第29話 大会に掛かるキッチュな罠#2
グシャリ――
8センチのピンヒールが草の生えた土を容赦なく踏みつけた。彼女が歩いた後に続く跡と同様のものが、また新しく加わる。間髪いれずにもう一つ追加。左足を強く前に出した勢いで彼女は右手を空へと突き出し、声を大きく吐き出した。
「先手必勝っ!
“子供が笑う 丘の上で笑う 見えし世界は 最悪の楽園 災厄の女神が 歌う鎮魂歌”
今、求めるは弾丸。
願いしは光の精霊の助力。我の考えを実行したまえ!!」
彼女がそう言うや否や、青い空がチカチカと光る。いや、正しくは空が光っているわけではない。空に現れた無数の小さな固形物が太陽の光を反射し、光っているのだ。突如現れたそれらは、当然彼らに出現を察知する時間を与えない。空間で一息つく間もないまま真っ直ぐ降下し、対戦相手のもとへと……
「いやー、やっぱ楽勝だわ! みんなザコばっかで、笑いが止まんないわっ」
そう言いながら豪快に椅子へと持たれこむソフィーは、確かにトーナメント参加以来、その笑った口を閉じたことがない。
「ソ、ソフィーさん、さすがにここでそれは……」
「え、なに、ルカ君? 何か言った?」
ルカの小さな注意は、その大きな笑い声でソフィーの耳にも届かなかったらしい。
「い、いえ……何でも……うっ」
届かないなら言ってもしょうがないと、目線をソフィーから周囲にちろりと向ける。そしてすぐに目が合う、すごい剣幕で睨みつけてくる何十個もの対戦相手達の瞳。目を向けなくても背中に突き刺さる視線は痛くてたまらないのだから、わざわざ自ら見なくてもいいのに。
リースとヨークは慣れているもか、全く周囲を気にする様子はない。ニコはニコだから気にしているはずもない。
「う……う……僕っ、ちょっとトイレ行ってきます!!」
一人耐え切れなくなり、ルカはそう勢いよく伝えると逃げるようにその場を離れた。控え室の扉から通路へと出て、ひたすら右へと進む。トイレの場所など知らない。というか、そもそもトイレに行きたいわけじゃないから見つからなくたって構わない。
(トイレ、トイレって、そういや今だにどっち入ればいいか、悩むんだよなー)
周囲の目線から逃れることができて、思考は別のことを展開し始める。
(てか、また今回も何もできなかった……)
今回、今回も――――大会2日目の試合も、我らがレチア組合は相手チームに圧勝し、ルカは何一つできずに後方でビクビクと突っ立っていた、まる。
この状況について別に誰かが責めているわけではない。勝手に焦って落ち込んでいるルカに対し、リースは「次、がんばりましょう!」と励ましてくれて、ヨークはぽんっと肩に手をおく。ソフィーに至ってはこのことを煽るわけもなく、今の所、珍しいことに触れてもきていない。
ならば、ルカが気にする必要なんて何もないわけなのだが……が、仲間が何も言わなくても、他が言うこともあるのだ。
『さあ、今回もレチア組合のボロ勝ちだ! 秘蔵っ子召喚師は今日も出るまでもなかった。いったいどこのチームが彼女を動かすのか!! いやー、次の試合も楽しみでございますね!』って煽ってくるのは試合実況者のおっちゃん。観客もその言葉に盛り上がる。
『今まで突っ立ってるだけだし、そもそも召喚師っていうのが嘘なんじゃないのか?』って疑いの目を向けてくるのは負けたチームをはじめ、観客にもそこそこいそう。
「……後者ですよ、うわーーーーーーーーーん!!」
そんなことをもわもわ考えて突っ走っているうちに、前方不注意でガツンっと柱に激突。「イテテテ」と反動で尻もちをついて顔を上げてみると、全く知らない所にいつの間にか来ていた。さっきまでちらほらいた人もいない、オレンジ色に輝く昼下がりの日差しが建物の隙間から差し込むだけの静かな空間。
(だいぶ移動してきてしまったのか)
来た道でも引き返そうかと立ち上がりかけた瞬間、ふと煙草の臭いに気付いた。
そして、この場所にいるのはルカ一人じゃないことにも気づいた。
ルカがぶつかった柱と対角線上にある、むこうの柱になんだか大きな影。そして揺らぐ煙の跡。
人がいると認識した瞬間、聞こえてきたボソボソの話し声…………あ、聞いたことがあるこの声、
「いいか、次が奴らとの対戦だ。正直、今までの試合を見て手強いことはわかる。正攻法じゃ負ける可能性だってあるかもしんねー。
だがな、ここで負けるわけにはいかねーんだわ」
静かだが、周りにいる仲間たちの脳心によく響く声は、特に最後を強調した。スティグリーの何時に無く真剣な雰囲気に飲まれ、いつもは騒がしい奴らも黙って目で頷く。
「今回だけはこっちも召喚師さま様を雇ったわけだが」
そう言いながらスティグリーは自分から一番遠い、仲間たちが座る集団から一歩離れた場所で突っ立つ黒い大男に一瞥をくれる。胡散臭く全く信用出来ないが、この手の金のやり取りだけは正直であるとスティグリーは経験から知っている。この召喚師を雇うのにそれなりの金を払った。一矢報いてくれると考えている。
「だが、初っ端から奴に頼るつもりは全くねぇだろ、なぁお前ら!」
少し語尾を強くし、右手の拳を突き上げてみろ。ほら、必死に黙っていたならず者たちが我慢できずに飛び上がる。
「おう、もちろんさスティグリー!!」
「俺達には俺達のやり方があるさっ!!」
「俺達でアイツらブチのめしてやろうぜ!」
次々と上がる威勢のいい声は一気にその場を震わした。これだ、これである。先日の野郎に敗けて以来、失われていた威勢の良さが戻ってきている、いい調子だ。
「そこでだ……おい、セルジ」
スティグリーがそう呼ぶと、セルジがニコニコ顔で荷物を持ってくる。
「バッチリだぜスティグリー! 盗むのもチョロすぎたわ」
ごとり
真っ白な床に放り出されたもの。
そのある一定の大きさに、見覚えのある形に、遠くから誰の声かも確信も掴めず眺めていたルカは驚いた。
「頼まれてた通り、あの女のカバン盗んできてやったさ」
そこには、ソフィーが持ち歩いているケースがあった。
「あの女は間違えもない半人間だ。
このケースの中から取り出す魔具が無けりゃほとんど何もできねーはずさ。
そんで、あの金髪の女は見たとこただのお飾り……勝ったらアイツらまとめて相手して遊んでやろうぜ」
最後のニヤリとした笑いに周りは同じくニタニタと笑い、騒がしく陽気な空気が広がっていく。
最後のニヤリとした笑いに先日の悪夢がフラッシュバックし、耳にした言葉に異常事態を察知し、震えだした足で、早くこの事をソフィーさん達に伝えなきゃと思う脳に、二つの動作に応えるようにルカは元居た場所へ帰ろうとふらふら体を翻した。
だが、
残念なことにそれは叶わなかったのである。
ゴンッ
頭に鈍い痛みが走ったと思う間もなく、ルカの視界は真っ暗になっていた。