原で確認された召喚の兆候と酷似していることから、同様の召喚儀式が行われていた可能性が高いと報告された。
これらを受け、アリと重臣たちは次のような仮説を立てた。
・何者かが意図的に古の魔物を召喚している
・その“何者か”は同一人物、もしくは同一組織である可能性が高い
・高位の魔力を扱う上級魔導士であり、古の魔法の使い手の疑いがある
・召喚には何らかの遺物や貢物が用いられている
・数年の周期で魔物が出現しており、再び召喚が行われる可能性がある
・古の魔物である以上、討伐には古の魔法による対応が不可欠
アストリアンはこれを重大事ととらえ、調査結果を近隣諸国へ通知することを決定。
古の魔物の再出現を想定し、各国に対し事前の警戒を、そして非常時にはアストリアンへの支援要請を行うよう通達を発した。
✦ ✦ ✦
――グランゼルド南方前線基地
そのころ、グランゼルド帝国第二皇子ルイ・ヴァルディアは、南方国境に設けられた前線基地にて頭を抱えていた。
国境警備を皇帝より一任されたルイは、魔導騎士団の一部と、陛下から託された第一軍を率いて遠征中だった。
古の魔物出現以降、グランゼルド帝国も再出現に備えて国境の警備を強化していた。
とりわけカルディナス帝国との境界付近では、不審な魔力の痕跡が観測され、「再召喚の兆しか」との噂が密かに広まっていた。
疲弊が続く中、属州での反乱鎮圧と警備任務に追われながらも、ルイは危険の芽を摘むべく、一部部隊を監視名目で進軍させた。
しかしそれが、小競り合いへと発展し――ついには戦争の火種となってしまった。
今にも戦いの火ぶたが切って落とされかねない状況のなか、前線本営の天幕では、ルイと魔導騎士団たちが作戦を練っていた。
そこへ、伝令が息を切らせて飛び込んでくる。
「ルイ様! カルディナスの軍勢、国境警備隊の報告によれば……一万を超えているとのことです!」
それを聞いた騎士団長アデルが即座に反応する。
「なにっ……!? 一万だと……!」
ルイは静かに唇を結んだ。
――我らの兵力は、七千にも満たない。
反乱後の収拾や他国境の警備、魔物に関する調査で兵を割かれており、この前線に残るのはわずか七千弱の主力部隊のみであった。
さらに、伝令が続ける。
「進軍は想定よりも早く、この地に迫るのも時間の問題かと……!」
重苦しい沈黙が天幕を包む。
その中で、ルイは即断した。
「――皇帝陛下に援軍を要請せよ。それまでに、ここでカルディナスを食い止める。」
若き指揮官の瞳には、決意の色が宿っていた。
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読者の皆さま、今回もお読みいただき、ありがとうございます✨
次回いよいよアリとルイが再会します!そして、ルイの登場シーンも徐々に増えてきます。
今後の展開、ぜひご期待ください~♬