第三十七話『己を律せよ』
「さて、どこに行くか────」
出稽古に出たものの、行き先など何も決めていなかった。 立ち尽くす俺の足は、まるで迷子の子供のように行き場を失っている。
「……そうだな。結局、オレの中で頼れるのはアイツしかいねぇよな。電話してみるか。」
そう呟きながら、ひとり思い浮かべた“候補”に連絡を取る。
「───あ、もしもし。琴葉?」
「この声……随分久しぶりじゃない。どうしたのかしら?」
「実はさ、ちょっと頼みがあって。」
俺は、これまでの出来事を余すことなく話した。
電話越しの琴葉は、静かに相槌を打ち、やがて納得したような声色で言葉を紡ぐ。
「──なるほどね。だから今まで特訓してたのね。……まぁ、色々と不幸だったわね。」
「まあな。あ、師匠のことは愛菜には内緒にしてくれ。記憶をなくしてるとはいえ、これ以上負荷をかけたくねぇ。」
「わかりましたわ。……それで、私の“師範”を紹介してほしいと?」
「そうだ。お前の強さはよく知ってる。だからこそ、お前を育てた人の強さをこの目で見たい。頼めるか?」
「……そうですわね。私は、あなたを戦友だと思っています。あの試合には、ただの勝敗を超えた意味がありました。──ですので、承りましたわ。あなたが強くなる姿を、私も見てみたくなりましたし。」
「……!本当か!ありがとう!!」
「ただし、師範は少し厳しい方です。覚悟しておくことね。……場所を共有します。そこに行ってください。」
次の瞬間、空中に立体地図が浮かび上がった。
現在地からの距離、最短ルート──すべてが一目でわかる。まるで未来の端末のようだ。
「なるほど、ここだな。」
「お気をつけて。くれぐれも無茶はなさらぬように。愛菜ちゃんのことは、私に任せて。」
「ほんと助かる。ありがとな。じゃあ、行ってくる。」
通話を切る。琴葉には、感謝してもしきれない。あの激闘のあと、ずっと支えてくれてばかりだ。どこか申し訳なさすら感じる。
──そして、通話が切れたあとの静寂の中。
圏外のスマホに向かって、彼女はぽつりと呟いた。
「……あなたに任せられてるのが、嬉しいんですのよ。だってあなたは、私の──初恋の人なんですから。」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「────ごめんくださーい! 琴葉さんの紹介で来たんですけど〜、誰かいませんか〜?」
宮殿から少し離れた川のほとりに、それはあった。
木造建築の道場──まるで時代が逆行したような、静謐な空気に包まれている。
古き良き和の文化。その威厳に思わず息をのむ。
引き戸を開け、靴を脱いで中へ上がる。
広い畳が一面に敷かれ、奥の正面には『己を律せよ』と筆で書かれた掛け軸。
無駄のない造りに、研ぎ澄まされた気配が漂っていた。
「……誰もいねぇのか? 出直したほうが──」
踵を返そうとしたその瞬間、背中を“指でつつかれた”。──気配は、なかった。まるで空気から現れたように。
「────ふぅ、いい体だな。名前は。」
「……こ、小柳、深海です。」
「深海、か。琴葉の紹介なら話は早い。俺のことは、説明されてるな?」
タバコの煙が静かに立ち上る。
背後から伝わる、心臓を指で押さえられるような圧迫感。低い声が鼓膜を震わせるたび、背筋に冷たい汗が走った。
「……琴葉の、師範だとお聞きしています。」
「ふぅ。そうだ。で──お前は何をしに来た。」
「俺は、師範の技術を学び、この世界で最強になりたくて来ました。生半可な覚悟じゃありません。」
「……ふっ、いいだろう。面白ぇ。こっちへ来い。試してやる。」
師範はタバコを口に咥えたまま、畳の中央へ歩く。
俺も向かい合い、彼の姿を改めて見る。
身長は俺より少し高く、年齢は四十代後半。
鋭い目つきに、結ばれた長い髪。
和服を纏った姿は、まさに現代に生きる侍のようだった。
「あの、試すって……何を──」
「簡単だ。俺と勝負しろ。」
「えっ!? いきなりですか?」
「嗚呼、いきなりだ。お前の肉体は、凡人とは比べものにならん。だが“技”はやってみなきゃ分からねぇ。木刀でも素手でも構わん。全力で来い。」
「……わかりました。だったら、精一杯殴らせてもらいます!」
スピードには自信があった。
地面を蹴り、一気に踏み込む──腹を狙って拳を振り抜こうとした瞬間。
「……ふう。」
タバコを咥えたまま、師範のハイキックが俺の顔面めがけて飛んできた。
反射的にガードしたが、衝撃が腕を貫く。青アザができるほどの威力。
「ぐっ……! あぶねぇ……!」
「ほぉ、やるじゃねぇか。あの蹴りを見切れる奴は滅多にいねぇ。お前で三人目だ。」
──あの特訓がなければ、今ので終わっていた。だが確信する。この人は強い。体の使い方が、桁違いだ。
ノーモーションで重い蹴りを放つには、全身の連動が完璧でなければ不可能。それを自然にやってのけるこの人は、やはり本物の達人だ。
何度攻めても、鋭いカウンターが返ってくる。
攻防が続くたび、神経がすり減り、息が乱れていく。
「クソ……全部、弾かれる……!」
「どうした? まだ三十分だぞ。疲れたか? 怖気づいたか? カウンターが怖ぇか?下を向くなら──今度は俺から行くぞ。」
師範が一気に間合いを詰めてくる。
体全体から放たれる圧力が、まるで嵐のようだった。
だが──俺は思い出していた。
最初に放たれたハイキック。あの腰の捻り、体重の乗せ方、呼吸。何度も見て、何度も喰らって、もう見切っていた。
(この技、使わせてもらうぜ──)
『────こうだ!!』
バチンッ!!
見様見真似のハイキック。
だが、その完成度は模倣の域を超えていた。
師範は肩で受けたものの、苦笑しながら腕を押さえる。
「……あぁ? いってぇな。赤くなっちまったじゃねぇか。……ははっ、まさか俺の蹴りを見て真似るとはな。お前、相当な才能だぜ? そう簡単にできるもんじゃねぇ。」
「……そう、ですかね。自分じゃよくわかりませんけど。」
「よし、今日はこんなもんだ。──合格だ、深海。お前には才能がある。今から俺の体術を叩き込む。剣術も教えるが、それは後だ。体術あっての剣術だ。覚悟しろ。」
「はい!! よろしくお願いします!!」
──小柳深海は、ただ“強さ”を追い求める。
目的はひとつ。敵〈ベンケイ〉を倒し、師匠の仇を討つこと。そしてもう二度と、仲間を傷つけないこと。
そのためなら、どんな修行も、どんな苦痛も、命を懸けて受け入れる。
これからが────俺の復讐だ。
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