第3話 洞窟で(前編)
「ばあちゃん、まだなの? もう日が暮れちゃうよ。テントで夜明かしするなら、寝袋ひとつしかないよ」
チマシー川のさらに支流の先まで遡った。カヤックを降りてもう30分は山の中を歩いてる。保存食はリュックに入れてあるし、折りたたみのテントは持って来たけど、寝袋はひとつしかない。ジッパーで広げれるタイプだから、広げて下に引けは二人でも大丈夫だろう。
でも今すぐ引き返しても、帰るには日没ギリギリだ。空模様も怪しくなってきた。
一体どこに向かってるんだろう。
「カァー、 ナナキ ナキムシ ヘタレー」
「うるさいぞククル」
何故かククルがついて来ているのだ。うるさいったらない。
「この辺先月山火事のあったとこだね。カークが頑張って消したって言ってた。おばあちゃんに教えられたから早く消し止められて助かったって」
「未来が読めても、起こる事を止めることはできないよ。
地球温暖化で、気温が高く空気の乾燥が続いて雨は少ない。その上強風が吹く。山火事が続いて、カリフォルニアの木はどんどん減って行く。山には逃げることのできない樹の悲しい声がこだましているよ。辛いね」
「カークも『キリがない、挫けそうだ』って言ってた。高校出たばかりなのに、よく頑張ってると思うよ」
「ナナキ、アキラとの10年は楽しかったか?」
「うん。父さんって全然威張らなくて、父親っていうより年上の友達みたいだった。
日本語がわからなくて「外人」って学校でいじめられたって言ったら、『学校なんか行かんでいい。それより縄文時代を肌で感じろ』とか言っちゃって、いきなり専門家のとこで、丸一年縄文生活させられた。丸木舟の作り方その時覚えたんだ。
その後も昼間は父さんの出した課題を解いて、夕方には近くの柔道教室に通わされて。友達たくさんできて体も強くなった。だから丸木舟で太平洋横断なんてできたんだよ。
あ……でも歯磨きだけはうるさかったな。『いざという時、歯を食いしばれないと男になれない』って言って。1日3回、3分磨かされた。おかげで僕、虫歯一本もないんだ」
七樹はにっと笑って、キレイに揃った歯を出して見せた。
「ははは、お前は頑張り屋だ。さすがワシの自慢の孫だよ。しかし旅の間に随分髪が伸びたねえ。前髪そんなに長いと見えにくいだろうに、なぜ切らないんだい?」
「あーこれはその……僕、母さん似で女の子顔だから、顔見られると『お嬢ちゃ〜ん』って、よくからかわれるんだ。死んだ母さんのこと馬鹿にされてるみたいで嫌だからさ。
……できたら母さんにも親孝行したかったな。僕、一度でいいから母さんに会ってみたかった。でも僕が赤ちゃんの時死んじゃったから無理だよね。
だから代わりにばあちゃんに孝行するからね。僕は半分だけどチマシーの子だ。純粋なチマシー族はもう減ってしまって100人にも満たないけど、伝統を残す手伝いなら出来るよ」
「“チマシーの終わりの100人”。そう言われて久しい。だがお前は終わりになってはならない。お前は“始まりの100人”になる運命だ。ばあちゃんは孝行してもらわなくてもいい。代わりにお前の死んだ母さんの願いを叶えてもらうとしよう。ほらついた」
「カァー、バアチャン ココー」
ククルが捻じ曲がった古いドングリの木に止まって鳴いている。
よくみると、小さな広場のような草原の周りにカリフォルニア・オークに混じって、同じ種類のドングリの木がたくさん生えていた。何かの催事場後のようだ。
「アレ?このドングリやけに実が小さいな。カリフォルニアのは大抵でっかいのに。
日本産のスダジイの実そっくりだ。新種かもしれないから、ちょっとDNA調べてみるよ。隣のカリフォルニア・オークと混雑してるかもしれないからこっちも見本に持ってこう」
「そう言うとこはアキラにそっくりだ、血は争えん。さて、わしの方はわしの樹の巫女の血を使うとしよう。ナナキこっちへおいで」
そう言うとばあちゃんは、拾った小さなどんぐりを握りしめて僕の耳を掴み、自分の額に僕の額を押し付けた。
………………………………………
――ナミ、私たちは見つけた。食べ放題の大きなどんぐりと、海の幸のあふれる東の果ての楽園。暖かくて住みやすい。あゝお前も連れて来てあげたかった。
――ナミも行きたかった。でも私たち樹の巫女は樹の巫女の血が続く限り、守りの木が続く限り、いく代も生まれ変われる。いつかきっとまた一緒になれる。
――あゝその日が待ち遠しい。ナミ、私のひ孫の子孫はたくさん増えた。
――オカ母さん私の子孫の孫達はたくさん増えた。もうじきひ孫も生まれる。血の続く限り、私たちは必ず会える。いつかまた一緒になりましょう。
――母さんはもうじき土に帰るけど、先に行って待ってるわ。ナミを待ってるわ。必ずまた一緒になりましょうね。
………………………………………
「え……? ばあちゃん今の何」
「この樹の記憶だよ。母さんに似た女がいたろう。あれは生まれ変わる前のお前の母さんの母さんのオカ。チマシー族が初めてこの地について故郷のドングリを植え、ここを祭りの場にした時の記憶さ。
樹の巫女は何度も何度も生まれ変わる、その土地の樹と血筋が絶えぬ限り。
お前の母さんもそうやってなん度も生まれ変わってきた。だがチマシーの巫女の生まれ変わりであるこの血筋も、もうワシが最後の一人。最後の巫女としてやらねばならんことがある。長の守りご苦労だった。故郷の木よ、口を開けておくれ」
どんぐりの木は大きく揺れて、後ろに隠していたものを見せた。人工的な丸い岩だった。
びっくりした。ばあちゃんが樹の声を聞く巫女なのは知っていたけど、まさか木が動いて言葉に従うなんて!
「転がしてごらん」
ばあちゃんに言われて押してみると、塞がれた洞窟の入り口だった。
「ここはお前が母さんのお腹にいた頃、アキラと私と三人できた。ランタンをつけなさい、入るよ」
なんとか立って歩けた。奥まで進むと、広い空間になっている。
水が溜まっていて、そこで行き止まりになっている。何か黒いものが沈んでいた。
木の幹?……いや、この形は。
「丸木舟! 5,000年、いやもっと古いかもしれない。だとしたら新発見だ!」
「7,300年ほど昔のものだとアキラは言っていた。炭素14年代測定法で検査をしたから間違いない。この絵もその頃のものだそうだ。」
ランタンの明かりに洞窟の壁が浮かぶ。大きな7本の木の絵だった。
「そんな! ラスコーもそうだけど、洞窟壁画はみんな動物か半人半獣の精霊の姿がほとんどだ。植物画なんで聞いたこともない。これ、世界樹なのかな?だけど世界樹の概念は、北欧から中国までの西の文化のはずなのに……」
下の方に何か記号のようなものが書かれてあった。
「扶・桑・樹……漢字?」
7,300年前の壁画に漢字! 最古の甲骨文字だって、3,500年前のはずなのに。
さらにその左側に、続く縦に並ぶ文字列は……
「ひらがなと漢字、コレ日本語じゃないか!」
あまりの驚きに我を忘れて、僕はばあちゃんがそっと洞窟を出て行ったのに気づかなかった。
「ええと、なになに?……『202年10月1日、20歳の僕へ。今日君は、ナミとオカの伝説にある“救い主”となるため、縄文時代に旅立つ』はあ? なに言ってるのこれ!」
――タイムパラドックスを避ける為に詳しくは書けないが、鬼界アカホヤ噴火をさけて、君は7本の御神木で作った丸木船の帆船に二つの集落の全島民を乗せ、鹿児島からチマシー族の住んでいたチャンネル諸島まで送り届けることに成功する。
大変ではあるが必ずやり遂げられる。ここでこれを書いている90歳になる僕、“チマシー族始まりの100人”の長・棟方七樹が保証する――
なんでここに僕の名前があるんだよー!
(後編)に続きます。