第四十二話『愛別離苦は突然に』
あの悲劇から一日が経ち、私はお父さんと一緒に病院へ向かっていた。
「それで先生、妻の容態はどうなんでしょうか。」
「……結論から言いますが、彼女の病は原因不明です。何故吐血したのか、何故息苦しく肺が詰まったのか、まったく分かりません。ですから、処置のしようもない状況です。今後は経過観察をしながら、症状に応じた薬で対応していくしかありません。」
「そんな……治癒術は使ったんですよね。」
「はい、全ての器官に治癒術を使いましたが、傷もなく正常に動いています。ですが、体力はどんどん削られていくでしょう……正直、私も初めてのケースです。気を引き締めて治療に専念するしかありません。」
お母さんの病気は、これまでの医学史上でも類を見ない特殊な変異型。原因は不明で、いつ症状が現れるかも分からない。その話を聞きながら、私はただ先生とお父さんの会話を下を向いて聞くことしかできなかった。
「お母さん、大丈夫?」
病室のベッドに横たわるお母さんは、たった一晩で驚くほど弱々しく見えた。
「うん、大丈夫。ごめんね…心配かけて。……家は、大丈夫?」
「私たちのことなら心配しないで。お父さんと一緒にちゃんとやってるから。」
「……ありがとう、絵梨花。」
弱々しい声に、愛情が籠っているのが伝わってくる。
母親の優しい瞳と目を合わせるだけで、涙がこみ上げそうになるのを必死に抑えた。
「──大丈夫か。」
お父さんが病室に入ってきた。医師との話を終え、母の様子を確認に来たのだ。
「うん、大丈夫…。ごめんね。子供達に負担かけちゃって。」
「そんなこと気にするな。俺が仕事でいないときは、絵梨花に任せてあるから。」
「お母さん、私、しっかり頑張るから。絶対に負けないでね…!約束だから!」
「……うん、約束。お母さんも頑張るから。絶対に生きてみせる。」
指切りげんまん。硬い約束を交わし、その日は終わった。父は討伐士の仕事で多忙を極める。だから、私が家のことをしっかり支えなくてはならない。
兄弟の弁当作り、学校の準備、買い物、家事、料理、そして自分の学校生活。忙しすぎて、一日があっという間に終わる日々だった。
でも、お母さんも頑張っている。
だから私も、弱音を吐かず、全力で頑張ることができた。
私は元々臆病で、男性も苦手だった。
学校ではあまり馴染めず、授業を受けるだけの日々。
同じクラスの男子から告白されても、全て断った。
単純に異性が怖かったからだ。
そのせいで女子からも避けられるようになり、学校生活をどう送ればいいのか、分からなくなることもあった。
それでも、私には楽しみがあった。
毎日の、お母さんとの面会だ。
学校帰りに必ず病院に寄る。面会は一人30分と決まっていたが、十分だった。その日あった出来事や兄弟のことを母に話すと、お母さんはいつも楽しそうに聞いてくれた。
「───そう、そんなことがあったのね。」
「そうなの。それに彩雨がすぐ喧嘩してさ、ほんとやになっちゃう。」
「ふふっ、でもお姉ちゃんがしっかり仲裁に入ったんでしょ?」
「ま、まぁね!私お姉ちゃんだから!」
「まぁ、頼もしいお姉ちゃんね。…… ゔっ…、ゲホッゲホッ…!はぁ……はぁ。」
「お母さん……!!大丈夫!?」
「え、ええ。大丈夫。ごめんね、あそこの薬、取ってくれない?」
「分かった。」
「ありがとう、本当にごめんね、絵梨花。」
咳き込む母の姿は日常になっていたが、最近は頻度が増えているように思える。
母は日々、体が弱っていっているのだ――考えたくない現実を、無理にでも考えざるを得なかった。
それでも、私たち兄弟は信じている。
お母さんが元気になり、また家に戻ってくることを。
---
あれから一年が過ぎた。
私も高校2年生、17歳になり、皆少しずつ大人に近づいていた。
その時、一本の電話が鳴った。
「───もしもし、奥寺です。…………えっ、お母さんが……!?はい、すぐ行きます。」
医者からの電話だった。
お母さんの容態が急変したとのこと。今すぐ来てほしいという。
私は急いで支度をし、家を飛び出した。
学校なんてどうでもよかった。朝のこの電話、嫌な予感が胸を締め付ける。
走りながらお父さんに電話し、事情を伝える。病院に着くと、母の姿が目に入った。
「───お母さん!!」
病室の扉を勢いよく開けると、明らかに体が弱り果てた母がいた。
「……絵梨花…?」
「来ましたか。絵梨花さん。」
「先生…母は、母に何が…。」
「場所を移しましょう。」
奥の部屋に通され、座らされる。心臓が早鐘のように打つ。
「───単刀直入に申し上げます。お母様は、もう"明日を迎えることは叶わないかもしれません"。」
医師からの余命宣告。
私は唖然とし、頭の中が真っ白になった。必死に理解しようとするも、心も体も拒絶する。
「…………と、いいますと。」
「体力は著しく低下し、食事も取れません。このままでは、明日を迎えることは難しいでしょう。」
「……そうですか。……今まで、ありがとうございました。母のために尽力してくださって。感謝しかありません。」
「我々も最善を尽くしました。悔やんでも悔やみきれません。本当に、申し訳ありません。」
医師は謝罪の言葉を繰り返す。
でも私は感謝しかなかった。原因不明の病に犯されながら、これまで生きてこれたのは奇跡だと思ったから。
その後、全員が病室に集まり、母との"最後の会話"を交わした。母は弱々しいが、声はしっかりしていた。
「──みんな、来てくれたのね。……学校は?」
「こんな状況で学校なんて言ってられないだろ。クソが。」
「詩音。口が悪いよ。」
「…………察しろよ。堪えてるんだよ。俺だって。」
「───ごめんね、色々迷惑かけて。お母さん、もっと生きていたかったんだけど、さっき聞いたら、結構きついみたい。」
全員が涙をこらえ、母の言葉に耳を傾ける。
「……あなた、私がいなくなっても、討伐士の仕事と、この子達のこと、よろしくね?」
「……もちろん。お前の分まで、しっかりみんなを育てる。心配するな。」
「…ここにある色紙を見ると、頑張ろうって思えてたのにね。」
そこには、子供達がお母さんのために書いていたメッセージが書いてある色紙が飾ってあった。
「お前は充分頑張った。それは子供達にも伝わってるはず。もう楽になっていい……よく頑張ったさ。」
「……お母さん。」
一人一人が母に感謝と想いを伝える。
今伝えなければ、二度と伝えられない。母の意識があるうちに、思いを届けるのだ。
「僕ね…お友達ができたんだ。小学校に、たいくんっていう子がいて……ママみたいに優しいんだ……だから、…うう……。」
「楓、良かったわね。大切にしなさい。」
「俺も友達できた。それに将来の夢も決まった。学者になる。勉強して、医者になるんだ。」
「蓮斗、いいことね。お母さん応援してるわ。」
「私は…パティシエ。でも討伐士に喜んでもらえるようなパティシエになるの。」
「紗月、あなたならできる。応援してるわ。」
「夢はあんまりないけど…母さんみたいに、人に優しくなる。」
「佳希、あなたは元々優しいから心配いらないわ。絶対、人のためになる。」
「うぅっ、お母さん…私、私っ…お母さんみたいな人生送るから、心配しないで。」
「葵、泣き虫だけど、絶対幸せになれるわ。お母さんの子だもの。」
「おかあちゃん、詩音と喧嘩するけど、もう少なくする。…そして私、結婚して、母みたいなお母さんになる。」
「彩雨、あなたも立派な奥さん、お母さんと同じように子供を愛してあげてね。」
「母さん。俺、彼女がいるんだ。本当に可愛いんだ。」
「詩音、あなたは頑固だけど優しい。彼女さんを幸せにしなさい。」
最後に回ってきた、私の番。
涙がこぼれ、心臓が早鐘のように打つ。頭の中のノイズも、母の声を聞いた瞬間、静まった。
「───絵梨花、あなたには色んな負荷をかけたと思ってるわ。毎日お見舞いに来て、家事もしてくれて。本当に、絵梨花がいてくれて良かった。あなたは絶対、どこでも活躍できる子よ。私の、本当に誇れる長女だもの。」
「お、おかあさん……おかあさぁぁん!うわぁぁぁん…!」
涙が溢れ、メガネを濡らす。
私は母の元へ駆け寄り、思いをぶつけた。
「──お見舞いも家事も全部、私がしたくてやったの…!!お母さんの助けになりたくて、頑張った。お母さんも頑張ってた!…お母さんは私の、本当に大好きで、本当に最高なお母さんだった!私は、お母さんの子供で生まれてきて幸せだった!!本当に幸せだったの…!!」
「分かってるわ、分かってる。私もあなた達の母で幸せだったわ。出会えたおかげで、ここまで生きられた。……おいで。みんな。」
兄弟と父が母の元に集まる。
母は力を振り絞り、全員を抱き寄せるように腕を広げた。
「本当に、私の自慢の子供達。可愛くて愛おしい、私の宝物。…本当は、みんなの大人になる姿や結婚、孫を見る景色を見たかった。でも、私は今、凄く幸せ。みんなのこと、ずっと見守ってるから。私の分まで、生きて、…幸せに、なりなさい。────みんな、愛してる…。」
最後まで、最後の最後まで。
母は私たちに愛を注ぎ続けた。
そして、ゆっくりとベッドに体を委ね、再び起き上がることはなかった。
病院の関係者も、私たちの光景を見て涙を流していた。母は幸せな表情のまま、静かに息を引き取った。
私たち兄弟はしばらく、最後の母の温もりを感じながら、涙と悲しみを零した。
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