第十三話『第一次試験』
一斉にスタートのホイッスルが響いた瞬間、空気が弾けた。
600人の受験者が一気に前へと雪崩れ込む。地響きのような足音と、緊張で荒くなった呼吸が重なり合い、視界が一瞬かすむほどだ。
短い直線ルートを抜けた途端、景色は“試験会場”から“異世界”へと変貌した。
────目の前に広がったのは、巨大な異空間アスレチックフィールド。
「……マジかよ、ここを登ってくのか……?最初っから潰しにかかってるな…。明らかに。」
高天井から吊るされた光の柱、空中に浮かぶ多重足場、粒子のように揺らぐ重力壁。
あらゆる技術が通常の娯楽レベルとはかけ離れていた。どこをとっても“軍事訓練用”としか思えない。未来都市の中心である王宮だからこそ実現している、脅威のテクノロジーだ。
最初のエリア──“グラビティ・パッチ”。
蒼い粒子の霧が、床の下で渦のように舞っている。透明床の上に乗ると、重力がランダムに跳ねる。
まるで巨大な心臓の鼓動のように、床がわずかに脈動しているのだ。
「うっ……!? 脚が……重っ!」
「わ、軽っ!? うわぁああ!?」
周囲から悲鳴が連続して上がる。
軽くなった瞬間に踏み込みすぎてバランスを崩し、逆に重力が数倍になるゾーンに足を踏み入れて膝をつく者もいた。
落下ゾーンの下は、反重力パネルが渦を巻きながら回転しており、一度落ちれば二度と戻れない。
しかも浮かび上がるのではなく、“逆方向へ”吸い込まれて失格フロアへ弾き出される。
俺は息を整え、足裏の僅かな“膜の沈み”を感じ取りながら、重力の波に合わせて駆け抜ける。
『大丈夫だ……しばらく経った内に身体がもう慣れ始めてる……!それにしても…だいぶ参加者が削られたな…』
第二エリア──“フェイズホログラム群”。
空中には多面体の立体ホログラムが無数に浮遊し、回転を続けている。その一部は実体を持ち、足場として使用可能だが、残りは“触れた瞬間に霧散する偽物”。
本物は淡い金色、偽物は白色に近い光を帯びている……が、問題はその差が判別できないほど一瞬で色パターンが変わることだ。
「ひっ……消えたぁああ!!」
後ろで誰かの声が掠れる。ホログラムが霧のように消え、何人もが光の粒になって落下していく。
下のパネルが青白く光る度、失格者の数が増えていく合図だった。
俺も偽物に足を乗せかけ、光が一瞬だけ揺らいだ。
「……違うッ!」
反射的に体を捻り、別の足場へ跳び移った。
「はあはあ … 危なかった…っ。あと少しで全てが台無しになるところだった……。」
冷や汗が首筋を滑り落ちる。ほんの0.1秒遅れていたら確実に落ちていた。
第三エリア──暴風ゾーン、“エア・バースト・タービン”。
ここはとにかく風が凶悪だった。
左右の壁にびっしりと並んだ送風口が、ランダムに風を吹き付ける。優しい風から台風級の突風まで強弱がまるで一定しない。
「ぎゃあああぁぁああッ!!」
重力エリアを突破した猛者でさえ、風に煽られて壁際へ弾き飛ばされて落下する。
風の流れを読み、次の風の予兆を考える──普通の人間では不可能だ。だが、俺の身体は日々の訓練で“空気の動き”を読む癖がついていた。
「……今っ!」
風の合間に身体を低く滑らせながら、足場に着地する。バランスを崩した者たちが吹き飛ばされていく中、俺は風の“隙間”を縫うように前進した。
だが次の瞬間、恐ろしく鋭い光が目の前を走る。
第四エリア──“ライトブレード・トラバース”。
宙をランダムに横切る光の線。
一見ただのレーザーに見えるが、当たればセンサーが反応し、足場そのものが消える。
つまり、“触れたら死ぬ”のとほぼ同義だ。
「速っ……!」
光の軌跡が速すぎて、視認してから避けるのはほぼ不可能。だから──俺は思考より先に身体を動かした。
全神経を集中させ、光の“未来の軌道”を読む。
風と訓練で磨いた感覚がピタリと噛み合い、身体が自動で前に跳んだ。
「───っぶねぇ!!服だけでよかったぜ。」
腰のあたりをレーザーがかすめ、ほんの少しだけ衣服の表面が焼ける。そこに触れていたら、俺の足場は下へ消え、終わっていた。
息を切らしながら背後を振り返ると──最初にいた600人が、もう20人にも満たなくなっている。
そして、その先をひた走る“猿のような身のこなしの男”。
彼だけが、この狂気のアトラクションを“遊んでいる”ように見えた。重力も風も光も、まるですべてが彼の味方をしているかのように、流れるように突破していく。
『なんだ……あいつ……。生まれてからずっと、このギミックの中で育ってきたのか?ってくらい、身のこなしが良すぎるぞ。』
思うほど、彼の動きに迷いが無い。
だが、立ち止まっている暇などない。
そして前方に最終エリア──“反り立つ壁”がそびえ立っていた。
高さは10m以上、表面には磁場が走り、触れ方を誤れば逆に弾き返される。助走の速度、踏み込みの角度、壁に触れるタイミング──
一つでもズレれば全部無駄になる。
「行くしかねぇ……!」
俺は走り出し、磁場の縫い目を見て、最も揺れが弱いスポットに向かって踏み込む。その瞬間、足裏が磁場の“吸い付き”に包まれ、身体がグッと引き上げられる。
中間地点でさらに踏み込み、腕を伸ばす。
「っ……届け!!」
この瞬間、とある彼女の声が聞こえた気がした。
『届け!』と同じタイミングで祈りを込めるように。
そして、指先が、壁の縁にかかった。
腕が悲鳴を上げ、全体重が片手に乗る。
落ちたら終わり。
この一瞬の判断が、生死を決める。
そして──全力で身体を引き上げた。
転がり込むようにゴールへ倒れ込み、荒い息を吐く。
「はあ … はあ …… 。終わった…のか。身体中が悲鳴をあげそうだ…。初見が多すぎて身体が理解しようとしていない…。」
「お!お前が二番か!すげぇじゃんお前!俺とほとんど変わらねえ速さだったな!!」
先にゴールしていた男が、倒れる俺の顔を覗き込み満面の笑みを向け、手を差し伸べてくれた。その笑顔は、まるで“命がけの試練”を一度も危険と思わなかった者の笑み。
彼の雰囲気に、得体の知れない凄みを感じる。
ただ速いだけじゃない。迷いがない。
身体能力というより、“生存本能の進化形”みたいな異質さがあった。
「…あ、あぁ、お前もすごかったじゃん、すらすらクリアしててさ。あの身のこなし、普通じゃねえよ。」
振り返った桜木翔也は、汗に濡れているにも関わらず、眩しいほどの笑みを向けてくる。
全身からポジティブが漏れ出しているような男だ。
「いやぁ、ずっと練習してたからさ、体の使い方とか、それこそ身のこなしとか、意外と練習すんの難しいんだけど、頑張ったぜ!…あ、そーだ、名前聞いてもいいか?これから一緒に討伐士を目指す仲間として!」
「ああ。小柳深海だ。よろしく。」
「おっけ、小柳か、宜しくな!俺は桜木翔也、気安く翔也でいいぜ!」
暑苦しい奴だ。
愛菜がテンション最高潮のときに見せる“押しの強さ”を、さらに強化して濃縮したような……そんな暑苦しさがあった。
でも、不思議と悪い印象はない。
第一印象でわかるほどに“根がいい奴”というオーラをまとっていた。翔也は肩をぽんと叩いてきて、それから周囲を見回した。
「お、続々とみんなクリアしていってるみたいだな。見るからにみんな強そうだぜ。」
気づけば、クリア者たちが続々とゴールへと姿を見せ始めていた。
地面に倒れ込み、荒い息を吐く者。悔しげに首を振る者。互いにハイタッチし合う者たちもいる。
そして、数分後──試験終了のアナウンスが響いた。
──────クリア者数は、28人。
600人から開始し、その中でゴールに辿り着いたのは、たった28人。
数字だけで、この第一次試験がどれほど苛烈だったかが理解できる。落下、脱落、リタイア……目の前で消えていった数百人の姿が脳裏に蘇る。
「皆様。お疲れ様でした。ここに残った28人は、第二次試験への参加資格を得ました。まずは、おめでとうございます。これから皆さんをホテルにご案内します。今日はゆっくり休んで、明日の試験に備えてください。」
場内スピーカーから響く声は冷静で事務的だが、言葉の裏には淡々とした“選別完了”の感情が見え隠れしていた。
「うっし!まずは第一次終了!なぁ小柳、ホテルで麻雀でもしねぇ?俺最近ハマってんだよ!麻雀!」
「お、おう。別にいいけど、オレあんまりルール知らねえよ?やった事ねえし。」
「任せろ任せろ!この翔也先生が優しく教えてやるって!」
軽快に笑う翔也に、周囲の受験者数名がちらりと視線を送る。彼の明るさは場の空気まで明るくしてくれるのだろう。
第一次試験で心を削られた受験者たちの肩が、わずかに軽くなる気配すら感じた。
俺たちは誘導されるまま、王宮別館の最上階──受験者専用ホテルへと向かっていく。
廊下は静かで、足音がよく響いた。
照明は柔らかく、装飾は落ち着いている。
まるで王族の滞在区画のような豪華さが漂っていた。
「すげぇ……高級ホテルじゃん……!」
翔也の声に、周囲もざわめく。
明日の試験はさらに過酷だろう。
だからこそ、今日与えられたこの静寂と安息は……嵐の前の束の間の休息。
俺は深く息を吐き、明日の自分をイメージしながら歩いた。
──────そのとき、電子掲示板に光が走る。
『第一次試験合計突破者数──75人』
表示された数字に、周囲が一瞬ざわめく。
『……75人?さっき聞いた人数より多いな。』
つまり俺たちがいたフィールド以外に、複数の“会場”が存在していたということだ。
全地域から選ばれた猛者たちが、この世界のどこかで同じ時間に試験を受けていた。
そして、明日。
その全員が、この王宮の地で一堂に会する。
胸の奥が静かに熱くなる。
『……楽しみになってきたな。』
心の奥底で、闘争本能が疼いた気がした。
これからが、正念場になっていく。
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