第26話 継がれし王冠
『グランゼルド皇帝ロイが崩御』
この訃報は早々にグランゼルド全土へと広まり、賢帝の死を悼み、国民は深い悲しみに包まれた。
王宮は喪に伏し、宴や音楽は禁じられ、城門には黒旗が掲げられる。現在は国葬の準備が進められており、数日後に執り行われる予定である。
ルイは生前より政務の代行を担っていたため、国政は滞りなく進められていたが、父の死を前に、その顔には隠しきれない悲しみと疲労の色が滲んでいた。
その姿を見かねたアリは、可能な範囲で政務の手伝いを申し出ていた。
王宮の一室。アリは整えた書類をエリオットに手渡す。
「エリオット、この書類、重要項目ごとにまとめておいたわ。ルイに届けて、決裁をお願いね」
「かしこまりました。
……アリア様がお手伝いくださること、ルイ様もきっと感謝しておられるでしょう」
エリオットは丁寧に礼を述べた。
もちろん重臣たちも政務を支えてはいたが、彼らにもそれぞれの職務があり、手が回らないことも多い。
その点、アリは元アストリアンの皇帝。長年、政の中心に立っていた彼女にとって、ルイの仕事の補佐は難しいことではなかった。
「気にしないで。ロイ様の崩御で悲しいのは、皆同じ……一人で政務を抱えるのは、やっぱり大変よ」
――同じ重責を背負った者だからこそ言える、静かな言葉だった。
エリオットは深く一礼し、書類を手にルイの政務室へと向かう。
✦ ✦ ✦
政務室へ向かう途中、宮吏たちの噂話がエリオットの耳に入る。
「ルイ様には、いまだ妃がいらっしゃらない。ロイ様のご遺言は……?」
「シリウス様が、重臣の娘を推しているそうだ」
「でも、それではロイ様のご意志に反するのでは……」
そこまで口にした官吏たちは、エリオットの姿に気づくと、気まずそうにその場を離れていった。
(やれやれ……)
エリオットは内心で小さくため息をつく。確かに、噂は看過できないほどに広まっている。
ルイには、現在ひとりの妃もいない。皇太子である以上、本来なら既に政略的な縁談が結ばれていても不思議ではなかった。
実際、近隣諸国や重臣家から多くの縁談が持ち込まれていたが、ルイはそれらをすべて断ってきた。
――エリオットはその理由を知っている。
本当に望んでいる人が、すでにいることを。
ルイ自身、噂が広まっていることも、ロイの遺言の意味も理解しているはずだ。
遺言に託された想いを無視することなど考えないだろうし、むしろ――それを機に“彼女”を妃に迎えるべきときだと感じているかもしれない。
だが、それを彼女自身は望むだろうか――
(……推測が過ぎましたね。私が口を出すことではありません)
そう思い直し、エリオットはルイの政務室の扉を静かにノックした。
✦ ✦ ✦
政務室への入室が許され、エリオットは静かに扉を開けた。
そこにはすでに一人の男がいた。
振り返ったのは――シリウス。
彼はエリオットの姿を見るなり、にこやかに声をかけてきた。
「やあ、エリオット。
君からも殿下に進言してくれないか。
そろそろ妃を迎えるべきだとね。ちょうどエルグレインの娘が年頃でね、推薦しているんだ」
エルグレイン・アルマロス。
政務官の位にある重臣の一人だ。
ルイは応じることなく、ただ黙って書類に目を落としながら、どこか遠くを見るような表情をしていた。
無関心というより、聞き流しているようにも見える。
エリオットは柔らかく微笑んだ。
「ええ、よくご検討くださいと、私からもお伝えしておきましょう」
一歩引いた穏やかな口調とは裏腹に、内心では一刻も早く退室してほしいと願っていた。
ようやくシリウスが退室し、扉が閉まると、室内に静けさが戻る。
エリオットが振り返ると、ルイは深く息をついていた。
その表情から、すべてを察した。
「――さて、どのようにお断りになるおつもりですか?」
当然、断る前提での問いだった。
ルイはしばし黙考したのち、静かに口を開いた。
「……今は、父上を失ったばかりだ。それどころではない。
それに……妃に迎えると決めている人がいる」
その言葉に、エリオットの眉がわずかに動く。
(――やはり、アリア様を)
「ご遺言に従われる、という意味でしょうか?
それとも……」
そこまで言いかけたところで、ルイが視線を落とし、手を差し出した。
エリオットが差し出す書類を受け取るしぐさだ。
この話は、ここまでだ――
そう告げるような、静かな所作だった。
ルイは書類に目を通しながら、再び沈黙に戻った。
✦ ✦ ✦
――数日後 グランゼルド王都 大聖堂
重厚な鐘がゆっくりと三度、空に鳴り響いた。
大聖堂には、各国から弔問の使節が集い、
グランゼルド中枢を担う重臣たち、騎士団、そして民の代表たちが参列していた。
堂内には、純白の布と黒金の飾りで荘厳に彩られた棺が安置されている。
祭司長による祈りと追悼の言葉が響き、
続いて、宰相カイエンが静かに壇上に立ち、国の繁栄を築いたロイの功績と信念を語った。
「……ロイ陛下は、誰よりもこの国と民を愛し、正しき秩序のもとに未来を託された方でした」
その言葉に、多くの者が瞼を伏せ、静かに頭を垂れる。
ルイは玉座の前で膝をつき、無言のまま父に最後の別れを告げた。
アリもまた、棺の前に白百合を捧げ、静かに目を閉じて祈りを捧げた。
香の煙がゆるやかに天へと昇っていく。
――国葬は、静かに、厳かに執り行われた。
✦ ✦ ✦
その夜、ルイは王宮の高窓から王都を見下ろしていた。
夜の帳に包まれた街には、静かな灯がともり、哀しみと祈りが静かに交錯している。
「父上……すべてを、私が引き継ぎます。この国を、あなたが願った未来へ――」
誰にも届かないほどの小さな声だった。
アリはルイの様子を気にかけ、そっと様子を見に来ていた。声をかけるべきか迷ったが、今はそばにいるだけにしようと見守っていた。
だが、ルイはすでに気づいていたようだ。
ふいにアリのほうへと視線を向け、穏やかに声をかけた。
「アリ、こちらへ来て」
見つかったかと少し気まずく思いながらも、アリは素直に頷き、ルイの横に並ぶ。
二人並んで、窓の向こうの王都を静かに見つめた。
沈黙――その静寂を破るように、ルイが口を開く。
「父が患ってから、この時が来るのはわかっていた。
いつかは、自分が継ぐ日が来ると……心のどこかで覚悟はしていたつもりだった」
言葉が途切れたが、やがて続ける。
「でも、いざその時が来ると……国を背負うという責任に、やはり不安を感じる。
……君は、自分が即位したとき、どんな気持ちだった?」
問いかけに、アリは少しの間、遠い過去を思い出すように目を伏せた。
「そうね……不安は常にあったわ。
自分にできるのか、選択は正しかったのか……いつも考えていた。
でも、どんなときも私は“最善”を尽くしてきたつもり。
だから、結果がどうあれ、自分の決断を後悔することはなかったの。
後悔よりも、次に生かす“改善”を考えた方が、前に進める気がして。
それが、私なりの覚悟だったのかもしれない。
……だから、ルイの気持ち、よくわかるわ」
そう言って、アリはルイの方を見つめ、まっすぐに言葉を贈った。
「ルイなら大丈夫。きっとグランゼルドを、今よりもっと豊かで強い国にできる。
私も、できる限り力になる。
あ、でも……ルイなら、私の助けがなくてもやっていけるとは思うけどね」
少し照れくさそうに微笑むアリに、ルイも驚いたような顔をしたが、やがて柔らかく微笑み返す。
「ありがとう。……君は、やっぱり強いね。
俺も、自分にできる“最善”を尽くすよ」
ルイの瞳に、もはや迷いはなかった。
そのとき、ふとルイは少しだけ声の調子を変えて言った。
「ひとつ、お願いがあるんだ。――明日の戴冠式、君はどうか跪かないでほしい」
✦ ✦ ✦
――グランゼルド王宮・大広間
厳かな鐘の音が空気を震わせ、王宮に響き渡る。
この日は、ルイの戴冠式。新たな皇帝の誕生を告げる日だった。
大広間には、各国の使節団、貴族、騎士団、民の代表たちが参列し、
煌めく王冠と王笏が、壇上の祭壇に据えられていた。
宰相カイエンが壇に立ち、力強く宣言する。
「この刻をもって、グランゼルドの未来を導く者、
先帝ロイ陛下の御子、ルイ・ヴァルディア殿下を、
新たな皇帝と定める――」
ルイは静かに壇上に立ち、王冠を戴き、王笏を手にする。
誰よりも静かに、誰よりも気高く――
この国の“頂”に立つ者としての姿が、そこにあった。
王宮の鐘が十度鳴り響く。
その合図とともに、列席者全員が一斉に跪き、頭を垂れる。
――ただひとり、アリア・クラリエルを除いて。
それはルイの願いだった。
“君は、どうか跪かないで”。
アリは臣下ではない。共に並び、歩む存在であってほしい――それがルイの想いだった。
アリとルイの視線が交わる。
アリは少し照れくさそうに笑みを浮かべ、ルイは静かに微笑んで応えた。
この瞬間、ルイ・ヴァルディアは真に“国”を背負う者となった。
それは、グランゼルドという国にとって、
新たな時代の幕開けを告げる、静かで重みある祝福だった。
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