第22話 祝宴の陰で
アリの優勝祝賀会は、騎士団の詰め所にて開かれた。
アストリアン組と騎士団のほか、ルイやシリウス、任意参加の重臣らも顔を揃えた。
この場所で宴が催されるのは稀なことであり、
騎士たちは内心の高揚を隠せずにいた。
とはいえ、皇太子や皇子、重臣らも同席するとあって、
最低限の礼儀と節度を守るよう、事前に通達されていた。
アリとルイは、杯が掲げられるその時を待ちながら言葉を交わしていた。
「ロイ様のご容体は?」
「うん、あまり良くはない。
でも、アリの優勝を聞いて、とても喜んでいたよ」
「そう……ご心配だけど、喜んでいただけたならよかったわ」
ロイが喜んだのは、アリの優勝だけではなかった。
騎士団での宣誓――騎士たちがルイに忠誠を誓ったと聞き、
深く安堵し、涙を浮かべて喜んでいたという。
やがて参加者が揃い、アデルが杯を手に乾杯の音頭を取った。
「皆さま、本日はご多用の中お集まりいただき、誠にありがとうございます。
本日は、アリア様の帝国魔導大会におけるご健闘を称えるとともに、
騎士団指南役としてご着任いただいたことへの心からの歓迎を込め、
ささやかながら、祝賀の宴を開かせていただきました。
今宵は、杯を掲げ、アリア様のご活躍と
グランゼルドのさらなる栄光を祈念いたしましょう」
アデルが杯を掲げると、それに倣い皆も一斉に杯を掲げた。
「――乾杯!」
その声を合図に、宴が始まった。
開始から間もなく、騎士たちは早くも酒を煽り始め、詰め所は賑やかな空気に包まれていった。
アリはルイ、アデルと共に、上品に杯を交わしながら会話を楽しんでいた。
そこへ、シリウスがアリのもとへ歩み寄る。
「アリア様、失礼いたします。
このたびは帝国魔導大会での優勝、まことにおめでとうございます。
大変ご立派な戦いぶりでしたね。
騎士団でも理解が得られたとか――喜ばしいことです」
「シリウス皇子、ありがとうございます。
持てる力を尽くし、グランゼルドに貢献してまいります」
「……けれど、まだ反発している者もいるのでは?
妨害などされないか、少し気がかりですね」
心配するような声音とは裏腹に、その目にはうっすらとした冷気が宿っていた。
ルイは、その視線の変化にすぐ気づいた。
この期に及んでもアリの着任を最も快く思っていないのが、
他ならぬ兄・シリウスであることを、ルイは知っている。
それゆえ、ルイはけん制の意味を込め、あえて話題に触れた。
「兄上、反発していた一部の皇族や重臣たちも、
父上の説得を受け、ようやく了承したようです。
ですので、アリア様には当初の予定通り、正式に指南役として着任いただきます。
――そして、仮に妨害を企てる者がいれば。
そのときは、私が容赦しません」
柔らかく微笑みながらも、声には揺るぎない意志がこもっていた。
その本気を、シリウスも感じ取っていた。
「……それは心強い。期待しているよ」
その言葉に込められた温度は低い。
その場に、ひやりとした空気が流れる。
アリもまた、二人の間に漂う雰囲気を敏感に察知した。
(仲睦まじいとは――言い難いわね)
続く言葉を探していたとき、ノアののんびりとした声が耳に届く。
「アリア様~、こっちに来て飲みましょうよ~」
酒が回ったのか、少し呂律が怪しい。
アリはその様子に、ふっと肩の力を抜いた。
「そうだぞ、姫! 主役だろ、飲もうぜ!」
ゼノもまた、久しぶりの酒を楽しんでいるようだ。ペースは早い。
「ちょっと兄さん、飲みすぎないでよ!」
ユイナがいつものようにたしなめている。
アリはシリウスに礼を述べると、ルイとともにその場を離れ、ゼノたちの方へと歩み寄った。
シリウスは黙って二人の背中を見つめていたが、やがて反対方向へと歩を進めていった。
「アリア様~! はい、どうぞ~」
ノアが杯を差し出し、アリの空の杯に酒を注いでくれた。
アリが口をつけようとしたそのとき――
「アリア様、あのシリウスって皇子……気をつけてください」
ノアが、アリにだけ聞こえるように小声で囁いた。
視線は宴の中央に向けたままだ。
「……え? ノア、どうしたの?」
「うまく言えないんですけど……なんか、嫌~な空気が…
あの人、ルイ殿下にだけじゃなく、アリア様にもそういうオーラを――向けてました」
アリは驚いた。
シリウスから明確な殺気を向けられた覚えはない。
それでもノアは、何かを感じ取ったようだ。
(聡い子だとは思っていたけど、もしかして感情を読み取るような体質?
魔法の一種かしら……?)
魔力の揺らぎを検知するような魔法はあるが、
感情を読み取るような魔法はアリも知らない。
ここで考え込んでも答えは出なさそうだと判断し、考えるのをやめた。
(第三者の予感や忠告って、案外当たることもある……
気をつけておこう)
「ノア、ありがとう。気をつけてみるね」
そう言うと、ノアはふわりと微笑んだ。
先ほどは酔って呂律が怪しかったが、今はまったく問題ない。
まさか――シリウスから引き離すための演技だったのか?
アリはまた一つ、ノアへの認識を改めることになった。
その後は和やかな雰囲気の中で宴が進み、やがて散会となった。
✦ ✦ ✦
詰め所での祝賀会が終わり、王宮の廊下を一人歩く騎士がいた。
その背を呼び止めたのは、シリウスだった。
「どうだい? 彼らの実力を見て、何を思った?」
「……殺せませんよ。あんなの、化け物でしょう」
「だろうね。――でも、大丈夫。
これから、いろいろ動いてもらうよ」
シリウスは穏やかに微笑みながら、騎士の肩に軽く手を置いた。
騎士は肯定も否定もせず、ただ黙って遠くを見つめていた。
✦ ✦ ✦
アストリアン大国のはるか南東の大地――
草原と岩山の狭間に、古びた石の建造物がひっそりと佇んでる。
広大な草原に、環状に連なる巨岩が風を遮り、外界からその一角を隔てている。
その中心に、まるで地中から突き出したように、一つの神殿が沈黙を保っていた。
苔むした岩壁、朽ちかけた門柱、風雨に削られた古い浮き彫り――
どれも太古の祈りの名残を留めているが、その用途も起源も、もはや明らかではない。
神殿の内部は、列柱が円を描くように並ぶ円形の広間。
天井はなく、空が遠く高い。
その中心に、ひとつの石製の祭壇が置かれていた。
祭壇には、なにかの遺物が安置されている。
周囲は音もなく、空気は澱んでいる。
虫も鳥も訪れず、風さえもここを避けるように過ぎていく。
――ただ、静かに。
魔法陣の中心で、遺物が脈動のような魔力を放っていた。
それは、ほんの微細な揺らぎにすぎなかった。
だが確かに、何かが眠っている。
目を覚ます“前”の、深く長い息づかい。
そして今――
誰にも気づかれぬまま、
その存在は、ゆっくりと目覚めようとしていた。
✦ ✦ ✦
次回、新たな古の魔物の気配――
アリと騎士団は調査へ。
そして、思いもかけぬ邂逅が待っていた。




