第五十七話『戦闘本能が開花した日』
───これは、決して忘れることのない過去の記憶。
私が十四の時、初めて知った“感情”の形。
天道教『神殺し』が襲来する、あの惨劇の前の出来事──。
「───お兄ちゃん。私も、戦闘に行きたい。」
普段、戦いを好まないフィアがそう言った瞬間、兄は目を瞬かせた。どういう風の吹き回しだ、とでも言いたげな表情で問い返す。
「これまた急だな。どうした。そんなこと言うなんて珍しいじゃないか。」
「…私、今のままじゃダメだって思うの。すごく不安で、すごくみんなに迷惑かけてる気がしてて……。それに、狼族なら戦わないとでしょ!」
「……絶対昨日見たテレビの影響だな。」
兄の観察眼はやはり鋭かった。
昨日フィアが夢中になって見ていたのは、ヒーロー物の特撮映画。その熱がまだ冷めていないのを、兄は一瞬で見抜いたのだ。
「うぐっ…ち、違うよぉ?そんなことないよぉ。」
「ははっ、分かりやすいなフィアは。……でもどうするかな。今回の仕事は簡単とはいえ、いきなり戦場に立たせるのは危ないかもな。」
兄は仲間の戦士たちに相談を持ちかけた。
すると、意外にも賛成の声が多く上がる。その中で、ワクワクと目を輝かせるフィアを見つめる影が一つ。
「──それはいい機会だ。行かせろ。」
「族長…! いらっしゃったんですか。」
「無論。素質を測るには一度戦場に立たせるのが一番だ。戦闘本能が覚醒するかもしれん。」
「……了解しました。」
族長は満足げに頷き、ゆっくりとその場を去った。
兄は小さく息をつき、妹へ向き直る。
「……はぁ、相変わらず族長は無茶ばっかりだ。……でも確かに、もし本能が開花すれば、フィアも戦力になるかもしれない。……仕方ない。一緒に行こう。」
「やったっ!!いこういこう!」
「ただし、条件が二つある。一つ、単独行動は絶対にしないこと。そしてもう一つは──危険だと思ったらすぐ逃げること。分かったな?」
「…うん! 分かった! 約束する!」
元気いっぱいの声で頷くフィア。
初めての戦場に胸を高鳴らせながら、緊張よりも期待が勝っていた。
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今回の任務は、小さな村の征服と領地の確保。
東商中央区から少し離れた田舎の集落で、戦いを好まない者たちが静かに暮らしている場所だった。
狼族の目的は単純明快──領土拡張。
その対象となったのが、平和を望む兎族の村だった。
進化した未来の世界では、獣たちは人間のように知恵を持ち、二足歩行で暮らす。
チーター族なら脚が速く、兎族なら身体能力が高い。
人間よりもずっと、自然に祝福された存在たち。
だがその力の差が、時に悲劇を呼ぶ。
「────貴様が長だな。この地は我ら狼族が頂く。服従するか、死ぬか選べ。」
「……こ、殺すならワシだけに…! お願いします。お願いします……!」
「だったらさっさと失せろ。この地を捨てて出ていけ。」
「で、でも……私たちはどこへ……」
「知るか。さっさと消えろ。」
荒々しい声が響く。
怯える兎たちの前に、一人の若い男が飛び出した。
「────うぉぉぉっりゃあ!!!」
鋭い蹴りが狼の戦士を襲う。しかし、容易く防がれる。
「────誰だ、貴様。」
「へっ、お前なんかに名乗る名前なんかねぇよ! この戦闘民族風情が!!」
「───バ、バルモア。戻っておったのか。」
「うるせえな、爺さんも情けねえ姿見せてんじゃねえよ。兎族が舐められてばっかなのは爺さんのせいじゃねえのか?」
「……貴様はまだやれそうだな。兎族が我々に勝てるとは思えんが。」
「吠えてろ、汚ねぇ犬が。俺をそこらの子うさぎと一緒にすんな。」
村全体が怯える中、ただ一人、戦うことを楽しむかのような目をした兎がいた。バルモア──兎族にありながら、血の匂いを恐れぬ異端児。
「……いいだろう。我々の力を思い知らせてやる。」
「あぁ、好きにかかってこいよ。全部避けてやるぜ。」
そして戦闘が始まった。
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一方その頃、兄とフィアは別の区域で避難を確認していた。その途中で、怯える兎族の親子に出会う。
「───お兄ちゃん、あの兎、怯えてるよ。」
「……そうだな。どうする、フィア。」
「……少し話してみる。」
フィアはゆっくりと歩み寄り、優しく声をかけた。
「───ねぇ、あなた達。こんな所で何してるの?」
「ひ、ひぃっ……わ、私達をどうする気ですか。こ、殺すのならご勘弁を…! せめてこの子だけでも……!」
母が娘を抱きしめ、涙ながらに懇願する。
その姿にフィアは静かに微笑んだ。
「……殺さないわ。私は戦士じゃない。ただみんなに着いてきただけの狼。だから、殺さない。……それに、私は何も見てなかった。可愛いうさぎさんがここに居ることも、知らない。だから、行きましょ? お兄ちゃん。」
──“逃げろ”。
その優しさは、彼女らしい暗黙の救いだった。
兄はそんな妹を見つめ、心の中で呟く。
やはりフィアは戦士には向かない。
彼女の“優しさ”が、戦場では命取りになるからだ。
「フィアなら、そうやると思ったよ。……やっぱりフィアは優しいね。」
「…優しいお兄ちゃんと、優しいパパとママに育てられたからね。私が優しくなるのは当然でしょ?」
彼女は笑顔でそう言い、兄は小さく頷いた。
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「───こんなもんかよ。狼っつうのはよ。」
戦場は既に血に染まっていた。
多数の狼族が倒れ、唯一立っているのはバルモア一人。満身創痍のように見えながら、その血はすべて返り血だった。
「おぉっとぉ? 生き残りか? 可愛い女と強そうな男。なんだ、カップルか? 狼族カップルとか反吐が出るぜ。」
「フィア、こいつは強敵だ。お前の敵う相手じゃねえ。」
「戦闘民族同士の会話じゃねぇなぁ? 女だろうと関係ねえ、戦うなら戦えや!!」
次の瞬間、バルモアは信じられない速さでフィアを捕らえた。
「……おい! フィアを返せ!!」
「嫌だね。見たくなったんだよ、この女の“本能”をな……。」
その言葉と共に、フィアの首筋へ牙が突き立つ。
血が溢れ、悲鳴が響く。兄はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「さぁ……唸れ、苦しめ。俺にその強さを見せてみろ、女ァ!」
血が滴る中、フィアの身体が震え、形を変えていく。
理性を失った獣が吠え、バルモアを睨みつける。
『グルルルルル……グガァァァァァァ!!!!』
唸り声と共に腕を振り抜く。空気を裂く一撃が兎を襲う。
「うぉっ!! すげぇな! 速ぇじゃねぇか! さっきの奴より強ぇぞ!!」
「……フィア、無理はするな。」
暴走する妹を前に、兄は祈るように呟いた。
戦闘は長引き、やがてバルモアは限界を迎える。
「───お前の強さは分かった。もう時間がねぇ。悪いが帰らせてもらう。この領地は好きにしろ。」
そう言い残し、バルモアは姿を消した。
だが獣と化したフィアは暴走を止められず、周囲を破壊し尽くす。
「……仕方ねえな。俺が相手だ、フィア。お兄ちゃんが遊んでやる。」
兄は腕だけを狼化させ、片腕で暴走した妹を受け止める。 その戦いぶりは、まるで訓練のように冷静だった。
「懐かしいなぁ、昔もこうやって遊んだっけ……。」
やがてフィアは力尽き、人の姿へ戻る。
「────お、にいちゃん…?」
「お疲れ、フィア。よく頑張ったな。」
優しく抱き上げる兄。彼の身体には傷一つなかった。
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帰還後、兄は族長へ報告した。
「────族長。無事に兎族の村を征服しました。」
「ご苦労。それで、フィアはどうだった?」
「……戦士の素質は確かにありました。ですが、彼女は優しすぎる。戦いよりも“助けること”を選ぶ子なんです。だから、妹を戦場に立たせたくありません。」
「……貴様、戦闘民族の道理を否定する気か。」
「私は、小さい頃にも言いました。妹の分まで、俺が戦うと。今までもそうしてきました。だから、これからも俺が戦う。妹には、優しく平和に生きてほしいんです。」
「……大した覚悟じゃな。何故そこまで出来る。」
「フィアは、俺の大切な妹だからです。可愛い、可愛い大事な妹なんです。だから、戦わせたくない。戦いの宿命は、俺が全部背負いますから。」
その真っ直ぐな瞳に、族長も言葉を失った。
──帰宅後。
「……フィア、起きたのか。体は大丈夫か?」
「…うん、なんとかね。まだ少しだるいけど。」
「……なあ、フィア。お前は、戦闘民族に生まれたこと、後悔してないか?」
「……私は、お兄ちゃんの妹に生まれたから、後悔なんてしてないよ?」
その言葉に、兄の目が潤む。
あまりにも真っ直ぐな答えだった。
「だって、こんな優しいお兄ちゃんがいて、私は幸せだから。……お兄ちゃんがいなかったら、今の私はいないもん。」
「……そうか。」
「だから、後悔なんて全然してない! でも、やっぱり戦うのは好きじゃない。助けたいって思っちゃうの。……それが私なの。」
「大丈夫だ。お兄ちゃんがフィアの分まで戦う。だから、フィアは自分の生きたいように生きてくれ。」
優しく抱き寄せる兄。
その温もりが、確かにフィアの記憶に刻まれた。
──そして今。
あの兄は、母を失ったあの日から壊れてしまった。
狂気に飲まれ、暴れ馬と化した兄を見て思う。
あの時の優しい兄が報われないなんて、絶対に許せない。 あの兄を壊した『神殺し』を──私は、絶対に許さない。
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