第四十九話『最強同士の話し合い』
「───んん、ここは。」
瞼を持ち上げると、視界いっぱいに見知らぬ天井が広がった。
いつも目にする簡素な宿舎の天井とは違い、装飾の施された柔らかな色合いが、ここが別の場所であることを即座に理解させる。
身体を動かそうとすると、ふかりと沈み込む感触。
硬い寝台ではなく、必要以上に柔らかいベッドだった。
意識が徐々に現実へと引き戻される中、横に気配を感じて視線を向ける。
そこには、メイド服に身を包んだ少女が、背筋を正して静かに座っていた。
「目覚めましたか。深海様。」
「あ、あぁ……いてて。うっすらとしか覚えてねえんだが、オレは……どうなった。」
頭を押さえると、鈍い痛みがじわりと走る。
だが、それ以上に、記憶の断片が曖昧なまま途切れていることが気になった。
「深海様は中庭でストレイド様に木刀で殴られ、気絶していました。治癒術士の話では特に異常はないとのことで、こちらへ運び、寝かせていました。今はもう夜です。」
「そうか……悪いな。……というか、フィアはオレが起きるまで、ずっとここに?」
周囲を見回して、他に誰もいないことを確認する。
彼女が一人で付き添っていたとしたら、それは流石に申し訳が立たない。
「はい。“異常は無い”とは言われたものの、やはり少し心配でしたので。」
「ありがとう。いでで……頭痛ぇ。」
軽口のつもりで言ったが、実際に頭を動かすと、まだ完全ではないことを実感させられる。
「大丈夫ですか?もう少し休んでいた方が――」
「いや、いいよ。ダメージは大したことない。それより、負けたことの方が悔しいんだ。……何にも出来なかったからな。」
あの時の光景が、否応なく脳裏に蘇る。
自分は、ただ翻弄され、何一つ通せなかった。
「───ストレイド様は、深海様のことを褒めていらっしゃいましたよ。」
「でも、オレは何も出来てなかった。それは事実だ。認めなきゃな。……ストレイドさんは今どこに?」
評価と結果は別物だ。
その差を、深海自身が誰よりも理解していた。
「一階にいらっしゃいます。今の時間なら、お風呂かと。」
そう答えた直後だった。
バタン!と、部屋の空気を切り裂くような音と共に、扉が勢いよく開く。
「シンくん!! 大丈夫!?」
愛菜が駆け込んできたかと思うと、勢いのまま距離を詰め、そのまま飛びつくように抱き締めてきた。
柔らかな体温と、安堵の吐息が一気に伝わってくる。
「愛菜……大丈夫だって。平気平気。……っていうか、大袈裟だろ。」
「だって、だってぇ……。」
声が震えている。
それだけ心配していたのだと、嫌でも伝わってきた。
「あ、あんまり近くに来られると……反応に困るっつうか、その……。」
言葉を濁すと、愛菜ははっと我に返ったように身体を離す。
安否を確認できて安心したのか、急に頬を赤く染め、慌てて距離を取った。
「そ、そうねっ……! 確かに距離近かった、ごめん。」
場に微妙な空気が流れる中、フィアが一歩下がり、静かに頭を下げた。
「私はお邪魔のようなので、これで失礼します。」
「あ、あぁっフィア! 邪魔じゃないから!」「そうそう! フィアちゃんもここに居てよ!?」
二人の声が重なるが、フィアは穏やかに微笑むだけだった。
「───そういえば、琴葉はどうした?姿が見えねぇが。」
ふと、もう一人の姿がないことに気づく。
あれだけ派手に戦っていたのだ、無事でないはずがないとは思いつつも、胸がざわついた。
「あ、琴葉ちゃんはまだ寝てるよ。シンくんが起きたってことは、そろそろ起きるんじゃないかな?」
「オレが起きたのと関係ある……? って待て、もしかして琴葉もストレイドさんと……」
嫌な予感が、背筋をなぞる。
「はい。深海様の後、自ら名乗り出て戦われました。結果は……言わずもお分かりの通りです。」
「マジか……琴葉でも勝てねえのかよ。で、でも、さすがに一撃くらいは当てたんだろ?」
半ば願望に近い問いだった。
「いえ。最初は様子見で琴葉様の全攻撃をかわし、その後一撃で終わらせました。」
「化け物かよ……怪物かよ……。あの琴葉の“神速”をものともしねぇなんて、一体何者だ。」
自分との差を思い知らされるよりも、世界の広さを突きつけられた気分だった。
「ストレイド様はお強いです。それに、確固たる信念をお持ちですから。その力を得るまで、相当な修練を積まれたのでしょう。」
その言葉には、尊敬と確信が混じっていた。
「そういえばフィア、なんでストレイドさんに仕えるようになったんだ? 最初から知り合いってわけでもなさそうだったけど。」
何気ない問いだったが、フィアの表情がわずかに変わる。
「───そうですね。それをお話しするために、ご案内すべき場所があります。動けますか?」
ただの世間話では終わらない。
そう直感した。
「あぁ、全然余裕だ。行こう。」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
一方その頃、中庭では───。
夜の帳が降り、昼間の喧騒が嘘のように静まり返った中庭。
月明かりが芝生を淡く照らし、風に揺れる木々の葉が、微かな音を立てている。
先ほどまで激しい模擬戦が行われていたとは思えないほど、空気は落ち着いていた。
その中央に立つ二人の男。
一人は剣豪と称される宮殿の主、ストレイド。
もう一人は、討伐士第一位にして名門・神蔵家の後継者──神蔵蓮。
「───ストレイド、あれはやりすぎだ。仮にも僕の後輩に、あそこまですることはないだろ。」
蓮の声音は穏やかだが、そこには確かな咎めが含まれていた。
後輩を案じる純粋な気遣いが、その言葉の奥に透けて見える。
「“さん”を付けて敬語を使え、蓮。……お前なら分かるはずだ。あれでも相当な手加減をした。それに、あの二人には剣の才がある。特にあの男、深海だったか。」
ストレイドは腕を組み、夜空を仰ぐ。
その眼差しは厳しくも、確かな期待を宿していた。
「いいじゃないか、僕とストレイドの仲だろ?……彼は討伐士認定試験の頃から、異様な伸びを見せていた。戦闘型AIを破壊し、身体能力も飛躍していた。僕も驚かされたよ。」
思い出すように語る蓮の表情には、当時の衝撃がまだ残っている。
ただの才能ではない、異常とも言える成長速度。それは第一位である蓮自身が認めるほどだった。
「ほう、第一位が太鼓判を押すほどか。……だが、あの覚悟と気迫。きっと何か大きなものを抱えてるな。」
ストレイドの脳裏には、剣を振るう深海の姿が浮かぶ。
単なる勝利欲ではない、切実で、切羽詰まった何か。
「やっぱり君は鋭いね、ストレイド。───彼は、天道教幹部“鉄壁のベンケイ”を倒そうとしている。」
その名が告げられた瞬間、空気がわずかに張り詰めた。
「……やはり、奴らが絡んでくるか。天道教、聞くだけで胸糞悪い。」
吐き捨てるような声音。
過去に何かしらの因縁があることを、隠すつもりもない。
「僕も同意見だ。だが、彼は本気だ。天道教の幹部は強者揃い。しかも教祖が力を授けているという噂もある。苦戦は避けられない。」
事実を淡々と並べる蓮だが、その目は決して軽く見ていない。
「そうだろうな。チッ、香良洲の連中だけでも厄介なのに、また天道教まで……。」
指で眉間を押さえ、ストレイドは深く息を吐いた。
世界が、再び戦乱へと向かっている気配を感じ取っている。
「天道教が最近動き出した理由、僕に心当たりがある。」
「なんだ? ここ最近、大きな動きはなかったはずだが。」
蓮は一瞬、言葉を選ぶように沈黙した。
「──────」
その沈黙こそが、答えだった。
蓮の言葉を聞いたストレイドは、絶句した。
長い沈黙の末、ようやく言葉を絞り出す。
「……! おい、それ本当か。未だに信じられねぇ事だぞ。」
「あぁ、本当だ。その前兆として、天道教が“東商全域の人間を虐殺する”と予告してきた。僕の考えが正しければ、恐らくは─────」
言葉の先を聞くまでもなく、最悪の想像が脳裏を埋め尽くす。
「…………」
剣を握るストレイドの手に、無意識に力がこもった。
「……無言にもなるよな。ストレイドには重い話だった。すまない。僕は行く。深海たちのこと、頼んだ。」
そう言い残し、蓮は踵を返す。
「……待て、蓮。一応聞くが─────天道教が攻めてきた時、お前は奴らと戦うのか?」
その問いに、蓮は足を止めた。
振り返ったその表情には、迷いは一切なかった。
「───無論、戦うさ。誰が相手だろうと。東商討伐士第一位にして、神聖なる神蔵家を継ぐ僕が先陣を切らずに、誰が戦場に出る。」
誇りと覚悟を背負った言葉だった。
言葉を残し、蓮は背を向けた。
その背中は、あまりにも真っ直ぐで、だからこそ危うい。
ストレイドはその背中を見送りながら、腰に差した剣へと視線を落とし、低く呟く。
「────ふざけるなよ。俺は反対だからな。お前が、奴を斬るなんて……残酷すぎるだろうがよ。」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「どうぞ、入ってください。」
フィアに案内されたのは三階、彼女の部屋の隣だった。
静かな廊下の突き当たり、ほとんど物音のしない扉の前で彼女は足を止める。
わずかに息を整え、覚悟を決めたようにノブへ手を伸ばした。
扉を開けて入ると────
「これは……。」
室内は整然としていた。
余計な家具はなく、最低限の生活用品だけが静かに配置されている。
その中央、ベッドの上で眠っている一人の男。
一見すれば、ただ深く眠っているだけのように見える。
だが、近づくにつれ、深海の胸に言い知れぬ違和感が広がった。
呼吸は規則正しいのに、まるで“生きている”という実感が薄い。
「───私の兄です。今は目を覚ましていませんが。」
フィアの声は静かだったが、どこか張り詰めていた。
「普通に寝てるだけ……じゃなさそうだな。」
深海は視線を逸らさず、男の顔を見つめる。
血色は悪くない。外傷もない。
それでも、肌の奥に潜む異質な気配が、直感的に危険だと告げていた。
「───兄は、“暴れ馬”なんです。」
「あ、暴れ馬?ってなんだ?」
聞き慣れない言葉に、深海は眉をひそめる。
「“暴れ馬”────未だ症状の全容は不明です。分かっているのは、脳に憎悪や復讐心が宿り、理性を失って暴れ出すということだけ。」
淡々とした説明とは裏腹に、フィアの指先は微かに震えていた。
「怖い……。対処法とかないのか?」
「残念ながら、対処法も原因も、病かどうかすら分かっていません。“暴れ馬”という名も、ストレイド様と私が勝手に呼んでいるだけです。」
研究も治療も追いつかない、正体不明の異常。
その事実が、部屋の空気をさらに重くした。
「で、今はぐっすり寝てるってわけか。そういえば、飯とかはどうしてる?」
「そこが不思議なんです。兄が暴れるようになってから、行動が“暴れる”と“眠る”の二つだけになっていて。食事も排泄も、一度も見たことがありません。」
「マジか……。それじゃ、いつ暴れ出すか分からねぇな。」
深海は無意識に一歩引いた。
眠っているはずの男が、いつ目を開けるか分からないという恐怖が背筋を走る。
「───兄がこうなったのも、全て、私のせいなんです。……今からお二人に、私の過去をお話しします。私の故郷で起きたことを、すべて。」
フィアが、ゆっくりと深海の方を向く。
その瞳には、逃げ場のない後悔と、覚悟が宿っていた。
フィアが、真剣な顔で彼を見る。
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