第27話 それぞれの想い
ルイの即位から、早くも一か月が経過していた。
その間、アリは騎士団の指南役としての任務の傍ら、ルイの政務を補佐するようになっていた。
常時詰めている必要はないとはいえ、政務に深く関わる以上、肩書きは必要だとアリ自身が判断し、
「肩書、もらっていい?」
と、ルイに申し出た。
ルイは少し考えたのち、うなずいた。
「では――皇帝特別補佐官に任命するよ」
こうして、アリは“特別補佐官”として正式に政務にも関わる立場となった。
しかし一方で、王宮内の噂は収まらなかった。むしろ尾ひれがついて広がっていった。
「ルイ様は、まだアリア様を妃に迎えられないのか?」
「いや、補佐官に任命されたし、逆にしばらくはないんじゃないか?」
「エルグレイン様の娘を迎えるって聞いたぞ」
「え、本当か? エルグレインってシリウス様派の官吏だろ?」
「でも、ロイ様の遺言は……」
アリはその噂を耳にしつつ、「皇帝ともなれば、妃の一人や二人は当然よね」と呑気に構えていた。
だが、“エルグレインの娘”という名前を聞いて、「ああ、それはルイなら断るだろう」と思った。
ルイ自身も最初は気に留めていなかったが、“妃がエルグレインの娘で決まり”とまで噂されていることに危機感を覚え、御前会議の場で正式に言及することを決意した。
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――王宮・玉座の間 御前会議
政務に関する一通りの報告と決裁が終わった後、ルイが静かに口を開いた。
「皆に、ひとつ話しておきたいことがある。
父、ロイ先帝の遺言に関して。そして、王宮内に広まっている噂についてだ。」
その場にいた重臣たちが顔を見合わせ、ざわつく。
“いよいよか”と、ほとんどの者が察していた。
ルイはひと呼吸おいて、語気を強めた。
「かねてより、私には妃に迎えたい方がいる。
その方以外を娶るつもりはない。
父の遺言を無視するつもりもない。
よって、今後の推薦は一切不要とする。
妃を迎える時期は、私自身が定める」
明確な意志だった。
(やはり、アリア様か)
(ロイ様の遺言を受けて、意志を固めたのだな)
重臣たちは即座に察した。
半数以上はとくに異を唱えず、静かに従う姿勢を示した。
だが、沈黙を破ったのはシリウス派の重臣だった。
「陛下……その“妃に迎えたい方”とは、アリア様のことですか?
アリア様はアストリアンの元皇帝。国際的に問題になるのでは?」
すかさず、政務官のエルグレインが追随する。
「我が娘をご推薦申し上げましたが、それをお断りになると?」
さらに、シリウス本人も柔らかく口を開いた。
「陛下のお考えは尊重しますが、臣下の意見も時に必要かと存じます」
ルイは、その裏にある意図をすでに見抜いていた。
アリを妃にすれば、グランゼルドはアストリアンを強力な後ろ盾に得ることになる。
魔導と皇族としての血筋、その両方で頂点に立つクラリエル家とヴィルディア家。
この二家の結びつきは、まさに盤石の象徴だった。
シリウスとしては、それを避けたい。
同じヴィルディア家に連なるとはいえ、自分自身が“結びつく側”でなければ意味がないと考えているのだ。
兄であるからこそ、ルイにはシリウスの思惑が手に取るように分かっていた。
「兄上のご意見はもっともです。
ですが、この件は父の遺志、そして私自身の意志として、すでに定まっています」
それ以上、誰も言葉を重ねることはできなかった。
その眼差しに、反論を許さぬ“皇帝の意志”が宿っていたからだ。
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御前会議でのルイの決意表明は、瞬く間に王宮中に広まった。
誰もが「ルイは今にもアリを妃に迎えるのでは」と思い込み、アリと顔を合わせるたびに、なぜかニコッと微笑んできた。
(……なんで皆、微笑むのかしら)
アリも噂は耳にしていたが、いまひとつ実感が湧かなかった。
ロイの遺言は「ルイを支え、助けとなってほしい」というものであり、妃になるかどうかまでは語られていなかった。それをロイも理解していたし、ルイも当然、承知しているはずだ。
だからアリは、結婚に関する噂をどこか他人事のように受け流していた。
その日、アリは仕事を終え、迎賓館の中庭でユイナとお茶を楽しんでいた。
そこへ、ゼノがそそくさとやってきた。
「姫、結婚すんのか?」
あまりに唐突な一言に、アリはお茶を吹き出しそうになり、喉に入った液体にむせて咳き込む。
「ちょ、なにそれ。そんな予定ないわよ」
「でもさ、宮中じゃ噂になってるぜ? ルイ陛下が“アリ以外は妃に迎えない”って公言したって」
「……私とは言ってないと思うけど」
「でも、あの流れで姫以外ってあるか?」
と言われ、アリも返す言葉が見つからず肩をすくめた。
「まあ、ルイの考えがあっての発言でしょ。私たちがとやかく言うことじゃないわ」
ゼノは「そっかー」としぶしぶ納得し、どこかへ去っていった。
すると今度は、ユイナがニヤニヤしながら言った。
「これ、近いうちにプロポーズされるんじゃないの?」
「ユイナまで!」とアリは眉を吊り上げた。
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その夜、部屋で就寝準備をしていたアリのもとに、静かなノック音が響いた。
「はい、どうぞ」
扉が静かに開き、そこに立っていたのはルイだった。
「ルイ……どうしたの?」
「少し時間くれる? 君に話したいことがある」
どこか緊張した面持ちのルイに、アリは「うん」と頷き、支度を整えて後を追った。
二人は迎賓館を抜け、少し離れた庭園へと足を運んだ。
夜空には雲一つなく、満天の星が広がっている。
デルフィニウムの繊細な香りが、夜風にのって静かに漂っていた。
湯上がりのアリには心地よく、ほんのり眠気を誘う。
しばらく無言で歩いたのち、ルイが立ち止まり、アリの方を向いた。
「アリ、私の妃になってほしい」
その言葉に、アリは数秒間固まり、ようやく「へっ?」と間の抜けた声を漏らした。
ルイもつられて「……え?」という顔をした。
「……それって、ロイ様のご遺言を果たすって意味? それとも、ルイ自身の意志?」
「両方だよ」
アリはほんの少し考え込むと、静かに言葉を返した。
「ロイ様は、私にルイの傍にいてほしいとは言ったけれど、今すぐ妃にと望んだわけではないと思うの。
むしろ、ここに来るときは“友人として傍にいてほしい”って言われたわ」
ロイの遺言は、誰だってアリを妃に、という意味に解釈するだろう。
しかし、アリだけはその本当の意図を知っていた。だからこそ、きちんと伝えようと思った。
「だから、今だってご遺言に背いてはいないよ?」
と、アリは続けて話した。
ルイのことだから、父の遺志を果たしたいと考えているだろう。
その想いがルイの重荷になっているのではないかと、アリは思ったのだ。
ルイはアリの言葉に少し驚いたが、すぐに納得したように微笑んだ。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「確かに、父の意志を果たしたいという思いと……
重臣たちが急かすから、私も身を固めなければと身構えてしまった。ちょっと性急だったね。ごめん」
アリは、やっぱり……と、心の中で思った。
しかし――
ルイは続けた。
言葉を選ぶように、ゆっくりと。
「でも、君を妃に迎えたいと思うのは、俺個人の本当の気持ちだ。
遺言がなくても。
俺は……君を愛している。
あの日、草原で君と出逢ってから……ずっと俺の心にいるのは君だ。
君の言葉、優しさ、心に触れるたび、どうしようもなく想いがあふれる。」
ルイは、気づけばすでに間合いを詰めていた。
アリは、一歩も動けずにいた。
その言葉の意味を理解しようとするあまり、頭の中がいっぱいになって、声が出なかった。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたに違いない。
ルイはそんなアリの様子から、彼女の戸惑いを察した。
そして、くすっと笑いながら、そっとアリの頬に触れた。
そこでようやく、アリの身体から力が抜けた。
頬に触れたルイの手の感触も、告げられた想いも、
アリにとっては初めてで――戸惑いと、驚きと、恥ずかしさが一気に押し寄せた。
次第に顔が赤らみ、アリはそっと視線を落とす。
そんなアリに、ルイはからかうように笑って言った。
「全く意識されてなかったのは、ちょっと心外だな」
アリは思わず「……すみません」と返していた。
ルイは苦笑しながら、さらに優しい声で言った。
「じゃあ、これから……意識して」
そう言って、アリの額に、そっと口づけを落とした。
さすがにアリも驚いて、
「ルイ!」と声をあげたが――
ルイの幸せそうな表情を見た瞬間、それ以上何も言えなくなった。
「君に、愛してもらえたら……また――」
その言葉の続きは、夜風に揺れる草花のざわめきに、そっと紛れていった。
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