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第1話 カリフォルニアの朝(前編)

 女の子が切り株の周りを回る。長い髪をなびかせクルクルと。

 ――お母さん元気ですか。まだ待たなきゃダメ? 早く一緒になりましょう――


 ◇

 コツコツ――

 もう朝?なんか変な夢見たな。きついなこのベット、足が伸ばせない。

 あれ……?ここどこだっけ。


 コッコッコッ――

 シミらけの青空と雲の壁紙。ジェイクおじさんが誕生日に貼ってくれた。

 そうか僕は帰ってきたんだ、10年ぶりにばあちゃんの家に。生まれ育ったチマシー族の僕の部屋に。時計は6時、まだ夜明け前だ。もう一度寝よう……。


 コッコッコッコッ―――「ナナキ オキロー」

「うるさい、ククル。窓つつくな、ガラスが割れる」

 ククルは死んだ母さんの飼ってたペットの年寄りカラスだ。オウム並みに喋る。


「僕は昨日、検査入院から退院したばかりなんだ。寝かせろ!」

「ジェイク ウミ イッター。 ロブスター トル、 ナナキー」


 え? ロブスター?


「しまった! ジェイクおじさんと朝イチでロブスター・トラップを引き上げる約束してたんだ。うわっ、寝過ごした」

 僕は慌てて飛び起きて、おじさんのいる船付き場に走った。

 ククルのやつなんでもっと早く起こさないんだよ!


 ◇


 サンタバーバラの船着場、おじさんの船はまだ出ていなかった。 

「おじさん遅くなってごめん、なんで起こしてくれなかったの?」

「おお、来たか。ぐっすり眠ってたし、昨日退院したばかりだから無理させたくなくてな。じゃあ行くか」


 僕が乗り込むと船は出航した。今日から10月。魚は冬が一番油が乗って美味い。

 今日は、夕方に仕掛けたワナを次の日の明け方に引き上げる、ロブスター・トラップでロブスターをとるのだ。


 ジェイクおじさんは死んだ母さんのお兄さんで、一緒に育った従兄弟のカークのお父さん。個人でホテルのレストランに季節ごとの魚を納品している。

 鮮度のいい大物を取れるのは、おじさんがチャンネル諸島の海を知り尽くした腕っこきのチマシー族の漁師だからだ。


 チマシー族はネイティブ・アメリカン。1万3千年以上前から続くアメリカ最古の民族で、領域はカルフォルニアのセントラルコーストから、南のマリブまで広がる270キロを超える海岸線。そしてその沖に浮かぶチャンネル諸島、すべてチマシー族の領域だった。

 アメリカ開拓史の頃、チマシー族の人々は奴隷化され、子供達は強制的に寄宿学校に入れられて、英語以外の言葉を話すことを一切禁じられた。チマシー族の言語は消滅、民族の誇りもその時奪われた。

 もう純粋なチマシー族は、おじさんやカークを含めて100人ほどしか残っていないのだ。


 6時48分、東の山ぎわの稜線に沿って、光のスカイラインが走り、朝日がオレンジとピンクに世界を染めていく。カリフォルニアの朝が始まろうとしていた。


「ねえ聞いて。父さんが言ってたんだけど、アフリカ生まれの人類は7万年前、寒期で陸上に食べ物がなくなった時、変化が少なかった水中の生物をとって食べることで生き延びたんだって。

 そうして6万年前、遂に水の流れ(青いハイウェイ)に沿って獲物を追い、人々は移動を開始した。人類大移動(グレートジャーニー)が始まったんだ。

 人類は『ホモ・サピエンス(人間・賢い)』じゃなくて、『ホモ・モビリタス(人間・移動する)』。移動することで、変化する環境に適応して利口になっていったんだ。

 聖書に出てくる、世界の民の祖先と言われるノアの三人の息子たちの名は、セム(サァーニー・褐色)ハム(フーム・黒色)ヤフェト(ヤーフェト・白色)

 始まりの地のアフリカ大陸に黒人(ハム)。ユーラシア大陸を西に向かった白人(ヤフェト)。東に向かったのは褐色人(セム)。聖書のアブラハムを産んだ褐色人(黄色人種)は一番増えてユーラシア大陸を東へ進み、その端で中国文化を産み、更に東の果ての島の日本まで到達して縄文人、つまり日本人の祖先になったんだよ。


 セムの子孫たちはさらに東を目指し、ついにアメリカ大陸に到達。わずか1000年で北のカナダからから南のパタゴニアまで、到達してしまう。

 その船によるルートは二つ。南の島つたいに星を見ながら進む『南太平洋・ポリネシア横断線』とケルプハイウェイに沿って陸地に沿い進む『ベーリング海峡・北太平洋横断線』。(*注)縄文人の移動の軌跡を追うのが父さんの研究テーマだった。父さんは北のコースが最も可能性が高いと信じてそれを証明したがってたんだ。

 魚を食べ、船に乗った人類は1万3千年前、日本から島つたいに海を渡って、カリフォルニアのチャンネル諸島に到達。それが今のチマシー族のご先祖。

 石器の形もDNAも、どんぐりを食べる食性も似てる。父さんは縄文人が船に乗っ

 て旅してカリフォルニアに到達し、チマシー族になったと確信してた。

『日本人の祖先とチマシー族は同族だ。だから父さんと母さんが惹かれあったのは当然なんだ』っていつも言ってたよ」


 太陽が半分上り、下半分はまだ山の影。空の色がオレンジから、だんだん薄い青のグラデーションに変わりだす。


「やがてユーラシア大陸の東の果ての中国で、不思議な伝説が生まれた。

 中国の東、黒歯国の北に湯谷がある。煮えたつ海の中で、10の太陽が水浴びをしていて、そこから日が昇る。その上には高さ300里の巨木が立つ。その木の名からその地を扶桑国とよぶ。(史記巻114「湯谷」)

 東の果ての、太陽が生まれ巨木の守る不老長寿の神仙境「扶桑国」。

 秦の始皇帝が、徐福に命じて不老長寿の薬草を探しにいかせた蓬莱山は、扶桑国の別名なんだって。


 巨木伝説は特に父さんの生まれ故郷の九州に多い。石炭の元になった化石木のメタセコイアがたくさん出るから、それが扶桑樹だと思ったんだね。やがて扶桑は日本の別名になっていく。日本人は、日本こそ東の果ての憧れの扶桑国だと信じてたんだ。

 日本では神様を数える時、“一柱の神”って数える。神様は巨木を依代にして宿ると信じられていて、御神木には神を寄り付かせる木守りの巫女がいた。チマシー族の樹の巫女のルーツはきっとこれなんだよ」



 船の作る波が2本、白く広がってついていく。

 おじさんはちょっとうんざりしたような顔をしながらも、10年ぶりの僕のお喋りを聞いてくれていた。もうじき、最初のロブスタートラップを沈めたところに差し掛かる頃だ。


「話はまだ続きがあるんだ。日本からの北米大陸への移動は、一度や二度じゃなかったんだよ。北米インディアンのイロコイ族の口実伝承でも、日本海としか思えない海の伝説があって、そこから自分たちはやってきたと言ってる。

 だから父さんはチマシー族に伝わる『ナミとオカ・始まりの100人』の樹の巫女の伝承は間違いなく本当のことだと確信してたんだ。」



 ――オカとナミは、樹の巫女の母娘。新天地を求めて東へ旅だった母と別れ別れになっても、互いに転生を繰り返しながら、何千年もの間太平洋を挟んでずっと魂で呼び合っていた。


 やがてナミの国の御神木が、「海が沸き、火の柱が立ち世界が滅ぶ」と告げ、娘のナミの救いを求める声に呼ばれて、母のオカの国から救い主があらわれた。

 七つの御神木を切り倒して七つの巨大な船を作り、ナミのいた村人全てを乗せて、オカのいた約束の地に連れて行った。 

 これがチマシー族に伝わる“始まりの100人”と呼ばれる伝説である。



「その海底噴火が、7300年前に父さんの故郷の鹿児島県の屋久島と種子島のそばの海底で実際に起きた『鬼界アカホヤ噴火』。これにより日本で最も古い縄文集落・上野原集落は火山灰に埋もれて滅びた。

 父さんはこの発掘から出た品を見て、これほどの文明が滅びるわけがない、きっと逃げ延びた人たちがいたはずだと信じた。そうして世界中回って縄文人の痕跡を探すのが、父さんのライフワークになったんだ。凄いでしょ」


「1万3千年前の縄文人とチマシーか。お前の親父さんのアキラの話は相変わらず浮世離れしている。そこがいいんだって、お前の母さんのマリンは言ってたが、俺としては日本人よりチマシーの男を選んで欲しかったよ」

 

 ――これを言われると辛い。叔父さんは母さん似の僕が、日本人とのハーフなのが嫌なのだ。

 死んだ母さんもばあちゃんも、チマシー族の樹の声を聞く巫女だ。樹が教えてくれる未来を皆に伝え、たくさんの人を救ってきた。

 ばあちゃんは、樹の教える未来で父さんの命が後10年しかないのを知り、「親孝行しておいで」と言って、10年だけの約束で僕を父さんに預けた。

 ジェイク叔父さんは怒ってばあちゃんと大喧嘩をし、カークも縋りついて泣くなか、「10年経ったら必ず帰るから」と約束して別れたのだ。


 日本も父さんも大好きだったけど、僕の心にはいつも故郷、チマシー族の住むカリフォルニアがあった。そして10年後、約束通り僕は帰って来た。


 でもそれは、父さんの命と引き換えの帰還だった。

 10年め、ばあちゃんの予言通りに、父さんは癌を宣告されたのだ。


(後編)に続く。


 *******

(*注)人類の北アメリカへのルートは、長らく氷河期のベーリング海峡がつながっていた頃とされていたけれど、丸木船で陸沿いを進んだケルプハイウェイ説が近年新説として浮上し、支持されています。


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