第3話 裁きの炎と、目覚めし古のもの
この日も、特別審理会議が開かれていた。
皇帝暗殺という許しがたい蛮行に対し、グロザリア王国への軍事的制裁を求める声が高まっていた。
(軍事的制裁……か)
皇帝を狙った以上、何らかの報復措置が必要であることは、アリも理解している。
だが、それでも気は重かった。
罪なき民まで戦火に巻き込むような事態は、できる限り避けたい――そう願わずにはいられない。
そのとき、国境警備兵からの急報が届いた。
グロザリア軍が挙兵し、すでにアストリアン方面へ向けて南下中――。
「ついに来たか……」
重臣たちはざわついた。
皇帝暗殺を企てた時点で、戦争に発展する可能性は誰もが覚悟していた。
アリもまた、覚悟はしていた。
――だが、どうしても腑に落ちない。
そもそも、グロザリア王国は数十年来、アストリアンとの小競り合いを繰り返してきた。
背後には、アストリアンの豊かな土地と資源を手中に収めたいという野心がある。
だが、なぜ今回は、皇帝暗殺という卑劣かつ大胆な手段に出たのか。
開戦の火種など、他にいくらでも作れたはずだ。
単に指導者を失わせれば、アストリアンが混乱すると考えたのかもしれない。
だが――暗殺は成功したにもかかわらず、グロザリアはすぐには動かなかった。
アストリアンには、魔導騎士団を中心とした鉄壁の兵団がある。
皇帝が不在でも、軍を指揮できる者は他にもおり、容易に混乱に陥るような国ではない。
アリが即位してから、すでにひと月が経っていた。
国内の混乱は最小限に抑えられ、今やアストリアンに隙はない。
――簡単に言えば、グロザリアは“機”を逃したのだ。
では、なぜ皇帝を殺した?
ただ殺すことが目的だったのか?
皇帝が死ねば、次の皇帝が即位する――その構図は最初から分かっていたはずだ。
(皇帝を代えたかった……?)
そこまで考えたとき、不気味な感覚が背筋を這った。
得体の知れない“意図”の存在を感じ、アリは思考をそこで止めた。
今は、目前の戦に集中すべきだ。
アリは意識を切り替え、グロザリア軍への対策を語り始めた。
✦ ✦ ✦
グロザリアの侵攻に対し、アストリアンはついに挙兵を決定した。
会議の場で、アリは明言する。
「皇帝暗殺に関与した者たちの処遇は、列国共通法に則って裁く。
だが――我が国に刃を向けたこと、その報いは戦場で受けてもらう」
迎撃の舞台は、アストリアン北東部の国境地帯<<ラディアル草原>>
人里を避け、民を巻き込まずに済む唯一の場所。だが、風が強く、魔力の流れが不安定な危険地帯でもあった。
アストリアン各地から集結した兵と魔導騎士団。
アリは後方陣営から戦況を見守っていた。
やがて、地平線に黒き影が現れる。
グロザリア軍――そして、かの国の魔導騎士団もその先頭に姿を見せた。
開戦の号砲が、空を裂いた。
──激戦が始まった。
炎が舞い、氷が突き立ち、雷が地を焼く。
アストリアンとグロザリアの魔導騎士たちが火花を散らして激突し、魔法陣が幾重にも交差する中、地響きが戦場に轟く。
「第一陣、後退! 第二陣、中央を援護せよ! ……後衛はまだか!」
アストリアン魔導騎士団団長レイガルの怒号が飛ぶ。敵は予想よりも多く、しかも統率が取れていた。
アリは唇をかみ、静かに立ち上がった。
「私が援護に出る」
側近ゼノが制止しかけるが、彼女はすでに覚悟を決めていた。
「皇帝である前に、この国を守る者よ。行くわ、ゼノ」
風が巻き、アリの魔力が空気を震わせる。
その出陣とともに、兵たちに新たな力が宿った。
だが、その瞬間。
空が裂けた。
甲高く鋭い鳴き声――まるで金属を引き裂くような音が、戦場全体に響き渡る。
雲間から滑り降りてきたのは、一体の魔鳥だった。
神々しさすら帯びた美しさと、胸の奥を凍りつかせる禍々しさ。
大きな翼を広げたそれは、空を旋回しながら、次々と鋭い風の刃を地上へと放ってくる。
「魔物……!? なぜこんな時に!」
「――あの姿は……ハーピー!? 古の時代に存在したとされる魔鳥……実在していたのか……!」
騎士たちが動揺し、空への対応ができず、死傷者が出始めた。
アリは前線へ駆ける。
「――カエルム・オルビス」
魔法陣が広がり、空属性の拘束魔法がハーピーをとらえる。
「――ヴェントゥス・ラケラーレ!」
ゼノが放った風の刃が空を切り裂き、ハーピーの胴をかすめる。
だが――。
『効かない……?』
攻撃の効果は薄く、魔力の高いゼノの一撃でさえも、致命傷には至っていなかった。
アリの結界もまた、想定より早く破られる。
ハーピーはかすかに体勢を崩すが、再び空高く旋回し始める。
『もう拘束が……!』
「今だ、撃て!」
アストリアンの騎士たちも奮起し、再び戦場に均衡が戻り始める――
だが、それは“終わり”ではなく、“始まり”だった。
空に開いた“裂け目”は、まだ閉じていない。
「あれは……一体……」
アリは直感で理解していた。
魔物の出現は、偶然ではない――
✦ ✦ ✦
ハーピーは再び臨戦態勢に入る。
空を舞いながら風の刃を次々と放ち、騎士たちは防御魔法で応戦するが、徐々に被害が広がっていく。
小隊長シリル「――フルミナス!」
雷撃がハーピーの翼をかすめたが、浅い。
副団長ヴェリオ「――アルトゥス・グラディウス!」
空を裂いて放たれた高空斬も、決定打にはならなかった。
『やはり……ほとんど効いていない……!』
アリは焦りを覚え始める。
そのとき、ハーピーが大きく翼を広げ、
「キイィィィィ……!」
甲高い金属音のような悲鳴を放った。
空気が震え、大地が鳴動する。
それは天を裂く咆哮とともに訪れた、災厄の予兆だった。
アリとゼノ、魔導騎士たちは咄嗟に防御魔法を展開。
だが、魔法耐性のない兵たちの多くがその一撃で倒れた。
グロザリア軍にも、同じように多数の犠牲が出ていた。
「このままでは、両軍ともに壊滅する……!」
「……あれは、本当に“古のハーピー”なのか?」
ゼノと交わした一言に、アリはふと気づく。
「……古の魔法なら、倒せるかもしれない」
✦ ✦ ✦
ハーピーは、先ほどの咆哮によって力を増したのか、明らかに攻撃が激化していた。
「魔鳥を結界で拘束しろ!」
アリはゼノ、そして魔導騎士団に命じた。
数十名が結界魔法を展開し、空中で暴れる魔鳥の拘束に挑む。
「姫、長くはもたねぇ!」
ゼノが必死に叫ぶ。
アリは魔鳥の正面へと回り込み、深く息を吸うと――
その身から古の魔力を解き放った。
――圧倒的な魔力。
もはやそれ以外に言いようがない。
凄絶な気配が一帯を包み、刹那、そこにいたすべての者が「無」に沈んだような、空間そのものが静止したような錯覚に陥る。
まるでアストリアン王宮が襲撃された、あの夜のように――
アリの身体が光に包まれ、風が巻き起こる。髪が空気を裂くように揺れた。
かつて感じたことのない魔力に、ゼノは思わず内心で呟いた。
『どんだけ魔力持ってんだよ……!』
アリの詠唱が始まる。
「リヴィエール・マギア――<<魔力の奔流>>」
無属性の魔力が解き放たれる。
あらゆる属性を凌駕する、ただ“純粋な力”だけが敵を穿つ。
巨大な衝撃波が魔鳥へ直撃した。
刹那、ハーピーが凄まじい悲鳴を上げる。だが、抵抗する間もなく、その身は光に呑まれ、音もなく消滅した。
残されたのは、宙にきらきらと舞う、光の砂塵だけ――それがかつて魔物だったという証だ。
「……すげぇ……」
「これが……古の魔法……」
「一撃で……っ」
魔導騎士たちが、息を呑むように見つめていた。
アリは、魔法が通じたことで確信する。
『やはり……あれは、古の魔物だったということか』
「裂け目も消えたぜ」
ゼノが指さす空には、かつて開かれていた“異界の裂け目”がもうなかった。
アリは、ぽつりとつぶやいた。
「……召喚魔法、かもしれない……」
✦ ✦ ✦
魔物の消滅により、アストリアンとグロザリア、両軍の戦闘は自然と中断されていた。
あまりにも多くの犠牲が出た今、両軍ともこれ以上の戦闘を継続する余力は残されていなかった。
(……いったん、引くべきだ)
アリは馬を駆り、ゼノを伴ってグロザリア陣へ向かう。
そして、総帥クロイゼルの前に立ち、告げた。
「――両軍とも、甚大な被害を受けた。これ以上の戦いは、無益だ。
我らは兵を引く。だが、勘違いするな。
これは、我らが再び立ち上がるための“退却”だ――。
次こそは必ず……その罪の重さを、思い知らせよう」
クロイゼルは一瞬目を細め、しかしすぐに頷いた。
「承知した。我らもここで軍を退けよう。
だが、次に相まみえる時は――貴国こそ、ご覚悟いただこう」
アリは静かに頷き、馬首を返す。
「……全軍、撤退だ」
✦ ✦ ✦
アリは静かな自室で椅子に腰を下ろし、ふと窓の外に目をやった。
思い返すのは、突如出現したあの魔鳥――否、古の魔物のことだった。
『もし、あれが召喚された存在だとしたら……誰が、何のために?』
『グロザリアの者か? だが、自軍にまで被害を及ぼすような真似をするだろうか……』
皇帝暗殺の件といい、見えない敵の輪郭はまだ掴めない。
考えが堂々巡り、アリは小さく溜息をついた。
「アリ様、紅茶のおかわりはいかがですか?」
やわらかく可憐な声が、思考の渦からアリを引き戻した。
差し出されたカップの向こうに立つのは、侍女のミラだ。
彼女はアリが赤子の頃から世話をしてくれている優しい女性。
公の場では「陛下」と呼ぶが、ふたりきりのときには「アリ様」と呼ぶ。
アリを名前で呼ぶ、数少ない存在のひとりだった。
「ありがとう、ミラ」
ミラの淹れる紅茶は格別で、アリのお気に入りでもある。
「難しいお顔をなさっていました。お疲れなのでは? どうか、少しはお休みくださいね」
諭すような優しさに、アリの心はふっと緩む。
皇帝であると同時に、まだ七歳の子どもであることを、彼女は忘れずにいてくれる。
その安心が、アリには何より嬉しかった。
アリは照れ隠しに小さく笑い、頷いた。
「うん」
✦ ✦ ✦
グロザリアとの停戦から一年余りが過ぎた。
再び冬が訪れようとしていた、冷たい風の吹く夕暮れ――。
アストリアン南部の国境沿いの村で、突如として火の手が上がった。
グロザリア側の民兵と思われる集団が、村を襲撃したのだ。
家々は燃やされ、避難しようとした村人たちは矢の雨に倒れていった。
報せは即座に王都へ届き、アストリアンの国境警備隊が派遣された。
だが――
「全滅、だと……?」
報告を受けたアリの顔が、静かに引き締まる。
その瞳は氷のように冷たく、迷いの色はなかった。
宰相セラフィムが低い声で口を開く。
「暴動では済まされません。これは、宣戦布告と見なすべきでしょう」
ゼノが言葉を重ねる。
「……姫の予感、当たっちまったな。奴ら、準備してやがった」
アリは椅子を立ち、静かに命じた。
「全軍に通達。出陣の準備を。
アストリアンは今より、グロザリアへの制裁を開始する」
✦ ✦ ✦
こののち、アストリアンとグロザリアの再戦は熾烈を極めた。
前回を上回る兵力を誇るグロザリア軍に対し、アストリアンは幾度となく劣勢に立たされる。
さらに、魔物の襲来が幾度も重なり、戦力を分断されながらも応戦を強いられる中、アリは魔力をその都度行使し、戦線を支え続けた。
気づかぬうちに、彼女の魔力は少しずつ削られていった。
それは、静かに、確かに、終わりの足音を刻むように――。
戦乱は長引き、終息までには二年の歳月を要した。
✦ ✦ ✦
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
この物語は、10年ほど前から頭の中にあったもので、やっと形にすることができました。
幼くして皇帝となった少女と、彼女を救おうとした王子の物語は、私の中では「愛の物語」であり、「命の物語」でもあります。
誰かにとって、この物語が少しでも心に残るものであったなら、これほど嬉しいことはありません。
次回いよいよ、隣国の皇子登場でございます!
引き続き読んでいただけたら幸いです!