第三十九話『閃光 vs 奥寺絵梨花』
「こ、怖いけどっ…頑張れ私っ…!」
そう小さく呟き、自分の頬を二度、パンパンと手で叩く。軽い音が夜の住宅街に響き、すぐに闇へと吸い込まれていった。
──大丈夫。私は討伐士。
怖いからこそ、前に進まなきゃいけない。
それが、絵梨花なりの気合の入れ方だった。
一人で住宅街をパトロールしているが、辺りは異様なほどに静かだ。
風の音すらほとんどなく、窓明かりもまばら。
人の生活音が感じられないことが、逆に不気味さを際立たせていた。
まるで、街そのものが息を潜めているかのような感覚。
────何かが出てきそう。
そんな嫌な予感が、背中にまとわりつく。
そしてその予感は、驚くほど正確だった。
「…なにかおかしい、明らかに静かすぎるし、人と会ってない…。連続事件が起きて警戒してるからなのかな…でも…それにしたって明らかに…」
言葉の途中で、空気が変わる。
説明できない圧迫感が、背後から覆い被さった。
「───祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。…嗚呼、いい響き。いい言葉だ。人は季節と同じく移り変わり、人はみな変化を求める。だから、人を変化させる独裁者的存在がいてもいいんじゃないか。───お嬢さんも、そうは思わないかい?」
油断していたわけじゃない。
むしろ、警戒は怠っていなかった。
それでも、一瞬だった。
背後を取られたと理解した瞬間、背筋に氷水を流し込まれたような感覚が走る。心臓が跳ね、呼吸が浅くなる。
身体が本能的に“危険”を認識し、硬直しかけた。
─────強い。
理由は分からない。ただ、圧倒的な“格の違い”だけがはっきりと伝わってくる。
冷や汗が止まらない。
それでも、絵梨花は深く息を吸い、無理やり身体の緊張を解く。後退し、距離を取る。討伐士としての訓練が、彼女を辛うじて現実に引き戻していた。
相対する男性は、長く白い髪を持ち、織姫のような漢服を纏っている。夜の街灯に照らされ、その姿はどこか幻想的ですらあった。
表情は穏やかだし柔らかい声。
微笑みすら浮かべている。
──なのに。
その瞳の奥には、理解不能な狂気が渦巻いていた。
「あ、あなたは…この住宅街の人…ではなさそうですね。何者…なんですか?」
声が震えないよう、必死に抑えながら言葉を紡ぐ。
「おお〜、お嬢さん、カンがいいんだね。ふふっ。君みたいな女の子は嫌いじゃないよ。顔可愛いし、メガネを外してコンタクトにすれば、もっとカワイイのに。」
ぞわり、と嫌悪感が背中を這う。
「悪い人…じゃないのか?でもなんだか怪しい。」
自分でも矛盾していると思いながら、口に出してしまう。相手の正体を測ろうとする、必死の言葉だった。
「君はきっと、疑い深い女の子なんだねえ。大丈夫だよ。俺はただ、『人の変化を促すために数多の人間を殺害』してただけだからさ。」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
声色は変わらない。
雑談でもするかのような、軽い調子。
脳が理解を拒否し、思考が止まる。
「え…今なんて‥。」
絵梨花の問いに、男は首を傾げ、少し困ったように笑う。
「あれ?聞こえなかった?ごめん、じゃあもう一回言うね。俺はただ、変化を促すために数多の人間を殺害してただけ。やっぱ変化ってのは誰かが行動しないとだからさぁ。」
淡々と、繰り返される狂気。
「人間を…殺害…?変化…?なにそれ。意味わかんない…。」
言葉が追いつかない。
理解したくないのに、意味だけが耳に残る。
「まあ聞いてくれよ。今から話す俺の話を聞けば、君もきっと納得してくれるからさ。」
男は勝手に語り始める。
その姿に、異様な余裕があることが、何よりも恐ろしかった。
────今なら斬れる。
そう一瞬考える。
だが、剣を振ったとしても、当たる気がしなかった。
直感が、全力で警鐘を鳴らしている。
この男は、今まで相手にしてきた存在とは“別次元”だ。
絵梨花は歯を食いしばり、判断を下す。
今は、無理に動くべきじゃない。
剣を構えず、ただ耳を傾ける。
生き延びるために。
討伐士として、情報を得るために。
「───まず人間ってさ、色んな感情を持ってるよね?その感情って色々あると思うんだよ。悲しみ、怒り、喜び、苛立ち、恐怖、嘆き、苦しみ、しんどいとか、色々あるけど、その感情がどの時どの場面で出るかは、人それぞれな訳じゃない?俺はそれを見るのが楽しみなんだよ。そうだな、例を挙げるなら。ある人によっては、『母親』を殺した時よりも『ペットのポチ』を殺した方が悲しみが強い、とかかなあ!様々な人間一人一人十人十色が、感情を抱く場所、環境が違うんだよ!俺はそれを見るのが楽しいんだ!はははっ。同じ人間なのに可笑しいよね。」
男は愉快そうに肩を揺らし、まるで講義でもするかのように語る。その口調には一切の罪悪感がなく、命を奪う行為を「観察」と同列に置いている異常性が滲み出ていた。
絵梨花は歯を食いしばり、拳を強く握る。耳に入る言葉一つ一つが、神経を逆撫でしていく。
「……ふざけるな。」
短い一言。しかし、その声音には怒りだけでなく、深い拒絶が込められていた。
臆病さに揺れていた表情は消え、そこにあるのは確かな覚悟を宿した『討伐士』の顔だった。
「あれ、なんで怒ってるの?別に君の家族に手を出した訳じゃないんだから怒らないでよっ。それにそんな怒っちゃうと、高血圧になっちゃうよ?あ、君が今高血圧で倒れたら周りは悲しむかな?それとも嘆くかな?それとも───」
からかうような声音。人の感情を弄ぶことを楽しむその態度に、胸の奥が焼けるように熱くなる。
「黙れ。…私のお母さんもお父さんも、もうこの世に居ませんから、そんな自分勝手で要らない御託は結構です。…ひとつ、あなたに聞きますが、自分がそうやって勝手に奪ってきた命、どう責任取るつもりですか?」
冷静に紡がれた言葉の裏側で、感情は激しく渦巻いていた。静かな口調だからこそ、そこに込められた憎悪と嫌悪がより鮮明に伝わる。
「──責任、ねえ。その質問に一言で答えるとするならば、俺は責任取るつもりなんてない。この世界の人間は、常に変化を求めている。感情の変化、環境の変化、様々な変化を求めて生きていく種族なのさ。だから逆に、君ら人間は俺に感謝して欲しいくらいだ。だって俺が行動したおかげで、人間は変化をすぐに感じられるわけでしょ?これ程感激することはないだろう。それで俺はその様が見れて一石二鳥──」
理解しようとすることすら無意味だった。こいつは人間として完全に壊れている。自分の歪んだ信念を絶対視し、他人の人生を踏みにじることを正当化する、救いようのない邪悪。
「そうですか。あなたに聞いたのが間違いでした。あなたはそんな解釈違いの理論を並べ、幸せに暮らしていた家族の幸せを奪い、その様を見て楽しむ。…… ふざけないでください。…親がもし居なくなったら、その子は…兄弟は、どんな想いをすると思ってるんですか!!」
言葉と共に、堪えていた感情が溢れ出す。涙が自然と頬を伝い落ちるが、拭おうとはしなかった。
それは弱さではなく、失った者にしか分からない痛みの証だった。自分自身と重ね、親を失った絶望を誰よりも知っているからこそ、その想いは剣へと宿る。
涙と共に注がれた憎しみが、確かな殺意となって刃先に集約されていった。
「ははっ、そんな事俺は知らないよ。ただひとつ共通している事があるとすれば、唯一の家族を殺されると、みんな遠い目をするんだ。人生どこを目指して行けばいいか分からない。そんな目をしながら涙をボロボロ流すんだ。そこから鳴き声を上げたり悲鳴をあげたりする人もいるなぁ。うるさいと思う時もあるけど、それも変化。その子はさぞ俺に感謝するだろうね。だって俺はその人に変化を与えてあげた。感謝するのは当然でしょ?」
淡々と、まるで天気の話でもするかのように語られるその内容に、背筋が粟立つ。
命を奪う行為を“観測”し、“価値ある変化”として語る異常な思想。
その一言一言が、絵梨花の心を削り取っていった。
彼の話を聞くたび、虫唾が走る。
抑えきれない苛立ちと殺意が胸の奥で渦を巻くが、それでも彼女は踏みとどまる。討伐士として、感情に呑まれれば負けだと、母から何度も言い聞かされてきた。
静かに、しかし確かな動作で剣を抜く。金属音が夜の住宅街に小さく響き、その音は彼女自身の覚悟を確かめる合図でもあった。
足を開き、重心を落とし、呼吸を整える。恐怖は消えていない。それでも、前に進むと決めた。
「… これ以上、あなたと話をしても無駄なようですので、ここで私が倒します。これ以上、犠牲者を増やさないように…これ以上、家族の幸せを、家族の温もりを、あなたに奪われないように…!!───『討伐士、奥寺絵梨花』全力で行きます!」
その宣言は、誰かに聞かせるためではなく、自分自身に向けた誓いだった。失われた命の重さを背負い、剣を握る理由を胸に刻み込むための言葉。
「──あれれ、もっと話したかったんだけどなぁ、でも、ふふっ。いいねぇ、しっかりと覚悟が決まった顔だ。さっきの君と今の君は違う。これも一種の変化さ。奥寺 絵梨花、君に敬意を払おう。───『天道教幹部 "閃光" のコウメイ』 君の全力を、精一杯受け止めよう。そして───君はどんな顔で絶望してくれるのかな?」
名乗りと共に、空気が一変する。
殺気が解き放たれ、周囲の闇が一層濃くなる。逃げ場はない。ここから先は、言葉ではなく刃が答えを出す世界。絵梨花は一歩、前に踏み出した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「じゃあ先手必勝!うりゃあああ!!!」
「ふふっ、可愛い声でそうやって走っても、───俺にその剣は届かないって。」
その瞬間、視界が白く弾けた。
閃光の名に違わぬ、一瞬の発光。反射的に目を凝らした時には、彼の姿はもう正面にはなかった。
次の瞬間、背後から叩き潰されるような衝撃が全身を貫く。
空気が肺から強制的に押し出され、身体が宙を舞い、壁へと激突した。視界が揺れ、喉の奥から鉄の味が込み上げる。
「ぐふっ……!」
吐き出した血が地面に散る音だけが、異様に大きく響いた。
「ははっ、やっぱり脆いよね人間って。俺も同じ種族だと思うとため息が出るよ。ホント。」
息を整える暇すら与えられない。
パワーも、スピードも、反応速度も──すべてが桁違いだった。入団試験で相手をした戦闘型AIとは、次元そのものが違う。勝てない、という感覚が現実味を伴って迫ってくる。
「あーあ、これじゃあまるで俺が弱いものイジメしてるみたいじゃん。面白そうだからすぐには殺さないでおこうとは思ってたけど、流石にこれじゃレベルが違いすぎるよ。うっかり殺しちゃいそー。」
嘲るような言葉。だが、その言葉に反応する余裕すらない。それでも、絵梨花は剣を離さなかった。震える手で柄を握り直し、歯を食いしばって立ち上がる。
再び、前へ。ただ走る。彼一点だけに意識を集中させ、剣を振り抜く。
しかし、閃光は溜息混じりに肩をすくめる。
「あのさあ?君って人は、もしかしてひとつしか技を知らないのかな?それでよく、みんなの平和を守る討伐士が務まるよね。」
言葉が終わるよりも早く、距離が消えた。
ゼロ距離。視界いっぱいに迫る彼の身体。次の瞬間、腹部に叩き込まれる全力の一撃。咄嗟に腹筋を締めたが、内臓を直接揺さぶられるような衝撃に、思わず声が漏れる。
それでも、倒れなかった。
討伐士としての誇り。
そして、失ったものを背負って立つ覚悟が、彼女の身体を支えた。
跳ぶ。踏み込む。
閃光の腕を掴み足場にして身体を捻り、全力を乗せて振り抜く。光の速度で消える異能を消せるのではないかと試した、顔面への、強烈なハイキック。
鈍い音と共に、彼の身体が一歩、後退る。効いた。
その表情に浮かんだのは、確かな動揺だった。
ほんの一瞬。
その一瞬だけ、絵梨花の胸に芽生える小さな希望。
────もしかしたら、勝てるかもしれない
「へぇ…なかなか、やるじゃないか。いってぇ、俺の顔に傷を付けられたのはいつぶりかなあ。自分の血の温かさを感じたのはいつぶりかなあ。」
「私は、そんな攻撃じゃ負けない。私は確かに弱いけど、弱いなりに今まで特訓してきたの!剣も教わったし!血反吐吐くくらい筋トレもした!だから絶対、ここであなたに負ける訳にはいかないの!!」
その言葉と共に、空気が変わる。
軽口も、余裕も、遊びの気配も消え去り、場を支配するのは張り詰め殺気だけになった
「───はぁ、君の原動力が分からないよ俺には。何故君は、俺の行動を邪魔しようとする?俺はただ、世の人間達に変化を与えているだけだぞ?それを邪魔するのは同じ人間に対して失礼じゃないかな?君だって変化が欲しいだろ?」
夜の住宅街に、彼の声音だけが異様に澄んで響く。その問いは理屈として整っているようで、致命的に何かが欠けていた。
「───私は変化など欲しくない。人の命や幸せを奪われてまで変化したいなんて思う人間は居ない!完全にあなたが間違ってる!… 親を失った子は、何していいか分からなくなるんだよ!!行き場や生きる意味を失う子だって沢山いるの!!その子達の気持ちも考えず、その子達の生きる意味を奪うなんて、絶対…ダメだよ。」
胸の奥が締め付けられる。心臓を手で押さえ、必死に言葉を紡ぐその姿は、怒りだけではなく、痛みそのものだった。
孤独を知っているからこそ、その苦しみは他人事ではない。だが、それでも立ち止まる選択肢はなかった。
「──だから、私は未来の子供達の為に、ここで剣を握らなきゃいけない。立ち上がらなきゃいけないの!」
剣を握る指に力が籠もる。その刃は、恐怖よりも覚悟を映していた。
「ほお、君の理想論はよく分かったよ。未来ある子供たちねえ。でも中には未来の希望が見いだせない子供だっているでしょ?望まれずに生まれてきた子供は、ずっとその親元で暮らさなきゃいけない。そんなの可哀想じゃないか。だから俺が始末して、その子の環境を変化させる。これも一種の正義だろ?」
歪んだ論理。優しさを装った刃。その言葉に、絵梨花の視界が一瞬、滲む。
「確かに、あなたの言う事には一理あるかもしれない。でもやり方が完全に間違ってる!人の命は何にも変えられないんだよ!!だからこそ価値があるの!そう簡単に奪っていい物じゃないんだよ!!!」
叫びは夜気を震わせ、住宅街の静寂を切り裂いた。怒りと悲しみと決意が混ざり合い、その声は刃よりも鋭かった。
「…そっか、君はきっと、恵まれてるんだな。あぁ、羨ましいな、そうやって恵まれてるからそんな思考が生まれるんだ。気持ち悪ぃ。」
呟くような声と同時に、閃光は間合いを詰める。空を裂くようにダガーナイフが放たれ、金属音と共に火花が散る。絵梨花は剣で受け止め、即座に距離を取った。
「勘違いしないで、私は、恵まれてなんかいないわ。少なくとも、あなたよりはね。」
踏み込んだ前蹴りが炸裂し、彼の身体が後方へ吹き飛ぶ。変化を確かに捉えながらも、閃光は何事もなかったかのように立ち上がった。
「……君は俺の何を知ってるんだ。俺の事を何も知らないくせに、自分が悲劇のヒロインぶらないで欲しいな。それに勘違いしているみたいだけど、君は俺より恵まれてるよ。君の周りには仲間がいるじゃないか。それに比べ俺達『天道教』は仲間じゃない。同じ『あの方』を崇めてるだけに過ぎないんだから。アイツらと同じにされたらこっちが迷惑だしね。」
「…!あなた達、仲間じゃないのか。」
「仲間じゃないよ、情も湧いてこないくらい興味無いからね。みんな自分の目的の為に必死なのさ。でも共通してる部分はやはり『あの方』を崇めているかどうか、それだけさ。」
淡々と語られる内情。その冷たさが、彼の異常性をより際立たせていた。
「というか、随分と私に喋ってくれますね。いいんですか、そんな情報をベラベラ喋っても。」
「ふふっ、いいさいいとも。君の冥土の土産に聞かせてあげてるだけだからね。どうせこれからこの世を去る人間に何言っても無駄じゃない?どうせ消えるんだし。だから今君の知りたい事はなるべく答えたくてさ。」
完全に舐め切った態度。傷はあれど、彼はまだ本気を出していない。彼女の変化にも、致命的な動揺は見せなかった。
「それは討伐士として情報が貰えるので嬉しいお言葉ですが。ひとつ正したいことがあるので正させてもらいます。」
剣を正面に構え、視線を逸らさずに告げる。
「────私、絶対に死にませんから。」
「……ぶふっ、はははっ。まだ君、俺との力の差が分かってないのかな?まぁ、これだけ手加減したらそりゃそうだよね。そう勘違いしちゃうのも無理ないよね。──じゃあ、そろそろ、50%くらいは出してあげるよ。」
次の瞬間、彼の周囲に光が滲み、揺らめくように溢れ出す。圧倒的な気配。何が起こるのか考える暇すら与えられなかった。
「この光の速さ、君に見抜けるはずがない。─── " 白閃抉殺 " 」
彼が呟いた刹那、腹部に走る衝撃。視界が裏返り、身体が宙を舞う。メガネが砕け、壁に激突する衝撃が全身を貫いた。
閃光の足が、前に出ている。倒れた──そう理解した時には、意識が遠のきかけていた。
その中で、彼の声だけが、はっきりと響く。
「────俺が何故 "閃光" って呼ばれているか、これで君でも分かったよね?…ふふっ、さっきの希望の顔から今の顔、完全に戦意喪失してるようなその顔さ、いいねぇ、いい変化だなぁ。俺は君に、その顔をさせたかったんだぁ…。」
ゆっくりと髪をかき上げ、閃光は地に伏す絵梨花を見下ろす。その視線は捕食者のそれで、慈悲も同情も欠片ほども含まれていなかった。
不気味な笑みが夜の闇に溶け込み、月明かりに照らされたその表情は、異様なほど楽しげだ。
身体は言うことを聞かない。指先ひとつ動かせず、呼吸をするだけで胸が焼けるように痛む。立ち上がることも、逃げることも、剣を握り直すことすら出来ない──完全な、絶体絶命。
「───あーあー、可哀想に、骨も折れて血も出て、戦う前は可愛い女の子だったのにそんなボロボロじゃ、まるで雑巾みたいに扱われちゃうよ?大丈夫、そうならないように、俺が今楽にしてあげるからさ。」
哀れむような口調とは裏腹に、言葉は残酷そのものだった。片手に握られたダガーナイフが月光を反射し、冷たい輝きを放つ。
刃先が、ゆっくりと彼女へ向けられる。
────終わる。
そう思った瞬間だった。
その時。鈍い衝撃音と共に、閃光の身体が後方へ吹き飛ばされた。夜気を裂くような音が遅れて響き、彼の姿が視界から消える。
何が起きたのか理解できず、絵梨花は必死に目を開ける。霞む視界の先に、ひとつの背中が映り込んだ。見覚えのある輪郭。候補は幾人か思い浮かぶ。しかし──
次の瞬間、その全てが消え去った。
「───僕の大事な後輩に、何してるんだ。閃光のコウメイ。これ以上やるつもりなら、僕が相手をする。」
落ち着いた、しかし確かな怒気を孕んだ声。聞き間違えるはずがない、その声音。
「───チッ…。なんで、お前がいるんだ……!!
折木竜馬!!!!」
吐き捨てるように叫ぶ閃光の声が夜に響いた。
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