第三十話『愛という歪んだ呪い』
深海が復讐に燃えている頃──
一人の青年は、初めての依頼に胸を躍らせていた。
「──よっし!!俺の初依頼!!いやぁ楽しみだな伊織!!!」
「……そもそもなんでウチがコイツとペアなんだ。」
「仕方ねーだろ?そうメールに書いてあったんだ、仲良くしようぜ?」
「なんか、だいぶウチら仲いいみたな感じになってるけど、関わった数的には少ないからね?」
「そんな胸みたいにちっちぇ事ばっか言うなってぇ、さらに小さくなっちまうぜ?」
「おい、今ここで貴様を焼け野原にしてもいいんだぞ。猿が。」
「こっえ、」
初任務の現場に到着した二人は、仮家の中で夫婦漫才のような軽口を交わしていた。 その穏やかな空気を断ち切るように、唐突に現れた声が響く。
「──騒がしいなあ、今私彼氏と話してたんだけど、これ以上うるさくしたらぁ、おまえら全員呪っちゃうわよぉ♡」
「──あなたは、討伐士第五位!!!」
「メィリィさん…?なんでここに。」
「なんでって、私もここの任務担当になったからよぉ。めんどくさいんだけどねぇ♡ あなたたちは最近入った新人討伐士よねぇ?よろしく♡」
「なんかすげぇねっとりとしゃべる人だな…あ、よろしくお願いします!俺は桜木翔也!」
「ウチは名古井伊織です。短い間ですけど、よろしくお願いします。」
「ウンウン、君たち、礼儀がなっててイイジャナイ♡ 私はアルグ・メィリィ。よろしくね♡」
小柄で茶髪のロングヘア。顔立ちは大人びているが、どこか幼さが残る。
愛情という名の狂気を信条にしたような女──
日本語が少し怪しい、帰国子女めいた口調とねっとりした声が印象的だった。
二人は、その異質な雰囲気に完全に呑まれていた。
「───で、俺たち。何すればいいんでしたっけ。」
「あら?何も聞かされてない?じゃあ、少しだけ説明するわねぇ♡ まず私たちの依頼はぁ、この地区のパトロール。簡単じゃんって思うかもしれないけどぉ、意外とそうじゃないのよねぇ。」
「パトロール、ですか?ただ色々見ていくだけじゃないんですか?」
「実はさっき聞いたんだけどぉ、今回のパトロールは、ただのパトロールじゃないのぉ。だって普通のパトロールなら、君たち二人で十分だものぉ♡」
「確かに…メィリィさんが来たってことはなにか事情があるってことか。」
「そういう事ねぇ。恐らくは天道教の人間か、もしくは香良洲。絶対に絡んでると私は思ってるわぁ♡ 本当は全員呪い殺してやりたいのにねぇ♡」
「いちいち怖ぇよこのひと……」
「だから、私たちは他の人の安全を守りながらぁ、天道教や香良洲の関係者をあぶりださないといけないってワケ。大変でしょ?」
「でもやらねえといけねえっすよね!!俺頑張ります!!」
「ウンウン、熱気に溢れる子は嫌いじゃないわぁ♡うふふっ。」
天道教も香良洲も、滅多に姿を見せない。
足跡ひとつ残さない連中だ。今回の依頼は、見た目以上に慎重さを求められるものだった。
「じゃあ、早速行くわよぉ♡」
「行くって…どこにですか?」
「決まってるじゃん♡ 地区のパトロール♡」
時刻は深夜二時。
仮家を出ると、夜の静寂が辺りを包み、澄んだ空気が心地よく肌を撫でた。
眠気と涼しさが入り混じる中、三人はゆっくりと歩き出す。 パトロールという名の、夜の捜索が始まった。
「……なあ、伊織。この人なんか変だけど、元々外国人とかなのかな?」
「いや、明らかに日本人っぽいよね。でもまぁ、たまに帰国子女みたいに日本語がカタコトになったりするけど。」
「ん?なんかイッタァ?♡」
「いやぁ別に何も!」
精一杯はぐらかした。
一巡しても特に異常はなく、人影もない。
街灯の少ない道を、淡い闇が包んでいる。
「……ちょっと、怖い。」
「なんだ伊織、怖ぇのかあ?あんなに俺には強がってたくせによ。」
「…うるさい。黙って隣にいろ。」
「なにぃ?イチャつかないでよぉ。」
「イチャついてません!!!」
伊織の声が夜に響く。
この静けさでは、反響して聞こえるのも当然だった。
「おいおいうるせえって苦情きちまうぞ、少し声のボリューム下げねえと。」
「…まさかあんたにそんなこと言われる日が来るなんてね。このコエデカサルが、」
その瞬間、メィリィが足を止めた。
後ろを歩いていた二人も、自然と立ち止まる。
「──メィリィさん?なんで止まったんですか?」
「───なんか、来る。」
暗闇の中で、巨大な影がゆっくりと輪郭を現す。
それは人よりも遥かに大きく、獣じみた立ち姿。
一歩踏み出すごとに地面が震え、空気が軋んだ。
「うわぁ…!なんだなんだ…?」
「怖いってぇぇ!なに!?!?」
翔也は興味津々、伊織は怯えながら彼の腕を掴んで離さない。
前方でメィリィだけが静かに呟く。
「───二人は下がってて。少しだけ離れてくれると嬉しいなぁ♡」
彼女の声色は変わらない。
だが空気が、一瞬で張り詰めた。
翔也と伊織は息を飲み、言われた通りに後退する。
次の瞬間、月明かりの下で巨大な影が姿を現した。
緑に輝く眼光、鋭い牙、異様に発達した筋肉。
耳は犬のように尖り、二足歩行で立ち上がる。
「なんだ、見た感じ、犬と人間の異種族ね。でもこんなに大きな異種族は初めて。…それになんか、様子が変。」
伊織がつぶやいたその時──
獣が咆哮を上げた。
瞬間、周囲の闇がざわめき出し、振動が地面を伝う。
吠え声から数分もしないうちに、同じような異種族が次々と現れた。 五、六体の群れが彼らを取り囲み、完全な包囲網を形成する。
「……これ、やばくないか、戦うしか、」
「や、やるしかないなら、ウチもやる…!」
二人は剣を構え、呼吸を整えた。
夜の沈黙が一瞬の緊張に変わる。
──そして。
群れの一体が、何かに斬り裂かれたように縦に真っ二つに倒れた。
翔也も伊織も、動いていない。
ただ、目の前で起きた出来事を理解できずにいた。
「──二人は、先輩の背中、ちゃんと見てるんだよぉ?♡ 私がどれだけ強いか、見せてあげちゃうんだから♡♡」
♡の紋様が刻まれた鎌を手に、第五位・アルグ・メィリィが舌なめずりをする。
闇の中、その瞳だけが妖しく輝いていた。
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