第七十話『硝煙の果てに、正義は哭く』
───────空が裂けた。
黒い稲妻が大地を一本の線で刺し、焦げた風が街の残骸を吹き抜ける。
そこは廃都。瓦礫と記憶が混じり合う場所に、一体の人の形をした絶望が静かに立っていた。
神殺し。
血と硝煙を纏ったその男は、ひとつひとつの呼吸で世界の色を変えていくように見えた。彼の目には、神を見下ろす冷徹さと、それを壊すことしか出来なかった者の深い悲哀が同居している。まるで世界の信号灯そのものが、彼の視線で滲んでいるかのようだった。
対する竜馬は、剣を鞘から静かに抜いた。
二人の間を、言葉よりも重い灰がゆっくりと舞う。音すら飲み込まれるような静寂のなかで、ただ確かな緊張だけが増していく。
言葉は不要だった。
ここで交わされるのは理由や理屈ではない。折り重なった過去と、断ち切るべき現在。戦いの意味など、とうの昔に言葉の枠を超えている。
─────その静寂を破るように、地面が弾けた。
竜馬が足に全てを乗せ、重心を落として踏み込む。筋肉が爆発するように伸び、人の枠を越えた速度で距離を詰めた────次の瞬間には既に、闇を裂く鎌の軌跡が彼の軌道を迎え撃っていた。
衝突は一拍の遅れもなく、稲妻の断面のように走った。 金属と金属、暗と明が擦れ合う度に、空が鳴り、砂塵が跳ね上がる。刃の交わりは火花ではなく、世界の破片を散らすような轟音を吐いた。
砂煙の渦に紛れ、二人の輪郭は幾度となく消え、また浮かび上がる。
視線が追いつかない速度で交錯する身体と武具。残像と振動が重なり、廃都に不協和音のようなリズムを刻んでいく。
「君の速さは中々のものだけど、しばらく撃っていれば目も慣れてくる。戦闘が進む事に、君は僕に勝てなくなってくるよ。」
その言葉は低く、冷静に響いた。けれどそれは挑発や慢心ではなく、観察と確信の言葉だった。竜馬の一撃は鎌を弾き、衝撃が指先を伝って背中へ抜ける。神殺しは即座に蹴りを放って距離を取り、闇を纏うように姿をぼかした。
視界の端に、閃光がよぎる────背後だ。
竜馬は振り返りざまに刃を払う。だがそこにあったのは虚空で、刃はただ空気を切って音だけを立てた。風だけが、鋭く耳を裂いた。
一瞬の錯覚かと思えるほど、戦場は残酷に静止した。
そしてまた動く。二人の間合いは常に変化し、互いの呼吸を読み合うかのように刃が擦れる。そのたびに、竜馬の胸には誰にも言わない痛みが走る。だが決して足を止めない。止めることができれば、それは敗北の始まりだと知っているからだ。
神殺しは闇の縁を舐めるように動き、竜馬の剣筋を抉ろうとする。
刃と鎌の軋みは、廃都に残る無数の記憶を震わせる。古い看板の金属がこすれ、壊れたゲーム機の残骸が微かに光る。かつて笑い声のあった場所が、今は戦の音に塗り替えられている。
竜馬は視線を下げず、ただ前へと進む。
その剣先は相手の懐へ届かんとする意志で真っ直ぐ伸び、しかし神殺しの動きは一瞬の予測だに値しない。剣は空を切り、竜馬の皮膚をかすめる風が鋭く痛む。
灰と血と硝煙が入り混じる。
二人の影が揺れ、やがて膝元の砂が吹き飛び、古い石板がひび割れた。刃の接点に残る熱が、周囲の空気を歪ませる。戦いは音速にすら近づいて、しかし二人の眼差しだけは冷たく、静謐を保っていた。
神殺しは笑った。その笑いは乾いていて、遠くの断末魔のように聞こえる。
「覚悟はあるか」と問う声ではない。もっと根源的に、「お前はまだここに立っているか」という問いだった。
竜馬は答える代わりに更に踏み込み、剣を振るう。刃先が闇を裂き、鎌の柄が震えた。だが、神殺しは歪む影となり、次の刃は虚空へと突き刺さる。取り残された刃が切るのは空虚な風だけ。
耳の奥に残るのは、刃が引くときの微かな音と、戦いが遺す余韻だった。
戦いは終わる気配を見せない。
互いの距離が近づき、また引き、押し合うたびに心拍が上がる。そしてその高鳴りとともに、二人の背負う過去が、不意に呼び覚まされる────止めようのない衝動、赦されぬ記憶、そして誰にも渡せぬ決意。
灰が舞い、空が再び歪む。
刃がぶつかるたびに小さな破片が散り、廃都の静寂を割る。だが、そのうちの一瞬、竜馬の瞳に奇妙な光が宿る。訴えとも懇願ともつかぬ、真っ直ぐな視線。戦場の喧騒の中で、二人だけが一瞬だけ時間を共有した。
風が収まる。刃が互いの行く末を告げる。
そして、また踏み込む────二人の足跡だけが、赤茶けた石板に深く刻まれていった。
『にしても、速いな。…スピードだけなら、今まで戦ってきた奴の比じゃない。』
「……どうした、竜馬。その程度で、俺を止められると思うなよ?俺は─────」
「さっき言ったはずだよ、話をする前に、腕を動かそうってね。」
竜馬の刃が空を切る。だが、刃が届くはずの軌道に誰もいない。暗闇と瓦礫の狭間を、神殺しは滑るようにすり抜ける。人の速度を越えたその身のこなしは、観察や予測で補えるものではない。刃が空を切るたびに、竜馬の耳にだけ冷たい摩擦音が届く。世界のテンポが、ほんの僅かにずれていくかのようだった。
「はぁ…わかったよ…そんなに死にたいなら、俺が、この手で、ぶっ殺して断罪してやる!!」
神殺しの叫びが、廃都の空間で何重にも反響した。声が瓦礫にぶつかって跳ね返り、闇の中に複数の影を生む。幻影か、分身か。黒く濁った気配が四方八方に裂け、斬撃が雨のように降り注ぐ。刃が作る軌跡の速さは錯覚を伴い、周囲の空間を切り裂くように見えた。
「────これでお前をぶち殺してやる!死ね!第二位!!」
殺気の波が押し寄せる。竜馬は身体強化の力を呼び、筋肉と神経を限界まで昂らせて全てを弾き、流す。だが相手の攻撃は連綿と続き、いくつかの一撃は確実に彼の体を捉える。腕に走る裂け、皮膚の裂け目から滴る血。だが血が落ちるたび、彼は目を逸らさず、ただ一点を見据え続けた。傷は数を増しても、視線の焦点はぶれない。
「なるほど、鎌だけではなくナイフも使い、四方八方に素早く動いて投げているのか。… 確かにいい手段だけど、僕には通用しない。」
冷静な観察の言葉が、血と硝煙の匂いに混ざる。神殺しの動きは連続的で熾烈。投擲されたナイフが空気を切り、石に突き刺さる瞬間に小さな火花が散った。だが竜馬は、即座に軌道を読み、剣で掠め取り、ナイフを弾き落とす。刃と刃が交わる度に、金属音が高く伸び、時折、彼の肩や肋を掠める。そのたびに息が漏れ、だが前に進む足は止まらない。
「しぶてえなぁ …… お前 …… 。どこまでしぶといんだよ。ったくどいつもこいつも俺の野望を邪魔しやがって。」
神殺しの吐息に混じるのは苛立ち。だがその言葉は単なる悪罵ではない。自らの内側で燃える怒りと、裏切られたような痛みが混じり合っている。彼にとって世界は壊すべき対象であり、その手段のすべてが正当化される。だからこそ、目の前で折れない相手に苛立ちを覚えるのだ。
「────悪いけど、その野望を僕が全力で止めなきゃいけないんだ。この命に変えても人々の平和を守る義務がある。討伐士は、その為に作られたんだからね。」
竜馬の応答は簡潔で堅い。彼の口ぶりには揺らぎがない。守るべきものがあり、背負うべき責任がある。剣士としての矜持が、その声を震えさせない。言葉と動作は一致し、次の斬撃へと繋がる。
その言葉に、神殺しの気配が一瞬だけ乱れた。驚きのような、不快のような僅かな揺らぎ。だがすぐに冷笑へと置き換わる。笑い方は薄く、刃物のように冷たい。
「はははっ……全く言葉ってのは美しいな。こうやって聞いてると、俺が間違ってんじゃねえかって思っちまう。だが、言葉で世界は救えねぇ。…言葉で世界が救えんなら…俺の、大事な人は、あの場で死なねえはずだったからよ。」
その吐露は短いが重い。神殺しの過去の断片が、言葉の裂け目から覗く。彼の中で起きた悲しみが武器となり、そして理念へと形を変えた。そこには単純な復讐だけではない、世界への怨嗟と、自らの選択の正当化が渦巻いていた。
鎌が地を叩く。その力は衝撃波となり、竜馬を蹴り飛ばした。瓦礫が吹き飛び、彼は背中を強く打ちつける。痛みが全身に走るが、彼は立ち上がる。吐いた血を舌の裏に押し戻し、震える手で剣を握り直す。
「───君の事情は…わかってあげられない…。だが、君のしたことは許されない事だ。…君の存在が、どれ程の人間を恐怖させているか……分かっているのか!」
叫びにも似た言葉が、竜馬の胸から飛び出す。声は震え、肺が焼けるような苦しさを含んでいる。それでも彼は、相手の内面にある事情を想像し、次の一撃にそれを乗せようとしていた。責任と義務は、時に個人的な感情を凌駕する。
肺の奥底から空気を絞り出し、視界が白く濁るなかでも竜馬は剣先を相手へ向ける。血と砂が混じる地面に跪きそうになりながらも、彼は前を見据える。そこにあるのは恐怖ではなく、意思だった。
「知るか。俺はただ、この世界の悪を断罪する。罪を償わせるんだ。お前らは、正義を語るだけの、ただの悪なんだよ。…お前らが、お前らが。…この討伐士って職業が生まれなければ、あの人は死ななかった!!この世界を変えるのは、絶対的な支配者だ!!!」
神殺しの声が震え、どこか少年じみた激情を露にする。目に戻るのは、かつてのあの少年の光。模範囚として押し殺していたはずの心が、今、騒ぎ立っている。彼の言葉は単純な憤怒ではなく、喪失と敬愛の混ざった告白にも聞こえる。
その瞬間、竜馬の胸に針のような痛みが刺さる。相手の言葉は、決して正当化できないにしても、彼の中の何かを強く揺さぶる。あの少年が見せていた光────夢を語る瞳、救いを求める声、そして誰かに寄り添われた記憶。そうしたものが、今この暗闇の中でちらついている。
「あの人は…あの人は立派な人だった!!俺はあの人を尊敬してたし、あの人と一緒に、正義のために働くと決めていた!!…なのに、あの人は正義であるはずの人達に殺されたんだ!!そんなの、正義じゃねえ!!」
神殺しの声は震え、言葉がまるで自分自身の皮膚を剥ぐように溢れ出る。そこには怒りだけでなく、無念と混沌が渦巻いていた。彼の訴えが、竜馬の深いところに触れる。模範囚だったあの日々、監視員の温度、夢を語った瞬間の輝き───それらが今、戦場の騒音を貫いて、彼の胸の奥に確かな反応を引き起こした。
竜馬は刃を握りしめ、短く息を吐く。言葉はすでに剣の動きに変わっていく。感情の波が押し寄せても、剣士は己の役目を放さない。責務が痛みを越えて、彼に次の一歩を踏ませるのだ。
灰が舞う戦場で、二人の戦いは終わりを見せない。傷は増え、声は枯れ、だが歩みと刃だけは止まらない。過去が影を落とし、未来を選ばせる。その瞬間ごとに、世界の歯車が一つずつ回っていくのがわかった。
「…君の過去は、相当辛いものだったんだろう。そこに関しては同情するさ。…でも、それが人を不用意に殺していい理由にはならない。違うか?」
その言葉は矢のように突き刺さった。
神殺しの胸中で何かが爆ぜる。目の奥が鋭く尖り、顔に影が落ちる。彼を駆り立てる怒りは、理屈を越え、痛みと記憶と混ざり合った濁流となって溢れ出した。
「うるせえ黙れ。俺が殺すべきはこの世界だ。この世界を支配して、正義や悪などのくだらない価値観を全て無くす。そして、この世界を完成させるんだ。文明の発達?人々が安心して暮らせる社会??知ったこっちゃねえよ。俺の作る社会の方がよっぽど生きやすい。…だから、お前らは、邪魔なんだよ。」
その言葉が吐き捨てられるたび、周囲の空気が濁ってゆくようだった。彼の声には熱がある───焦燥が火花を散らし、説得ではなく命令として世界に押し付けられる衝動があった。竜馬はその全てを受け止め、剣を握る手にさらに力を籠める。刃がまたひとつ、夜を切り裂いた。
風が一点に集まる。竜馬の足元で小さな渦が生じ、砂と瓦礫が踊る。次の瞬間、彼は疾走した。視界が伸び、音が引き延ばされ、刃と刃が何度も交差する。火花が雨粒のように降り、金属がぶつかるたびに刃先の震えが伝播する。
「君の価値観は異常だ、過去のトラウマがあるからなのか、君は歪んだ感情に支配されている。」
竜馬の言葉は静かだが、刃の震えと同期している。彼は相手を否定するのではなく、観察し、彼の内面を冷静に突いた。だがその言葉が、神殺しの内に潜む最も脆い部分を掻き立てた。顔が歪み、瞳が血のように鋭く光る。
刀光が入れ替わるたびに、二人の影は互いを削り合う。血が飛び、皮膚が裂け、息が断続する。だが、戦いは止まらない。止める理由が二人の胸にそれぞれあるからだ。どちらが正しいかを問う暇もなく、一本道のように次の斬り合いが生まれる。
その瞬間、神殺しの背中から黒い羽根が生えるように見えた。羽は無数に増え、闇を裂いて空を覆う。彼の鎌が伸び、刃の曲線が巨大な弧を描く。光景は非現実的で、まるで世界の法則が一枚剥がれたかのような錯覚を伴う。
「はぁ…はぁ…俺の…俺の何が分かる…。俺を、否定するなァッ!!!」
その咆哮が炸裂した瞬間、重力が歪んだ。周囲の時間が引き伸ばされ、竜馬の周囲に黒い虚空が広がる。時間と空間が薄紙のように裂け、そこに彼だけの領域が生じた。常識は脇に置かれ、二人はただ純粋に、刃と意志で相対する。
神殺しの姿は次第に凶獣めいて膨らみ、鎌は巨大な曲線として宙を薙ぐ。竜馬は跳躍し、刃を振るう。斬撃は虚空をえぐる。力任せの狂撃に見えるが、その中には緻密な狙いが隠れている。彼はただ力を振るうのではない。壊すため、断絶するため、過去と世界を切り崩すために斬りかかるのだ。
竜馬はそれを受け、逆に一閃を返す。だが神殺しの速度と角度が無秩序のように見えて、重なり合う波状の攻撃は一瞬の隙も与えない。肩口が裂け、脇腹が刃を受ける。鮮血が鋭く光を反射し、彼の息をさらっていく。だが彼は剣を離さない。膝をつき、血を吐きながらも立ち上がる。身体はもう限界を越え、意志だけで刃を保ち続けているかのようだ。
神殺しの目に、かすかな歪みが走る。叫びと悲嘆、そのどちらとも取れる表情が、短く顔を横切る。彼の咆哮は粗野であると同時に、どこか不器用な懇願にも聞こえた。言葉は暴力に変わり、暴力はまた声を生む。世界の奥底に沈む悲しみが、黒い力として顕現しているように思えた。
「────これが、神殺しの本当の姿だ。見ろよ、竜馬。俺はもう人間を辞めた。あのお方に貰った力で、俺は満足してるんだ。俺はこの力で、この世界を、完膚無きまでに支配する。香良洲のヤロウも全員ぶちのめしてな。」
彼の口から出る言葉は、誇示であり決意であり、祈りにも似ていた。世界を壊し、再構築する。欠けた秩序を自らの理で埋める、独善的な設計図がそこにはあった。
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