第31話 大会に掛かるキッチュな罠#4
「そうだな、行ってもいいけど……俺としては、ここでトイレを我慢して悶えるルカの姿をぜひとも見てみたいかな?」
変なことを言いながら、突然現れた例の男。無礼なやつ、助けてくれたのに、よくわからない、僕におかしなことをした、そう、フィロと名乗る男ーーーーーの登場を認識した瞬間、ルカの胸元は急激に熱を帯び、キシキシと痛み始めた。
「………………っ」
それはつい最近抱いた痛みと同じだ。そしてこれは、目の前にいる男にしか解除できない痛みだ。ルカはもう知っている。
地面に這いつくばり、顔を辛うじて首元から上げ、急な発熱により潤み始める瞳と食い縛った歯の隙間から漏れ出るは短く荒い吐息。
キッと睨みつければ、奴は鉄柵の向こう側で嬉しそうに身震いした。
「へ…………んた、い」
「ありがとう、それは褒め言葉だ」
ああ、変態だ。気持ち悪いなー。そしてこの男に助けを乞うしか選択肢がない現状も、気持ち悪いったらありゃしないなー。
ぼーとし始めた頭に自動でたれ流れる現在の感情、そんなことを考えている場合じゃない!と自身を仕切り直すのにはそれなりの時間を要した。
「ここか、ら、出して……!」
パチンと奴が指を一度鳴らした直後、口の自由を憚っていたものが取れた瞬間、ルカは振り絞るように頼んだ。しかし、相手はゆっくりと首をかしげるとこう返答した。
「なぜ?」
予想していなかった返答に言葉を反復してしまう。
「なぜ……って?」
「なぜルカは外に出たがっているのかな?」
「そ、それは……早く出てソフィーさん達に、あっ、そうだ、早く出て悪巧みされてることを教えなきゃ」
「悪巧みって試合のこと? それならもう手遅れだけど」
「手遅れ!? 手遅れってどういうことだよ!!」
目を見開き、慌てた様子で突っかかるルカに向かってフィロはもう一度指を鳴らした。パチン。すっと気だるさと鈍い胸の痛みが引いていく。それから、パチン。今度は見開く目の前にガラスの球体のようなものが現れた。視線が自然と球体を覗きこむ。
「こういうこと」
その中の様子にますますルカは目を見開く。口はわなわなと波打ち、声も出ない。
映り出されたのは、レチア組合の窮地だった。
約一時間前。
ソフィーの鞄がいつの間にか失くなって、あれから組員は必死に探した。中には魔物を呼び出す煙玉に干したヤモリといったどこにでも手に入るものから、高価な鉱石を使った杖やインキュバスから奪った滋養剤など二度と手に入らないかもしれないアイテムまで、必要で大事なものが盛り沢山であった。鞄の中で大半を占めていた魔力増幅のためのアイテム達を失ったことは特に、ハーフデッドのソフィーにとって痛手であった。
「魔力を込めた札で開かないようにしてるし、中身が盗られる心配はないと思うけど……くそっ、誰よ盗った奴!!!!」
「にしても、この前の財布といい、ついてませんね」
「ホントにそれ、しかも試合でもうすぐ呼ばれるってのに!! このままじゃ、アタシもヨークも暴れられないぃぃぃぃぃぃぃ」
「あーそこなんですか……」
「アタシ達の分まで楽しんでね、リース」と本気で羨ましそうに見てくる組長に対し、「あーはい」と遠い目をするリースは呆れている様子であった。そんなリースにいつの間にか帰ってきていたヨークが報告する。
「……ルカ、いない」
「ヨークでも見つけられないなんて」
一体どこへ行ったのだろうか。鞄が簡単に見つからなかったことからも不安がよぎる。
「なんか試合のことで落ち込んでたし、どっか逃げちゃったんじゃないの? ネコちゃんもいないし」
ソフィーはそう簡単に言い張るが、果たして事態はそんなに単純なのだろうか?
「私、やっぱり魔法でルカ達を探して……」
そうリースが言いかけた時、室内にアナウンスが流れた。
「次の試合は、レチア組合対ーーーーー―」
そして今。
リースは後悔していた、事態を甘く判断し過ぎていたことを。
「まさか、対戦相手に手も足も出ないなんてっ」
今までこんなことは無かった。大抵はソフィーさんの魔法で強化されたヨークが先人切って敵に攻撃し、そのサポートを自分がすればいつの間にか勝っていた。今まで参加した大会ならいつもいつの間にか優勝していた。今回もそんな感じだと思っていた。毎回ソフィーさんの軽口や大口発言をたしなめながら、結局のところ自分もそう思っていたのだ。楽勝だって。だからルカのことも本気で探さなかったのだろう。でも今は本気で心配している。あの時、探しておけばよかった。どう考えたって、現状、敵が何か仕組んでいる。
リースはそう思いながら、敵側にいる、ガラの悪そうな敵集団から完全に浮いている黒マントの召喚師を見ていた。彼は今回雇われたに違いない。そして、こちらのことをよく知った上で戦っているに違いなかった。
「くっ、アタシの魔力は使えない量、よってヨークは覚醒できない役立たず。リースの魔法頼りで出場してみたら、敵さん召喚師雇ってて、でも下位召喚の喚起だからどうにかなるかと思いきや、大量の燃え上がるヒヨコを呼び出してきて、炎使いの魔術師リースの攻撃が効かない。そして今はアタシの防護魔術で何とか耐えてる状況とかゆう悪夢……こりゃ完璧ハメめられたわね」
苦しそうに顔を歪めてソフィーはそう笑いながら言う。これはもういつまでこの防護魔術が維持できるのかあやしい。しかし、現状を打破する策が思い浮かばない。
ピヨピヨ、ピヨピヨ、ピヨピヨピヨピヨピヨピヨ
騒がしいヒヨコたちが自身の体を燃え盛りながら、ソフィーたちを守る防護壁を突き続ける。この防護壁が破れたらどうなるか想像が簡単についてしまう。死ぬのもありなこの大会、死なないためにはそろそろリタイア宣言するしかないようだ。
「悔しいけど、ここまでですかね」
あの召喚師さえどうにかできればこの大量のヒヨコも消えて事態は好転するのだが、どうにもできない。そう思いながら敵の召喚師を見た時、彼がまた何かを呼び出しているのが見えた。こんな圧倒的な試合に一体まだ何を呼び出すというのか。それにしても、
「召喚用の陣を描きながら、ルカみたいに詠唱するって珍しい召喚方法ですよね」
もう諦めきった顔でそうリースは隣にいるソフィーに話しかける。
しかし、ソフィーはそんなことは最早どうでもよかった。そんなことより、だ。
「嘘でしょ……アイツ、この大量のヒヨコを生贄に上位召喚しよって気なのっ!!!!?」
ソフィーが事態に気づいた時、もう手遅れであった。なぜなら、もう召喚術は完成してしまったからだ。
「雇い主のおっちゃんにはこてんぱんにブチのめせって言われてるっすからね、悪く思わないで欲しいっす。行くっすよぉぉぉぉぉぉぉベルゼブブ召喚!」
詠唱のフィナーレ。そう叫んだ敵の召喚師の声より、黒いマントの中身は“彼”というより幼い“彼女”のようだ。