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聖女編30

 気が付くとそこは天と地の狭間。

 ラファイアは空に浮かんでいる自分に驚きと喜びを覚える。正確にはハーヴェ神に抱きかかえられているのだが。

「ラファイアは平気だと思ったよ」

「空に浮かんでいることですか。本当に最高です。素敵です。嬉しいです」

 感極まっている状態の彼女に苦笑してハーヴェ神は彼女を抱え直す。

「君は軽すぎて落っことしてしまいそうだから、しっかり俺の首に腕を回して抱きついていてくれ」

「はい」

 素直に返事を返してラファイアは空の上を堪能している。

 ラファイアが感じるよりも早い速度で移動しているようだ。何らかの防御魔法が彼女にかけられているのかもしれない。それを発動しているのがヘルーシュ神であることはもう疑いようがないのだが。

 ラファイアは細かいことは目を瞑って、今は目まぐるしく変わる眼下の景色を楽しもうとワクワクと目を輝かせている。その姿は子供のようだ。

「君さえ良ければいつでも空の旅に連れてきてあげるよ」

 ハーヴェ神の言葉にラファイアが一層明るい笑顔を浮かべる。

「ところでハーヴェ様。アライア神はどのような方なのですか」

 何しろ人間が目撃したことのない神だ。その姿は想像の域を出ないが、世の画家たちがこぞって絵姿を描いては人気を博している。どれも人を惑わす魅惑の青年として描かれているが真相を知る者はいない。他の神も言及しないのだから益々神秘のヴェールに包まれて人気が高まるのだ。

「アライアか。そうだな、ヘルーシュを愛想良くしたような男だ。礼儀正しく、穏やかだが冷酷さも持っている。頑固で思い込みが激しいところがあるのが難点だな。ネリとは反りが合わずに喧嘩ばかりしているし、人間に姿を見せないのもネリのせいだ」

 ネリ神。火を司る神で序列はアライア神のすぐ下の四位。

 情熱的で自由を愛するネリ神はデラン帝国の領域に神殿を構えている。柔軟で人々に寄り添うネリ神も人気が高い。とは言え、ラファイアの住んでいたヴァンニ神殿のあるドロスマジン王国からはほど遠い国だ。ネリ神への信仰に馴染みのない人も多い。

 聖騎士であるラファイアは一度だけネリ神を垣間見たことがある。ヘルーシュ神のヴァンニ神殿を訪ねてきたことがあるからだ。そもそも絵姿や文献で神々のことを学んでいる聖騎士たちだが本物に会えるかどうかは運次第なのである。

 そのネリ神は真紅の艶やかな髪に青が入り混じる白金色の不思議な瞳を持つ偉丈夫である。朗らかで陽気な性格は見ていても楽しい気分を与えてくれる神だ。

「そうですか。失礼のないように気を付けます」

 ラファイアはまだ見ぬアライア神に対して気難しそうな印象を抱いてそう言ったがハーヴェ神に大笑いされる。

「君が気を使うような男じゃない。心配しなくてもあいつは君にひれ伏すよ」

 どういう意味か分からず、ラファイアは困ったようにヘルーシュ神に助けを求めるが彼はツイと視線を外して知らん顔をしている。

「まあ、会えば分かる。逆にアイツが君に失礼を働くつもりならば思い知らせねばならぬな」

 不穏な空気を漂わせたハーヴェ神に困った目を向けて、ラファイアは何だかおかしくなって笑ってしまった。

「ラファイア?」

「すみません。ハーヴェ様はご自分の聖女をとても大切にされるのだなと思って」

「聖女だから大事なんじゃない。君だから大事なんだ」

「ふふふ、光栄です」

 あまり意味が伝わっていないらしいラファイアの様子にハーヴェ神が内心がっかりしている。

「さあ、もうすぐ着く。一気に駆ける。しっかりしがみ付いていてくれ」

 ハーヴェ神は言うなり急降下し出した。

 恐ろしいくらいのスピードにラファイアは目を回しながらもしっかりと目に映るものを脳に刻んでいく。この世界の隅々まで知っていたいという欲が胸の奥に昔からあったのだ。自分では来られないような場所へ連れてきてくれたハーヴェ神には感謝しかない。

 緑の濃い深い森を抜けて岩が剥き出した渓谷を越え、さらに奥まった滝が見える場所に神殿がある。神官の姿がちらほらと見えるが、そこを通過してかなり奥まった大自然の中にある奥の院があった。石造りの神殿は澄んだ湖の中央に位置し、湖からは四方へ流れる川が確認できる。

 ふわりと硬い地面に着した感覚にラファイアはそれまで逞しいハーヴェ神にしがみ付いていたことを思い出す。思い返せばファーラン以外で男性にしがみ付いて運ばれたことなどなかった。聖騎士であればこそ、人を運ぶことはあっても自分が運ばれるのは大怪我した時だけなのである。

「あの、ありがとうございました」

 慌てて礼を述べて地面に降ろしてもらおうと下を見るが、一向に降ろしてもらえない。

「ハーヴェ様?」

「あ、ああ。今降ろすよ」

 しっかり抱きかかえられた腕はなかなか離されない。

「えっと」

 ラファイアは力のこもったハーヴェ神の腕にそっと手を置いてみた。

「主よ、アライアがあなたのお越しを待ち望んでいます」

 ヘルーシュ神の進言でやっと彼はラファイアを地面に優しく降ろしてくれる。

「自分で誘っておいて何だけど、行きたくなくなったなあ」

 弱気な様子で言ったハーヴェ神の普段と全く違う顔にラファイアは目を丸くする。

「とても貴重な移動体験をさせて頂きました。こんなに素晴らしいプレゼントは初めてです」

 ラファイアが感謝を込めて言うとハーヴェ神はいつものように微笑んでくれる。

「そうか、なら来た甲斐があった。それにアライアの姿を見た初めての人間として自慢もできるしね。ラフィ、俺の最愛」

 ハーヴェ神はラファイアをそっと抱きしめてから手を離した。

「さて、行こうか」

 ハーヴェ神は前を行き、その広い背中をラファイアが追いかける。

 鳥の鳴き声がする。

 ふと空を見上げてラファイアは笑顔になる。

「ハーヴェ様、空に虹が」

「ん?ああ、そうだね。アライアが君を大歓迎しているみたいだな」

 アライア神の心遣いにラファイアは嬉しくなる。

 改めて奥の院の周りを見てラファイアはそっと胸に手を当てて感動を味合う。

 人に姿を見せないと言うからこその奥の院である。

 湖に浮かぶように建てられた奥の院である神殿は船でなければ人間は来られない。だが湖周辺は船着場もなく、森に覆われているのだ。その湖の水面は時折風に揺られるものの、ほとんど凪いで空を映す鏡のようになっている。

 そもそも、厳かな神の神気に満ちたこの場所に立てる人間はいないのであろう。ラファイアはヘルーシュ神のおかげでここにいられるのだと思った。

 しかし、なんという場所だろうか。

 静謐。

 そんな言葉がラファイアの頭に浮かぶ。

 この幻想的な美しさを人々は誰も知らないのだ。

「ラファイア、こちらへ」

 ハーヴェ神が奥の院の入り口で待っている。

「はい」

 急いで彼の元へ行くと愛し気に見つめられる。慣れてきたとはいえ、眩しい美貌にそんな表情で見つめられれば誤解もしようと言うもの。

 ラファイアは少し赤くなって導かれるままに建物の中へ入って行く。

 奥の院の神殿は天井が高く、色とりどりのガラス窓から入る光で幻想的な雰囲気になっている。趣向を凝らした柱の細工に光と影が織りなす芸術が見事に溶け合っている。

 中へ進んでいくと一人の青年が胸に手を当てて首を垂れて待っていた。 




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