第十八話『お前は独りじゃない』
「ありゃりゃ……こりゃまた、とんでもなくやられたねぇ。ふむ……これは普通の治療じゃ治癒術士でも一日どころか三日はかかるね。はい、これ。」
「……これが、メディカルカプセル?」
「そう。どんな傷でも一気に癒す“最強の回復薬”。効果が強すぎるから、ごく一部しか手に入らなくて、団長さんの許可がないと使えないんだよ。」
差し出された小瓶は、指先でそっと振るだけで淡い光を揺らめかせた。飲むだけで治るなんて、本当にそんな都合のいいことがあるのか?
半信半疑のまま一粒を口に含む。
────数秒後。
身体の奥で、何かが爆ぜた。
熱が血液に混ざり、勢いよく全身を駆け巡る。
痛みが引くどころではない。
まるで“痛みという概念ごと”消し去られていくような感覚だ。
「……う、うお……ッ! なんだこれ……!」
「ふふ、効いてきたみたいだね。全身に力が戻ってくるだろ?」
「あぁ……っ、すげぇ……。さっきまで全身が重くて、殴られたところがズキズキしてたのに……全部消えてく……!完全に別人みたいだ……!」
「気に入ってもらえてよかったよ。じゃあ、第三次試験も頑張ってね。」
彼女は笑みを浮かべ、軽い足取りで医務室を後にした。認定試験専属の治癒術師。
外見は柔らかく小柄なのに、手つきは迷いのない熟練者のそれだった。
自動ドアが閉まり、急に静けさが戻る。
「────ふう……。」
自室へ戻り、ベッドに腰を下ろした。
体の疲れは嘘みたいに消えている。
だが、心だけは重かった。
琴葉に────負けたことが、何より堪えていた。
「……やり返してぇな……。本気で挑んだのに、それでも勝てなかった。俺の攻撃は全部空振りで……逆にあいつの攻撃は全部刺さってきて……」
悔しさが再び胸を刺す。
「……くそ。記憶がところどころ飛んでるくらい追い詰められて……あれは完全に俺の完敗だった。でも……最後に言われた、あれ。」
琴葉の声が、脳裏で鮮明に響いた。
「────飢えた馬鹿な獣が一番油断する瞬間。それは、獲物を“あと一歩”で捕食できると勝ちを確信した時。最強の獣は、勝ちを確信したとしても、必ず次の一撃に備える。その差で、貴方は私に負けた。」
「……っ、そりゃ……言われても仕方ねぇよな。」
あの時の自分は、視界が狭かった。
“勝てる”という高揚感に飲まれ、周りが見えていなかった。
だから────読まれた。
だから───負けた。
そんな反省をしているところへ、机のスマホがけたたましく鳴った。
プルルルル、プルルルル。
画面に映った名前に、胸がふっと軽くなる。
「……師匠。」
『深海。試験どうじゃった?』
「一応……第二次試験は通過できました。……ですけど、…強い女性がいて、どうしても勝てませんでした。しかもその女が…オレの時代にいた幼馴染だったんです。」
『なんじゃと…!?……そうか、誰かは知らんが…まぁ、突破できたなら大したもんじゃ。結果以上のものをちゃんと持って帰ってきとるわけじゃし。』
「……でも、悔しいです。胸の奥にずっとモヤモヤがあって……“勝った”と言われても、勝てた気がしなくて。」
『なるほどのう。ならば一つだけ覚えておけ。本気で勝てない相手が目の前に現れた時────その相手を“格上”だと思うな。』
「……格上じゃ、ない……?」
『あぁ。人間は“あいつは格上だ”と思った瞬間、勝手に足がすくむ。どれだけ強かろうが、弱点はどこかにある。それを見極め、確実に一撃を通せ。そこからは自分の流れを作れれば、お主は勝てる。……その力は、もう持っとる。ワシから青眼の構えを引き継いだんじゃろ。お前さんなら大丈夫じゃよ。』
「……たしかに。自分、ずっと焦ってて……“格上だ、格上だ”って思いながら突っ走ってました。」
『じゃろう。そこが勝負の分かれ目じゃ。第三次試験はおそらく対人戦。誰が来るかは分からんが、お主ならやれる。……大丈夫じゃ、お主は一人ではない。みんなの思いを背負っとる。その重みは、必ず。力になる。』
「……ありがとうございます。師匠。第三次試験もしっかり突破しますから。…そういえば、愛菜の様子は?」
『あぁ、今も気持ちよさそうに寝とるよ。…そういえば昼頃にな、寝言で何か言っておったが……わしの耳じゃ聞き取れんかったわい。すまんな。』
「そっか……わかりました。では、明日も早いのでここで。」
『うむ。深海よ。絶対に負けるでないぞ。』
電話が切れた。
短いやり取りだった。
だけど、胸の中で絡まっていた感情の塊が、少しずつほどけていくのを感じた。
師匠は、やっぱり俺を一番理解してくれている。
誰よりも正確に、誰よりも温かく、迷いの芯を抜いてくれる。
「……よし。」
拳を握った時、初めて体と心が一致した気がした。
まだ負けていない。
第三次試験がある。
その先もある。
そして─────次は、もう負けない。
「───俺もこんな所で寝てられねぇよな。飯食って……少し体動かして……トレーニングして、だな。」
ホテル内には、受験者全員が自由に使える巨大トレーニングルームがある。
しかも利用は無料、しかも24時間開放。
新型の筋トレ器具、広いフリーウェイトゾーン、ランニングマシンに戦闘訓練用のダミーまで整っているという、受験者には贅沢すぎる施設だ。
「よし……行くか!」
気持ちを切り替え、部屋を飛び出した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「おー……意外と空いてんな。」
入ってみると、広いフロアに対して人が驚くほど少ない。本来なら夕食後のこの時間は“ゴールデンタイム”のはずだ。にもかかわらず、トレーニングしているのは数人だけで、どこも使い放題の状態だった。
「まぁ、空いてる方がありがたいけどな。」
器具の種類に目を通していると、その中でひときわ視界を奪う人物がいた。
────琴葉だった。
あの激戦を終えたばかりとは思えないほどに、淡々とバーベルを持ち上げている。
しかも、その重量……普通に男がギリギリ扱うレベルだ。フォームは無駄がなく、美しく、それでいて力強い。真剣な横顔が汗で濡れ、光を弾いていた。
「おいおい……本物のバケモンかよ、あいつ。」
「はぁ、はぁ……聞こえてますわよ。まったく……仮にもレディーに向かって、その言い方は失礼では?」
「わ、悪かった!……でも、お前ほんとにスゲェな。あの激闘後にそれだけ動けるのかよ……。」
「まぁ…私も深海くんの一撃を食らってしまいましたしね。あそこで一撃もらってしまうようでは、まだまだ“強い”とは言えませんわ。」
淡々と語りながらも、琴葉の目はどこか悔しさを含んでいた。
自分が受けた一撃を、相当に問題視しているようだ。
「……お前、相当な努力家なんだな。」
「努力家というより、普通の女の子扱いされるのが嫌なだけですわ。お金持ちも嫌、無難な女の子として括られるのも嫌……だったら、“誰にも安く見られない強さ”を手に入れるしかないでしょう?」
「よく分からねぇけど……お前が強いのは、オレが一番よく知ってるよ。にしても、まさかこの未来の世界で再会するとは思わなかったがな。」
「私もよ。深海くんを見つけた時は、本当に驚きましたわ。……でも、私はまだ “あの時のこと”、諦めてはいませんから。」
「あの時……?よく分かんねぇけど……まぁ、がんばれよ。ずっとお前のこと応援し続けてやるからよ。」
「この……天然女誑し。」
ぼそっと呟くと、琴葉は再びトレーニングに戻ってしまった。
今度は握力を鍛える高重量のグリップを握り込み、筋肉の線が綺麗に浮かび上がる。
「……相変わらずだな、おい。」
その横には同型の器具が並んでいた。
俺は、つい対抗心を燃やしてしまい、彼女の重量より“少しだけ重い”設定にして握る。
カチリ、と金属が締まる音。
「……っ……お、重っ……!」
手首に伝わる負荷が尋常じゃない。
肩、腕、背中までも総動員して初めて耐えられるレベルだ。
でも─────負けるわけにはいかない。
琴葉の背中が近くで動き、筋肉がしなるたびに、あの時の戦いが蘇る。
強かった。
正直勝てる気がしなかった。
でも悔しかった。 だからこそ、今、俺は握る力を緩めない。
「……絶対に追いついてやるからな。」
汗が落ちる。
負荷が悲鳴を上げる。
でも、心はむしろ軽くなっていった。
「───ぅ"、んんっしょ!!!」
肩と腕に、鉄板を無理やりねじ込まれたような重圧がのしかかる。
握るバーがわずかに軋み、手のひらの汗がじんわり滲む。呼吸が荒くなり、肺の奥で熱い空気が上下した。
ギリギリ持ち上げられた──しかし、その瞬間、肩の奥で嫌な張りが走り、明日の試験のことが脳裏をよぎる。ここで意地を張って潰れても、意味がない。
俺は歯を食いしばりながら、静かにバーを戻し、適正重量に調整した。金属のぶつかる乾いた音が、人気のないトレーニングルームに響く。
「──そういえば1個、聞きたかったことがあるのですが、」
「ん?なんだ?」
汗をタオルで拭きながら振り返ると、琴葉がいつもの落ち着いた、しかしどこか探るような眼差しでこちらを見ていた。
「────この世界に、愛菜ちゃんは居るんですの?」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
──俺は、息を整えながら、今まで俺と愛菜に起きたことを全て話した。
声に出して語るたび、胸の奥に沈殿していた悔しさが再び揺れ、視界が少しだけ滲んだ気がした。
「なるほど、弁慶ね。その弁慶のせいで愛菜ちゃんは今昏睡状態に陥ってると。」
「あぁ、だからオレは弁慶が許せねぇ。アイツにやり返すためにも、ここで討伐士になって強くなりたいんだ。いつかあいつと戦うためにな。」
拳を握ると、節がミシ、と鳴った。
あの日の光景が蘇る。
腕を振るうたびに、骨のような硬質な衝撃が返され、次に来る斬撃の軌道がまるで読めない。
弁慶の動きは“ただの怪力”ではなかった。
「そこに関しては、同情しますわ。…あ、そういえば私、弁慶が所属している"天道教"に心当たりがありますの。」
「なんだと…知ってるのか?」
「ええ。この世界に長く居るので、大体のことは分かりますわ。"信仰宗教 天道教" は、とても数が多い信者を持つ宗教団体で、その中でも卓越した力を持つ7人の戦士が居るらしいのですが……内部構造までは把握出来てませんの。その弁慶という男。間違いなく、その七人の一人ですわ。」
「やっぱりそうか……」
胸の奥で、怒りとも焦燥ともつかない熱が広がる。
あの圧倒的な重撃。剣を重ねた瞬間、肘から肩まで一気に痺れさせる怪力。そして目が追いつかない速度。
振り返れば俺は、ただ振り回していただけだ。
「オレに勝ったお前に、一個聞きたいことがある。オレは、どうしたらもっと強くなれる。」
「仮にもまた戦うかもしれない相手なのに、よくそんな事聞けますわね。」
琴葉はくすりと笑い、少しだけ顎に手を添え、俺の足運びや姿勢を思い返すように視線を泳がせる。
「……そうですわね、ではひとつだけアドバイスしますわ。あなたの剣術は恐らく伝統派の構え、凄く基本を重視している受け継がれし構えですわ。その構えを使うなら、自分だけの力に身を任せたら逆効果。私が言った言葉、覚えてますわよね?“頭を使って、常に相手の先を読みながら剣を振る”──そうしなければ、誰にも勝てませんわよ。だから先ずは、その基本の構えを上手く使い、相手の行動を先読みすることをやってみるのがいいと思いますの。」
「確かにな。思い返してみれば、美咲も師匠も、力を大振りに使ってなかった。オレの剣筋を読んで、その先に剣を当てていたのか。」
情景が鮮明に蘇る。
師匠が木刀を構えた時の、重さのない構え。
一歩踏み込んだ先を見抜かれ、喉元に木刀を添えられた瞬間の敗北感。
美咲の柔らかい足運びと、俺の剣を弾くたびに微笑むような余裕。
あれは“力”では超えられない壁だ。
「ありがとな、琴葉。」
「……あの、名前呼びで呼ばないで下さいます?」
「え?なんでだよ。オレとお前の仲だろ。」
琴葉は視線をそらし、耳までほんのり赤く染めた。
天然なオレにはその変化がよく分からず、しかしその反応が少し面白くて、つい笑みが漏れる。
「…琴葉、ありがとな。オレ、これから強くなる努力して、いつかお前にリベンジしてやるからな!その時までお互いしっかり力付けよう。」
「ええ、受けて立ちますわ。もちろんその時も手加減などしませんので、ご容赦を。」
その会話後、俺は筋トレに戻った。
腕立てのたび、筋肉が悲鳴を上げる。しかし不思議と苦しくなかった。
さっきのアドバイスが、身体の奥で火を灯していた。
トレーニングを終え、琴葉と別れて自室に戻ると、疲労が一気に押し寄せる。
「はあ……はあ…流石にやりすぎた … 腕痛え…。」
筋トレ、そして琴葉との死闘で溜まった疲れをほぐそうと、ホテル名物の露天風呂へ向かった。
「────おお、やっぱ広いな。」
夜風が肌を撫で、湯面が淡い光で揺れている。
石造りの浴槽の向こう、空には無数の星が散らばり、蒸気が淡く立ち昇る。
「確かに、昨日も入ったけどやっぱり広いよな。ここ。」
「そうだな……って、え!?お前居たの!?全然気付かなかったわ!!」
ひとりで入ったつもりが、横から当然のように声が飛び込んできた。
「なーんだよ水くせえな。温泉目の前にして水くせえって言わせんなよな。いい匂いなのに臭えって矛盾したやつみたいになってっからよ。」
「お前がいきなり横から声掛けてきたからだろ!ったく、お前何しに来たんだよ。」
「何しにって、温泉入りに来たに決まってんだろ?俺だってお前らほどの戦いはしてなくても、一応あんな人数相手にして疲れてんだから。」
「それもそうか……じゃあせっかくだし、一緒にまた入ろうぜ。」
「おう!賛成賛成!!」
身体を洗い、湯に浸かる。
天然温泉の熱がゆっくりと筋肉の深部まで染み込み、痛みが溶けていく。
湯気と静けさが、今日という長い一日を柔らかく包み込んだ。
「───ふう、気持ちいいなぁ。」
湯面を押しのけるように肩まで沈むと、じわり、と筋肉の緊張がほどけていく。
夜風が湯気を揺らし、外の竹林がさらさらと小さな音を立てていた。
天井のない露天風呂だから、星空がまるで手の届く距離にあるように見える。
「…つか、お前らほんと凄かったな。あの戦い、見てる側もすげぇシビれたぜ?お互いかっこよすぎてよ」
翔也は縁に肘をかけ、星を仰ぎながら言った。
その眼差しには、興奮と、少しの羨望が混じっていた。
「…そうか。でもオレは負けた。完敗だったよ。琴葉は強かった。」
湯の中で握った拳に、ほんのわずか、悔しさが残っているのを自覚する。
弁慶の重撃や、琴葉の鋭い読み。戦闘の場面が、まるでスローモーションのように頭の中に流れていった。
「いんや、そんな事もねえんじゃね?ほら、腹に一発当ててたし、最後トドメ刺す前までは結構いい動きしてたじゃねえか。」
「そうかな、オレはただ、べらぼうに攻めて少しでも相手を混乱させたかっただけだよ。」
「いやいやいや。あの動きに合わせて攻められる人間が少ない事くらい分かってんだろぉ?小柳は謙遜しすぎなんだよ。負けた事がそんなにマイナスなのかよ。」
翔也の言葉に、湯気の間から真面目な視線が突き刺さった。いつも軽口ばかり叩く男のくせに、こういう時だけはやけに真っ直ぐだ。
「だってほら、負けは負けだし、さ。」
「なあ深海。…俺はさ、勝者より敗者の方が成長できるって思ってんだよ。」
翔也の声は、浴槽に反響して重く響いた。
「勝者は “勝ち” って名誉を受け取るだけで、そこで満足しちまう事もあるだろ?でも敗者は、悔しいって感情を覚えて、自分のダメなところを修正できる。そっちの方が何百倍も良くねぇ?俺はそう思うけどな。」
言葉は湯よりも熱かった。
胸の奥がじんわりと熱くなる。翔也は続ける。
「お前が今日の試合でどれだけ吸収したか、そこが大事なんじゃねえの?あの彼女の動きを完璧にとは言わないけど、いい所を吸収して強くなりゃ、それでいいだろ。」
「……翔也。」
その言葉は俺の内側に深く突き刺さった。
悔しさも、焦りも、理解できなかった敗北の意味も──
全部まとめて、救うように包まれた。
事実だったからだ。
何も言い返せなかった。
「だーかーら、お前がそんなに気に留める必要はねえって話。次やり返せばいいじゃねえか。」
湯を手で波立てながら、翔也はニッ、と笑う。
「……そうだよな。確かに。ははっ、まさかお前にここまで励まされるとは思わなかったよ。」
「当然さ、だって俺ら、"トモダチ" だろ?一晩バカやって過ごしてんだから、俺らはもうとっくに友達だ。」
その瞬間、胸の奥が少し熱くなった。
風が竹の葉を揺らし、ほとんど聞こえないくらいの音が夜空に溶けていく。
「ふふっ、あぁ。友達だ。これからの第三次試験も、お互い乗り越えような。」
「おう!絶対、負けんじゃねぇぞ!」
拳に湯が滴るまま、俺たちは軽くグータッチを交わした。その小さな衝撃が、不思議と胸の奥にまで響いてくる。
──友情ってこんなに温かかったか。
俺は改めて思う。
友がいるのといないのとでは、世界の見え方がまるで違う。
俺は、翔也に救われた。
そして、琴葉にも、美咲にも、師匠にも。
言葉も教えも戦いも、全部が俺の背を押してくれている。
強くなるための “力” は、最初からひとりのものじゃなかったんだ。
湯面に映る星が揺れ、その光景をぼんやりと眺めながら、俺は、自分が少しだけ──本当に少しだけだが、成長できている気がした。
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