第39話 はじまりの確信
クラーケン討伐からアリが目覚めるまでの間に、神殿の調査はすでに完了していた。
アリが目覚めた翌日、アデルが報告に訪れた。
その場には、ルイ、ゼノ、アレクシス、ゼイガルも同席していた。
神殿には、これまでと同様にいくつかの痕跡が残されていた。
今回、クラーケンが召喚されたのは『アクア神殿』――【水】属性に属する高位神殿である。
祭壇には、タイタンの時と同様、魔法陣の跡が残っていた。
また、遺物が安置されていた場所には焦げ跡も確認された。
召喚に用いられたと見られる遺物は、半透明の硬質な殻のような物体だった。
鱗のような素材とは異なり、涎や粘液が硬化したものではないかと仮定されている。
この遺物はグランゼルドに持ち帰り、詳しく分析されることになった。
調査結果を受け、これまでの仮説も整理され、いくつかの対策が決定された。
【神殿調査と今後の対策】
・タイタンの出現からクラーケンの出現まで一年足らず。今後さらに間隔が短くなる恐れがあり、各国で厳戒態勢に入る。
・空・風・地・水の高位神殿が召喚に用いられていることから、残る【火】属性の高位神殿を各国で調査・警備する。
・万一、召喚の兆候が見られた場合、周辺住民を速やかに避難させる体制を整える。
・五属性混合魔法は古の魔物に対して有効と考えられるが、最終的に消滅させうるのは古の魔法のみ。
・混合魔法を扱える魔術士を各国で選抜し、戦闘体制を整備する。
アデルがここまでの報告を終えると、アリは頷き、口を開いた。
「ありがとう。報告、理解したわ。……でも、疑問は残る」
アリはゆっくりと言葉を継いだ。
「まず、タイタンとクラーケンの間は一年足らずだったけれど、フェンリルとタイタンの間には七年も空いていた。
本来なら、召喚する魔物が強大になればなるほど、術も複雑になるはずよね。
なのに、なぜ今回はこんなにも短期間だったのか……」
「なんか、試されてるみたいで気持ち悪いな……
“ほら、こんなに簡単に召喚できるんだぜ”みたいな」
ゼノが低くつぶやいた。
アレクシスも頷く。
「確かに。ここまでは準備だったんだってさ。で、“さぁ、これから本番だ!”ってノリに聞こえるよな」
その軽口に、場にいた全員がうすら寒い目を向けた。
「お、おい、なんでみんなそんな目で見るんだよ……」
アレクシスは小さく抗議したが、皆の本音は同じだった。
(不吉なんだけど……当たりそうで怖い)
アリはふと、ゼノの言葉を反芻する。
(簡単に召喚できる……?)
「……なにか、召喚を容易にする理由があるのかもしれないわ」
「遺物が揃って、あとは召喚するだけって段階になったとか?」
ゼノの推測に、皆が頷く。一理ある。
沈黙していたルイが、何かに気付いたようにぽつりと呟く。
「……高位神殿の多くには、結界が張られているはずだ。
本来なら、それを破らなければ召喚なんて不可能だ。
結界を破るには高位の魔法が必要なはず……
敵が古の魔法使いだから破れたのか、それとも結界自体が弱まっていたのか……」
その言葉に、アリはある記憶を思い出す。
幼い頃、初めて古の魔法を発動してしまった時――
膨大な魔力が解放され、王宮の結界に異変が生じた。
その後、ゼノがこう言っていた。
『あのとき、王宮の結界が破れたって、騒ぎになってたんだぜ』
「もしかして……観測所で膨大な魔力が検知されたのって、結界を破ったときの反応……?」
アリの呟きに、全員がハッとした。
「それは……ありえるな」
「古の魔法でなければ破れないほど強固な結界。
でも、それだけの魔力を使って結界を破ったあとに、さらに召喚までするなんて……
召喚者は、相当な魔力を持ってるってことになるわ」
点と点がつながっていくような感覚はあったが、まだ全体像は見えない。
「でもさ、観測所で魔力の反応があっても、魔物が出現するのは数日後だよな?
召喚ってそんなに日数かかるのか?」
ゼノが疑問を投げかける。
すると、アデルがぽつりとつぶやいた。
「……タイタンも、クラーケンも、出現したのは我々が神殿を調査した直後でしたよね」
その言葉に、全員が凍りついた。
“試されている”――ゼノの言葉が脳裏をよぎる。
「……まさか、待っていた……のか?」
ルイが言いたくない予感を、口にしてしまった。
アリの中で、何かが決定的につながった。
そして、確信してしまった。
(待ってる。そう……それだ……。――そして、“試されている”のは……私……だ)
古の魔法、皇帝暗殺、操られたグロザリア王、消えた金、操られた少年、次々現れる魔物、
そして、自分の体の違和感――
すべてが、目に見えない一本の線でつながっている気がしてならなかった。
導かれているような感覚。
操られているような不気味さに、アリの身体は小さく震えた。
その異変に、ルイが気づく。
「アリ……? どうしたの? 顔色が悪い……」
アリは、声を発することすらできなかった。
血の気が引いたその顔を見て、ルイはすぐに皆へ指示を出した。
「すまない。アリを休ませたい。……退室してくれるか」
一同は黙って頷き、その場をあとにした。
✦ ✦ ✦
皆が退室し、その場にはアリとルイだけが残っていた。
「アリ……まだ体調、戻らない?」
アリは目覚めた後も「もう少し休む」と言って半日ほど休息を取っていた。
ルイはまだ体調が万全でないのだと思っていたが――様子がどこか、おかしい。
血の気の引いた顔、わずかに震える肩。
それは、ただの体調不良ではなく……**“恐怖”**だ。
話し合いの中で、アリは何かに気づいた。
それが原因だと、ルイには察しがついていた。
「……“試されている”のは、たぶん……私……」
アリが、ぽつりとつぶやく。
「アストリアンでの出来事も、消えた金も、魔物も――
全部、つながってる気がするの……」
ルイは、アリがグランゼルドに来る前に何があったのか、すべてを知っているわけではない。
けれど、アリの中で何かが確実に結びついたことは、見て取れた。
次々と起きる異変がすべて自分に向けられているとしたら。
その中心に自分がいるとしたら。
――それは、想像するだけでも恐ろしいことだった。
アリの感じている恐怖は、きっと言葉では言い尽くせない。
ルイは、そんなアリを守るつもりでいる。
どんな危機が待ち受けていようと、一緒に立ち向かう覚悟があった。
だから、そっとアリを抱きしめて、優しくささやいた。
「……大丈夫。俺がついてる。君を、守るから」
アリは何も言わずに、その胸に身を預けた。
確信してしまった以上、もう完全な安心などできはしない。
これから先、さらなる地獄に巻き込まれる――それを否定する材料は、もう何もない。
けれど、そんな恐怖の中で、ルイの言葉だけが、
ほんの少しだけアリの心を救っていた。
“ルイはきっと、嘘をつかない”
それを信じられるからこそ、
「俺がついてる」――その言葉が、アリにとっては何よりの支えだった。
「……ありがとう、ルイ。
もう、大丈夫」
そう言って顔を上げると、確かに顔色は戻っていた。
ルイは少し安心したように微笑む。
「本当? ……ならよかった。あ、そうだ。魔力のほうは?」
その言葉で、アリはようやく思い出す。
さっきまでの恐怖で、魔力の状態など気にも留めていなかった。
そっと目を閉じて、体内の魔力の流れを探る。
(……あ、戻ってきてるかも)
「うん、だいぶ戻ってきてるみたい」
アリの表情に、ようやく安堵が浮かぶ。
魔力が戻らなかったらどうしようかと思っていた。
けれど、ちゃんと戻ってきている――それだけでも救いだった。
ルイも、微笑みながら頷き、やわらかく言った。
「じゃあ、明日にでも――グランゼルドへ帰ろう」
✦ ✦ ✦
――翌日
帰還するグランゼルド一行を見送ろうと、アレクシスとゼイガルが王宮前に駆けつけていた。
アレクシスはアリのもとへ歩み寄り、少し照れくさそうに言った。
「アリア、ゆっくり話す暇もなかったけどよ……
もう少しゆっくりしてけよ」
その言葉には、もっと一緒にいたいという子どものような想いがにじんでいて、アリは思わず笑った。
それを見ていたゼイガルも、肩を揺らしてニヤニヤしていた。
「ありがとう、アレクシス皇子。
でも、ルイと早く帰らなきゃ。やることがたくさんあるの」
そう答えると、アレクシスは珍しく神妙な顔をしたかと思えば、
ゆっくりとアリを引き寄せ――そっと抱きしめた。
その大きな体格と、普段の豪胆さからは想像もできないほどの、やさしい抱きしめ方。
まるで小さな子犬を抱くような、慎重で繊細な動作だった。
ゼノもアデルも、ゼイガルまでもが(うわっ)と思いつつ、顔を赤らめていた。
そしてアレクシスは、今まで見たことのない真剣な表情でアリと向き合い、言った。
「アリア……ここに残れよ。俺と一緒にカルディナスで……」
そこまで言ったところで、アリはぐいっとアレクシスから引き離された。
「そこまでだ、アレクシス皇子」
ルイの声だった。
(……怒ってる)
その場にいた全員が、ルイの怒気を敏感に感じ取っていた。
「なんだよ、ルイ陛下! 邪魔すんなよ!」
そう言って、再びアリを引き寄せようとしたアレクシスを、ルイがぴしゃりと阻んだ。
「いいかげんにしろ。本気で抜くぞ」
剣に手をかけようとするルイを、今度はアリが止めた。
「うわぁああ! ルイ、まって、まって! アレクシス皇子のは、冗談だから!!」
「いやいやいや、冗談じゃねぇから!!!」
アレクシスは完全に心外といった顔で、ショックを受けていた。
「えっ? 冗談でしょ?」
アリはへっ?と真顔で応えた。
アレクシスは本気だった。
だがアリには、それが冗談100%で伝わっていたことに、愕然としていた。
ゼイガルは(まあ当然でしょうね……)と、内心で笑いを堪えていた。
そして追い打ちのように、ルイが言い放つ。
「冗談でも、本気でも――アリに触れるな。
アリは、俺の妃になる人だ」
その一言に、アリは驚きのあまり変な笑い声が漏れてしまった。
「ルイまで……!からかって!」
「からかってない。本気だよ」
その目は真剣そのものだった。
アレクシスへのけん制、そしてアリへの明確な意思表示。
アリは、その視線を見て、ようやく気づいた。
(……本気だ)
アレクシスは、アリに想いが伝わっていなかったことの方が、何よりも堪えたらしく、肩を落としていた。
一方のルイは、正々堂々とけん制できたことで、どこか清々しい顔をしている。
「帰ろう」
そう言って、ルイは颯爽と馬に乗った。
「アレクシス皇子、いろいろ世話になった! では、また!」
手綱を引き、一行は帰還の途についた。
残されたアレクシスの肩を、ゼイガルがぽんと優しく叩く。
「……おい、優しくすんなよ!!!」
アレクシスの悲痛な声が、王宮前にむなしく響いていた。
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