第9話 村での宴会
「何がすぐ近くだよ。大嘘つき!」
あれからさらに一時間近く猪を引きずって、やっと麓の村についたのだ。
日没には間に合ったが、川の手前の村の入り口が上り坂になっていて、さすがにもう運べない。
「ごめーん。でも後半は下り坂だったから、早かったじゃない?」
笑った顔でナミが謝る。
――こいつ、絶対反省してない――七樹は思った。
「うーい、よく寝た。やっとついたか」
起きたククルを肩に乗せ、プリプリしながら七樹は村に入って行った。
村に入ると、犬達がワンワンと一斉に飛び出してきた。ナミに駆け寄り、嬉しそうに周りにまとわりつく。しかし七樹には警戒の唸り声を上げた。
「ちょっとナミ、夕飯の手伝いもしないで、どこに行ってたのよ。探しにいくとこだったのよ。このでっかい男は誰?」
「あ、タカコおばさん遅くなってごめん。あのね、この人はカミク村の本家のジンロク叔父さんの息子のナナキ。今日アタシを尋ねてきたの。」
「は?」
七樹は驚く。いつの間にそういう事になったんだろう。
「そういう事にしとけ!お前ら似てるから通るよ」
肩に止まったククルが耳元で囁いた。
「ナナキ、こちらタカコおばさん。ここの村の村長の娘さん。先月死んだ旦那さんがあたしの父さんの弟で、アタシここにお世話になってるの」
「初めまして、棟方七樹と言います」
七樹は慌てて頭を下げた。
「ジンロク叔父さんって、ずいぶん昔に家出して、大陸に渡ったあの人?」
「そうそう。おじさんが死んだから、こっちに戻ってきたんだって。
それよりお土産があるの。村の入り口の方見て。ウロジ叔父さんの仇、猪の“切れ耳”。アタシこいつに追いかけられてた時、ナナキに助けてもらったの。
アタシの命の恩人なんだ。だからしばらく村に泊めてあげていいよね?」
「切れ耳ですって!本当なの」
見ると匂いに釣られた犬達が、もう猪に向かって吠えながら走り出していた。
「あ、リュック忘れてた」慌てて七樹も走る。
「本当だ、こいつ切れ耳よ。村の今年の春祭りに、こいつに何人も怪我させられたり、死んだりしたの。私の夫のウロジは突き殺され、私の父さんも怪我をした。仇打ってくれた上、ナミまで助けてくれたの? ありがとうナナキ。歓迎するわ」
「ぐえっ」
豊満な熟女の強烈な抱擁に、焦る七樹。肋骨が折れそうになった。
華奢な見かけによらず、タカコさん、ものすごい怪力なのだ。
ククルは、慌てて空に逃げた。
「血抜きは済んでるのね。コレだけあれば、村中で半月は食べれる。
おーい、解体組と革処理班来てー。女達も集まれー。肉の四半分は蒸し焼き。焼き床の準備の火起こしてー。四半分はツミレにして、明日の汁物よ。
のこり半分は燻製の下準備。お客さんのもてなしは、ナミに任せた。ゆっくりしてって」
おばさんはいそいそと肉の解体に向かっていった。
「はあ。なんとか上手く行った」
ナミは胸を撫で下ろし、七樹は脇腹をさすっていた。
わらわらと人が集まり、川縁で解体が始まった。少し離れたところで、火を起こして煮炊きの準備が始まる。
窪んだ地面に敷き詰めた石の上で火がたかれ、熱せられ出した。
黒曜石の包丁で、皮を剥いでいく。顎から肛門まで一直線に腹に切れ目を入れる。前足・後ろ足首のところで、皮を切り離し、中央の線へと繋ぐ。皮と脂肪の膜の間にゆっくり包丁を入れ、皮を剥がしていく。
犬達が周りをソワソワと歩き回る。内臓が出るのを待っているのだ。
皮を取り終わると、腹に包丁が入る。犬達が、わっと群がってきた。
生臭い匂いが充満した。皮を水で洗っているが、ダニやらノミやらうじゃうじゃいそうだ。あれを鞣すとなると大仕事になるだろう。
四肢の関節に切れ目が入れられ、骨が外されると、いよいよ調理担当の女の人たちの出番だ。切られた肉を壺の水に浸している。どうやら塩の代用の海水のようだ。
この村にはまだ“焼き塩”の技術がないんだなと、竹のコロをロープで束ねながら、七樹は思った。
ワカメや乾海苔、笹が用意された。蒸し焼き用の温めていた石床がいい具合に焼けている。上の残った灰をはじに寄せ、笹を敷き、わかめに包んだ肉にノリを挟む。さらに笹を乗せて灰で蓋をして一時間ほどで蒸しあがる。
ニュージーランドのマオリ族の伝統料理・ハンギと同じだ。肉のイノシン酸と海藻のグルタミン酸が合わさり、味が倍増する。縄文人はグルメなのだ。
「肉ができるまでもう少しかかるから、夕飯のスープ先に食べてて」
ナミが、土器の椀に入れたスープを持ってきた。左手の藤蔓の下げカゴには、表面のゴツゴツした丸い煎餅のようなものが入っている。
「こっちはどんぐりの焼き団子。今日のは胡桃と卵も入ってるからすごく美味しいよ」
「ナミねーちゃん、オイラにもちょうだい」
8歳くらいの小さな男の子の手が伸びて、一枚取ろうとした。
「カーク?」
ナナキは驚いた。その子供が、カリフォルニアに置いてきた従兄弟のカークの小さい頃にそっくりだったのだ。
「ウロタ、ダメ! 子供は半分よ、数が決まってるんだから。ナナキ、ウロタはタカコおばさんの息子で、私の父方の従兄弟なの。ほら、挨拶しなさい!」
ナミはウロタの頭を抑えて、下げさせた。
「こんちはー。ねえちゃん、オイラも一枚食べたいよぉ」
「ダメ、一枚食べられるのは一人前になってから」
数が決まってる?
「ひょっとして、これナミちゃんの分?」
「あ! アタシはいいの。だってさっき鏡もらったし、だからお礼」
七樹はどんぐりの焼き団子をパキンと二つに割ると、大きい方をナミに差し出した。
「はい、君の分」
「ダメよ。ナナキは今日あんなに働いて疲れてるのに」
「君だってさっきからずっと働いてる。その代わり、このスープお代わりしていいかな? 美味しそうだ」
「うん、スープはたくさんあるから。お代わりする時は言って」
「へー仲良いのぉ。お客さん、ナミ姉ちゃんの良い人なんだ。姉ちゃん、焼き団子いらないなら、オイラがもらってやるよ」
ヒョイとウロタが割って入った。
「誰がやるもんですか! 子供はあっち行ってなさい」
ナミは逃げるウロタを追いかけた。随分仲がいいようだ。
七樹は、自分とカークとのことを思い出して、懐かしくなった。
焼き団子は美味かった。甘くはないがよく噛むと、奥の方から旨みが湧いてくる。
スープは、アサリ・筍・ノビル・ワカメ・アワ・ミツバ。出汁が出ていて、旨みたっぷりだが、味が薄すぎる。味噌か醤油が欲しいと思う七樹だった。
その時、二人の男が、笹にくるんだ肉を持ってきてくれた。
「ホラ、兄ちゃんの分の肉だ。あんたナミの従兄弟のナナキって言うんだってな、俺はオキ。切れ耳を殺ってくれてありがとう。タカコさんのご亭主もあいつにやられた傷が元で死んだんだ。まだ若いのにあんた凄いよ」
「オレはコキ。でも仇を取れて、これでタカコさんやっと、ほかの男に気が向くぞ。ワガハイにも、チャンスが巡ってきた」
「なにをー! 俺のほうが先だ!」
「バカ言うな、タカコさんはワガハイのモンだ!」
男達が掴み合いを始めた。タカコさんモテモテのようだ。
焚き火を囲んで、宴会が始まっていた。久しぶりの肉に誰もが笑顔だった。
突然、広場でナミが見せてくれた火山爆発のシーンが頭に浮かんだ。
世界の全てを飲み込む火山灰と溶岩、そして津波。僕がなにもしなければ、ナミも僕もこの人たちも、5年後にはみんな死んでしまうんだ。
でも、疲れた眠い……。
お腹も膨らんで、ナナキはコクリ、コクリ、船をこぎだしそうになった。
「ごめんよ、僕疲れたから先に休ませてもらうよ」
ナミに断って、七樹は立ち上がった。
「じゃあ、アタシの家に案内するね」
「いや……みんなの邪魔にならない空き地ない?」
集落の端っこにつくと、七樹は担いでいたテントを出す。
「きゃっ!」
ナミの見ている前であっという間にテントは開き、形を成す。その間わずか30秒。フレームのクロス部分を紐で縛り、ループベルトを固定したら完成。
ポップアップテントは楽ちんだ。
「おやすみ」
唖然とするナミの前で、寝袋とリュックを持って七樹はテントに潜り込み、入り口のジッパーをを閉めた。
「おい、決心ついたか?」
いつの間にかテントに潜り込んでいたククルにギョッとする。まさに闇夜のカラスだ
「まだ……もう少し考えさせて。今日はもう寝る」
七樹は寝袋に潜りながら生あくびをした。
「わかった。外で見張りしてる」
ククルはテントを出て屋根に止まった。広場の宴会はまだ続いている。
「あ、歯を磨くの忘れた……父さんに叱られる」
まあいいか。七樹の口から寝息が漏れ出した。
続きます。