第32話 物騒な噂と激辛かき氷
グランゼルド王宮敷地内 書物棟・中央資料院
シリウスはこの日、先代皇帝の政策資料を調べに訪れていた。
いくつか資料を手に取り、淡々と目を通していく。
やがて、静かに気配を寄せる人物が現れた。
「バルネスと“消えた金”の件……どうやら、疑われているな」
声をかけたのは、ザカリア・ヴァルディアだった。
「そうだな。
監視もつけられたが……無駄なことだ」
シリウスはそう言い切ると、冷え切った目を資料に落とした。
すでに監視の存在には気づいていた。ルイの指示だろう。そう思うと、忌々しさが湧き上がる。
――そして、おそらく気づいたのは、あの女。
彼女を思うだけで、怒りがこみあげてきた。
「あの女……邪魔だな」
低くつぶやいた言葉に、ザカリアは特に反応を見せない。
「そちらは順調なのか?」
今度はお前の番だ、と言いたげに、シリウスが尋ねる。
「問題ない」
ザカリアはそう短く答えた。
ふたりはいくつかの言葉を交わした後、シリウスは挨拶もなく立ち去った。
――そのころ。書物棟から少し離れた建物の影には、ゼノの姿があった。
彼はルイの指示により、シリウスの監視を行っていた。
(俺、尾行とか得意じゃねえんだけどな)
内心ぼやきながらも、命令は命令だと納得している。
だがここは、機密文書専用の保管庫兼閲覧室。ゼノは入室が許されていない。
中で何をしているかは分からないが、シリウスは一人で入っていったし、
後から誰かが出入りした様子もなかった。
業務上の理由での訪問――そう思っていたその時。
ふと、視線を感じた。
書物棟とは別の方向から、強く、だが敵意のない視線。
その方向に目を向けると、気配はすっと消えた。
(またか……)
実は、ゼノがその視線を感じたのは今回が初めてではない。
南部の駐屯地から王都に戻る際にも、同じ感覚があった。
(尾行の尾行……?)
のんきにそう考えるのは、殺気が一切なかったからだ。
襲撃の気配があれば、即座に動く。しかし、今回はただ“見られている”だけだった。
そして、ゼノに姿を見られずに見てくる相手。
それはつまり――ゼノと同格、あるいはそれ以上の手練れ。
(おそらく、騎士団の小隊長クラス以上だろうな。
……バルネス殺害も、もしかすると……)
そこまで思い至り、ゼノはこれ以上の張り付きは危険だと判断し、
この日は退いた。
✦ ✦ ✦
グランゼルド王宮 政務室
アリ、ルイ、エリオットの三人は、『消えた金』の件について協議していた。
「ゼノ殿の報告に基づき、使途不明支出を精査した結果、
約4億7千万ルクトが行方不明となっておりました。
加えて、六年前から毎年支出されていた“帝国南境復興支援組合”への寄付が、年間3,300万ルクト。
これを含めると、合計およそ6億5千万ルクトにのぼります」
エリオットの報告に、アリもルイも言葉を失った。
「南部駐屯の調査および監査に関わっていた人員の多くは、
監査を形だけで済ませていたことが判明しました。
また、それなりの地位にあった数名については、中央省に辞表を提出したのち、
現在は消息不明となっています」
高官による不正。
そして、その関係者を“消せる”立場にある存在――
ただならぬ事態が進行しているのは明らかだった。
「そんな大金が消えるなんて……国家転覆でも狙ってるのかしら」
アリが思わずつぶやく。
「まさか……そんなこと」
エリオットはそう言ったが、ルイは否定しなかった。
「いや……十分にあり得る。
この資金を、そのための足がかりに使うつもりだったのかもしれない。
まだ数億の段階で発覚したのは、不幸中の幸いだ」
そこまで言って、ルイは言葉を飲み込む。
「……今は、できることをしましょう。
ゼノにお願いしていた監視だけど、今のところ目立った動きはないみたい。
私も、少し気になることがあるから調べてみる」
「わかった。ゼノには引き続き監視を。
それから、エリオット、君にも調査を頼みたい」
三人はそれぞれに役割を確認し、行動を開始した。
✦ ✦ ✦
アリは『気になること』の調査のために、ノアを連れて王宮から西に少し離れた街に出かけていた。
アリとノアは変装し、街中をゆっくりと歩いて行った。
(最近の城下の状況をまずは、確認しないとね)
そうして、街で一番人気の茶屋に入った。
人気店だけあって、大勢の人でにぎわい、活気にあふれる。
しめしめ、ここなら。と、いかにも噂好きそうな人やお金持ちそうな人らの近くの席に陣取った。
「アリア様……いえ、アリ!ここ、にぎやかだね!」
と、あらかじめ指示しておいた“友人を装え”を演じてくれるノア。
「でしょ!ここは街で一番人気なのよー!」
と元気に答えた。周囲の客たちに“遊びに来たただの若者です!”をアピールしていく。
「いらっしゃい!ご注文お決まりですか?」と店員が声をかけてくれた。
「あ、えっと……じゃあ……『蒼炎まんじゅう』と、」
ノアのほうを見ると、「アレ」とメニューが書かれた札を指さしている。
「あと、ふふっ、フェっ、『フェニックスかき氷』ください!」
と茶屋一押しの大人気メニューとやらを注文してみた。
帝国魔導大会の決勝戦で使用された魔法をモチーフにしたメニューで大人気らしい。
ルイの使った蒼炎が話題になるのは分かるが、アリのフェニックスまで取り上げてくれるとは。
商売上手だなとアリは感心した。
品を待っている間、アリとノアはやや大きな声で世間話をし始めた。
「最近、このあたり物騒なんでしょー?」とアリが話し始める。
「そうそう。この間も盗賊が押し入ったとか」ノアが答える。
「盗賊?私は、なんかの魔物がって聞いたわよ」などど、実際に起きているかは知らないが、
“物騒なことが起きている”という噂を知っているように、あえて口にした。
近くにいた客たちも、つられて、会話のネタとして“物騒な話題”を話し始めた。
「そういや物騒っていえばよ、最近、魔導具屋の品揃えが減ったんだってさ。
どうも裏で軍が買い占めてるらしい。まったく、物騒な話だ」
「聞いた聞いた、武器屋もそんな感じらしいしな」
別の席の数名もまた別の“物騒な話題”を話し始めた。
「紹介所から剣士や魔導士が居なくなったらしい……」
「そうなのか、魔物討伐に出払ってるとか?」
「“軍”の護衛とか討伐案件でおいしい話があるらしい」
それを耳を立てて聞いていたアリは、
(紹介所に魔導具屋に武器屋……どちらも"軍"という単語がでてきたわね)
軍がそんなことをしているなんて話は耳にしていない。
(怪しいわね……後で行ってみよう)と考えていた。
そうこうしているうちに、注文の品が届いた。
「へい、こちら『蒼炎まんじゅう』」
アリの前に置かれた蒼炎まんじゅうは、見た目はどこかで見たような“水滴の形をした水色のスライム”だった。
水色の薄皮の中には、真っ赤な餡が入っている。
餡は火果という赤い果実から絞った汁で色付けしているらしい。
アリは一口パクリ。
「おいしい!」見た目に反して、とても甘くて温かみのある味だった。
「で、こちらはフェニックスかき氷ね」
と、ノアの前に置かれたのは、稲妻のように黄色い液体がかけられた普通のかき氷だった。
(ど、どこがフェニックスかき氷?)
とアリとノアも首を傾けたが、ノアがパクリとかき氷を食べた。
「!!!!!!!」
ノアが声にならない声をあげて、目を見開いている。
次いで、勢いよくせき込む。
その様子にアリは驚く。
「ノア?? どうしたの! 大丈夫?」
慌てて、水を差し出す。
「ゲホゲホっ、これめちゃくちゃ辛い……」
泣きながら訴えてくる。
「あれ、兄ちゃん、これ辛いって書いてあったの見なかったのかい?」
店員はメニュー札を指さす。
へっ?と二人は札を見つめた。
そこには『激辛注意!』って書いてある。
(あー……たしかに)
なんでも黄色い液体はトウガラシやスパイス入りの「辛味シロップ」で、
フェニックスじゃなく“雷”のほうメインにイメージしたかき氷らしい。
結局ノアのかき氷とアリの蒼炎まんじゅうを交換した。
アリはかき氷をパクリ。
(あれ、意外とイケるわね)
と涼しい顔して食べ進め、結局完食した。
ノアは「この人信じられない」と言った引いた目で見ていた。
――そして、茶屋を後にし、目的の場所へと向かった。
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