第一話 『未来へのタイムスリップ』
───俺には幼馴染がいる。
俗に言う“小学生からの腐れ縁”というやつだ。
俺の名前は小柳深海。
みんなからは『シンちゃん』と呼ばれている。
某クレヨンが付く児童と同じ呼び名だが、まあ悪くはない。あだ名なんて、気にしだしたらキリがないし、呼ばれて振り向けるならそれで十分だ。
学校帰りの夕方。
空は橙色に染まり始め、影が長く伸びる。
商店街のざわめきと夕飯の匂いが混ざり合い、なんとなく心を落ち着かせる時間帯。
「────あ、いた! シンくん!! 今日なにしようか!! 何して遊ぼうか!! ねえねえ!!」
この軽い騒音レベルのテンションで走り込んでくるのが、幼馴染の海宮愛菜。跳ねるように近付いてくる姿は、昔から変わらない。
そのうるささからは想像もつかないが、驚愕するほどの優等生だ。
成績優秀、家は金持ち、生徒会長。
学校で嫌でも耳に入る“完璧超人”という肩書き。
彼女を象徴する言葉としては、まあ間違っていない。
だが────そんなハイスペックを横に並べられると、庶民代表の俺としては普通にしんどい。
「ええ…? んまぁなんでもいいけど。俺今日、秋葉原で推しメイドのあずさちゃんに会いに行かなきゃいけないから。それは絶対外せない。」
商店街の雑踏に消えそうな小声で言ったつもりだが、愛菜は絶対に聞き逃さない。
「ちぇ、つまんないの~。あ、じゃあ私も着いていく! そのあずさちゃん?って子見てみたいし!!」
「馬鹿かお前。お前が来たら、あずさちゃんから“しっかりとしたサービス”受けれねえじゃねえか。」
「しっかりとしたサービス?ってなに?」
「……うるせえ。お前には関係ないから。取り敢えず今日は帰る。また後日遊んでやるから。」
「あ、うん。分かったよ。……というか、いい加減名前で呼んでよ。そのメイドさんは名前で呼ぶのに、私は呼んでくれない。……昔は呼んでくれたじゃん。」
夕陽が彼女の横顔を照らす。
オレンジと金色が混ざる光の中で、少しだけ、寂しげに見えた。
確かに“愛菜ちゃん”と呼んでいた時期があった。
今となっては口にするのが妙にむず痒くて、つい避けてしまう。思春期男子の面倒くさい自意識なんて、そんなものだ。
「……考えとく。」
「もう、それ“考えとく”って言っといて結局言わないやつでしょー。まったくさ。」
愚痴をこぼすように笑う。
その笑い声は、幼い頃からずっと変わらない。
街を流れる夕方の風に、彼女の髪がふわっと揺れた。
歩いていると、あっという間に愛菜の家の前へ。
俺たちは昔からずっと隣同士。
朝も帰りも、どちらかがどちらかを見かけるのが当たり前。
「ほら、もう一人で帰れるだろ?目の前家だし。…いや、待てよ。ここから車に轢かれたりとかしねえよな。」
「私をなんだと思ってるのよ……。大丈夫だから。じゃあ、またね。シンくん。」
彼女がこちらに向けて軽く手を振る。
その仕草はいつも通りで、笑顔もいつも通りで。
けれど─────
微かに、ほんの一瞬だけ。
表情が曇った気がした。
笑っているのに、瞳の奥に影が揺れた。
夕陽の色とも、影のせいとも違う。
胸の奥をひっかくような、小さな違和感。
いつからだろう。
彼女の笑顔の奥に、こういう影を見るようになったのは。
立ち止まった俺の前で、愛菜は振り返らずに家へ入っていく。 閉まる玄関の音が、やけに静かに響いた。
理由はわからない。
けれど─────なぜか胸騒ぎがした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「じゃあみんなー!今日は私たちのメイドカフェに来てくれてありがとう〜!みんなのために全力で歌っちゃうからねー!!ではさっそく最初の曲!───恋はトキメキ☆メモリアル!!」
「あずさちゃぁぁぁぁん!!こっち向いてーー!!」
ステージの照明が一斉に弾け、ピンク色の光が会場を満たす。アップテンポのイントロが流れた瞬間、店全体が揺れるほどの歓声が上がった。
俺はサイリウムを握りしめ、曲に合わせてぶんぶん振る。周りを見渡すと、俺のような同士たちが肩を寄せ合いながら熱狂していた。
このカフェでは一日二回、時間帯ごとにメイドさんたちが本格的なライブステージを披露してくれる。
出演者は日替わりで、推しが登場する日は毎朝欠かさずスケジュール確認が必須。
俺も例外ではなく、梓ちゃんの日は絶対に逃さない。
「可愛いよおおおおお!!!あずさ!! あずさああ!!」
「うわっ!!ウィンクきた!!はい天使!!」
光の中、梓ちゃんがステージ中央でターンし、ふわっとスカートが揺れる。照明に反射して髪がキラキラ光り、マイクを握る指先まで全部が絵になる。
その瞬間、店内の全視線が彼女に吸い寄せられる。
──────梓ちゃん。
このメイドカフェの最高売上を叩き出す、完璧なセンター。明るい歌声、天使級の笑顔、時折見せる小悪魔な仕草。その人気は爆発的で、ライブは常に満員。
限定グッズは開店数分で蒸発するレベルだ。
サイリウムの海の中で、俺は全力で楽しんだ。
声を出し過ぎて喉は枯れ、財布の中身はほぼ空。
それでも、胸の奥には満ち足りた幸福が溢れていた。
「あぁ……最高だった……」
ライブの後の余韻に浸りながら、撮ったばかりの梓ちゃんとのチェキをそっと取り出す。
柔らかく微笑む梓ちゃんが、そこには写っていた。
一枚一枚に直筆メッセージ、そしてハート。
世界で一枚しかない宝物だ。
俺はチェキを胸にしまい、秋葉原のネオンを背にしながら電車へ乗り込む。
車内の蛍光灯が少し眩しくて、今日のライブの残光が頭に焼き付いたまま。
がたん、ごとん。
電車が動き出す。
窓に映る俺は、少し疲れているのに、それ以上に幸せそうだった。
──────俺はその日を精一杯楽しんだ。
財布は死んだ。だが俺は生きていた。
そして満足していた。
梓ちゃんのチェキを握りしめながら、最寄り駅へと向かっていた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「はあ、楽しかった!!」
最寄り駅に着いてホームに降り立った瞬間、胸に溜めていた熱が思わず声となって漏れた。ライブの余韻が身体の隅々まで残っている。耳の奥ではまだ梓ちゃんの歌声が鳴っている気がした。
「いやあ、このチェキは一生の宝ものだな。まあ全部で35枚くらいあって結構な金額取られたけど、でも全然いい。ツーショットチェキも撮れたし、梓ちゃん単体のチェキも撮れた。それに、オタクは貢いでからがオタクだ。うんうん。いやぁ、でも一回一回顔が違うのがいいよな。ここの角度とかマジで優勝だろ、たまんねぇなこれ。あそうだ、家帰ったらSNSであずさちゃんにリプ送らねえと。」
チェキの束を片手にニヤニヤしながら住宅街を歩く。街灯が灯り始め、夜の冷たい空気が頬を撫でた。自分でもわかるほどテンションが高く、足取りがいつもより軽い。
そんな時だった。前方に見える彼女の家の前で、聞き慣れた声が跳ねるように響いた。
「──あ!シンくん!…って、なにニヤニヤしてんの?もしかして可愛い女の子と写真でも撮ってきた?その、あずさちゃん?とかいう女の子と。」
心臓が一瞬止まりかけた。チェキを見せつける形で歩いていたことに今さら気づき、慌てて手を裏へ隠す。
「…そ、そうだよ。べ、別にいいだろ。俺はあずさちゃん一筋なんだから、撮っても別に……」
声が妙に小さくなってしまい、彼女が眉を寄せて首を傾げる。
「ええ、なに?よく聞こえない〜!」
「べ、別にいいだろ……!2度は言わない!…つかそういうお前は、今何してんだよ。こんな寒い時にこんな格好で外出てるなんて、風邪ひくぞ?」
吐いた白い息が夜気に溶ける。見れば彼女は薄手のカーディガン姿で、肩を小さく震わせていた。
「……お母さんがね、今お父さんが帰ってくるって言うから、外で待ってたの。」
「あ、そうか。悪い、じゃあ俺邪魔だよな…」
そう言いながら目を逸らす。学校では制服姿しか見ない彼女が、家の前で私服を着て立っている。少し幼さが残るその服装に、不意に胸がざわついた。
そのまま立ち去ろうと数歩歩いた瞬間、ふいに腕を掴まれる。
「────邪魔じゃない。…ねえ、あの…さ。少し、付き合ってくれない…?少し、寂しくて。」
静かな声。けれど逃げ道を許さないほど真っ直ぐな響き。 街灯に照らされた彼女の瞳は、いつもよりずっと弱く、揺れていた。
強がりも冗談も混ざっていない、本当に誰かを必要としている時の目だった。
胸の奥に、小さな違和感が灯る。
──今日の彼女は、いつもと何かが違う。
「………お前。なんかあったのか?明らかに変だぞ。」
思わず、その言葉が口から零れた。彼女はビクリと肩を揺らし、こちらをまっすぐ見返してくる。
街灯の灯りを受けて、頬がうっすら赤く染まっていた。寒さのせいだけではない、妙な熱を帯びた色だった。
─────────私ね、
その瞬間。彼女の声が続こうとした瞬間。
遠くの路地で、乾いた足音が激しく跳ねた。俺たちは同時にそちらを見る。
暗がりからひとりの男性がこちらへ向かって全力で駆けてくる。呼吸が荒く、肩を大きく揺らし、手には何か細長いものを握っている。
「な、なんなんだあの人、なんか全速力で走ってくるぞ!?しかもなんか持ってるし、危なくねぇか?」
「───お父さん?でも、なんか様子が変…」
彼女の声が震える。
街灯の下に飛び込んできたその男の顔は、確かに彼女の父親だった。だが、表情は明らかに“人”のそれではない。
汗に濡れた髪が額に張り付き、眼だけがぎらつくように光っている。恐怖、不安、狂気、その全てが混ざったような歪んだ表情を浮かべ、まるで別人格に乗っ取られたかのように迫ってくる。
彼は俺たちの数歩手前で急に足を止め、肩で息をしながら顔を歪め、喉の奥から絞り出すような声で叫んだ。
「はぁ、はぁ、お前ぇぇ!!お前らが!!お前らがああああああ、犠牲になっちまえぇェェェェェェェ!!!!」
夜気を裂くほどの絶叫。
その叫びには理性も意味もなく、ただ破滅だけを孕んだ圧だけがあった。
─────次の瞬間。
強烈な衝撃が、脳の奥で爆ぜたように広がった。光が弾け、視界が反転し、全ての音が遠のいていく。身体が崩れ落ちている感覚すら曖昧で、ただ世界が暗転する。
俺たちは一瞬にして意識を奪われ、その場に崩れ落ちた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
意識が揺れている。霞がかった視界の奥で、世界がゆっくりと上下に揺れていた。頭が、割れるほど痛い。殴られたような痛覚が後頭部から脳髄にかけてじわじわと広がっていく。
──何かで殴られた?鈍器の影。振り下ろされた父の腕。先に彼女がやられて、そのあと俺も……?
いや、それなら、俺たちはどうやってここに──。
「──シン… くん … シン … く 、ん 。」
耳の奥で、ぼやけた声が浮かんだ。聞き慣れた声。呼ばれているのに、返事ができない。
意識の底に沈んでいきそうで、思考は千切れた海藻みたいにまとまらない。
頭が痛い、ぐらぐらする、吐き気、最悪、無理、汚い、きつい、どうしよう、怖い、眠い──起きられない──ヤバい──死ぬ……
「シンくん!起きて!!」
バチンッ!
鋭い音が頬から頭まで突き抜け、一瞬で意識が浮上した。視界が白く弾け、熱い痛みが頬に残っている。目を開けると、至近距離に彼女の顔。泣きそうに震えていた。
「………いてて、」
喉が枯れたような声を漏らしながら、仰向けだった身体をゆっくり起こす。
そして周囲を見渡した瞬間──“決定的な違和感”が脳を刺した。
ここは、現世ではない。
「…は?なんだ…ここは。…いかにもって感じの未来的テクノロジー感。SF映画で出てきそうな物ばっかりだな。車は宙に浮いてるし、ビルはデカすぎるし、やりたい放題だな。」
滑らかな白い舗装。自動で浮遊する車が規則正しく空中のレーンを走り抜け、空には光のパネルが広告のように浮かんでいる。
建物はガラスの塔みたいにそびえ、どこもかしこも現代の常識を超えていた。
「というかお前、今俺の事ビンタした?なんかすげぇ痛ぇんだけど?頭殴られた後にビンタするか普通。脳揺れて死んだらどうするんだよ。」
「し、仕方ないじゃない!全然起きないし、うなされてたし。怖かったから。仕方なく、えいっ!って…」
「えいっ!って、じゃねえよ。起こし方ってもんがあるだろうが。…ったく。んでお前、ここの場所に見覚えは?」
「ある訳ないでしょ。私だっていきなりお父さんに殴られて…というか、あれは本当にお父さんだったの?」
彼女の声はまだ震えている。
俺も返事をすぐには出せなかった。あの形相が“人”だったかどうかすら疑わしい。
そんな中、俺はポケットを探りながら徐々に冷静さを取り戻し──ある異変に気づいた。
「わからない。だが、俺は一個気になる点がある。」
「なに?気になる点って。」
「──無くなってんだ。……俺とあずさちゃんの大切なチェキがぁぁぁぁ!!!無くなってる!!!!!」
叫びはこの状況に似つかわしくないほど必死だった。
だが、それだけ大事なものだったのだ。三十五枚の尊い記念のチェキは、どこにもない。
警察に電話でもするか──そう思ってスマホを取り出した瞬間、思考が止まった。
「……スマホが、進化してる。俺の見た事ない感じに進化してる、なにこれ、カメラ画質良すぎだろ…。うわ、すげぇ … ドラマとか無料で見放題って書いてあるぞ。」
「確かにそうね、……待って、宙を走る車、AIテクノロジーにより進化した世界、見慣れない雰囲気……もしかして、私たち、未来の世界にきちゃったとか…ないよね?」
「……確信は持てないけど、俺も恐らくそうじゃないかと思ってる。…ちょっと待てよ、今警察に電話したらどうなるんだ。もしかしたら助けてくれるかもしれねえ。」
何をするにも情報がなさすぎる。
俺は一度息を整え、スマホの「110」に指を滑らせる。
─────未来でも、通じるのか?
そう疑問を抱きながら、110に電話をかけた。
「あ、もしもし。警察ですか?」
「うっす、警察っすよ。なんか困ってんすか?」
開口一番返ってきたのは、警察とは到底思えない、だるそうな声。“事件ですか事故ですか”の定番の一言すらない。あまりにも適当で、逆に不安が増す。
「あの、この番号って、本当に警察ですよね…?」
「そうですよ。そんな当たり前のこと聞かないでください。…というか、もし何かして欲しい事があるなら。私どもじゃなく、『討伐士』に依頼してください。まあ盗賊が何を言ったところで相手にされないでしょうけどねえ!!ハッハッハ。じゃあ切りますね、ウザイし時間ないんで。それじゃ。」
不気味に歪む笑い声がそのまま受話口から響き、一方的に切られた。
スマホの画面が無機質に暗転し、俺と彼女はしばらく呆然と立ち尽くした。
「この雰囲気、警察が機能してないって事ね。その討伐士っていう人達が警察代わりになってる可能性が高い。でもさっきの警察の言葉から、盗賊というのが引っかかるわ…。」
「ここにきてお前の頭の良さが生きるとは思わなかったよ。正直パートナーにしては上出来すぎる。」
軽口を叩きながらも、内心では焦燥感がじわじわと広がっていく。周囲を見渡せば、ここはどうやら大きめの公園らしかった。だが俺たちが知る“公園”とはまるで別物だ。
草原のように平坦な芝が広がり、遊具は一つもない。かわりに所々に光るパネルのようなものが地面に埋め込まれている。
トイレは透明な壁が人が近づくと瞬時に曇り、完全密室になる仕組みらしい。男子用の立ちションスペースはどこにも見当たらなかった。
「公園まで近未来化してんのかよ。子供が機械いじって自分お望みの遊具が出てくるとか、ちょっと最高じゃねえかよ。遊び放題だぜ。」
状況の異様さに興奮が少し勝っていたが、隣では彼女が不安そうに唇を噛んでいた。
「私たち、これからどうなるの?」
その小さな声に、胸の奥がぎゅっと締まる。
見知らぬ世界に突然放り込まれたんだ。怖いのは当然だ。
俺は立ち上がり、なるべく堂々とした声で答える。
「大丈夫大丈夫、なんとかなるって。とりあえず今日泊まる宿を探そう。話はそこからだ。」
「でも、私たちお金もってないよ?」
「…あ、確かに。…どうしよう。これから先…どうやって。」
強気に言ったものの、現実はきつい。
金もない、知り合いもいない、世界の仕組みすらわからない。完全に詰みに近い状況で、俺たちは途方に暮れていた。
──そのとき。
草を踏む音と共に、柔らかい声が背中から降ってくる。
『ん?なにかお困りかな?そこのお二人さん』
振り返ると、俺たちと同じくらいの年齢の青年が立っていた。しかし羽織っている上着が明らかに普通じゃない。
胸元に見慣れない紋章がある白色の上着を羽織り、剣を携えた同い年くらいの青年だった。
──ただの青年じゃない。
彼の立ち姿から発せられる空気が、それを強く物語っていた。
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