第4話 洞窟で(後編)
「『僕の人生は常に妻のアマスラテ……』あれ、ここだけ掠れて読めない?
『……と共にあった。彼女は3日前に死んだ。彼女の亡き今、僕がここに居る理由も終わった。この地で過ごした彼女との65年の平和を感謝する。
ひ孫たちにあのリュックと思い出の船を運んでもらい、この洞窟で我が人生の終わりに70年前の僕のためこれを書いている。
死ののち、僕の魂は7300年後のこの洞窟に戻り、懐かしい人々と再会できるだろう。健闘を祈る』なんだ?どう言うことだ」
夢中になって右から左に読み進んでいたら、左足に何かがぶつかった。
人骨だった。
わずかに服が残っている。刺繍のされた凝ったものだ。7,300年前のものなのか?洞窟が完全密封に近かったからうまく保存されていたようだ。
その隣にわずかに形をとどめているのは……僕のと同じコールマンのリュック。吊り革に下げたプラスチック板に“棟方七樹”の名前が入っている。父さんの字だ。僕の今背負ってるリュックの字とそっくりだ。
僕は急に怖くなって立ってられなくなった。一体なんなんだこの洞窟は?
「ばあちゃん? ばあちゃん! どこなの」
外からククルの鳴き声と、ばあちゃんの話し声がする。僕は急いで外に出た。
ばあちゃんと、ククルは広場の真ん中にいた。ばあちやんが何かククルと話してる。
洞窟を出ると同時に携帯がなった。カークだった。洞窟を出たから電波が通じたようだ。
「ナナキ兄ちゃん、今どこなの。ばあちゃんも一緒? 父さんが置き手紙見て心配して僕に連絡くれたんだ。ジッ……なんか、父さん携帯の調子が悪くて通じないって。僕、消防署の電話でかけてるんだけど、ジジッ……やっぱり聞きにくいね。
父さん、今朝は言いすぎたってものすごく落ち込んでるんだ。謝りたい、もう一回話し合おうって言ってジジジッ……天気も怪しくなって来たし、ともかく早く帰ってきて」
「ごめん、今まで洞窟の中にいたから通じなかったんだと思う。うん、ばあちゃんも一緒ジッ……雷がなってて、ほんとに聞きにくいな。
今いる場所はジジッ……チマシー川の支流から30分くらい登ったとこ。場所は携帯のGPSで確認して」
「今確認した。そこ先月火事のあった近くだねジッ…いまその辺りに雷雨警報が出た。乾燥のせいで、地上に雨の降らないドライ・ライトニングが起きてて、数秒間隔で雷が落ち始めてる。ジッ……火災積乱雲(*注)に成る危険があるよ。周りの木に火の粉が落ちたらジジッ……山火事になる!」
「わかった! ジッ……テントの装備もあるし、取り敢えずこの洞窟に避難する。
ばあちゃんー、雷が来る。早く洞窟に避難して」
僕は大声で怒鳴った。広場の真ん中にいるばあちゃんからはまだ遠かったからだ。
僕の声にばあちゃんが振り向いた。とても穏やかで、厳粛な顔だった。
「ナナキ、お別れの時が来た。お前は、は“チマシーの終わりの100人”になってはいけない。“始まりの100人”になるために生まれて来たんだ。ククル、ナナキを頼んだよ」
「ちょっと、ばあちゃん何言ってるの? 洞窟に避難してー」
僕は強くなり出した雷の音に消されまいと大声を上げながら、近づいて行く。
その音を消すばかりに朗々と高くおばあちゃんの声が響く。それはチマシー族の樹の巫女の長、サリー・フェアバンクスの誇り高い叫びだった。
「ククル、20年前の約束通り、我が命くれてやる。引き換えに、ナナキを海の向こうの我が同胞、7300年前の樹の巫女、ナミの元に連れていけ。そうしてナミをオカの住む地へ連れて行ってやっておくれ」
「カァー……承知した。連れて行く」
突然ククルの声が代わり、人間みたいに喋りだした。
同時に体が10倍以上大きく膨らみ、羽の色が赤く変わり足は鋭い鍵爪なった。背中からトグロを巻いた長い蛇の尻尾が垂れ下がり、尻尾を軸に空に向かって立ち上がった。それはまるで頭部を赤い羽毛で覆われた龍のようだった。
姿の変わったククルからものすごいエネルギーが風圧になって僕に叩きつけた。
それを見てにっこり笑うと、風に押され、ばあちゃんはゆっくりと後ろに倒れた。
「ばあちゃん!」
僕は携帯を取り落とし、あわてて倒れたばあちゃんに向かって走る。
その僕の真正面に、ククルの鉤爪があった。
「運命だ、諦めな」
一声そういうと、赤い龍の爪に掴まれて僕は空に登って行く。
空を覆い尽くす巨体積乱雲の中へと。
「ばあちゃん、ばあちゃーん!」
ものすごい速さでばあちゃんがどんどん小さくなっていった。
白い雲の中、雨が体に叩きつけられる。雨音で何も聞こえない。
どんどん体が冷えて行く、尚も上昇する。
変に明るい……キラキラしてるのはなんだ?
頬をかすった。痛い。周りの雨がいつの間にか氷になっている!
体に当たる雨が氷の粒に変わってパシパシと音をを立てて僕にぶつかる。積乱雲の最上部に達したのだ。そこにあるのはビッシリとひしめき合う氷の粒。
氷の粒は大きくなり、音も大きく激しくなっていく。
そしてその氷の摩擦が生むのは――――放電!
「あぶない!」
僕は思わず頭を抱えて体を丸めた
ドン!凄まじい炸裂音。
落雷が空を縦に走り、洞窟の守りの木を襲った。
◇
下降するヘリのブレードスラップ音の中、ヘリから飛び降りたジェイクはカークを見つけ駆け寄る。
周り中で燃えた木々が燻り、落雷による衝撃で洞窟の入り口は土砂崩れを起こし、完全に塞がれていた。
「母さん……」
広場でジェイクは異様なものを見た。
落雷は残っていた洞窟周りの木々を巻き込み、凄まじい炎となって一体の樹を焼き払った。なのに、焼けながら倒れた木々は、サリー・フェアバンクスを避けるように周りを囲い、燃え尽きながら、守りの壁のようになって結果的に炎から彼女を守っていた。
その真ん中でサリー・フェアバンクスは静かに横たわっていたのだ。
少しも汚れることなく倒れた時のまんまの姿で。
「ナナキは? ナナキはどこだ、一緒じゃなかったのか!」
ジェイクが息子のカークに縋り付く。
「これ、ナナキにいちゃんの携帯。洞窟の入り口近くにあった。多分洞窟と一緒に土砂崩れに飲まれたんだと思う」
項垂れてカークはそう言った。
「そんな……ナナキー!」
ジェイクの絶叫が燃え後の山々にこだました。
◇◇◇
丘の上のお祭り広場の天を稲妻が走る。
「救い主が来たわ、コレで私たち助かる」
樹の巫女、まだ12歳の幼いナミは叫んでいた。祈りに応えて救い主が来てくれたのだ。
一瞬のスコールの後、雲の中から赤い羽毛の生えた龍がゆっくりと、丘の上に着地した。鉤爪がリュックを背負った人間をしっかり掴んでいる。
「や、やったぜ。もう……ゲンカイ」
言うと同時に赤い龍は黒く縮んで、一羽のカラスに姿を変え、へたり込んだ。
後にはびしょ濡れの大きな男が何か袋のようなものをを背負って気を失って倒れていた。
見たこともない服を着ていた。冬でもないのに服を重ねてきている。
足にも冬みたいにゴツゴツした変わった靴を履いてる。
――寒いところから来たのだろうか?母さんの東の国は暖かいはずなのに――
でも顔立ちはナミと同じ血筋のものだった。
その時、身動きした男の着ていた服の隙間から、とんでもなく大きなどんぐりがこぼれ落ちた。
「このどんぐり、なんて大きいの。母さんが言ってた通りだ。間違いない。この人は海の向こう、東の果ての楽園から来た人なんだ!」
ナミは男の服を掴んで揺すぶった。
「起きてください、救い主様。お願い!
この国はもうじき、海の火山が爆発して、滅びます。後五年しかありません。
私たちを船に乗せてあなたの国へ、樹の巫女の同族の待つ約束の土地に導いて下さい。世界の東の果ての大きなどんぐりのなる楽園にどうか私を連れて行って!」
1章「カリフォルニア編」完
2章「縄文時代編」へ続く。
*******
(*注)山火事の作る雲。火の熱で強い上昇気流が発生。火災の周囲に空気が流れ込み、火元に向かって渦を巻きながら成長。火の粉が雲の中から、風下に落ちて新たな火災となる事。
「2022.12.4放映・NHKスペシャル/ワイルドファイヤー~人類VS.森林火災~」
2024年6月から続く降水量0の乾燥のため、2025年1月8日ロサンゼルスで最悪の火災が発生。大災害となった。