聖女編31
薄水色の短髪に白い肌。愛嬌のある大きな瞳がラファイアに気が付いて丸くなっている。整った鼻筋から薄い唇まで少年から青年へ変貌する合間のような儚い美貌にラファイアは驚いた。他の神々が立派な成人男性の容姿をしていることもあって、若々しく瑞々しい容姿が想像と大いに違ったから動揺してしまう。王都で人気の絵姿も憂いた美貌の青年といったものが多かった。
「主よ、ようこそおいで下さいました。本当に本当に主のお越しを心待ちにしておりました。しかもお客人を連れてくると聞いてはいましたが、まさかこんな」
ラファイアを見つめたまま言葉を失っているアライア神に丁寧に聖騎士の敬礼をして彼女はどうするべきかハーヴェ神を見上げる。
そして気付いたのだ。
「ハーヴェ様?」
小刻みに震えている。
辛そうなその表情がラファイアをも苦しくさせる。
「何でもないんだ、ラフィ。ちょっと外す。アライア、彼女に泉の広場を見せてやってくれ」
かろうじていつもの軽い調子でハーヴェ神が言って、ラファイアに背を向けて行ってしまう。
「あ」
追いかけたいのに拒絶されている。
そんな気がしてラファイアは迷子のように拳を握りしめるしかない。
「主の聖女殿。こちらへ。主が仰られていた泉を見せましょう。主がここで一番お気に入りの場所です」
「……はい」
ラファイアはアライア神に促されて行くしかない。ハーヴェ神の側にいたいのに。
いつの間にかヘルーシュ神の姿もいなくなっている。様子のおかしいハーヴェ神に付いて行ったのだろう。
初対面のアライア神が気遣うようにラファイアに手を差し出す。どうやらエスコートしてくれるらしい。貴族の貴公子のような一面にラファイアは面食らいながらその手を取った。
回廊を抜け、屋根のない原っぱのような場所へやって来るとささやかな水音が耳に入るようになる。彼が案内してくれたのは水の回廊だ。
中央に素朴な噴水があり、浅い石造りの泉が広がっている。そこへ続く石畳を歩き、細かな水路が張り巡らされた中央のベンチに座ると清浄な空気に包まれてとんでもない癒しを感じる。
「素晴らしいですね、アライア神」
「そうでしょう。自慢の庭です。主はここを泉の広場と呼んでいるのですが、あちこちに泉がありますので名前が付いているのはここだけです」
ハーヴェ神に気に入られて彼が誇りに思っているであろうことが伝わってくる。
ラファイアは他の神々から慕われているハーヴェ神が誇らしく、また彼の味方が多いことに安堵してしまう。
最初は気が付かなかったが、長く彼と一緒にいて分かったのだ。彼は何か事情があって本来の自分を抑えている。とても不安定な状態のようだ。
もしも自分が彼の本当の聖女であったのならば話は違ってくるのだろうか。
ラファイアはそんなことを考えながら泉の水に手を浸してみる。
心地良い流れと共に少し冷たい水が気持ち良い。
「主はお変わりになられた。長い長い時を経て、ようやく失ったものを再び手にされるという悲願が叶っても尚苦難が主を苦しめている。あなたが聖女として側にいてくださるのなら主も心強いことでしょう。どうぞ主をよろしく頼みます」
優しく丁寧な物言いだが大人っぽい少年のような貴公子にしては老成した物言いだ。だが神であればこそ人間にそのような物言いはしないはずだとラファイアは不思議に思う。
この神の人気ぶりはこんなところから始まっているのかもしれない。
そう思うことにして彼女は深追いはしなかった。ここで疑問を追求しておけば後に聖女を降ろされる時に吹っ切れることもなく、下剋上という発想もなかったことなど彼女にわかる訳も無く、ただこの時はひどく脆く見えたハーヴェ神のことが気になってそれどころではなかったのだった。
ひっそりとした奥の間にハーヴェ神は立ち尽くしていた。
打ちのめされた己の心をどうすることもできずに、ただやりきれない絶望が心も体も染め尽くしていく。
「主よ」
姿を消していたヘルーシュ神が気まずげに声をかける。
「まさか、こんなことが本当にあるのか。私には到底理解できない。これは無意識の彼女の拒絶なのか。それとも彼女が私に課した宿命なのか」
震える声でハーヴェ神が呟く。
「どう解釈したものか」
答えたヘルーシュ神の声も僅かに震えている。
「お前の祝福無しにラファイアはアライアに触れられた。まして奴の神気にラファイアは気が付いてもいない様子だった」
つまり、ラファイアは聖女の適性があるヘルーシュ神だけではなく、アライア神の奥の院にいても問題なく、触れることも容易だということだ。序列三位のアライア神でそれならば他の神でも間違いなく触れることができる。そして。
「どうして私だけが触れることも側にいることすらできないのだ。我が最愛にお前の力を借りねば側にいることすらできないなんて」
苦しい胸の内を語ったりする性格のハーヴェ神ではない。
その彼が呻きながら逃しようのない悲しみを嘆いている。
「なぜ」
ハーヴェ神の消え入るような声に聞いている者は胸が締め付けられる。
神でも分からないことがある。
そんなことを壁越しに聞いていたラファイアは思う。
気まずくて彼の前に出ていけない。彼が隠していた素の彼がこんなに悲痛な声で嘆いているのにラファイアは何もできない。心から助けたいと願っているのに。
自分の胸の痛みにラファイアは苦しくて息もできなくなる。
すると自分の上に影が降ってくる。
「ラフィ」
今の今まで苦しそうに呻いた張本人が明るく透き通った笑顔を向けて彼女を見下ろしているのだ。
「……ハーヴェさま」
何をどう言って良いのか分からない。
ラファイアは戸惑った顔で彼の美しい金色の瞳を見つめる。
「どうしてここにいるの?泉の広場は気に入らなかったかな」
「いいえ、とても素敵でした。ハーヴェ様と一緒に過ごしたくて、その、探しに来たと言うか」
モゴモゴとラファイアらしくない態度で言い訳をしているとハーヴェ神はその繊細な指先で彼女の髪を撫でる。
「ラファイア、泉が気に入ったのならば私の神殿にも造ろうか。君の気にいる物は全て用意させよう」
「いいえ、そんな。泉ならもう神殿にあるじゃないですか。私は気に入っていますよ。だから無理して作らなくても良いんです。ただハーヴェ様が心地良い場所であれば私は何でも良いのです」
「何でも良いだなんて言い方、君らしくないな」
ハーヴェ神はラファイアの唇の線を辿るように指先を動かす。
「我が最愛。抱きしめても?」
今までは無遠慮に触ってきたのに彼は今許しを乞う。
「はい、お気に召すまま」
そう答えるしかない。触れられるのは嫌じゃない。
ラファイアは恥ずかしそうにハーヴェ神を見上げる。
「感謝する」
彼はそっと彼女を腕の中に閉じ込める。決して壊さないように。慎重に力を加減して。
今までとまるで違う。
急にラファイアは不安になってくる。
彼の中で何かが起こった。
そうとしか思えない。
「ハーヴェ様?」
「なんだい」
「どこにも行かないですよね?」
「どういう意味かな。君を置いてどこかへ行くなんて愚行はしないよ?」
いつも通りの軽薄なハーヴェ神の顔がラファイアを見つめて微笑んでいる。
なのに。
ラファイアは言いようのない不安にハーヴェ神の腕を掴んだ。
「我が聖女はお疲れかな?もう私たちの神殿に戻るとしようか」
言い終わらないうちに、いつの間にか控えていたアライア神の方へ視線を投げてハーヴェ神がラファイアを離す。
「アライア、突然の訪問すまなかったね。我々はもう行くとするよ。また天界で会おう」
「主の御心のままに」
アライア神が深く頭を下げる。
それからは一瞬の出来事だった。
ラファイアが瞬きをするよりも早く景色が変わったのだ。
そこは見慣れた神殿。
生き物の力に溢れた華々しいハーヴェ神の神殿の奥の院だ。
「ラファイア、疲れただろうからゆっくり休んでくれ。私はまた天界へ行く。しばらく帰らないが、神官たちが面倒を見てくれるから心配しなくて良い。儀式までには帰るから君は好きに過ごして良い」
「ハーヴェ様?」
ラファイアを見ることもせず、彼はそれだけ言って消えた。
何か良くないことが起きているのだとラファイアは実感してもどうすることもできない。
その彼女を見守るように離れた場所でヘルーシュ神が険しい顔でいたことなど彼女は知る由もなかった。




