第11話 微笑の裏側
――アストリアン大国 王宮
今日は、グランゼルド帝国の皇太子、ルイ・ヴァルディアがアストリアンを訪れる日だ。
事前にルイから、越境に対する謝罪と、戦争を収拾へと導いたことへの感謝の意として、献上品が贈られてきていた。
アリをはじめ、宰相セラフィムや重臣たちは、その贈り物に目を輝かせていた。
「おぉ……これは、あの貴重な!」
身体を震わせながら、老臣が感嘆の声を漏らす。
うかつに手出しできない。だが、もっと近くで見たい。
誰もがそんな想いを抱いていた。
アリも、うっとりとした表情でつぶやいた。
「これが……アレキサンドライト」
その様子に、ゼノが茶化すように言う。
「姫が宝石にうっとりするなんて珍しいな。そんなに貴重なのか?」
途端に、重臣たちが一斉に声を上げた。
「ゼノ殿!この宝石の価値をご存じないと!?」
「絶対に触れるな!!」
「これは、これは……!!」
そう――ルイが贈ってきたのは、紛れもない最上級の宝石。
魔力を帯びた青緑の光を放ち、光の加減によって色を変える“変色宝石”アレキサンドライトだ。
夜の燭光にかざすと、それはまるで血のように深紅へと染まった。
この宝石は非常に希少で、グランゼルド国内でも限られた皇族しか所持していないという。
そんな貴重なものを、アストリアンへ――。
それはまさに、“信頼の証”。
グランゼルドがアストリアンに差し出した、最高級の献上品だった。
加えて、アレキサンドライトのほかにも、石英や黒曜石など、帝国の火山地帯で採れる鉱石が多数届けられていた。
これらは、魔道具や調度品に用いてほしいという配慮だろう。
アストリアンには鉱山がなく、鉱石の流通も盛んではなかったため、アリはこれらも喜んで受け取った。
すでに彼女の中では、魔導設備や王宮の装飾への応用が思い描かれている。
「さすが、グランゼルドの皇太子殿下。太っ腹ですな!」
「実用的な鉱石まで贈られるとは……お心遣いが行き届いておられる」
「献上品だけでなく、損傷した施設の弁償も申し出てくださった」
重臣たちの間で、ルイへの評価が一気に高まっていく。
「それに比べて……カルディナスの皇子ときたら……」
引き合いに出されたのは、カルディナス帝国第一皇子・アレクシス。
そう――越境を指揮した当人でもある彼もまた、アストリアンに“謎の献上品”を贈ってきていたのだ。
その中身は、
・大量の巨大魚の“鱗”と“硬質な皮”
・海底で採取された“貝殻の破片”の詰め合わせ
アリや重臣たちは、それを目にして唖然とした。
量もすさまじかったが、それ以上に「なぜこれを……?」という戸惑いが広がった。
しかも届いた品は“とれたて”らしく、磯のにおいが大広間に充満していた。
「……これはまた、香りまで直送か。さすがはアレクシス殿、気合いが違うな」
ゼノが鼻をつまみながら、冗談めかしてぼやくと、近くにいた重臣たちが苦笑した。
「乾燥させてから使えってことじゃないかしら」
アリも思わず苦笑しながら返す。
しかし――よく見れば、それらは実に“よく考えられた”品だった。
巨大魚の鱗は、硬質で魔力伝導性が高く、防具の素材として優秀だとわかった。
また、硬質な皮は雷耐性を持ち、雷撃を通して拡散・吸収する性質があることから、避雷針代わりにもなりそうだった。
アリが皮を手に取り眺めていると、後ろからゼノがニヤリと笑って口を開く。
「……これはまた、ずいぶんと皮肉が効いてるなあ。
雷撃ばっかり使う姫への――プレゼント、ってことか?」
アリは半眼でゼノを睨むが、口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
アレクシスらしい、冗談めいた献上だったのかもしれない。
さらに、“貝殻の破片”には魔力に共鳴する性質があり、結界や魔力探知への応用も期待されている。
カルディナス帝国は海に面した国で、海産物の豊かさには定評がある。
今回献上された品々も、いずれもその中でも特に貴重とされるものばかりだった。
アリはさっそく、これらの素材を魔道具の開発を担う省へと届けさせた。
用途は未定ながらも、素材としての可能性に強く惹かれたのだ。
どちらの献上品にも、それぞれの人柄がにじみ出ていた。
わずか数度の対面しかないが――彼らの性格がよく伝わってくる。
そんな気がしてならなかった。
そして、グランゼルド帝国皇太子の到着を告げる門衛塔の鐘が一打だけ、低く響いた――
✦ ✦ ✦
――玉座の間
アリと重臣たちが静かに見守る中、ルイ・ヴァルディアは、
慎みを湛えつつも、皇太子としての品格を漂わせながら、玉座の間を進んできた。
玉座の手前で足を止めると、片膝をつき、右手を左胸に添えて、丁寧に頭を下げる。
その所作には、誠意と矜持が静かに滲んでいた。
「アリア・クラリエル皇帝陛下。
本日は謁見の機会を賜り、誠にありがとうございます。
このたびの不始末により、貴国に多大なご迷惑をおかけしたこと、心よりお詫び申し上げます。
また、陛下には紛争の仲裁という重責を担っていただき、深く感謝いたします。
帝国を代表し、アストリアンへ謝罪と感謝の意を表します。」
アリは穏やかに頷き、静かに声をかけた。
「ルイ殿下、お顔をお上げください。
貴国の誠意、しかと受け取りました。
アストリアンとグランゼルドは、長きにわたり友好を築いてきた国同士。
どうか、これ以上はお気になさらぬように。」
二人の視線が静かに交差する。
アリは微笑みを浮かべ、続けた。
「ロイ陛下がご無事と伺い、胸を撫で下ろしました。
そして……ルイ殿下。皇太子ご冊立、誠におめでとうございます。
アストリアン皇帝として、心よりお祝い申し上げます。」
その真心のこもった祝辞に、ルイは深く頭を下げた。
「もったいないお言葉。光栄に存じます。」
そして——重臣たちも、ゼノですら目を奪われるほどの、晴れやかな笑みを浮かべた。
『わぁ……ま、まぶしい……』
思わず口を押さえながら、アリはこらえきれずに笑ってしまった。
✦ ✦ ✦
――そして謁見を終え、グランゼルド帝国皇太子を歓迎する宴が開かれた。
ルイはアストリアンの重臣たちに囲まれ、和やかに世間話を交わしているようだった。
それを遠目に見つめながら、アリは昼間の彼の表情を思い返していた。
『噂で聞いていた印象と、ずいぶん違うわね……』
ゼノも同じことを考えていたらしい。アリにしか届かぬ小声で、ぼそりと呟く。
「ルイお……いや、殿下って、“氷孤の貴公子”って呼ばれてた方だよな?」
「そうなのよね」
アリも首を傾げる。
伝え聞いた話では、彼は「めったに笑わない冷徹無慈悲の氷孤の貴公子」などと、なかなかに失礼な異名で囁かれていた。
しかし、今日見せた彼の穏やかな笑みは、その噂をかき消すには十分すぎる威力だった。
そんな思案にふけるアリの意識を、明るい声が引き戻した。
「姉上! いえ……陛下! ルイ殿下にご挨拶してもよろしいでしょうか?」
声の主は弟皇子、カイン。
いずれアストリアンを背負う者として、ルイに引き合わせるには好機だった。
「そうだね、行こう」
アリは頷き、カインを伴ってルイのもとへと歩み寄る。
それに気づいたルイがこちらへ振り返り、柔らかく微笑んだ。
「アリア陛下。そして……弟君の、カイン皇子ですね」
カインはぱっと笑みを浮かべ、一歩前に出て恭しく頭を下げる。
「グランゼルド皇太子殿下。
本日はようこそお越しくださいました。
アストリアン皇帝の弟、カイン・クラリエルと申します」
「ご丁寧にありがとうございます。
グランゼルド帝国皇太子、ルイ・ヴァルディアです。
どうぞ、お見知りおきを。カイン皇子」
ルイは穏やかな声音で、礼をもって応えた。
カインの人懐こい性格は、ルイにも好ましく映ったようだ。
互いに礼を交わすと、自然と世間話に移り、和やかな雰囲気が広がっていく。
アリは、二人のやり取りを静かに見守っていた。
──いずれ、いや、そう遠くない未来。
この二人は、それぞれの国の頂に立つ者となる。
アストリアンとグランゼルド。
古くから深い絆で結ばれてきた二つの大国の行く末を、これからは彼らが背負っていく。
まだ少年らしさの残るカインと、すでに風格すら漂わせるルイ。
その姿が並ぶ光景に、アリの胸に熱いものが込み上げた。
(時は流れていくのね……)
微笑を浮かべながら、アリは少しだけまぶたを伏せた。
これはきっと、未来への小さな引き継ぎ。
確かに自分の手で築いてきた時代が、次の世代へと渡されようとしているのだと──。
✦ ✦ ✦
宴は終始、和やかな雰囲気に包まれていた。
アリはルイ、カインと共に、楽しげに談笑していた。
ふと、話題がルイの父であるロイ・ヴァルディア皇帝に及んだとき、カインが尋ねた。
「ルイ殿下の御父上、ロイ陛下はどのようなお方ですか?
姉上からは、お優しくて、偉大な方だと伺っています」
ルイは一度視線を伏せ、静かに答えた。
「そうだな……カイン皇子の言う通り、とても優しくて偉大な人だ。
誰よりも正しくあろうとする方だった。だからこそ、誰よりも苦悩されていたと思う」
理想と現実の狭間で苦悩する父の姿を、間近で見てきたからこそ語れる言葉だった。
そして続けて、アリの方を見やりながら言った。
「アリア陛下とカイン皇子の御父上とも、親しくされていたと聞いている」
「ええ、そう。カイン、ロイ陛下は私たちの父ととても親しかったの。
父が崩御したときには、真っ先に駆けつけてくださったわ」
「そうだったのですね……。きっとお優しい方なのでしょう。
姉上を娘のようにかわいがってくださっているとも聞きました。
私も、ぜひ一度お会いしてみたいです。父上と仲が良かったのなら、なおさら」
――そう、カインは父の記憶がない。
父が崩御したのは彼が二歳のとき。記憶には残っていないのだ。
だからこそ、父と旧知の仲であるロイに会いたいと願う気持ちは理解できる。
アリが娘のように可愛がられていたと知れば、なおさらその思いは強まるだろう。
「……父上が恋しいわね。あなたの父上代わりは、セラフィムだったものね」
宰相セラフィムが、幼くして両親を亡くしたカインにとっての父のような存在だった。
「セラフィム殿は……どちらかというと、父というより、おじい……いえ、祖父のような……」
カインが照れ笑いし、アリと顔を見合わせて笑い合う。
その様子を見ていたルイは穏やかに微笑みつつも、どこか影の差した表情を浮かべていた。
アリはそれに気づき、そっと声をかける。
「ルイ殿下? どうかなさいましたか?」
ルイはハッと我に返り、ややぎこちなく微笑んだ。
「……いえ。ただ、アリア陛下とカイン皇子がとても仲睦まじくて。微笑ましいなと思っただけです」
その言葉の裏に、ほんの少しの羨望がにじんでいることを、アリは見抜いた。
――もしかすると、ルイ殿下とシリウス皇子は、アリとカインのような関係ではないのかもしれない。
だが、それをアリの口から問うべきではない。そう思っていたところに、
「ルイ殿下には、お兄様がいらっしゃるのですよね?
どのような方ですか?」
カインの素直な問いかけが、思わぬところに触れてしまった。
アリは内心、『ちょっと…聞きづらいことを直球で…!』と焦り、フォローしようとしたが、
ルイが先に口を開いた。
「……そうだね。兄も、とても優しい方だよ。
ただ、私と兄では母が違っていてね。だから、アリア陛下とカイン皇子のように、
睦まじく――という感じではないんだ」
正直すぎるほどに淡々と、ルイはそう答えた。
――隠すつもりもない、ということなのだろう。
おそらく、ルイの母が正妃なのだ。アリはそう察した。
ルイは温厚で、器の広い人物。自ら争いを望むような性格ではない。
シリウスとも面識はあるが、穏やかで優しそうな人物だった。
それでも「睦まじくはない」という事実があるのなら――
表には出さぬ複雑な思いが、二人の間にあるのだろう。
カインはその言葉を深く考えることなく納得した様子だったが、
アリにはすべて見えていた。ルイもそれを悟ったのか、観念したように苦笑をこぼす。
その瞬間、アリはふと思い立ったように、ルイに声をかけた。
「ルイ殿下、お散歩に行きましょう!」
そうして、アリとルイは静かな夜の空へ――
ふたりのあいだに芽生えた絆は、まだかすかなものながら、確かにそこにあった。
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お読みいただき、ありがとうございます!
いかがだったでしょうか?ぜひ、感想などお聞かせいただけたら嬉しいです!
次話、アリとルイが夜空でお互いのことを語り合います!
ここから二人はゆっくりと絆をはぐぐんでいくことになります。
是非お楽しみに✨




