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そして君は明日を生きる  作者: 佐野零斗
第五章『天道教 vs 東商討伐士』

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第七十六話『屍の上に立つ巨像』

 場面は移り変わり、別の戦に。


 空気は濁っていた。鉄と血と焦げた肉の匂いが、肺の奥にへばりつくようにまとわりつく。地面はもはや土ではなく、踏み固められた血肉と破片の混合物と化し、足を乗せるたびに鈍い感触が返ってくる。


 崩れた建造物の残骸、砕けた武器、焼け焦げた衣服。その全てが無秩序に散乱し、戦場というよりは“処理場”に近い光景だった。


 そしてその中心に──異様な静寂を纏った存在があった。


 数々の屍の中に、巨体が立ち尽くしていた。傷も負わず、返り血を浴びて。絶対的強者の立ち姿で。その肉体は常識から逸脱している。筋肉の一つ一つが鋼のように隆起し、皮膚の上を流れる血がまるで装飾のように映るほど、余裕があった。


 息一つ乱していない。

 戦いの最中にある者の呼吸ではない。それは、ただの“作業”を終えた者のそれだった。


 そして今、最後の希望であった隘路が血だらけになり崩れ落ちた。最後まで大健闘をしていたが、肋や腕足の骨が折れ、立ち上がることすら出来ない最悪な状況に。


 地面に叩きつけられた衝撃の余韻が、まだ体の奥で鈍く響いている。視界は赤黒く滲み、呼吸のたびに胸の奥が裂けるように痛む。


 それでも、彼はまだ意識を手放していなかった。


「────ここまで、とはな…。俺の熱量と根性をもってしても…かすり傷すら付けることが…出来なかった。……貴様は、何を目指して戦っている…。」


 薄れゆく意識の中、半目を開けながら意識をなんとか保ち続けて、見上げる巨体に問いかける。


 焦点の合わない視界の中でも、その巨体だけははっきりと輪郭を持っていた。あまりにも“違いすぎる”存在だからだ。


 巨体はにやりと不敵な笑みを浮かべ、答えた。


「目指してるモン?そんなのねェよ。今の俺にあるのは、天道教の教えに従い、人間を大量に殲滅するという使命だけだ!!この恵まれた体格を活かして戦うのが、最高に気持ちいいんだよ!!だって、どいつも俺に勝てねえからな!!はっはっは!!!」


 巨体の魔王は高らかに笑う。

 その声は空気を震わせ、地面に転がる屍の上を波のように伝播していく。笑い声ひとつで圧がある。存在そのものが暴力だった。


 その光景を下から見上げる隘路は、もう戦う勇気も、元気すらも残っていなかった。残っているのは、死が近付いている感覚と、自分から流れ落ちる血の感覚と匂いだけ。温かいものが体から抜けていく感覚。寒さが、じわじわと内側から侵食してくる。


「ははっ…お前…相当イカれてるな。目的もなく…俺達を皆殺しにして…そんな笑えるなんてよ…。」


 唇の端から血を滲ませながら、それでも笑う。

 それが隘路という男だった。折れてなお、心までは折れない。


「…いいかタンクトップ。一個教えといてやるよ。…世界の頂点に立つ強者ってのは、全員イカれてるぜ。俺が勝てなかった強者も、皆何処かがイカれてた。お前は、確かに根性はあったが、イカれてなかった。まだ平常心があったんだよ。……だからテメェは俺に負けた。」


 隘路を上から見下ろし、最後のトドメを指す寸前。

 その言葉には皮肉でも嘲りでもない、純粋な事実としての響きがあった。


 狂気に踏み込めるかどうか。それが境界線だと、巨体は語る。隘路は最後の力を振り絞るも、体が動かず、万事休すの状態だった。


 指一本すら動かない。脳は命令を出しているのに、身体が応えない。


 それでも、視線だけは逸らさない。


「くそ、俺はつくづくタイミングが悪いな。死ぬ寸前になって、俺がずっと追い求め知りたかった強者の特徴を聞くことになるとはな…。…屈辱的さ。…殺すなら殺せよ。もう未練もねえ。俺は、よく戦ったさ。」


「……いいねェ。その威勢。俺はテメェみてえなのは嫌いじゃねぇ。隘路っつったか?一発であの世に送ってやるし、テメェのことは忘れねえでいてやるさ。少なくとも、この戦が終わるまではなァ!!」


 "ここまでか"

 死を覚悟し目を瞑る。

 巨体が足を上げて思い切り踏み潰そうとしていた。


 その足は、ただの踏みつけではない。大地を砕くほどの質量と速度が乗っている。直撃すれば、肉体は形すら残らないだろう。


 その瞬間──風が裂けた。


 鈍い空気の流れが変わる。戦場の淀みを切り裂くような、鋭い気配。


 そこに現れたのは────


「────っ、…な、なんだ。…ここは。」


 深海が目を開けると、そこには巨体。ベンケイが立っており、足元には血まみれの討伐士たちが散乱していた。


 状況を理解するより先に、嗅覚が現実を叩きつける。鉄臭さ、焦げた匂い、死の気配。

 そして視界の中心には、圧倒的な存在。


「────君はっ…深海…か。…早く、逃げ…ろ。こいつは…異質だっ…、皆と、次元が…違う…。」


 途切れ途切れの声。それでも警告だけは伝えようとする。その必死さが、どれほどの相手かを物語っていた。


「チッ、来やがったか雑魚が。はあ、卿が冷めた。派手に殺してやろうと思ったが、ボウズの顔を見たらそんな気も失せちまったよ。…よく考えてみたらこいつは所詮、情熱と威勢が良かっただけのタンクトップ坊主だったなァ。俺と殴り合える気合いが入った唯一の奴だと思っていたが、どいつも期待外れだった。改めて、死ね。」


 衝撃が戦場に走る。倒れる討伐士の中に、ランキング三位の隘路が、血だらけで倒れていた。その隘路を踏み潰そうとするベンケイに対し、深海は間一髪で割って入る。


 踏み下ろされる直前、その軌道に身体をねじ込むように滑り込む。地面を削る音と同時に、巨体の足が止まる。


「…おい、ベンケイ。その汚ねえ足をどけろ。」


 低い声だった。だが、その奥にあるものは明確だった。怒りだ。


「……ぁ?誰に向かって口聞いてんだ、ボウズ。あん時みてえにまた俺にボコられてえのか?だったら後で───」


「聞こえなかったか?その汚ねえ足を、隘路さんから退けろって言ったんだよ。デカブツ。…オレが来たからには、隘路さんは殺させねえ。今度はオレが相手だ。クソ木偶の坊。」


 空気が変わる。

 先ほどまでの“処理場”の空気ではない。明確な殺意が、空間を塗り替える。


 足を寸前で止め、矛先が深海へと移る。

 巨体の視線が落ちてくる。それだけで圧がかかる。それでも、深海は一歩も引かない。


 深海の目には、断固たる覚悟が見えていた。


「ほぉ?言うようになったじゃねえかよ、ボウズ。丁度いいぜ、このクソ雑魚どもじゃ退屈してた所だ。俺は一番、テメェをぶちのめしたかったからよ。今回で、全て終わりにしようぜ。クソガキ。」


「こっちのセリフだ。オレの大事なもん次から次に奪いやがって。……この機会をずっと待ってたぜ。…テメェだけは、嬲り殺してやる…。」


 深海の目は殺意と憤怒で燃え、ベンケイはその目を嘲るかのように見下ろしていた。


 空気が張り詰める。

 次の瞬間、どちらかが動けば──世界が再び壊れる。


「…やめろ、深海。こいつは…俺を含めた数百人の討伐士を相手にし……かすり傷ひとつ付かない化け物だぞ。…俺ら討伐士は、一瞬にして壊滅状態だ。悪いことは言わない…蓮を探し出して……相手を…」


 血に濡れた大地が、ぬかるみのように重く沈んでいた。踏みしめるたびに、ぐしゃりと嫌な音が鳴る。倒れ伏した討伐士たちの身体は、既に動かず、ただそこに“結果”として転がっているだけだった。


 その中心で、かろうじて意識を保つ隘路の声は、戦場の喧騒にすらかき消されそうなほど弱々しい。それでも彼は、目の前に立つ少年を止めようとしていた。


 その言葉の裏には、確信があった。

 “勝てない”という、戦場において最も残酷な真実。


「───隘路さん。あなたは今から、このカエリ玉で討伐士本部まで戻らせます。本部まで戻ったら、治癒術士の治療を受けてください。」


 だが、その絶望を真正面から切り裂くように、深海の声は静かに、しかし確固たる意志を帯びて響いた。


 恐怖はある。理解もしている。

 それでもなお、彼の足は一歩も退かなかった。

 風が吹く。

 鉄の匂いを孕んだ生暖かい風が、深海の頬を撫でた。


「……深海、本気なのか。本気でベンケイと戦う気か。…正直、勝てる確率は数パーセント、ボロボロにされて死ぬのがオチだ…。」


 隘路の言葉は、ただの脅しではない。

 実際に、ここに転がる屍がそれを証明している。

 数百の命が挑み、そして無意味に散った。


 だが──


「だからって、逃げる訳にはいかないんですよ。確かに、蓮に頼めば、勝つ確率は上がるでしょうが。…ここで逃げるのは、俺のプライドが許さないんです。…特にコイツは、俺の大事なものを二つも奪った張本人。…許すわけにはいかない。…だからこいつを、オレが倒すことに意味があるんです。」


 その言葉と共に、深海の瞳に炎が灯る。

 怒り。憤り。喪失。

 それら全てが混ざり合い、純粋な“戦う理由”へと昇華されていた。


 彼の中で、もう逃げるという選択肢は消えている。


「……深海。」


 隘路は、それ以上何も言えなかった。

 止める資格が、自分にあるのか分からなかったからだ。


『…まずいな…ベンケイと隘路さんの距離が近い。これじゃあカエリ玉を使っても、ベンケイまで本部に戻しちまう可能性もある。…仕方ない。』


 思考が加速する。

 状況を一瞬で把握し、最適解を導き出す。


 そして──


「───っ!この蹴りで、少しだけでも下がってくれ!」


 地面が爆ぜた。

 深海の踏み込みは、まるで弾丸のように加速し、その身体が一瞬で宙を切り裂く。


 空気が歪む。

 風が追いつけない速度で、回し蹴りが放たれる。


 鈍い衝突音。


 ベンケイの巨腕がそれを受け止めるが、その巨体がわずかに後方へと滑った。

 大地に刻まれる足跡。

 その一瞬の後退が、戦場の均衡を崩す。


「っ…不意打ちとはな、ボウズ、中々やるじゃ…」


 だがその言葉が終わる前に──


「よし今だ!!カエリ玉ぁ!!」


 深海の腕がしなる。

 放たれた小さな球体が、一直線に隘路へと向かい──


 次の瞬間、光が弾けた。


 空間が歪み、隘路の身体が掻き消える。

 戦場から、完全に消失した。


 成功。

 その事実を確認するより早く、深海は再び前を向く。

 そこには、口元を歪めて笑う巨体がいた。


「───は?ふっはははは!!こりゃ驚いたな。今の一瞬で本部っつう場所まで送り返されたってのか??テメェら討伐士も中々面白えこと考えやがる。まぁ、ビビりのテメェらに相応しい道具だな!!はっはっは!」


 嘲笑。

 だがその奥に、ほんの僅かな興味が混じっていた。

 深海はそれを見逃さない。


「…今蹴ってみて分かったよベンケイ。────俺は、お前に勝てる。お前は確かにデケェし、パワーもケタ違いだが。お前は俺に、スピードで勝てない。」


 静かな断言。

 だがその言葉には、確かな手応えがあった。


 空気が張り詰める。


「確かにテメェの蹴りは想定以上だった。まさかこの俺様が少し後退させられるとは思わなかったぜ。……だが、俺の体に受けたダメージは0だ。テメェの蹴りは、単なる衝撃が来ただけに過ぎなかった。2発目は当たらねぇぞ。そんなヘナチョコキックしか飛んでこねえなら、俺に勝てねぇ─────」


 言葉の途中で空気が裂けた。

 “見えなかった”。

 ベンケイの視界から、一瞬で消えた深海の姿。

 そして次の瞬間、顔面に衝撃が走る。


「────ぐはっ…!」


 巨体の頭部がわずかに揺れる。

 だが、傷はない。


 それでも──

 “当たった”。

 その事実だけで、戦場の空気が変わる。


「────ならついてこいよ。俺の速さにな。」


 深海の声が、背後から響く。

 ベンケイの目が細くなる。


「…っ、あまり調子に乗るなよ、クソボウズが!!」


 次の瞬間、巨大な腕が振るわれた。

 だがそれより速く深海の足が掴まれる。

 完全に捉えられた。


 そして──投げられる。

 身体が宙を舞い、視界が回転し、次の瞬間、地面へと叩きつけられた。衝撃が全身を貫く。


 骨が軋み、内臓が揺れる。


「いってえ…、こいつ…蹴り喰らったあとなのに怯みもしねえじゃねえか…。どんだけタフなんだよ。」


 瓦礫の中で、深海は歯を食いしばる。

 呼吸が乱れ、視界が揺れる。


「おいおい、もしかしてもう終わりって言うんじゃねえだろうなァ。あんだけ俺に喧嘩を売ってきたんだ。こんなんで死んだら許さねえぞ。」


 見下ろす声。深海は、ゆっくりと立ち上がる。全身が悲鳴を上げている。筋肉が裂けそうになり、骨が軋み続ける。それでも、彼の目は死んでいなかった。


「まだ勝負は始まったばっかりだろうが。…こっからは、本気で行くぞ!!」


 一直線に地面を蹴り、剣を振りかぶり、全力で振り抜く。


『……よし!避けてる様子はねえ…!これで斬れ───』


 確信していた。はずだった。


 次の瞬間──

 剣の動きが止まった。まるで、鋼鉄の壁に叩きつけたかのような感触。視界の先には、ベンケイの腕。


 剣は、食い込んでいる。だが、斬れていない。


「───嘘だろ…!?振り抜けない…!!」


 衝撃が走る。


 その一瞬の隙を──

 見逃す相手ではなかった。


「…ハァ…がっかりだよボウズ。お前なら、こいつらと違って、俺に傷を負わせてくれるかと思って期待してたんだが。……所詮テメェも、転がってる屍とおんなじか。」


 圧倒的な質量と速度を持った蹴りの一撃が、深海の身体に直撃する。空気が抜ける。呼吸が止まる。


 そして再び、吹き飛ばされた。


「うぐっ……。」


 肺の奥に溜まっていた空気が、一撃で押し潰されたように吐き出される。地面に叩きつけられた衝撃は、単なる打撃ではなく、内側から骨を軋ませ、筋肉を引き裂くような鈍い痛みへと変わっていった。


 視界が揺れる。焦点が合わない。血の味が喉の奥に広がり、呼吸をするたびに焼けるような感覚が胸を襲う。


 崩れた瓦礫の隙間から立ち上る粉塵が、ゆっくりと空中を漂っていた。戦場はすでに“終わった場所”のように静まり返っているはずなのに、目の前の化け物だけが、まるでこの世界に属していない存在のように、異様な圧を放ち続けている。


 ベンケイの影が、ゆっくりと伸びる。


「そんなレベルで俺に喧嘩を売ったのなら、大きな間違いだったなボウズ。お前は自分の力を過信しすぎた。あの死にたがりのクソジジイに教わった技術は、そんなもんだったのか??あのジジイが雑魚だったから、お前も雑魚だったのか。だったら理解はできるなァ?」


 その言葉と同時に、金属音が空気を裂いた。

 腕から抜き取られた剣が、無造作に投げられる。


 それは武器ではなく、ただの“物”として扱われた投擲だった。だがその一投は、弾丸のような速度と重量を伴い、深海の足元へと突き刺さる。地面が割れ、石片が跳ね上がる。


 その瞬間、深海の中で、何かが軋んだ。


 怒りとも、悔しさとも、あるいはそれ以上の──抑え込んできた感情の“核”が、音を立ててひび割れる。


 口の中に広がる鉄の味は、吐血によるものだけではなかった。


 歯を食いしばりすぎたせいで、歯茎から滲み出た血が混じっている。


 それでも、深海は立ち上がった。


 全身の筋肉が悲鳴を上げ、骨が軋む。立つという単純な動作ですら、もはや“戦い”だった。それでも、膝を折らない。視線を逸らさない。


 ゆっくりと、口元の血を拭う。


「───黙れ。…テメェが師匠の事を口に出すんじゃねぇ。師匠はな、オレに全てを教えてくれたんだ。……この世界に来て始めて出来た、オレの恩人なんだよ。…そんな恩人を侮辱し、命の危機にまで追い込んだテメェは、絶対に許さねえぞ。」


 声は低く、だが確かに震えていた。

 それは恐怖ではない。


 抑えきれなくなった“何か”が、内側から溢れ出そうとしている震えだった。


 瞳の奥が、変わる。


 さっきまでの“人間”の色が消え、代わりに、底の見えない深淵のような光が宿る。


 それは理性の灯ではなく、本能の炎

 獣の眼だった。


 周囲の空気が、わずかに震える。

 圧ではない。


 殺意が、空間に“重さ”を与えていた。それを感じ取ったベンケイの口角が、ゆっくりと吊り上がる。


「ははっ、いいねえ!!その目!!殺意に満ちてイカれた目だ…。嫌いじゃねェぞ!!ほら、かかってこい!!」


 その瞬間、地面が弾けた。


「っらぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 深海の姿が消える。

 いや、“消えたように見えた”。


 踏み込みの瞬間、地面が砕け、破片が空中に浮く。その加速は視認を超え、空気の壁を突き破るように一直線にベンケイの懐へと入り込む。


 次の瞬間、拳が振り上げられていた。


 全身のバネを解放し、腰の回転、脚の推進力、肩の連動、すべてを一撃に収束させたアッパーカット。


 拳が顎に“めり込む”。


 衝撃が爆ぜ、空気が歪む。

 ベンケイの巨体が、僅かに浮いた。


「っ!いいぜェ、その殴りは悪くねえぞ。久しぶりに強打を食らって、気持ちよくなってきたぜぇ!!」


 だが──

 ベンケイは止まらない。


 砕けない。崩れない。顎は跳ね上がったはずなのに、その目は一切死んでいなかった。


 むしろ、歓喜に歪んでいる。

 次の瞬間、巨大な手が深海の腕を掴んだ。


 逃げ場はない。力の差が、そのまま“現実”として押し付けられる。叩きつけられる。地面が割れ、衝撃が全身を貫通する。呼吸が止まる。視界が白く飛ぶ。


 音が消える。

 そして──


「強すぎる…。……身体の作りが違いすぎて、オレの攻撃が全然届かねえ……。どうすればいい…。」


 意識が、かろうじて繋がる。

 大の字に倒れたまま、空を見上げる。

 そこには何もない。


 ただ、煙と灰が流れているだけの、終わった空。

 その中で、自分だけが取り残されているような感覚。

 勝てない。理解してしまった。


 技術でも、根性でも、埋まらない差がある。

 圧倒的な“質量”。生まれ持った暴力。


 それが、すべてを無意味にする。


 だが──

 視線が、横へと動く。

 そこにあったのは、一本の剣。


 傷だらけで、古びていて、決して強そうには見えない剣。


 それでも、その剣には、確かな“時間”が宿っていた。

 握り続けてきた日々。

 振り続けてきた軌跡。

 叩き込まれた記憶。


 そのすべてが、そこにあった。


 ゆっくりと手を伸ばす。

 指先が震える。

 触れた瞬間、冷たい鉄の感触が伝わる。


 だが同時に──

 温かい何かも、確かにそこにあった。


「…師匠……オレは、どうすりゃあのバケモノに勝てる…。……オレは、どうやったら、アイツを超えられんだ。…オレはアンタの言う通り、辛い修行にも耐えてきた。…精神だって鍛え上げた。……オタクで平凡な日常を過ごしてきたオレがこの数年間、必死に努力してきたんだ。…アンタの教えを信じてきた。なあ、オレは、どうやったら…あんたみたいに、かっこよくなれるんだ。」


 涙が落ちる。

 土の上に、ぽたりと。

 静かに、音もなく。


 返事はない。

 ただの鉄の塊。

 本来なら、それだけのはずだった。


 それでも──


 深海には、確かに“何か”がそこにあると感じていた。

 理由なんてない。根拠もない。

 それでも、信じていた。


 この剣に、あの人の全てが宿っていると。


 その時だった。

 かすかに、光が揺れた。ほんの一瞬。

 見間違いかと思うほどの微かな輝き。


 だが──


 確かに、そこに“反応”があった。

 空気が変わる。戦場の音が、遠ざかる。

 世界が、一瞬だけ静止したような感覚。


 そして、“声”が届いた。


『───深海。』


 その一言は、戦場の喧騒をすべて切り離すように、静かに、しかし確かに届いた。


 耳で聞いたのか、心で聞いたのか、それすら分からない。だが、その声は紛れもなく“知っている声”だった。


 深海の身体が、びくりと震える。


 呼吸が止まり、時間が一瞬だけ凍りついたように感じられた。


 ゆっくりと、剣に視線を落とす。

 剣に手を差し伸べ、剣の柄を握った。


 その刃は、先ほどまでと何も変わらないはずだった。傷だらけで、使い古され、光沢すら鈍い。それでも今、この瞬間だけは、まるで別物のように感じられた。


 脈打っているような、微かな“気配”。

 生きているかのような、温度。

 それが、確かにそこにあった。


 喉が鳴り、言葉が漏れる。


「師匠…?…オレは、ついに幻聴まで聞こえるようになっちまったのか。……いま師匠が、オレの名前を呼んで来たような気がしたんだけど。」


 乾いた笑いが混じる。


 だが、その声は否定するように、優しく、包み込むように続いた。


『────思い出すんじゃ。お主が今までワシとやってきた修行の数々、そしてお主が真っ向勝負でこなしてきた修行の数々。それらは絶対に、裏切るものではない。』


 その声を聞いた瞬間、深海の脳裏に光景が溢れ出す。


 山の中。何度も何度も振り続けた剣。

 どれだけ倒されても、立ち上がらされた日々。


 拳を握りしめ、歯を食いしばり、血を流しながらも続けた鍛錬。雨の日も、雪の日も、関係なかった。


 ただひたすらに、強くなるためだけに振るった日々。

 そのすべてが、無駄ではなかったと、今、証明されようとしている。


『深海。お主にはもう、この数年間でワシの殆どを教えてきたつもりじゃ。体術、剣術、そしてワシが先代から引き継いだ"青眼の構え"も。全てお主に教えてきた。…ワシや、皆から教わった事を信じて、自分がやってきたことを信じて、真っ向からぶつかるんじゃ。…そうすれば、きっと一筋の勝機を掴める。…時には感情を抑え、自分を信じるんじゃ。───大丈夫、お主は強い。ワシがお主の強さを認めてやろう。じゃから、いついかなる時も、勝ちを諦めるんじゃないぞ。お主の強さはその根性にあるんじゃからな。』


 言葉は穏やかだった。

 だが、その一つ一つが、深海の内側に突き刺さる。

 怒りで濁っていた思考が、少しずつ澄んでいく。


 荒れ狂っていた感情が、静かに沈んでいく。

 “獣”が、鎮まる。代わりに現れるのは──

 研ぎ澄まされた“刃”。


 深海は、心の中で理解していた。

 この声が、現実ではないことを。

 もう、二度と直接聞くことは出来ない声だということを。


 それでも──

 それでも、この言葉は“本物”だった。

 自分が積み上げてきた時間が、確かにそこにある証だった。


 涙が、頬を伝う。

 だがそれは、さっきまでの弱さからくる涙ではない。

 覚悟を固めるための、最後の雫だった。


 強く、剣を握る。

 指先に、確かな力が戻る。


「───ありがとう。師匠。…オレはあんたに出会えて、全てを教えてもらって、本当に良かったと思ってるよ。…本当なら…もっと……。…悪い、泣くのは今じゃねえよな。…これが終わったら、しっかりと会いに行くから。待ってろよ。」


 ゆっくりと立ち上がる。身体の痛みは消えていない。

 むしろ、さっきよりもはっきりと感じる。

 だが、それでも足は止まらない。


 一歩。

 また一歩。

 地面を踏みしめるたびに、確かな重みが返ってくる。

 それは、“自分の足で立っている”という実感だった。


 顔を上げる。

 視線の先には、変わらず巨大な影。


 鉄壁のベンケイ。

 その存在は依然として圧倒的だった。だが、もう違う。さっきまでとは、見え方が変わっている。恐怖ではない。分析。観察。“斬れる箇所”を探る目。


 ベンケイは、その変化に気付いていない。

 いや、気付いていても、気にしていない。

 圧倒的強者ゆえの慢心。


 それが、彼の隙となる。


「そうだよなァ??お前はまだ、くたばらずに立ち上がるよなァ。……さあ、続きを始めようぜ、英雄。俺はまだ全然余裕だから────」


 その言葉の最中だった。

 深海の足が、地面を蹴る。


 音は、ほとんど無かった。

 ただ空気が、わずかに裂けた。

 次の瞬間には、すでに、懐にいた。


 “青眼の構え”。

 無駄を一切排した、最短最速の斬撃。

 力任せではない。重さでもない。

 “通す”ための斬り。剣が、振るわれる。


 音が、遅れてやってくる。

 ジュキーン

 それは、肉と骨を同時に断ち切る音。

 今までとは明らかに違う、“通った”感触。


 手応えが、あった。

 時間が、一瞬だけ止まる。

 そして──


 落ちた。巨大な腕が。

 地面に叩きつけられ、重い音を立てる。

 血が噴き出す。赤が、空中に舞う。


 ベンケイの顔が、初めて歪む。

 驚愕。理解不能。その二つが混ざり合った表情。


「───ふぅ、これでも、まだ余裕だって言えるか?クソデカブツ。」


 深海の声は、静かだった。

 だが、その奥にある“確信”は揺るがない。

 もう、迷いはない。


 ベンケイが一歩、後ずさる。

 その巨体が、わずかにバランスを崩す。


「ぐっ……!!貴様…、なんの小細工だ…。……さっきは切れなかったはずだろ。…何故、何故今回だけ切り落とされた…!!」


 怒りと困惑が混ざる声。

 それに対して、深海は静かに息を吐く。

 視線は逸らさない。


 剣先も、ぶらさない。

 それは、ただの技ではない。


 “理解”だった。

 力で斬るのではない。硬さを壊すのでもない。

 流れを読み、通り道を見つけ、そこに刃を“通す”。

 それだけでいい。


 それだけで──

 どんなものでも、斬れる。

 風が吹く。血の匂いが、広がる。


 戦場は再び、動き出す。

 だが今、この瞬間だけは──

 確実に、形勢が変わっていた。


「───オレも、久しく忘れていたんだ。…山で美咲と一緒に修行をしていた時に、師匠から教えてもらった、"大木の斬り方" をな。」


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「───はぁ、無理無理…こんなでけえの絶対に無理だよ。…つか、美咲はよくこんなの斬れるよな。」


 まだ幼さの残る声が、山の中に響いていた。


 視線の先にあるのは、人の腕では抱えきれないほど太い大木。何十年、何百年とそこに立ち続けてきたであろうその幹は、圧倒的な存在感を放ち、ただそこにあるだけで“壁”のように立ちはだかっていた。


 木肌には無数の傷が刻まれている。

 それは、ここで繰り返されてきた修行の証。

 そして同時に──何度も、何度も、失敗してきた証でもあった。


 深海の握る剣は、その中でもひときわ頼りなく見える。細く、軽く、使い込まれているがゆえに刃こぼれも目立つ。それでも彼は、それを手放さなかった。


 いや、手放せなかった。

 それはただの武器ではなく、“自分の証”だったからだ。額から汗が流れ落ちる。


 呼吸は荒く、腕はすでに疲労で震えている。

 それでも彼は、大木を睨みつけていた。


「コツデスよ、コツ。Masterに教わったことを実践すれば、絶対にヨユーでいけますよ。細々の深海でも。」


 軽やかな声が、横から飛んでくる。

 振り向けば、そこには涼しい顔をした少女──美咲がいた。


 彼女の剣はすでに鞘に収められている。


 つまり、“終わっている”のだ。自分の修行を。

 深海が何十回と挑んでいる間に、彼女はすでに結果を出していた。その差が、悔しくないはずがない。


「細々で悪かったな。ったく、相変わらず口悪いよなお前。」


 吐き捨てるように言いながらも、その声にはどこか力が抜けている。本気で怒っているわけではない。ただ、悔しさを誤魔化しているだけだ。美咲は肩をすくめ、くすりと笑った。


 風が吹く。

 木々の葉がざわめき、柔らかな光が地面に揺れる。

 戦場とは違う、穏やかな時間。だが、この場所もまた“戦場”だった。己と向き合うための、静かな戦場。


 その時背後から、ゆったりとした足音が近づいてくる。


「はっはっは、相変わらず仲が良いのお。お主ら。なんの話をしておったんじゃ?」


 振り返るまでもない。

 その声を聞けば分かる。

 この場所の主。絶対的な“指標”。


 師匠だった。その姿は老いてなお鋭く、ただ立っているだけで周囲の空気が引き締まる。


 無駄な力みはない。だが、そこにあるのは圧倒的な“完成度”。強さが、滲み出ている。


「Master!いやあ、深海が大木の斬り方を教えて欲しいと言っていたので、教えていたとこデス!」


「嘘つけ!お前ただ俺をからかってただけだろが。一回も教えてもらったことねえよ。」


 即座に否定が飛ぶ。そのやり取りを見て、師匠は楽しそうに笑った。だがその目は、すぐに真剣なものへと変わる。視線が、大木へと向けられる。


 そして、深海の剣へ。

 その一瞬で、すべてを見抜く。

 どれだけ振ってきたか。どこで詰まっているか。何が足りないか。すべてを。


 師匠はゆっくりと剣を抜いた。


 刃が光を反射し、一瞬だけ鋭く輝く。

 その動作一つ一つに、無駄がない。

 呼吸と、動きと、意識が完全に一致している。


「───よし、深海、よく見ておるんじゃ。…大木というのは、こうやって…斬る!」


 青眼の構え。それはただの型ではない。すべての動作を最適化するための“起点”。重心が沈み、空気が張り詰める。


 次の瞬間──

 踏み込み。軽い。あまりにも軽い。だが、その一歩に“すべて”が乗っている。剣が振るわれる。速い、ではない。正確。ただそれだけ。刃が、大木に触れる。


 その瞬間、力はまだ入っていない。

 “感じる”。木の繊維。流れ。抵抗。そして、透き通る場所。見つけた瞬間、力が解放される。


 ドン、と鈍い音。

 遅れて、木が裂ける音が響く。ズズン、と大木が崩れ落ちる。真っ二つに。まるで最初からそこに切れ目があったかのように、綺麗に。


 深海は、言葉を失った。

 ただ呆然と、その光景を見つめる。


 そして思わず、手が動く。拍手。自然に出たものだった。


「やっぱり凄いですね師匠、今のはどうやってやったんですか?」


 興奮を隠しきれない声。

 だが、師匠は静かに剣を納める。

 まるで何でもないことをしたかのように。


「よいか深海。大木のような、大きなものを切るコツは、無理に力を入れ過ぎない事じゃ。力は一直線に、そして大雑把に振るものではない。…力は、適切な力で適切な時にぶつける事によって、最大級の力を発揮できる。… この大木の場合、剣が木の幹に沿って入ったのを感じる時までは力を温存し、入り込む時に、思い切り力を出す。そうすれはこんな大木、中学生でも斬れるわい。」


 言葉はシンプルだった。だが、その中には膨大な経験が詰まっている。力任せではない。技術でもない。


 “理解”。

 それこそが、すべてだった。深海は、大木を見つめる。次に、自分の剣を見る。そして、もう一度──


 握り直した。

 あの日、理解できなかったその意味が。今、戦場でようやく繋がった。だからこそ斬れたのだ。あの化け物の腕を。


 風が吹く。記憶は静かに消えていく。だが、その教えだけは、決して消えない。深海の中に、確かに残り続けていた。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「だからオレは今、テメェの腕に剣が刺さった瞬間、血管の流れを五感で感じ取って、血流の幹を感じて思い切り力を使った。テメェの腕で言うと、多少上から下に斜め方向で切り落としたって事だ。だからテメェのデケェ腕だって切り落とせた。… 師匠が教えてくれたことは、無駄なんかじゃねえ。オレに染み付いてんだよ。」


 戦場に漂う血の匂いが、より一層濃くなったように感じられた。地面には無数の屍。砕けた武器、抉れた地面、そして未だ熱を持つ鮮血が、泥と混ざり合いながら黒く変色している。


 その中心に立つ二人。


 片や、片腕を失いながらもなお圧倒的な威圧感を放つ巨体。片や、満身創痍でありながらも剣を構え直し、一歩も退かない青年。


 深海の言葉は、ただの説明ではない。

 それは“証明”だった。己が積み重ねてきた時間の。己が信じ続けてきたものの。そして──師の教えが、確かに今この瞬間に生きているという証明。


 その言葉を受けたベンケイの顔に、一瞬だけ苛立ちが浮かぶ。


「……チッ、あのクソジジイの教育か。奴が絡むと虫唾が走るぜ。」


 吐き捨てるような声音。

 だがその裏には、わずかな警戒が混じっていた。

 地面に転がる巨大な腕。切断面からは未だに熱を持った血が滲み、じわりじわりと地面を濡らしている。


 だが──

 それ以上、流れない。あり得ない現象。普通ならば、あれだけの出血は命に直結する。だが、この男にはそれが通用しない。


 深海は視線を逸らさず、その異常を観察していた。呼吸を整えながら、わずかな変化すら見逃さないように。


 風が吹く。血の匂いと、焦げた空気が混ざり合い、鼻を刺す。その中で、思考だけは冷静に保たれていた。


『…とはいえ、油断は出来ねぇな。天道教の目的が定まってない今、どんな切り札を使われるのか分かったもんじゃねぇ。最悪、一般市民を巻き込む可能性だってある。… それだけは、絶対に避けねえと。』


 視界の端には、まだ息のある討伐士が数名。

 遠くには、戦火に巻き込まれた街の影。ここで負ければ、終わる。それは自分だけの問題じゃない。


 だからこそ──

 ここで、決着を付ける必要がある。


「チッ、まぁ片腕が無くなったところで、俺にはまだもう片方があるからなァ、テメェをボコボコにするくらいなら片腕で十分だ。」


 ベンケイは肩を回す。

 失った腕など意に介さない様子で。その動作一つで、大気が震える。


 筋肉の塊が軋み、地面に圧がかかる。

 それだけで、この男がどれほど規格外か理解できる。


「───なんだ、自動的に止血…?切断された腕から流れてた血が止まった。… やっぱりコイツ、何かしらの特異体質だな。」


 深海の目が細くなる。

 そして理解した。この戦いは、力だけでは勝てない。見極める必要がある。“何が通用して、何が通用しないのか”を。


「残念だったなァ、俺様はどうにも神に愛されちまってよ。この恵まれた体格と、傷が瞬時に塞がる体質まで授かっちまったみてぇなんだ。悪いなァ?師匠から教わった渾身の一撃だったのに。致命傷になんなくて。はっはつは!!」


 笑い声が響く。嘲り。圧倒的優位に立つ者の、余裕の笑い。だが、深海の目から、光は消えていない。むしろ、より鋭くなっていた。ゆっくりと、足を開く。


 呼吸を整える。

 剣を構えたその瞬間、世界の色が変わり、音が遠のく。鼓動がゆっくりになる。血の流れが分かる。


 自分の中だけでなく──

 相手の中までも。重心。筋肉の動き。力の流れ。すべてが、手に取るように分かる。


 それはもはや“構え”ではない。戦闘における、完全なる最適化だ。


「─────ベンケイ。オレは別にテメェに致命傷を与えるために腕を切り落としたんじゃねぇぞ。… テメェにオレの剣が届くか、確かめただけだ。…届いちまったな??オレの剣が。オレは絶対、ここでお前を殺す。… 覚悟しろ。」


 その言葉には、迷いがなかった。

 怒りも、憎しみも、すべて内に沈めた上で。

 ただ純粋な“決意”だけがあった。ベンケイの口元が歪む。笑み。だがその奥に、わずかな熱が宿る。


「─────ハッ、まぐれで腕を切り落としただけの分際で、俺を殺すだと??ケハハハハ、おもしれぇよお前。お前みたいなボウズは嫌いじゃねぇ。いいぜ、テメェに教えてやるよ。俺ら天道教の目的をな。」


 空気が変わる。戦いの中に、別の“重み”が混ざる。敵の情報は時に、刃よりも鋭い武器となる。


「天道教の…目的…?」


 深海は構えを崩さない。

 だが意識は、確かに向けられていた。

 ただの会話ではない。これは──戦略の一部。


 ベンケイはゆっくりと首を鳴らす。

 骨が軋む音が、不気味に響く。


「───何故、俺らがハロウィンの日に襲撃したか、知ってるかボウズ。」


 その問いと同時に、風が止んだ。

 遠くで響いていた戦闘音すら、一瞬だけ遠のいたように感じる。深海は微動だにしない。


 剣先は揺れず、視線も逸らさない。

 だがその内側では、思考が高速で巡っていた。

 この男が語る“理由”。


 それは、この戦争の核心に触れる可能性がある。だからこそ聞く価値がある。命を懸けてでも。そして同時に。この瞬間ですら、“戦い”は終わっていない。


 わずかな隙が、死に直結する。静と動が交差する中。

 二人の間に、張り詰めた時間が流れていた。


「さあな、そんな事オレらは知らねぇよ。」


 深海の返答は短く、乾いていた。

 だがその声の奥には、苛立ちではなく、完全な冷静さがあった。


 無駄な情報に振り回されることなく、ただ目の前の敵と、この場の全てを見据える意思。青眼の構えを崩さぬまま、呼吸だけが静かに整えられていく。


 鼓動は一定。視界は澄み渡る。血と死に満ちた戦場の中で、彼だけが異様なほどに“静”を保っていた。


「ハロウィンの日である10月31日。その日は、霊が家に帰ってくる日って言い伝えがあるだろ?つまり、いつもは天に居る霊が、この現世に帰ってくる日って言うことだ。…俺達の目的はそこにある。… 俺が慕うあの方は、とある街である異能力者と出会ったらしく、その異能力者は、"フリーク"と名乗っていた。」


 ベンケイの声は、どこか愉快そうだった。まるで“語れること”自体が楽しいかのように。


 戦場で語られるにはあまりにも異質な内容。だが──その一つ一つが、確実に“核”へと繋がっている。


 風が吹く。血の匂いに混ざって、どこか冷たい気配が流れ込んでくる。まるで、この話題そのものが“死者”に触れているかのように。


「フリーク…?討伐士の中でも聞いた事ない名前だな。」


 深海は視線を逸らさずに答える。

 だがその内側では、記憶が高速で巡っていた。出会った人物。戦場での違和感。言葉にならない“引っかかり”。それらが、今この瞬間に繋がり始めていた。


「あの方とフリークがどーいう話をしたのかは知らん。俺が知ってるのは、フリークは女で白髪、口数の少ない幼い異能力が使える女。という情報だけ。詳しい事はあの方しか知らない。…そして、フリークの異能力は、"魂を生贄にする事で、死んだ人間を生き返らせる"ってやつだった訳だ。だから俺達は、東商の人間を皆殺しにして、魂を奪う。これが、天道教の目的だ。」


 その瞬間。空気が、凍りついた。戦場に満ちていた殺気とは別の──


 底知れない“悪意”が、ゆっくりと広がる。死体の山。流れ続ける血。その全てが、“素材”として語られる異常。


 深海の握る剣に、わずかに力が込もる。

 その表情は変わらない。怒りはある。だが、それを外に出すことはない。今は、まだ。


「もう一つ聞かせろ、……お前らが生き返らせたい奴ってのは、誰だ。」


 低く、静かな問い。だがその言葉には、確かな“重み”があった。ただの興味ではない。それを知ることで、何かを“決める”覚悟。


 ベンケイは口角を吊り上げる。

 その笑みは、どこか歪んでいた。


「────絶対悪と恐れられ、最凶最悪の異名を付けられた、"香良洲"の創設者だ。あの方が復活すれば、悪の組織は更に輝きを取り戻し、この世界を完膚なきまでに支配することが出来るだろうなァ?」


 その名が出た瞬間。深海の視界が、一瞬だけ揺らいだ。記憶が重なる。過去の情報。討伐士としての知識。


 そして──

 “死んだはずの存在”。

 それを、蘇らせる?


 この規模の殺戮は、そのための“準備”?

 理解した瞬間、背筋に冷たいものが走る。

 それと同時に。ひとつの確信が、深海の中で形になる。


 あの少女。

 白髪で、無口で、女の子で、幼い異能力者。あの時の違和感。あの視線。あの存在感。


 全てが──繋がった。

 剣を握る手に、再び力が宿る。

 今度は迷いではない。“覚悟”として。


「そんなの、見逃せる訳ないだろ。お前ら天道教、そして香良洲の奴ら全員。オレがぶっ飛ばして────」


 その言葉の途中。


 深海の視界の奥に、いくつもの顔が浮かぶ。

 血に濡れた戦場とは不釣り合いな、温かい記憶。

 笑っていた顔。怒っていた顔。支えてくれた人たち。共に戦った仲間たち。そして、もう会えない者たち。


 胸の奥が、熱くなる。だがその熱は、暴走しない。青眼が、それを抑え込む。静かに。確実に。


 全てを“力”へと変換する。地面に足を踏み込む。わずかに沈む土。その感触すら、鮮明に感じ取れる。風の流れ。血の匂い。ベンケイの呼吸。筋肉の収縮。


 全てが、見える。そして──

 深海は、剣をわずかに前へ傾けた。その動き一つで、空気が張り詰める。戦いが、再び動き出す直前の静寂。ベンケイの口元が、歪む。楽しそうに。狂ったように。


 だが、深海の目は揺れない。

 ただ真っ直ぐに、その巨体を射抜く。


 そして──

 胸の奥に溜め込んだ全てを、一言に乗せて解き放つ。


「───────この世界の、英雄になってやるよ!」

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