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そして君は明日を生きる  作者: 佐野零斗
第五章『天道教 vs 東商討伐士』
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第六十八話『真実の愛』

「───あぁ … ここまで私の信念をお話したのに、まだ自己紹介をしておりませんでした 。失礼失礼ッ。私は、愛を欲し、愛を与え。そして愛をひとつにすると誓った女。"ギーシャー・バリス" と申します。…ええ…ええ、愛というのは無限の可能性があるのです。愛のためなら、愛のためならと、自分の命さえ投げ出す人もいるのだとか、それはつまり愛によって行動が生み出されているということ。あなた方も、お分かりで?」


 ───声は静かだが、その言葉には狂気めいた熱が宿っていた。片目しか開いていない女・ギーシャーは、ゆらゆらと身体を揺らしながら、自らの理想を滔々と語り続ける。その姿は、まるで愛という名の信仰に取り憑かれた聖女のようでもあり、あるいは───危ういほどの狂信者のようでもあった。


 対するのは、治癒術士たち、愛菜、彩葉、そしてフィア。夜気はすでに冷え込み、街灯が弱々しく照らす公園の中で、ギーシャーの声だけが響いていた。


 話が始まってから、すでに一時間が経過していた。

 深夜の静寂と疲労が、全員の体力を徐々に奪っていく。 けれど彩葉は、討伐士でありながら、戦いに踏み切れずにいた。


 ───理由はただひとつ。

 ギーシャーはまだ、誰にも危害を加えていなかったからだ。 彼女はただ、自分の思想と理想を“語り”たいだけ。その純粋さと異常さが入り混じる光のような瞳は、どこまでも真っ直ぐで、恐ろしいほどに透明だった。


「───で、あなたは結局私たちに何が言いたいわけ?時間稼ぎでもしてるつもりなら」


「私はそんな時間稼ぎなどという腑抜けた目的など持ち合わせていません。ただ私はあなた方に教えこいたいのです。愛がどれほど素晴らしく、愛がどれほどに大事かを!!先程も言った通り私は、あなた達と戦い、危害を加えるつもりはありません。」


 ギーシャーの声は次第に熱を帯び、指先がわずかに震えた。まるで“愛”という言葉そのものに恍惚しているかのようだった。


「じゃあ、あなたの目的は一体何?私たちをここに呼んだ理由もよく分からないし。ここに集められたのは、討伐士では私だけ、あとは治癒術士くらいだけど。」


「ここにあなた方を呼んだ理由など私は知らないし知りたくもない。私はただ、あなた達がどれ程の愛を持っているか─────確かめたいの。」


「愛を……確かめる…?」


「─────あの子、ちょうどいいわね。」


 ギーシャーの視線が、暗がりの先へと鋭く向けられる。そこには───制服姿の少女。歳は十六ほどだろう。怯えたように立ち尽くす彼女は、外出禁止の放送が出ていたというのに、何故かひとりでここへ来てしまっていた。


「───!!おいそこの子!今外に出ちゃ危険!!放送があったでしょ!!」


 彩葉の叫びが夜に響いた。だが、もう遅い。

 ギーシャーは一瞬で距離を詰め、少女の首を両手で掴み───持ち上げた。


「おい!手を離せ!!」


「────ああ、この子は今苦しみ、悶え。死が近づいている。ですが、この子に向けられた愛情があれば、この子はきっと助かるでしょう。」


 少女の喉が潰れかけ、苦しそうなうめきが漏れる。

 だがギーシャーは一切表情を変えず、首を絞め続ける。 狂ったように───その瞬間を観察していた。


「さあ!さあさあ!!あなたは愛を感じていますか??涙を流し!助けを求め!死に抗うその表情…!!ほら!ほらほら!苦しいでしょ??辛いでしょ??張り裂けるほどきついでしょ??楽になりなさい!!楽になれば、愛を実感出来るはず!!」


 狂気の叫びとともに、少女の瞳から涙がこぼれ落ちた。その瞬間、鋭い衝撃音が響き───ギーシャーの身体が横へと吹き飛んだ。


 少女が地面に落ちるより先に、誰かの腕が彼女を抱きとめる。


「─────大丈夫ですか。」


 その声は凛としていた。フィアだった。

 腕を獣化させ、強烈な一撃でギーシャーを吹き飛ばしたのだ。


「ああ…血が零れる…傷が増える…あぁ…癒さないと……あのお方に…癒しを……。」


 ギーシャーは岩に叩きつけられ、全身血まみれになりながらも、ふらふらと立ち上がる。その姿はもはや人間とは思えなかった。


「────あなたは愛を得た…そのいたいけな可愛らしい少女から愛を受け、君は生還した……あぁ…やはり愛は素晴らしい…。」


「この方を助けたのは愛とかではありません。…昔の私なら、ここで手を出すことは無かったと思います。でも────私の恩人が、言ってくれたんです。"私は、私の出来ることをやればいい"って。」


 フィアの言葉は穏やかで、しかし確固たる決意に満ちていた。その言葉に、深海の面影が一瞬よぎる。


「────あ…あぁ…。それこそが…それこそが────愛っ!!その殿方とのお陰で今のあなたはこうして立ち上がれた…!!それこそが!愛!!!あぁ……絶頂しそう…。イッてしまいそう…!!その愛が心地いい。その愛を…愛が…。」


 ギーシャーの片目にはハートの幻影が浮かび、息を荒げながら自らの腹の傷を撫でる。その異様な光景に、場の空気が凍りついた。


「────君は大丈夫?どこから来たの?」


 彩葉が優しく声をかける。その背後で、フィアは一瞬もギーシャーから目を離さない。

 女子高生は震えながら口を開いた。


「ご、ごめんなさい…!私…ほんの興味本位で……こんな事になってるって思わなくて……。」


「危ないから家に帰りな。私が送っていくか────」


 ───その言葉を遮るように、少女の胸が弾けた。

 血飛沫が夜の闇に散り、少女が崩れ落ちる。


「─────えっ?」


「な、なんで…ち、治癒、治癒術士!この子を治療…」


「無理です…もう即死でしたから…。傷を治しても彼女の魂は…………」


 怒りが込み上げ、彩葉とフィアの表情が歪む。

 ギーシャーを見ると、彼女は指を前に出し、心臓を握るように強く手を閉じていた。


「────あなたが、やったのですか。」


「いいですか。愛は、そんな簡単に貰えるものではない。私でさえここまで体を犠牲にして得たもの。それを簡単に手に入れるなど、烏滸がましい。だから─────そのお方には死んでもらいましたわ。」


 その言葉を聞いた瞬間、彩葉の瞳が燃えるように光る。 怒りの熱が身体を駆け巡り、指先が震えた。


「ねえメイドちゃん。あなた戦えるのよね。」


「はい、そんなに戦力にはならないかもですが。」


「それでもいい。────私は今、はらわた煮えくり返りそうなくらい、アイツにいらいらしてるから。一緒に協力してくれる?」


「────承知しました。私も今、そう言おうと思ってたところですから。」


「ここは、メイドちゃんと私で戦います。治癒術士の皆さん、そして愛菜ちゃんは下がっててください。」


「分かった。気をつけてね。」

「何かあったら、我々が治しますから!」


「助かります。いくよ、メイドちゃん!」


 彩葉とフィアが前へと踏み出す。

 ギーシャーは血を流しながらも、微笑みを浮かべた。


「私は今日、あまり戦闘はしたくなかったのですが、あなた方がやる気なら仕方ないですわね。」


 ───その時だった。背後から、硬質な靴音が響く。

 振り返ると、そこには冷ややかで威厳に満ちた女性が立っていた



「ここは、私がお引き受けしますわ。」


「あ、あなたは … 澪奈様!?」


 ───その名が響いた瞬間、場の空気が一変した。

 まるで夜そのものが彼女に膝を折ったかのように、静寂が訪れる。月明かりを背に、天陸澪奈がゆっくりと歩み出る。

 

その一歩一歩が、まるで高貴な儀式のように美しく、周囲の空気を震わせていた。


 長い髪が夜風に揺れ、純白のドレスが月光を反射して淡く輝く。彼女の姿を見た全員が、息を呑み、言葉を失った。


「あなたは…まさか…女王様ではありませんかぁ?何故、あなたがここへ?しかもそんな丸腰で何も持たずに?」


「申し遅れました。私、天陸澪奈と申しますわ。以後、お見知り置きを。」


 柔らかく微笑みながら名乗るその姿は、威厳と慈愛を同時に纏っていた。 その一言だけで、場にいた討伐士や治癒術士たちの胸に、一瞬にして安堵が広がる。


「澪奈様、あそこにいるのは天道教の幹部ですよ、危ないですから、ここはお下がりになられた方が。」


「────いいえ、彩葉さん。ここは私が。」


 拒むように、しかし穏やかに。

 その声音には一切の迷いがなかった。


「何故そこまで…」


「……上に立つ人間というのは、下の者たちを守るべきだと私が考えるからです。それに、ここに来る途中に、討伐士第一位の神蔵 蓮が、天道教幹部と戦っている所を目撃致しました。同胞が最前線で戦う姿を見て、私がこの場で皆を、全身全霊でお守りしたいと、そう鼓舞されて思っただけですわ。」


 ───その言葉に、彩葉は胸を打たれた。 澪奈の瞳は、どこまでも真っ直ぐだった。

 

王としての誇りでも、女としての信念でもない。ただ“人”として、弱き者を守る覚悟を宿した眼差しだった。


「な、なんてかっこいいお方…っ。お、お見逸れ致しました。」


「素晴らしい…素晴らしい!!それこそも愛!!愛がなければ、そのような芸当は絶対に出来ない!!あぁ…!!愛!愛を感じる…!!あなた!!最高なお人ですね!!」


 ギーシャーの瞳が熱に潤み、狂気の歓喜が声に混じる。血を流しながら、まるで神を見つけた信徒のように手を伸ばした。


「あなたに褒められても嬉しくはありません。私が今ここで、あなたを処刑致します。」


「言葉がお悪い…でもそこもいい。愛があればなんでもいい!その愛が…その愛が心地いい…!」


「あなたに向けた感情ではないのに、気持ちよくなれるなんてあなた─────お気楽な人間ですわね。」


 その一言が、ギーシャーの心を深く抉った。

 途端に女の瞳孔が開き、口から苦しげな呼吸が漏れ出す。血の涙が頬を伝い、全身が痙攣し始める。


「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!!!私は愛に救われた!!!愛が私を愛してくれた!!!愛が!!愛があれば!!私に愛が!!!!」


「そんなに愛が欲しいのなら、あのお方とやらに貰ってはいかがですか?そんなに傷を付けられ、血を吹き出してでしか貰えない愛情など、私は欲しくはありませんが。……長々と話してる時間は、無さそうですわね。」


「あなたに何が出来る!それだけ煽っておきながら、あっさり死んだら許さない!!さあ!!くたばれ!!死ね!!私の前から消え失せろ!!」


 ギーシャーは自らの指を噛み千切り、血を滴らせながらそれを宙に投げた。ちぎれた指が空中で跳ね、そこからバチバチと電光のような火花が散る。


 ───爆ぜる直前、空気が張り詰めた。


「────はいはい。すぐに終わらせるわ。」


 澪奈は一歩前に進み、剣を抜く動作を始める。

 しかしその瞬間、彩葉の叫びが響いた。


「はっ!澪奈様!離れ─────」


 間に合わなかった。

 耳を裂く轟音。夜空を震わせる爆発。 眩い閃光が公園一帯を包み込み、地面ごと吹き飛ばす。


 土と木々が粉々に砕け、高性能トイレの外壁すら宙を舞った。爆風が人々を薙ぎ払い、砂塵が空を覆う。


「っ!嘘っ…!澪奈様…!澪奈様!!」


 彩葉の悲鳴が木霊する。視界は白煙で覆われ、誰もが女王の生存を絶望的だと悟った。


「……まさかここまでの威力だとは … 思いませんでした。…… 油断しました。まさかあの切り離された指が…ここまでの威力を持っていたなんて。」


 ギーシャーの声が、煙の中から微かに聞こえる。

 勝利を確信したような、歪んだ笑いと共に。


 だが───。


「───ぶはっ…。」


「…ふう、危なかったわ。」


 風が吹き抜け、煙が晴れる。

 そこに立っていたのは、無傷の天陸澪奈だった。彼女の周囲には、淡い光を放つ半透明の球体───防御結界が形成されていた。


 澪奈は小さく息を整え、静かに剣を構える。

 その右手は血一滴すら付いていない。


 対するギーシャーは、胸に剣を突き立てられ、地に仰向けに倒れていた。 爆発の瞬間、澪奈はバリアを展開し、即座に剣を逆手に持ち替えて投擲。

 

彼女から放たれた刃が、正確に彼女の胸を貫いていたのだ。


「───ァ…アィ…ァぁ…。」


「いい作戦だったと思いますわよ。私を本気で殺そうと作戦を企てててそれを実行した。まさか、指に細工してあるとは想像しておりませんでしたもの。」


「イ、イダイッ…。ワタシ … ハ … タダ … アイヲッ … 。アイヲ … 。」


 ギーシャーの目から今度は白い涙が流れた。 それは血ではない。まるで魂が零れるような、純白の滴だった。


 澪奈はそっと剣を引き抜き、彼女を見下ろした。その瞳には怒りも侮蔑もなかった。ただ、静かな哀れみだけがあった。


「────これでよしっと、治癒術士の皆さん。彼女を治療してあげてくださいまし。」


 澪奈は腰のポーチから簡易ワイヤーを取り出し、淡々とギーシャーの手足を拘束する。その手際には一切の無駄がない。

 

敵であっても、助けを差し伸べることを忘れないその姿に、周囲の者たちは息を飲んだ。


「ナゼ … タス … ケッ… 。ワタシ … は。」


「天道教の幹部だから、助けるのはおかしい。と、そう言いたいのですか?だとするなら間違っています。…私は、別に殺人をしにここへ来た訳じゃない。…助けるために来たんですわ。"仲間"と"人情がある人"をね。……貴女は恐らく、愛を手に入れたい一心で天道教に入り、天道教のトップから、仮初の愛を貰って、最後には、本当の愛が欲しいと涙を流した。それほど人情深い人間はそうそう居ない。… 確かに、愛というのは誰しもが手に入れたいと思うものだけど、あなたのように、自分の身を犠牲にしてまで得るものではない。……今はそれを理解しなくてもいい。これからは私が、しっかり教えて差し上げますわよ。だから、今はお眠りなさい。」


 治癒術士が詠唱を始め、淡い光がギーシャーの身体を包み込む。 光には、痛みを癒やす成分だけでなく、対象を深い眠りへと誘う麻酔効果が含まれていた。

 

彼女の呼吸が静かになり、血の涙が乾いていく。


「────さあ、ここでの戦いは終わりました。この女性は私が本部まで連れていきます。治癒術士の皆様は負傷してる戦士の手当に、彩葉さんとフィアさん、そして愛菜さんは本部内に避難してくださいまし。」


 女王の声は凛として、それでいて温かかった。

 地獄のような戦場の中で、その声だけが希望のように響く。


「─────あの、少し、ご相談があるのですが。」


 沈黙を破ったのは、愛菜だった。

 彼女は小さく拳を握り、勇気を振り絞って口を開く。


「───私に、治癒術を教えてくれませんか。」


 その一言は、夜風の中で真っ直ぐに響いた。

 戦いの終わりに灯った、小さな決意の炎だった。

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