第16話 旅路のはじまり
――アストリアン大国 王宮 正門前
この日、いよいよアリ一行はグランゼルドへと旅立つ。
正門前には、アストリアン皇帝カインをはじめ、宰相セラフィム、騎士団の面々が揃い、
彼女の門出を見送りに駆けつけていた。
「ゼノ殿、ノア、ユイナ。姉上を、どうか頼む」
カインは、アリに同行する三人へ直々に声をかける。
「おう! 陛下、任せてくれ」
ゼノがいつもの調子で胸を叩き、場の空気がわずかに和らぐ。
「カイン様〜……ほんとに、僕行ってしまっていいんですか〜?」
どこか名残惜しげに言ったのはノア。
本来、アリはノアをカインの側に残すつもりだったが、カイン自身が譲らなかったのだ。
「姉上になにかあったら、ただじゃおかないぞ。ノア」
カインはそう言いながらも、口調の奥には寂しさがにじんでいた。
だが同時に、姉を守ってほしいという切実な願いが、その言葉に込められている。
「陛下、ご安心ください。私がついておりますので、大丈夫ですわ」
ユイナがやわらかく微笑んで言う。
彼女がいることで、アリの旅路には確かな安心感があった。
「……ゼノ殿とノアだけでは、少々心もとないからね。頼んだよ」
その一言に、ゼノとノアが同時に抗議の声をあげかけたが、
先にアリが苦笑しながら口を開いた。
「カイン、ありがとう。大丈夫よ」
カインの心配を受け止めつつ、穏やかな声で応える。
“親善大使”としての派遣。
しかも赴任先は長年の友好国であるグランゼルドだ。
それなのに、これほど心配されるとは思っていなかった。
だが、それも無理はない。
今回の派遣には、グランゼルドからの正式な要請として、魔導騎士団の戦力強化と育成という任務があった。
だがそれに加えて、もう一つ――いや、アリにとってはより重大な目的があった。
古の魔物に関する調査と対策。
それは今や、アストリアンだけでなく、グランゼルドをはじめとする近隣諸国全体の懸念でもあった。
グランゼルドもまた、国家としてその脅威に備えたいという意図を持っており、
アリの知見と行動力は、その中核として期待されていた。
カインは、その危険性を十分に理解していたからこそ、姉を案じていたのだ。
アリはそっとカインの頭に手を置き、ぽんぽんと優しく撫でた。
そして周囲に目を向け、カインの側近たちへ言葉をかける。
「セラフィム殿、レイガル。……カインを、よろしくお願いします」
アリは深々と頭を下げた。
「御意!」と、レイガルが爽やかに敬礼する。
セラフィムはゆっくりと頷き、アリの手を優しく握った。
「アリア様。どうかお気をつけて」
「……姉上。どうかお気をつけて」
カインの声は静かだったが、真っ直ぐな眼差しは、強く姉を見つめていた。
寂しさを滲ませつつも、笑みを浮かべ、彼はしっかりと礼をとる。
それに倣い、見送りの一行も、アリに対して一斉に礼を示した。
アリは微笑み、最後にひと言だけ残して、馬車へと乗り込んだ。
「じゃあ、行ってくるね」
その姿を見送りながら、誰もが心のどこかで、
この旅立ちが――ただの“親善”ではないことを知っていた。
✦ ✦ ✦
アストリアンの首都から、グランゼルドの王都までは、
おおよそ七日ほどかかる距離だ。
アリ一行は、ゆったりとした足取りで馬車を進めていた。
ふと、ゼノがアリに問いかける。
「それにしてもさ、なんでロイ皇帝は姫に、
騎士団の“指南役”なんて任せたんだ?
グランゼルドの騎士団って、けっこう強いって聞いてたけどな」
「そうね。ロイ陛下が病に伏されるようになってからは、
政務をルイ殿下が代行する場面が増えたらしいの。
その影響で、騎士団内の統率に乱れが出てきたそうよ。
新旧団員の間に、派閥争いのようなものがあるみたい」
「なるほどね。帝国でも、抱える問題はそう変わらないってことか」
「ええ。古の魔物の件もあるけれど……
ルイ殿下にとって、これからの“地盤”になる騎士団を立て直すのは急務なのでしょうね」
そう話しているうちに、グランゼルドとの国境が視界に入ってきた。
「うわー……あれ、全部山ですか?」
ノアが馬車の窓から身を乗り出し、感嘆の声を上げる。
「ええ。グランゼルドは山岳地帯が多いの。鉱山も豊富よ。
ルイ殿下が送ってくださった鉱石類も、みんなこの国の特産品」
ゼノが思い出したように、にやりと口を挟んだ。
「そういえばさ、前にルイ殿下から贈られたアレキサンドライト……あれ、どうしたんだ?」
アリはほんの一瞬だけ固まり――すぐに、微妙な笑みを浮かべる。
「……あれは、その……魔道具に、加工しました」
「え? 加工……って、どんな?」
「実用的な装飾品にしたのよ!……魔力増幅用の指輪、とか」
ゼノとノアが目を見合わせ、同時に吹き出す。
「いや、それ、普通はしまっとく宝石でしょ!」
「ルイ殿下、泣くぞ……」
「な、泣かないでしょ! あの方だって現実的なんだから、実用性を考えるはずよ……!」
そう言いながらも、ふと心配そうに視線を伏せたアリの表情に、
思わず、馬車の中に笑いが広がった。
✦ ✦ ✦
――グランゼルド帝国 王宮
アリ一行を出迎えたのは、グランゼルド騎士団団長――アデル・セレファイスだった。
スラリとした長身に、風をまとうような銀髪。
鋭さを秘めた眼差しとは裏腹に、その佇まいはどこか穏やかで優しげだ。
「騎士団団長」と聞いて誰もが思い浮かべる、屈強で熱血な武人像。
だが、アデルの姿はそれとは明らかに一線を画していた。
(あ……この方。あの草原でルイと出会ったときにいた人ね。
まさか、騎士団の団長だったなんて……。きっと、相当の実力者)
アリが記憶をたどっていると、アデルが丁寧に声をかけてきた。
「アリア殿下。ようこそお越しくださいました。
ルイ殿下はただ今、政務で席を外しておりますが、まもなくお戻りになります。
それまで、どうかこちらでおくつろぎください」
「ありがとうございます、団長殿。それでは、お待ちいたします」
アリたちは、来賓の間へと案内された。
静かな来賓の間には、落ち着いた装飾と共に、時間がゆっくりと流れていた。
アリは窓辺に立ち、遠くに見える山の稜線をぼんやりと眺めていた。
その時――
「お待たせしました」
扉が開く音と共に、凛とした声が響く。
振り向いたアリの視界に入ってきたのは、
グランゼルド皇太子・ルイ・ヴァルディア、その人だった。
正装の上からもわかるほど、彼の背筋は張り詰めている。
目元にはわずかな疲労の影。
表情こそ崩していないものの、政務の重圧と父の病を案じる日々が、
静かに彼を削っていることが一目でわかった。
だが――
アリと目が合った瞬間、
その碧の瞳がわずかに揺れた。
緊張の膜が、ほんの少しだけ解ける。
「……来てくれて、ありがとう」
微かに、だが確かに安堵の色を帯びた表情で、ルイが言った。
その声は硬さを含みながらも、どこか柔らかく、
まるで長い嵐の中で、ようやく差した一筋の光を見つけたかのようだった。
アリは一歩だけ彼に近づき、静かに微笑む。
「ええ。ロイ陛下の願いですもの。
それに……あなたの顔を見て、安心したわ」
ルイはわずかに目を伏せ、ほんの短く息を吐いた。
「……本当に、来てくれて、うれしいよ」
その声はわずかに震えていて、張り詰めていた気持ちが、今ようやくほどけたようだった。
アリは小さく微笑み、彼のその言葉を、胸の奥で静かに受け止めた。
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そして、アリ一行とグランゼルド勢との、波乱の顔合わせが幕を開ける。
さらには――ルイの兄、シリウスとの再会。
微笑みの下に渦巻く疑念と、言葉にできなかった感情が、
やがて、アリとルイの運命に新たな火種を落とすことになる。
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読者のみなさま、こんにちは✨
いかがでしたでしょうか?
今回の話から、グランゼルド編が始まりました~。
ここからがこの物語の本番です!
是非是非お楽しみください!
ブックマークや感想など評価いただけたら嬉しいです✨
ではまた次話で★




