第2話 カリフォルニアの朝(後編)
父さんと僕はお別れの前に、二人で北太平洋横断説を証明しようって計画立てて丸木船を作ってた。
でも船の完成直後、父さんは倒れて入院。あと半年持たないと言われた。
だから僕は一人で丸木舟に乗って帆を張り、鹿児島からベーリング海峡経を超えて、カリフォルニアのチャンネル諸島まで、北太平洋横断説の証明に出発した。
最後は風が吹かなくて、船に座ってパドル漕ぎっぱなし。食料補給の時間も惜しくて、足腰立たなくなってのゴールで、即入院になっちゃったけど、おかげで、父さんの死ぬのにギリギリ間に合ったのだ。
「父さん、ずっと意識なかったのに、僕の『父さんやったよ!』って無線の声聞いて、にっこり笑ったんだって。それからすぐ脳波が止まったって担当のお医者さんが言ってた。父さん喜んでくれたと思う」
「たった二十歳であれをやりとげたんだ。大したもんだよ。パリ五輪の閉会式と重なったから扱いは小さめだったが、サンタバーバラ中大騒ぎだった。お前はチマシー族の誇りだ」
罠を仕掛けた場所について、ロブスターのカゴを引き上げながら、ジェイクおじさんは、僕を褒めてくれた。
「うん、病院でも、知らない人からたくさん声かけられたよ。カークも病院にお見舞いに来てくれた。あんな小さかったカークが、僕より大きくなっててびっくりした。
おまけに消防士になっててもっとびっくり。てっきりおじさんの後ついで漁師になると思ってたのに」
ロブスター・トラップを引き上げ、ロブスターの足をカゴから外しながら僕は言った。
「気をつけろよ。足を折ったら、売り物にならないからな」
「大丈夫、気をつけてる」
僕たちはどんどん引き上げ、中身を船の生簀に移していく。
太陽がもう地平線の上に上がった。空が青さを増していく。今日もいい天気、雲ひとつない。カリフォルニアは地中海性気候で夏は乾季で乾燥するが、冬は雨季で雨が降るはずなのに。
「もう10月で雨季に入ったのに、雨が来ない。今年は6月から雨が一回も降ってないんだ。そこに偏西風による北西の風が吹き下ろすから、山火事がとんでもない規模になる。すべて異常気象のせいなんだ。
消防士たちは、疲弊しきっている。カークが消防士になったのだって、人手が足りないから、インディアンでも雇ってもらえたからさ。
地球温暖化で世界が滅びようとしてるってのに。全く、Mr.Tのやつ、あの時死んでりゃよかったんだ」
7月、Mr.T大統領候補の暗殺未遂事件が起きた。あれで民主党はMr.Tを攻めづらくなって、一気に共和党を勢いづかせた。11月、彼の再選は確実そうだ。
アンチ多様性、アメリカ・ファーストで自国の利益優先のMr.Tは地球温暖化になんて気にとめてない。災害対策にお金を回さなくては温室効果ガスは減るどころか増える一方なのに。
「よし、これで終わり」ジェイクおじさんが言った。
「え、コレで終わりなの? 少なすぎるよ。レストランだけでなく、今日から10月恒例のシーフード・フェスティバルにも出店するんでしょう」
「レストランは8月に閉店した。オーナーが歳で後継がいなくてな。だからカークも諦めて消防士になったんだ。フェスティバルが終わる来月、船も売るつもりだ。」
「そんな。カークがやらないなら、僕にやらせて! この辺はスキューバーダイビングの有数な観光地だ。僕、潜りは得意だしダイビングの資格も持ってる。漁師でなくても釣船とか……」
「今海がどんな状態になってるかわかって言ってるのか? 海は死にかかってる。サンフランシスコ湾の魚は高濃度の水銀とPCBに汚染されていて政府が魚を食べるのは手のひらで一回分、妊婦は食べるなと制限を入れる時代だ。
この辺の海だって、釣で大物のバラクーダやソードフィッシュ吊り上げても、シガラテ毒(*注)が心配で食べられないから、捨てるしかない。もう漁師に先はない。サンタ・イネズのチマシー博物館でドルフィンダンスでも観光客相手に踊って、暮らすしかないんだ。
お前は10年前に親父さんの国を選んだ。日本に帰れ! この国にいてもお前に良いことはない」
――僕が純粋なチマシーじゃないから?
鼻の奥がツンとした。涙が溢れそうになる。
「僕、先に帰る」
「ここから泳いでか?退院したばかりなんだぞ、無理するな」
「平気だよ」
僕は岸に向かって泳ぐ。泣くのはいつも海の中と決めている、涙が枯れるまで。
僕は、岸に向かって泳ぎ続けた、海は昔より生ぬるかった。もう秋だしカリフォルニア寒流はいつもは16度くらいなのに。地球温暖化のせいだった。
ジャイアントケルプの間を潜り抜けてるとスナックの袋やペットボトルが流れて来た。釣り糸や捨てられた網も。プラスチックは頑丈で1,000年経っても分解しない。アザラシやイルカが巻き付かれて死んだりする。
――今海がどんな状態かわかってるのか?
僕の大好きだった海はどこへ行っちゃったんだろう? また涙が溢れてきた。
ばあちゃんが教えてくれたチマシー族に伝わる海の古い昔話がある。
ナミとオカの伝説の元になった話だ。
「海がなんでしょっぱいか知ってるかい?
昔、大地と海は夫婦だった。海は大地の上で重なり合い、ひとときも離れることなく、いつも一緒で幸せだった。
なのに神の命令で、大地は陸になり海と離れて陸の生き物を生む事になった。
海はそれ以来ずっと悲しんで泣き続け、すっかり塩辛くなってしまった波で陸地を叩いている。
『帰ってきて。一緒になりましょう』
海はお前の“悲しい”をわかってくれるよ。だから涙は海に捨てておいで」
――一緒になりましょう――
ああ、今朝の夢の中でも誰かがそんなこと言ってたな。
あの女の子誰だっけ?死んだ母さんの小さい頃に似てたけど……。
◇
岸から上がってヘッドベタービーチを歩いてると、観光客らしい女の子が声をかけてきた。
「あの、あなた日本人でしょ?もしかしてパリオリンピックに出てませんでしたか?テレビで顔見た覚えがあるの」
テレビで顔を見た? 多分8月の、『丸木舟でベーリング海峡北太平洋横断』のニュースの時だ。
「人違いです」
そういった時、
「違うって言ってるだろう、すんませんでした」
彼氏らしい男がそう言って駆け寄ってきて、女の子二の腕を掴んで引っ張っいく。
日本アニメのTシャツを着ていた。外したヘッドホンからSNSで人気のアニソンが漏れてくる。
「バカ、あれは日本人じゃねえ、ネイティブだ。顔見りゃわかるだろが」
「えー、でも日本人でもあのくらい日焼けしてる人いるよ?」
「顔の作りが違うって」
“美味しいものが食べたければ日本に行け”は、20世紀から言われていたし、日本のアニメは今世界を席巻している。ボーカロイドのJPOPやアニソン、ネオジャポニズムとまで言われて、今、世界中が日本に恋している。アンケートで日本は世界で最も魅力的な国第一位。アメリカは10位にも入らない。
東の果ての憧れの国……まさに扶桑国だ。
だけど日本の東の果てはカリフォルニアだ。
僕が10年、帰りたくて恋焦がれたのはここなのに。
◇
「おや、帰ったのかい。その顔はまた海で泣いてたね。相変わらずナナキは泣き虫だ」ばあちゃんの言葉に全部流し終わったつもりの涙がまた溢れてくる。
「ジェイクおじさんに日本へ帰れって言われた。僕、好きで日本にいったんじゃないよ。ばあちゃんに行けって言われたから……」
なのに帰ってきたら、そこに僕の居場所はもうなかったのだ。
「わかるだろう? 来月の大統領選でMr.Tが再選すれば、アメリカはどうなるかわからない。先が見えない不安でジェイクはお前を心配してるんだよ」
しばらくばあちゃんに縋って泣いた。僕が泣けるのは、海とばあちゃんの胸だけなんだ。
「泳いできたなら、体の方はもう元気のようだね、それじゃあ今度はこのリュックを持ってばあちゃんに付き合っておくれ」
ばあちゃんは、なぜか新品のリュックを持っていた。父さん愛用のメーカーのだ。父さんから預かっていたという。寝袋と折りたたみのテントまである。どこに行くんだろう?
(洞窟編・前編)へ続きます。
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(*注)シガラテ毒は、珊瑚礁海域の植物プランクトンを小魚が食べ、それをさらに大きな魚が食べて蓄積される。消化器神経系に悪影響を与え、数ヶ月または数週間手の痺れなどの症状が続き、最悪死亡することも。