第六十四話『Crooked Love』
「……まさか、こういった形で分断されるとは。天道教もよく考えて作戦を練ってたってところか。」
「皆様、大丈夫ですか。」
「私は平気…でもここは?……来たことないはずなのに、何故だか懐かしく感じる…。」
飛ばされた先は、街外れの小さな公園だった。遊具は錆びつき、ベンチのペンキは剥がれ、冬の冷たい風が葉を震わせる。彩葉とフィア、愛菜、そして数名の治癒術士たちがぽつんと集められている。顔ぶれを見渡せば、まともに戦闘をこなせる者は二人ほどしかいない。空気は不可思議なほどに静まり返っていた。
────そんな中、愛菜は違和感に気づいていた。公園の景色が、なぜか胸に既視感を呼び起こす。声にできない懐かしさが、彼女の全身を掠める。
そのとき、公園の奥から細身の女性がゆっくりと歩み寄ってきた。口元でぶつぶつとつぶやきながら、彼女の歩調は次第に輪郭を際立たせる――その姿に触れた全員が、鳥肌を立てるほどの異様さを感じていた。
「────『愛』はひとつになりつつ、愛という感情は一人の人間が独占していいものでもなく、多くの人にひとつだけあるべきものなのです。愛というのはそれほど素晴らしい欲望のひとつ。愛があれば、その人となんだって出来る。それが、愛の素晴らしい部分なんです。あぁ、愛というは素晴らしい。愛を持っていれば、愛を感じさえいれば、そう!!愛を得られれば、無限の幸せを感じられるッ!!!……あぁ…そうは思いませんか?そこの可愛い可愛い女性方々様。」
彼女の言葉は、踊るように過剰で、どこか陶酔に満ちていた。短く切った髪、肌に走る痣と傷。だが何より不気味なのは、彼女の片目が深い瘢痕で塞がれていることだ。開いた一つの瞳の奥には、欲望と偏愛が蠢いて見えた。
「───あなたは、なんで私達をここへ?」
彩葉は仲間たちを守るように前に立ち、恐れを押し殺して口火を切った。相手は丸腰に見え、明確な殺意は感じられない。だが不気味さが薄れない以上、警戒を怠るわけにはいかない。彩葉は同時に団長と連絡を取り、情報を共有しながら話を進める─────彼女の判断は冷静だった。
「そんなの決まっていますわ。あなた方が戦闘をしない方々だと思ったからですよ。私は別に戦いに来たわけじゃないのです。私はただ愛の喜びを、愛の境地を、愛の全てを!!皆様にお教えさせて頂きに参上しただけ。だからそう、討伐士ではなくあなた方治癒術士にフォーカスを当てた、ただそれだけです。」
彩葉は相手の言葉を慎重に受け止めた。殺意が見えない以上、ここで無用な衝突を起こすべきではない─────誰よりも先に犠牲を出さぬことが優先だ。彼女はそのまま話を聞く方針を固めた。
───
同時刻。東商政府の一角に、団長は一人残されていた。彼は落とし穴に落ちることは免れたが、仲間の所在は分からず、無力感が胸にのしかかる。彼は持ち出していた“トランスボイサー”を使い、必死に応答を求めた。だが、電波はどこにも届かない。
「……クソっ、やられた。恐らく奴らの事だ、ここら辺近くに結界のようなものを貼って、電波を遮断したな。トランスボイサーの弱点まで知ってるとは、やはり奴らは…。いや、そんなこと今考えるべきではない。とにかく…やっぱり、スマホの電波は生きてるみたいだ、片っ端から電話を……」
団長が端末画面を覗き込むと、彩葉からの着信が入った。彼はホッとしながら通話を接続する。
「───もしもし。どうした川崎妹。今どこにいる。」
だが電話口から流れたのは、琴葉とは別の女の声だった。言葉の端々に狂気めいた“愛”の響きが混じる。団長は情報を追うため、通話を聞き続けることにした。
───
公園の女は、言葉を畳みかけるように続けた。彩葉は冷静に質問を投げ、相手の出自と目的を探る。女は応える。
「愛は無限にあるべきものでは無いのです、愛は儚く消えるからこそ、美しいのです。あぁ……愛……愛が、一番なんですよ。この私の左目も、愛によって消え去ったもの、だから私は、この生々しい左目を愛しています。」
彩葉は眉を寄せる。愛の美辞麗句は時に人の精神を歪ませる。愛を盲信する者は、他者の自由を侵す危険性を抱える─────女の語る“愛”は、その危うさを露わにしている。
「確かに愛は大事だけど、あなたの愛は深く重すぎる。その愛は、人を傷つけるかもしれない。」
女は微かに笑った。次の言葉が、周囲の気配をさらに不穏にする。
「ではでは、逆に聞きますが、あなたは愛を欲し、愛を与えたい人間はいないのですか?愛がない人間ほど、人間は不幸になっていく。」
彩葉の頭に、ふと彼女の“姉”の面影が浮かんだ。温かな記憶が胸を満たす。彩葉はその幸福に短く目を閉じる。
「────お姉ちゃん。私のお姉ちゃんは優しくてかっこよくて、目が綺麗で鼻が高くて唇がぷるぷるで肌が綺麗で、……それでいて、私のことを見捨てないでお姉ちゃんとして私を守ってくれた。……そんなお姉ちゃんが、私は好き。」
女は声を震わせ、意味ありげに頬を掻いた。欲情めいた瞳で彩葉を見つめ、その声音は陶酔を含んでいた。
「嗚呼……嗚呼……嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼!!素晴らしい姉妹愛!!姉妹愛も素晴らしい、愛は色々な形があり、色々な形があるからこそ美しく残酷ッ……。嗚呼…最高の姉妹愛ですわ。うっかり、見蕩れてしまうほどに…。」
彩葉は冷ややかに女を見つめ、剣を抜くかどうか寸前で踏みとどまる。団長への通話は生きている。情報は共有され、団長は次の一手を模索しているはずだ。ここで不用意に戦端を開き、治癒術士たちを危険に晒すわけにはいかない。彩葉は一呼吸置き、冷静に状況を整理した。
「あなたの質問に答えたのだから、私からの質問にも答えてもらうわ。……天道教の連中は、何を企んで、何をしようとしているの?あなた達の本当の目的は一体何?東商の人間の皆殺しだけだとは、考えにくいけど。」
女は一瞬だけ静かになり、そして絢爛な口調で答えた。
「───私はあんな戦闘バカのイカれた連中とつるむ気はありません。《あの御方》が私に愛をくれた…。この左目を潰し、私の身体をズタズタにして、私を一番に見てくれていた……嗚呼…それこそが愛…愛をくれたあの御方にこの命を捧げるために私は天道教に入った。だから他の連中など眼中に無い。……ただ、最近天道教に入った彼女。『一星灯火』は 、間違いなく私達の中で別格の強さをしていた。それくらいしか覚えていませんわ。」
「一星…灯火…?誰だ…?」
フィアが大胆に割って入り、真名を問いただす。声には明らかな動揺が混じる。
「─── そこのあなた、一星灯火さんが天道教に入ったのは…本当なんですか。」
フィアの言葉に、彩葉と治癒術士たちの顔に色が失せる。フィアの思考はストレイドからの助言へと遡っていた。彼の言葉が、胸の奥で鈍く響く。
『────フィア。俺は次の戦で、己の命を懸けなきゃいけなくなりそうなんだ。…だからもし、万が一の事があったら、シクリータ宮殿を頼むぞ。俺とフィアとの約束だ。』
「……今回の戦いに、ストレイド様も参加されています。…ということは今…ストレイド様は…。」
「一星灯火と戦ってるかも…でもこうやって分断された今、ストレイドさんが一星灯火と戦えているかも怪しいところだと思うけど、ひょっとしたらストレイドさん以外が戦っていて勝てずに犠牲者を増やすかもしれない。」
ふたりが言葉を交わす間、女は再び自分の世界へ戻って囁くように呟いた。愛の旋律が、じわりと周囲を捕らえてゆく。
「それも愛…愛が全て…。あぁ…それも愛。私は愛を持つもの全てを敬愛している愛の信徒…。愛に仕えるもの…。全てはあのお方が私に愛をくれた……。あぁ…ぎもぢぃいわァ……アイ……。」
彩葉は眉をひそめながらも、団長と繋がっていることを確かめる。現状を維持しつつ、情報収集を続けるのが最良の選択だ─────と彼女は判断した。
───
一方、団長は通話の内容を聞き、怒りを抑えきれずに動き出す。胸中に去来するのは、仲間を守るという単純で強い決意だった。彼はただちに走り出す。目的地も定めないまま、ただ前だけを見つめて。
「とにかく、俺が先陣を切らないでどうする。団長である俺が、皆の前に立たないでどうするんだ…!!!待ってろお前ら、俺が居たら、絶対に犠牲者は出さないでやる。」
その足は、躊躇なく街の暗がりへと消えていった。
───
別の戦場では、炎と水の導きがぶつかり合おうとしていた。神蔵蓮─────第一位の討伐士は、目の前に立つ女性を灯火と見定めた。彼の声は揺れ、しかし力強い。
「────灯火。久しぶりの再会だ。元気してたか?」
だが答えは、炎の奔流だった。灯火は言葉なく掌を掲げ、空間を炎で満たす。周囲は瞬く間に炎のフィールドに覆われ、退路は断たれた。激しい熱が襲いかかり、視界は赤く燃え上がる。
『…あっつ…炎の導きは健在か。…一瞬にして囲まれた、完全に退路を絶たれた。……まぁ最初から、逃げる気なんてサラサラなかったけど。』
蓮は一歩も退かない。彼の胸には、水の導きが常時宿り、外的炎撃は彼を脅かさない。灯火の一撃は強烈だが、彼の皮膚に一筋の傷も残さない。
「呆気ない終わり方ですね。神蔵蓮。仮にも東商討伐士最強がこの程度だったなんて、少しガッカリです。」
灯火の瞳は冷たく、蓮の存在に対して容赦を示さない。だが蓮は静かに、しかし断固たる声で、炎の中から顔を出して応じた。
「─────忘れたか?灯火。俺は水の導きが"常時発動"している。その程度の攻撃じゃ、俺にかすり傷ひとつ付けることも出来ない。… こんな所で灯火を野放しになんて出来るわけないだろ。此処で俺が、灯火を止めてみせる。」
蓮の言葉には、確かな覚悟が籠もっていた。かつての盟友を前に、彼の胸に渦巻く感情は複雑だ。憤り、悲しみ、そして守るべきものへの責任。
「────ならば私も全力で、行かせてもらいます。」
灯火の返答は冷たい敬意を含んでいた。互いの導きがぶつかる瞬間、戦場はさらに激化していく。
「…まずはその敬語を辞めさせてやる。俺が、偽物の灯火をぶっ倒して、本物の灯火を取り戻す。」
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