第25話 語られぬ真実
アリは古の魔物を討伐した直後から、丸一日眠り続けていた。
その場に崩れるように倒れたことで周囲は大いに心配したが、
近づいて確認すると、どうやら穏やかな寝息を立てていたらしい。
グランゼルドから夜通し馬を走らせてきた上に、強力な魔法を行使したのだ。
疲労によるものだと、周囲は納得した。
アリが眠っている間にも、神殿の調査は進められていた。
タイタンが出現した神殿は『テラ神殿』と呼ばれ、【地】属性に属する高位の神殿である。
祭壇には、フェンリルのときと同じように魔法陣の痕跡がわずかに残され、
遺物が安置されていた場所には焦げ跡が見つかった。
ただし今回は、遺物の残留物が前回よりも多く残されていた。
それは硬質で、タイタンの外殻と類似した性質を持つことから、
調査団は重要な手がかりと見て、遺物の破片をグランゼルドに持ち帰り、詳しく分析することとなった。
また、シリウスとセリオスらが遭遇した謎の人物が、
召喚の張本人である可能性が高いと判断された。
顔立ちや年齢などの詳細は不明だが、単独で行動していたことから、
少なくとも組織的な動きではないと見なされた。
「突然現れて“取るに足らない”“闇が深い”と……その男が手をかざしたとたん、意識が遠のいて……」
と語るセリオスに対し、
シリウスも「私も気づいた時には倒れていた」と証言した。
“闇が深い”とは一体どういう意味なのか。
疑問は多く挙がったが、詳細は不明のまま、帰還後に再度検討されることとなった。
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――数日後
アデル率いる調査団は、夜通しの移動とアリの体調を考慮し、比較的緩やかな行程で帰還することとなった。
帰路の馬車の中で、アデルから調査結果の概要を聞かされたアリは、いくつかの疑問を口にした。
「なぜ謎の人物は神殿にいたのか? 召喚の最中だったのかしら。
それに、なぜ今回に限って遺物が大量に残っていたの?
“闇が深い”という言葉……
そして何より、なぜあの男は誰一人殺さなかったのか……」
ゼノが口を挟む。
「殺さなかったってことは、殺せない理由があったってことかもしれねぇな」
アリは頷く。
「“取るに足らない”と言ったのよね。それなら、容易に殺せたはず。
でも殺さなかった……。それに“闇が深い”って、人に向けた言葉よね?
もしかして、誰かを見て、それを理由に見逃したのなら……」
(“闇が深いから、殺さなかった”……?)
意味がわからないが、そこに何かしらの意図がある気がして、しばし黙考する。
だが、今この場で答えが出ることではないと判断し、アリはひとまずグランゼルドに戻ってから再考することにした。
そして、自身の身体の状態も気にかかった。
夜通しの移動による疲労は確かに大きかったが、魔法を使用するたびに意識を失うような体調は、他の者には見られない。
アデルやゼノも同じ状況だったはずなのに、彼らは倒れていない。
討伐後すぐに神殿調査に入り、ひと段落ついてから各自休息を取ったと聞いていた。
(……私だけ、倒れるなんて。やっぱり、どこかおかしいのかもしれない)
アリは密かに決意する。
(戻ったら、侍医に診てもらおう)
✦ ✦ ✦
――グランゼルド王宮・謁見の間
アリと調査団が帰還するとすぐに、緊急会議が開かれた。
目的は、古の魔物に関する詳細な報告と、得られた情報の共有である。
ルイの前で、アデルが調査結果を淡々と報告する。
謎の人物については、シリウスとセリオス本人の口から再度証言が行われた。
その内容は、アデルが事前に聴取したものとほぼ一致していた。
一通りの報告を終えたあと、ルイが静かに言葉を発した。
「皆、危険な任務ご苦労だった。
騎士数名が命を落としたことは遺憾ではあるが、被害は最小限に抑えられた。
また、セレフィア王国との協力関係も良好に築いてくれたこと、感謝する」
その後、今後の警戒態勢についての方針を協議し、その場は解散となった。
✦ ✦ ✦
会議のあと、王宮の廊下を歩いていたシリウスの背に声がかかった。
「シリウス様!」
声をかけたのは、セリオスだった。
シリウスがゆっくり振り返ると、セリオスはまっすぐに彼を見つめた。
「なぜ、話さなかったのですか」
「……何のことだ?」
「神殿での出来事です。あの男と、何か話したのでは?」
セリオスは真剣な眼差しで迫った。
「俺は、気を失う前にシリウス様がまだ立っているのを見たんです」
シリウスは一瞬黙し――やがて静かに答える。
「見間違いだよ。私もすぐに倒された。それだけだ」
その言葉には、どこか冷たいものがあった。
セリオスはそれ以上、何も言えなかった。
そしてシリウスは、そのまま廊下の奥へと歩き去っていった。
その背に残ったのは、ただ静かな、闇だけだった――。
✦ ✦ ✦
会議の後、ルイ、アリ、アデルが集まり、今後の調査方針について詳細を詰めていた。
「そういえば、アリ、また倒れたと聞いたけど、大丈夫なのか?」
会話の区切りでルイが心配そうにアリに尋ねた。
「うん、不眠で駆けたから討伐後に寝落ちしてたみたいで。
みんなに心配かけてしまって申し訳ないわ。」
「無理もありません。あんな魔力をお使いになって…」
そう、アデルは古の魔法を目にしたのは、今回はが初めてだ。
五大魔法を全属性解放したときの魔力とは異なる系統だが、
くらべものにならない底知れなさを感じていたのだ。
「一度、侍医に診てもうといいよ」
ルイのその申し出を、アリは素直に受けとった。
「ありがとう、診てもらってくるわ」
そして、その場を解散しようと3人が動き出そうとした瞬間
扉が荒々しく叩かれた。
「失礼いたします!」
駆け込んできたのは近衛の一人。顔色は青く、息を荒げていた。
「陛下が……ロイ陛下が……!」
その言葉に、ルイは嫌な予感がした。
「どうした」
「容体が急変されたとのことです。侍医がすぐにルイ様をお呼びするようにと…!」
一瞬の静寂――
ルイは表情を崩さず頷くと、静かに言った。
「アリ……来てくれるか」
「もちろん」
ルイとアリは歩を早め、ロイが治療を受けている寝殿へと向かった。
✦ ✦ ✦
寝殿には薬の香が立ち込め、重苦しい空気が漂っていた。
寝殿の中央の寝具に沈むようにロイ皇帝が横たわっている。
枕元には侍医と側近、少し離れたところに、重臣たちが控えている。
ロイの呼吸は浅く、胸の上下も弱々しい。
だが、その瞼がうっすらと開き、来訪者の気配を察していた。
「ルイ……か」
かすれた声が、静かに空気を震わせる。
「父上……!」
ルイは急ぎ、ロイの傍に膝をついた。アリも静かに頭を下げ、寄り添うように立つ。
ロイの唇が微かに動いた。
「……この国を……お前に……託す」
わずかに笑みを浮かべながら、震える手でルイの手を握る。
「……守って……くれ……ルイ……そして……」
「アリア……様、どうか……ルイを……頼む」
「ルイの隣に……立てるのは……あなただけだ……」
「ルイを、支えてやってくれ……ずっと……」
――その言葉に、重臣たちの間にざわめきが走った。
彼らの誰もが、“妃に望まれているのだ”と受け取ったのだ。
だがアリだけは、以前にロイから「ルイには、君のような支えが必要だ」と語られた日のことを思い出していた。
それが、ただの“信頼”から来る言葉であることも、アリにはわかっていた。
だから彼女は、そっと微笑んで答えた。
「……ロイ様、どうかご安心を」
その後、ロイは一人ひとりに静かに言葉をかけていった。
シリウスには「ルイを助けよ」と。
皇族や重臣たちには「派閥に囚われず、国のために一つとなれ」と。
そして――
すべての言葉を語り終えたとき、ロイはほっとしたように息を吐き、
穏やかな表情のまま、静かにその瞼を閉じた。
侍医が脈を確かめ、静かに頭を下げる。
「ご臨終でございます――」
寝殿を静寂が包んだ。
誰もが息を呑み、声を失う。
ロイの最期の言葉がまだ空気の中に残っているかのように、
誰一人として、その余韻を破ろうとはしなかった。
やがて、重臣の一人が深く頭を垂れ、それに倣うように、
皇族、近衛、侍医――全員が無言のまま、膝をついた。
アリはその光景を黙って見つめていた。
そしてルイは、目を伏せ、
握ったままの父の手を、しばらく離せずにいた。
その手は、もう動かない。
だがルイは、手のぬくもりが消えていくのを、ただ静かに受け入れていた。
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