第6話 猪の切れ耳
「命を使い果たした? 御神木のスダジイ様、本当なの? 救い主を呼ぶために誰か死ぬなんてアタシ聞いてない!」
ナミが悲鳴をあげた。
七樹の背中越しに、御神木の声が響いた。
「【樹木語】当然だ、言えばお前は救い主を呼ばない。それではこの世界の人間は滅びてしまう。だから秘密にしていたのだ」
「そんな……」
ナミもその場に尻餅をついた。
「【樹木語】すまなかった、ナミは悪くない。悪いのは私なのだ」
御神木のスダジイが身を捩い、葉ずれの音が響いた。
ナミが土下座をして叫んだ。
「御免なさい、アタシのせいです。アタシがあなたを呼んだから、こんな事になったの。アタシ救い主を呼べば、神様みたいな人現れて、なにもかも上手くやってくれると勝手に思ってたの。
まさかそのために誰かが死ぬなんて思わなかった。アタシが考えなしだったの、御免なさい、御免なさい。アタシの命上げますから、どうか元の世界に戻ってください」
七樹はそんなナミをぼんやり見ているだけで、なにも言わなかった。
「おい、ナナキなんとか言えよ。そりゃ、この子の命使えばお前を返すことはできるけどよ。帰ったってばあちゃんを生き返らすことは出来ないんだ。だから……」
「うるさーい!」
七樹の突然の大声に、ククルとナミは縮み上がった。
「どいつもこいつも、勝手なことばっかり言いやがって。ふざけんな!
運命だと?誰がそんなこと決めた。僕の人生なのに周りが勝手に決めて、押し付けて。それで『はいそうですね』ってやれってのか!
大好きな父さんが僕と丸木舟を作ったのは、母さんの願いを叶えるため? ばあちゃんが僕を可愛がってくれたのは、僕を自分の願いを叶える道具にするためなのか。
おまけに僕をここに送る為に死んだって?
なんで……なんでみんな僕のことを僕抜きで決めるんだ。
それじゃあ、僕の気持ちはどうなるんだよ。なんで誰も僕の気持ちを一度も聞かないんだ!
ククル、お前が精霊なら母さんが僕を生む時どうして聞かなかった。聞いてくれたら言えたんだ。『僕は、母さん殺してまで生まれたくない』って!」
自分でもなにを言ってるのかよくわからなかった。ただ涙が溢れて止められない。ばあちゃん以外の人の前で初めて見せた涙だった。
「頼むから一人にしてくれ。考える時間くれよ」
両手で膝を抱え、膝頭に顔を埋めて七樹が小さくいった。
「ごめんなさい」
ナミは立ち上がり、走り出した。ククルが慌てて後に続いく。
「おい、走ると危ないぞ。あのさ、ナミが悪いんじゃないんだ。ナナキもあんたと同じで、なにも知らされずにここにきたんだ。
言ったら、『ばあちゃん死なすなんて絶対行かない』って言うに決まってるからよ。
でもばあちゃんは、行かせるって決めてたし、俺はあいつの母さんと契約した精霊だ。断れなかったんだ」
「アタシ、あの人にどうやって償ったらいいの」
言うと同時に、ナミは泣き出した。涙が数珠玉のように次々湧き上がり、走る足元の道の上に涙の滴が点々と続く。
「アタシ御神木のスダジイに、恐ろしい未来を知らされて、海の向こうのオカ母さんの魂に助けを求めたの。
でも答えてくれたのはオカ母さんの魂ではなく、なぜか7300年も未来に生まれ変わった自分の魂だった。未来の私は『救い主を送る』と約束してくれた。
それで安心して、村の人もみんな助かってこれで何もかもうまく行くって。
まさか、そのせいで人が死ぬなんて思わなかった。
アタシどうしよう、どうンぎゅ?」
ナミは何かにぶつかった。目の前に巨大な猪の濡れた鼻。
逆さハートの鼻の穴から「ブヒッ」と生臭い息が漏れた。
◇
「【樹木語】落ち着いたら、わしの話を聞いてくれないか?
1万3千年前。南から船で来て、ここに住みついていた一族は、人数が増えすぎた。だから若くて力のある者たちが、船に乗って北の地方に新しい土地を求めて船を出すことになった。それが狩猟民の習わしだったからだ。
その時娘のナミは8歳。母のオカは旅立つ船のリーダーの妻。未来が読めるオカは、旅に必要だった。
『オカ母さん、いやだよ。ナミも一緒に連れてって』
『ナミは御神木の選んだ木の巫女、この地に必要な血筋だ。連れていくのはならん』木の巫女の長、タネの手の中でナミは泣き続けたが、置いて行かれた。
娘のナミは毎晩、母のオカの船を作ったシイの木の切り株を回り、御神木で作られた丸木舟を通して、心を送った。
『お母さん元気? ナミは元気よ。今どこにいるの?』
『ナミは元気? お母さんは元気よ。おまえの知らないずっとずっと北の方。今度は東に向かうの』
北から東へ。日の登る方へ。時には陸に上がり食糧を集め、そこが気に入って住み着く者たちもいた。オカの夫は強いリーダーで、世界の果てを目指して進み続けた。
そうやってだんだん数を減らしながら、ジャイアンとケルプの海をわたり、ゆっくりゆっくり何年もかかって東の果てで、大きなどんぐりをキツツキとリスが取り合う土地を見つけ、海辺の土地に住み着いた。
リーダーは老いだので旅を終わらせてここに骨を埋める決意をした。そこがお前達がチャンネル諸島と呼ぶ、チマシー族の祖先の土地だ。
木の巫女は生まれ変わる。樹木が種をつくり生まれ変わるように、木の巫女の魂も何度も生まれ変わる。そうやって森と樹の巫女はいつも共に歩んできた。いつか二人は生まれ変わって再会することを願い続けた。
だが5700年経っても二人は会えなかった」
「どうして?」ナナキの問いにスダジイは答える。
「【樹木語】樹は大地に繋がれている、木の巫女の魂も生まれた地に繋がれて、互いの土地に繋がれたまま、動くことができなかったのだ。
オカの母、木の巫女の長のタネは5700年も続く二人の転生と、繰り返される嘆きに深く後悔した。わしたち御神木もまた、二人を引き裂いたことを悔やんだ。
二人をもう一度合わせることがいつしかタネの念願となった。タネは最後の転生・サリー・フェアバンクスとしての命を使い、お前をここに送った。ナミの願いとお前のばあちゃんサリーの願いは同じなのだ。
我らの都合で5,700年もナミをこの地に縛りつけた。5年後の火山噴火で土地から動けない我らは、全て滅ぶ。その前に我らの体で船を作り、我が民をナミの母、オカの住む土地へ連れて行くものが必要だった。それでお前が選ばれた。
我らの勝手な願いに巻き込んで悪かったと思う。だが、消えていくものの最後の願い。過去の過ちを償いたいとおもってこうしたのだ」
ナミの気持ち、オカの気持ち。ばあちゃんと御神木達の気持ち。母さん、父さん。みんなの願いは一つだった。
アカホヤ噴火の始まる前に、僕がナミと全部族を御神木で作った船に乗せて、オカの待つカリフォルニアへいく事。
その為に母さんは僕を産み、ばあちゃんが僕を十年育て、父さんが残りの十年かけて僕を鍛えた。だけどなんで? なんで僕がそんな事しなけりゃならないんだよ。
母さんやばあちゃん死なせてまで、やらなきゃならない事なのか。
「きゃー!助けて〜」
突然の悲鳴に七樹が振り向くと、ククルとナミが全力でこっちに向かってくる。
後ろにでっかい猪を連れて!
そのとき、猪の鼻の突き上げがナミのおしりにヒット!
ナミは高く高く飛ばされた。
「ナナキ、受け止めろー!」
ククルの叫びに、七樹はとっさに手を伸ばしてナミをキャッチした。
ナミを抱えたまま転がって、猪を避ける。
猪突猛進、止まらない。
猪はそのまま御神木へ――
「ウァ・あ・アァアー!」
甲高い御神木のクリック音(*注)のような、超音波の悲鳴。
衝突音。周りの木々から鳥達が一斉に飛び立った。
――静寂――
「おい大丈夫か」
「なんとか〜」
ククルの問いに、七樹がへたれた返事をした。
「【樹木語】大丈夫じゃない〜」と、御神木。
猪の牙が幹に突き刺さり、脳震盪を起こした猪はピクピクと痙攣していた。
「こいつまだ生きてる!」
七樹の言葉に、ククルが叫ぶ。
「早くトドメを刺せー、牙が抜けたらまた襲ってくる」
「ええい、南無三!」
ベルトのアウトドア・ナイフを取ると、七樹は猪の頸動脈にナイフを突き刺した。
「ブギイイィー!」
血飛沫が木の幹に沿って高く走り、やがて猪の痙攣は終わった。
◇
「【樹木語】重い。御神木に血まみれの猪を吊るすとは、罰当たりが~」
「ごめん御神木様、もう少しで終わるから。血抜きちゃんとしないとせっかくの肉が美味しくないんだもの。」
足をロープで縛られ、御神木から逆さに吊るされた猪から流れる血は、もう少しで止まりそうだ。
「エライところに来てしまった……」
御神木から少し離れた竹林の湧水で、服の血を洗いながら七樹がポツンと言った。
縄文時代の洗礼は、猪の血飛沫だったのだ。
――これからどうなるんだろう僕――
続きます。
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(*注)樹は叫んでいる、音を出す。2023年3月テルアビブ大学の実験で50から60kH2の、超音波のカリカリと言うクリック音を発しているのが確認された。
水を与えないと、「喉が渇いた」と声を発したと言う。
樹の巫女達は、多分これらの声を聞き分ける力のあるもの達なのです。
「2024.5.3..放送・NHKチコちゃんに叱られる拡大版SP/何故植物は声を出さない?・いいや叫んでいる」