第八話『突然の惨劇』
────久しぶりだなぁ。この家。
重たい荷物が肩に食い込み、歩くたびに金具がカチャリと鳴る。その音すら懐かしく思えるほど、この家の前に立つのは久しぶりだった。
深海はゆっくりとドアノブに手を伸ばし、指先に伝わる冷たさを確かめる。胸の奥が少しだけざわつく。
一年前、負けて、悔しくて、ここを出ていった。
そして今、強くなって戻ってきた。
金属がわずかに回転し、軋む音が響く。
深海はそっと息を整え、静かに扉を押し開けた──。
「あぁ!!シンくん!!!!!ひっさしぶりいぃぃい!!!随分体大きくなったね!!相当頑張った証だ!怪我は?怪我はしてない?────」
勢いよく飛び出してきた影が一つ。
まるでバネ仕掛けのように飛んできたその少女は、変わらぬ笑顔と変わらぬテンションで深海に抱きつかんばかりの勢いを見せる。
入室の慎重さなど一瞬で吹き飛んだ。
変わっていない──
その安心感と、変わらなさすぎる鬱陶しさに、深海は思わず苦笑する。
「あらあら、おかえりなさい。よく帰ってきたね。えらくがっちりしたじゃないか。」
柔らかな声で迎えてくれたのはおばあちゃん。
彼女の落ち着いた眼差しを見た瞬間、深海の胸の奥にあたたかい火が灯る。
この家特有の、あの安心できる匂い──薬草と土と、昔ながらの木の香り。それが胸いっぱいに広がっていく。
「ほう、これは大したもんじゃ。一年だけとはいえ、見違えるほど変わったな。正直予想外じゃよ。」
その声に深みと重さがある。
師匠の言葉には、いつだって嘘やお世辞がない。それを知っているからこそ、その一言が胸に強く響いた。
「師匠、美咲から色々と学びました。今日は勝たせてもらいますよ。」
「ふふっ、いいじゃろう。来なさい。」
ほんの一言のやり取りなのに、空気が一気に研ぎ澄まされる。深海は庭に案内されながら、懐かしい土の感触を足裏に感じた。
一年前──ここで敗れた。
あの日の悔しさは、ずっと胸の中に残ったままだ。
修行中、限界を超えようとするたび、あの瞬間が鮮明に蘇った。
変わるために、越えるために、今日まで積み上げてきた。深海は軽くストレッチをし、木刀を握る。
手のひらに吸い付くように馴染むこの感覚すら、懐かしい。
「────オレ、もうあの時より弱くないですよ師匠。今日オレは、あなたを越えます。」
「分かっておるわ。その構え、青眼の構えをしっかり美咲から学んだようじゃな。…言っとくがワシも本気で行く。覚悟しとけ。」
その瞬間、庭を包んだ空気が一段階重くなる。
互いの視線がぶつかり合い、まるで稲妻が走ったかのような張りつめた静けさが訪れる──。
「────その前に!私が作ったサンドイッチ食べてからにしませんかー!」
張り詰めた空気をぶっ壊すように、朗らかな声が飛び込んできた。
お盆を抱え、誇らしげにサンドイッチを差し出す彼女。場違いなほど平和な空気だが、それがこの家らしい。
師匠と深海はわずかに沈黙し──
「ああ、食べる。」
「ああ、食べる。」
完璧に同時だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ふう、食った食ったあ。」
師匠が腹を叩きながら満足げに息を吐く。
深海も、久しぶりの家の味に身体の奥まで力が満ちていくのを感じていた。
「では始めるとしようか。深海。」
「はい、全力でお願いします師匠!」
「いけー!がんばれー!負けるなー!」
構えた瞬間、風景から色が消えたように見えた。
全神経を研ぎ澄ませる。
木刀を握る手に力が入る。
次の瞬間─────激突。
木刀が交錯し、パァンッ! と大きな衝撃音が庭に響く。
踏み込むたびに土が跳ね、強い風圧が生まれる。
深海の視界に映るのは師匠の姿だけ。
その一瞬の隙すら見逃すまいとする集中力が全身を走る。
「2人とも早くて、目で追えない!!やっぱり相当強くなってる!!」
興奮で声を震わせる彼女。
横で、おばあちゃんが胸元をぎゅっと掴み、息を呑んでいるのが分かる。
数分間、激しい応酬が続き、互いに呼吸が熱を帯びてきた頃──。
その瞬間、空気を切り裂く声が響き渡った。
──────おぉっと、一旦そのお遊びは終わりにしてもらおうか?
ドンッ!!
爆弾めいた物が庭へ投げ込まれ、土が大きく跳ね上がる。深海と師匠は反射的に距離を取る。
土煙の奥から、重い足音が近づいてくる。
まるで地面ごと踏み砕くような一歩。
あの音だけで、胸の奥がざわつく。
現れたその男は─────異常だった。
フードを深く被り、顔は見えない。
だが明らかに“何かがおかしい”。
人間の領域を超えた体格。
影が落ちただけで視界が暗くなるほどの巨体。
2m20cmは下らない。
「おい、おばあちゃん!コイツは危険だ!アイツと一緒に下がれ!!」
「だから、名前で呼んでよ!もう!おばあちゃん!こっち!!」
二人は慌てて窓際から離れ、屋内の奥へ走っていく。
深海と師匠は並び立ち、侵入者を睨む。
「一時休戦じゃ、深海。こっちを片付けてからにしよう。」
「そうした方が良さそうですね。」
ほんの数秒で、空気が戦場のものに変わった。
「お主は何者じゃ、いきなり割って入ってくるとは失礼なヤツらじゃのぉ。」
「ぁ?うるせえよジジイ。はぁ……メンドクセェ。正直、あの一撃でくたばってくれたらよかったんだけどなァ?」
フードの下から聞こえる声は低く、獣のように荒々しい。その存在は、ただそこに立っているだけで圧力となり、肌が粟立つほどだった。
深海の背筋が、氷のように冷たく強張る。
──ただ者じゃない。
そう確信するのに、十分すぎるほどだった。
「……テメェらに自己紹介をしてやろう。俺は信仰宗教 "天道教" 幹部『弁慶』だ。」
その言葉が、重たい鈍器のように空気を殴りつけた。
巨体の影が庭の真ん中に落ちて、まるでそこだけ世界が沈んだように感じられる。
風が止まり、空気が濁り、庭に漂う空気が一瞬で“敵”の臭いに変わった。
「弁慶!?え、あの歴史上に出てきた弁慶…つか天道教ってなんだ…。」
深海が反射的に言葉を返すが、その声にも緊張が混じる。相手の体格、纏う殺気、異様な威圧感──すべてが常軌を逸していた。
「……信仰宗教天道教は、この東商を拠点に活動する極悪集団の一つ。天道教の奴らは皆、歴史上の人物から名前を取ってくるんじゃ。じゃからあれは本名じゃない。自分でつけた偽名のようなもんじゃ。」
師匠の説明は落ち着いていたが、その目だけは鋭い。
“戦う覚悟”と“守る意志”が両立した、戦士の目。
弟子である深海にも、その緊張が伝わる。
「天道教の教えは、天の定めた道に従えと教える宗教でな。神の教えに従えば必ず報われる、幸せになるという教えを信じ続けた人間達が集まる場所じゃ。余談じゃが一昔前に韓国という国で、同じものがあったようじゃが、これとは別物じゃ。」
言葉の内容は宗教の説明だが、師匠の声にはわずかに震えがあった。──明確な殺意を前にした、戦士としての緊張。
庭の空気はすでに戦場となり、地面を踏む振動ひとつで決着がつきかねない状態だった。
「フン、長々と要らねェ説明してくれてありがとよ、ジジイ。さて、最初の爆破作戦が失敗に終わったんじゃ。口封じのために全員始末しねえといけねえなぁ?」
その言葉が吐き出された瞬間、庭の温度が一気に下がった。全身から立ち昇る殺気に、背骨がひやりと冷たくなる。
鳥肌が立つとか、そんな生易しいものではない。
“体が危険を理解して震える”という、原始的な恐怖だった。
深海は本能的に悟った──
『コイツは本当に殺すつもりだ』
嫌な予感が胸を刺し、深海は周囲を素早く見渡した。
──その時。
奥の方。逃げたはずのおばあちゃんが、震えながら家の影から顔を覗かせていた。
腰が抜け、動けていない。
その光景に、深海の喉が凍り、血が逆流する。
「最初のターゲットは、…あの婆さんだ。あの婆さんを始末する。ババアの死体を見るのは気が引ける部分はあるがな、仕方ねぇよなあ?」
「ばあちゃん!!!なんでそこにいる!!いいから家の中に入れ!!狙われてんぞ!!!」
叫ぶ声は絶叫に近かった。
だが──届かない。
恐怖で指先まで固まってしまったおばあちゃんは、ただ震えるだけだった。
その横で、弁慶が腕を動かす。
フードが揺れ、巨大な手が変形し、まるで大きい機関銃みたいな形に変形していた。
──息が止まった。
バン!と大きな音が鳴り響き、乾いた破裂音とともに空気が裂けた。銃声は耳を刺し、地面を揺らすほど。そしてその直後、世界がスローモーションになる。
深海も師匠も飛び出した。
しかし、銃弾はその意思よりも遥かに速い。
光の筋が伸びるように飛ぶ。
おばあちゃんの顔が恐怖で歪み、深海の叫びがかすれていく。
終わった。
そう思った瞬間──
視界が揺れ、色彩が変わった。
そして、深海は信じられない光景を見た。
─────銃弾が、愛菜の腹部に直撃した。
「え……」
弾丸が肉を裂く鈍い音。空中に散る血飛沫。
愛菜の体が、守るようにおばあちゃんの前に滑り込んでいた。
腹部に開いた穴から、血が勢いよく噴き出す。
白い服に赤い花が咲くように染まっていく。
少女の小さな体が、大きく揺れ、そして崩れ落ちた。
「ぐふっ … 、」
口から血があふれ、喉が震えて音にならない息が漏れる。倒れながらも、おばあちゃんを庇う姿勢のままなのが余計に胸を締め付けた。
深海の世界が、音を失った。
風の音も、鳥のさえずりも、師匠の声も消える。
ただ、愛菜が崩れ落ちる音だけが重く響く。
「…… あい…な?」
喉の奥から絞り出すように名前を呼ぶ。 それしか言葉にできなかった。
理解が追いつかない。
心臓が掴まれるような痛みに襲われ、胸が締め付けられる。
なんで。
なんで彼女が前に出てくるんだ。
守られる側だったはずの少女が──
迷わず命を投げ出して、おばあちゃんを守った。
その事実が深海の心を抉る。
怒りと悲しみが混ざり、視界が赤く染まるほど熱くなった。拳が震え、歯が軋む。
深海は、この瞬間、生まれて初めて
“誰かを殺したいほどの怒り” を感じた。
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