第2話 葛藤と代償
はじめまして、作者のあきちゃです。
この作品『君に捧ぐ魔法』は、魔法と戦乱の世界を舞台にした、切なくも壮大な純愛物語です。
主人公のアリアは、幼くして皇帝となり国を導いた少女。
そして、彼女を想い続ける隣国の王子・ルイ。
運命に引き裂かれながらも、ふたりは「最後の魔法」で絆を結びます。
長年温めてきた物語を、ようやく形にすることができました。
ゆっくりの更新になりますが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
※この作品はファンタジー×恋愛×戦記要素を含みます。
アリは即位後、慌ただしく政務に取り組んだ。
それこそ、寝る間もないほどに。
政務運営体制の刷新、法令の見直しに加え、近隣諸国への即位通達と外交制度の見直し――。
幼き皇帝ゆえの構造改革は、早急に着手せねばならなかった。
さらに、通常業務として、前政権で停滞していた法案の再検討や、襲撃を受けたばかりの国防体制の再構築も、急務として押し寄せていた。
当初、重臣たちの中には「若干七歳の少女に政治など理解できるはずがない」と考えていた者もいた。
だが、それはとんでもない誤解だった。
アリは、三歳から七歳までの幽閉生活のあいだ、王宮内にあるあらゆる書物を読み漁っていた。
とくにアストリアン六法(皇国基本法、民法、商法、刑法、軍法、魔法法)への理解は群を抜いており、重臣たちの陳述も正確に把握し、的確な意見を返した。
しかもそれは、単なる書物からの受け売りではない。
情勢を読み解いたうえで、その時に最もふさわしい「最良の答え」を自らの頭で導き出していたのである。
重臣たちは、日を追うごとに驚愕するしかなかった。
そして、いつしか「彼女が七歳である」という事実を、誰も口にしなくなった。
✦ ✦ ✦
書類の山を片づけたあと、アリはようやく椅子にもたれ、長い息をついた。
窓の外には、わずかに西日が差し、金のカーテンに淡い光の模様を落としている。
「……はぁ。少しだけ、休もう……」
すぐそばに控えていたセラフィムが、微笑みながら湯気の立つカップを差し出す。
香ばしい茶葉の香りがふんわりと鼻をくすぐった。アリはカップを受け取り、小さく礼を言う。
「……ありがとう、セラフィム」
カップに唇を寄せると、背負った重責が一瞬だけ溶けていくかのようだった。
瞼がふわりと緩んで、
まるでただの七歳の少女がそこにいるような、あどけなさが滲んだ。
だが、その静けさはほんの束の間でしかなかった。
「陛下、至急お戻りいただけますか!」
控えの間から駆け込んできた侍従が、息を切らしながら呼びかける。
アリは溜息一つも吐かず、すっと椅子から立ち上がる。
手にしていたカップをセラフィムに預けると、まっすぐ扉へ向かって歩き出した。
「行ってくる。また、お茶入れてね」
その後ろ姿を、セラフィムは静かに見送る。
彼女がまだ幼子と呼ばれていたころから見守ってきた男は、ふっと目を細めて、わずかに口元を綻ばせた。
彼こそが宰相セラフィム。アリの即位を支える参謀であり、彼女の恩師でもある。
三歳から七歳までの幽閉期間、書物では得られぬ知識と哲学を教えたのは、他ならぬこの男だった。
もちろん、アリ自身の才覚と努力があってこそだ。
だが、今この瞬間、「皇帝」として政を為す彼女があるのは、あの四年間の教えがあったからこそ。
「……あの子は、もう立派に歩いているよ。もはや、誰の手も借りずに」
呟きは、誰に聞かせるでもなく、静かな空気の中に溶けていった。
✦ ✦ ✦
アリが至急向かったのは、捕らえた敵兵を尋問するための牢――**『審問の間』**だった。
薄暗く冷たいその地下施設は、階を下るごとに、死の気配が濃く忍び寄ってくる。
到着したところで、ゼノが合流した。
アリはここへ来る前に、彼にも同行を命じていた。
「捕らえた敵兵たちが……自害いたしました」
ここへ向かう途中、侍従はそう報告していた。
襲撃の翌日から今日までの数日間、敵兵たちは一様に口を閉ざし、与えられた食事にも手をつけていなかった。
アリは審問官に問う。
「なぜ、急に自害を?」
「……わかりません。今朝の審問までは、生きておりましたが……」
牢の格子越しに遺体を覗くと、口元には血の跡があった。
舌を噛んだのかとも思ったが、違う。肌は真っ白に血の気配を失い、唇と爪は不自然なほど紫に染まっている。
――毒だ。
審問官によれば、五名すべてが同様の症状で死んでいたという。
「これで、情報を引き出す手段が断たれた……」
アリがわずかに落胆しかけたそのとき、
隙間風がどこからか、かすかな魔力の気配を運んできた。
(……これは、魔力? どこから?)
辺りを見回すが、窓はなく、通路側から流れてくる感覚でもない。
妙に牢の内部が気にかかり、アリは探索魔法を発動した。
「――アウラ・センス」
【空】属性の空間探知魔法。一定範囲の魔力を可視化する術だ。
死体の周囲から、わずかに煙のような魔力が立ちのぼる。
(これか……)
残留魔力はごく微量で、アリの感知力をもってしてようやく捉えられる程度。
強力な探索魔法でなければ、痕跡に気づくことはなかっただろう。
アリは、その煙を目に焼きつけた。
淡く緑がかったそれは、ゆっくりと霧散していく。
やがて煙が収束しかけた瞬間、死体の皮膚に一瞬だけ文様が浮かび上がった。
三つの弧と、逆紋の槍。
一瞬で消えたそれを、アリは確かに見た。
(魔法毒……。あの文様――グロザリアの毒術だ)
「ゼノ、調べてほしい件がある」
アリは簡潔に指示を伝えると、審問の間を後にした。
✦ ✦ ✦
審問の結果を受けて、緊急会議が招集された。
今後の方針を定めるため、六法を司る大司法全員と、重臣たちが一堂に会する。
セラフィムが口を開く。
「捕らえた敵兵五名、すべて死亡が確認された。
唯一の手がかりは――毒を服毒した形跡があるということだ」
「毒の成分については現在も調査中だが、速報によれば“流通品”……すなわち、どこにでも出回っている類のものだという」
その一言に、場がざわめいた。
「なんだと!?」
「敵の正体は、依然として不明のままなのか」
「このまま手をこまねいていろと!?」
セラフィムは静かに語を重ねた。
「この件について、調査を継続するか否かを議しよう。
大司法の諸卿、意見を願いたい」
皇国基本法大司法・シグナ:「他に手がかりはないのか?」
商法大司法・ラディウス:「……自害では致し方ありませんな。証拠なき今、深追いすべきではないと考えます」
軍法大司法・ダイン:「しかし毒とは……どこから流入したものか」
他の司法たちも口を開いたが、毒の成分が流通品である以上、捜査の糸口は得られなかった。
毒に関する調査のみを継続するという決定のもと、会議は静かに閉じられた。
✦ ✦ ✦
会議が終わっても、アリの足は執務室へは向かわなかった。
向かった先は、王宮地下の「霊安の間」。
そこには、両親の亡骸が魔法結界によって静かに保存されている。王族と一部の高官しか立ち入れない神聖な場所だ。
重たい扉を押し開けると――中には、すでに先客がいた。
男は気配に気づき、静かに振り返る。
「……これは、陛下」
アリはゆっくりと歩み寄り、静かに口を開いた。
「――あなただったのですね、ラディウス殿」
「……なんのことでございましょうか?」
とぼけた声音だったが、その返しを待っていたかのように、落ち着いていた。
アリは深く息を吐き、口を開いた。
「本当は、こんな場所であなたを問いただすつもりはなかった。
けれど私は……皇帝。真実を見過ごすわけにはいきません。
どうか、答えてください。ラディウス殿」
ラディウスは黙ったまま、視線だけを向けている。
アリは一歩踏み出し、問いを続けた。
「敵兵に毒を飲ませたのは、あなたですね?
あの毒は“魔法毒”。グロザリアで精製されたものだと判明しました」
「グロザリアの毒であるからといって、私が関与した証拠にはなりませんな。
奴らは自害したはず――違いますか?」
「看守を買収しましたね。あなたが審問の間に入る時間を確保するために。
敵兵にはこう言ったのでしょう。“これは魔力を増幅させる薬だ。ここから逃げられる”と。
……毒は流通品でありながら、魔法毒としての痕跡が巧妙に隠されていました。
けれど、完全に消し去ることはできなかった」
ラディウスは沈黙を保ち続ける。
アリはさらに告げる。
「会議の場で“自害”と断言したのは、あなただけです。
セラフィム殿は“死亡した”としか言っていません。
他殺の可能性だって、否定されていなかったはずです」
「……皆、そう解釈したまでのこと。特筆すべき違いではないでしょう」
「いいえ。
審問の間は刑法の管轄であり、死因を把握していたのは刑法大司法・ユリウス殿のみ。
そして私は彼に――“死因については会議の場で口外しないように”と命じていました。
あの場で“自害”と即座に断定できたのは、あなたただ一人です」
アリの声には、怒りではなく、決意が宿っていた。
「襲撃の夜、結界が張り替えられる時刻を漏らしたのも、あなたですね?
その情報を閲覧できるのは軍法・刑法・魔法法の者のみ。
けれど、商法大司法の権限で、予定表が開示された記録が残っています」
しばしの沈黙のあと、ラディウスはふっと笑みを浮かべた。
「……そこまでご存知なら、なぜ今すぐ私を捕縛なさらぬのです?」
「動機は――グロザリアにいるご家族、ですね?」
それを口にした瞬間、ラディウスの表情が揺れた。
「人質に取られたのでしょう。……奥方と、お子を」
アストリアン人であるラディウスは、グロザリア出身の妻を持ち、ひとり息子にも恵まれていた。
政略結婚のはずが、彼はその家族を誰よりも愛していた。
半年前、グロザリアの密使が現れた。
――妻と子の命が惜しければ、協力せよ。
秤にかけた。
祖国と、家族と。
ヴィラードに授けられた信頼と恩義は、確かにあった。だが――
「……私が、一番守りたかったのは……家族だったのだ」
アリは言葉を返さなかった。共感は、できなかった。
この男の裏切りによって、両親は命を落とした。許すことなど、できようはずもない。
『殺したい』――生まれて初めて、そんな醜い感情が胸を満たした。
だが、私は皇帝。私が私であるために、剣は振るわない。
「……完全に裏切るつもりなら、痕跡など残さなかったでしょう。
あなたは、わざと残した。
国家機密を漏洩し、反逆罪で処刑される――その道を、自ら選んだのですね」
「私は……私は……」
ラディウスは膝から崩れ落ち、嗚咽を漏らした。
アリは一瞬だけ目を伏せたが、すぐにその瞳に決意の光を宿す。
「――この国に、あなたの居場所はない」
それだけを言い残し、アリは背を向け、静かに霊安の間を去った。
✦ ✦ ✦
翌日、特別審理会議が再び開かれた。
商法大司法の席は、空席のまま。
「商法大司法の後任については、追って発表される予定である。
本件に関する一切の記録は、皇帝陛下の命により機密指定とする」
セラフィムがそう述べると、重苦しい沈黙が会議の場を包んだ。
アリの視線は、そのとき遠くを見つめていた――昨日のことを、静かに思い返していた。
彼が霊安の間にいたのは、処刑の前に、せめて父と母に謝罪を伝えたかったからかもしれない。
罪を裁くことと、赦さないことは、同じではない。
それでも、彼が背負ったすべてを“罪”だけで語ることはできなかった。
たとえ家族を守るためだったとしても――いや、だからこそ。裏切りは、裏切りだ。
(……ラディウス。あなたには、その償いをしてもらう)
誰にも届かぬ声で、アリは静かに呟いた。
そして、椅子に座り直し、顔を上げる。
アストリアンが進むべき未来について――皇帝として、彼女は語り始めた。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
この物語は、10年ほど前から頭の中にあったもので、やっと形にすることができました。
幼くして皇帝となった少女と、彼女を救おうとした王子の物語は、私の中では「愛の物語」であり、「命の物語」でもあります。
誰かにとって、この物語が少しでも心に残るものであったなら、これほど嬉しいことはありません。
続きはゆっくり更新していきますので、引き続き読んでいただけたら幸いです!