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聖女編29

 翌朝、花の良い香りと共にラファイアは目覚める。

 聖騎士だったこともあり、目覚めは良い方だ。その目が幻を捉えているような感覚に未だ自分は夢の中にいるのかとラファイアは思った。

 部屋中に溢れる花々は小さなものから大きなものまで様々な種類が揃えられ、見たこともないような美しい花で埋め尽くされている。

「お目覚めかな?」

 耳に心地よい声が耳元で聞こえる。

 いつの間にか彼女はハーヴェ神の腕の中にいた。

 部屋の隅にはやはりヘルーシュ神の気配がある。

「ハーヴェ様?」

「うん。迎えに来たよ、ラファイア」

 麗しい笑顔と共に熱い抱擁を受ける。

 彼の顔を見上げるといつもの黄金に輝く美貌がある。どこにもやつれは感じられない。

 良かった、とラファイアは内心安堵する。

「今日は神殿に帰るんだけど、ちょっと寄り道をしようと思って早めに迎えに来たんだ」

「寄り道ですか」

「ああ。最高神である俺でも時間の制約を解放することは禁忌に当たるからね。時を止めて君とデートしたかったんだけど、怒られちゃうからさ。こうして早朝にも関わらず迎えに来たってわけ」

 ハーヴェ神の言葉にラファイアは誰に怒られるんだろうかと聞いてみたい欲求を覚えたが、そこは神の世界である天上界の秘密なのかもしれないと思い直して堪える。なんちゃって聖女は神の理に触れたくないのだ。

「どこへ向かうのですか」

「シャエヘイムの丘だよ」

「ええと、シャヘイムというとアライア神のマルカド神殿がある場所ですよね」

 アライア神は序列三位の高位にいる神である。

 ナテラ王国領にあり、神官も聖騎士も多く集う。だが未だ人間の前に姿を見せたことのない神である。それでも聖女からの神託という方法を取り、人々を守ってくれている強い神。そして彼の神の聖女の力は治癒に長けている。戦いの場において最も需要の高い聖女なのである。

 ハーヴェ神やヘルーシュ神と違い、この神は水の神である。序列の関係なしに人の生活に欠かせない要素であるからこそ多くの信仰を集める神なのだ。

 そのアライア神の神殿のある場所は縦に長く、ナテラ王国を越えた場所に奥の院がある。その場所はハーヴェ神の神殿と同じく人の領域に属しない場所で国境という概念はない。他の神の神殿は人々の領域にあるので特殊な方と言える。

「少しアライアに話があってね。ラファイアのことも紹介したいし」

「ですがアライア神は人の前に姿を現した事がありません」

「そうだね。でも俺にそんな言い訳は通用しないし。あいつ、ずっと人の世界に来ているくせに姿を見せない捻くれ者だからラファイアに会わせる幸運を与えたくないんだけど、君を守ってもらわないといけないし」

「守る、ですか」

「人は脆い。何かあってからでは遅いでしょ。それにヘルーシュだけに俺のワガママを押し付けるのは可哀想だ。ここは平等に使ってやらないと」

 尊大な神の様相でハーヴェ神は言って、手近な花をラファイの髪に飾る。

「あ、ハーヴェ様、お礼が遅くなって申し訳ありません。お花、とっても綺麗です。ありがとうございます」

「うん、ラファイアが喜んでくれると思って用意した甲斐があった」

 幸せそうに彼は微笑む。

 金の瞳がとろけるように愛情を含んでラファイアを見つめる。

「愛しい人」

 ハーヴェ神が呟いてラファイアの額にキスを落とす。

 ずっとこうしていたい。

 彼の心の声が聞こえるようだった。

「あの、ハーヴェ様。着替えますので少々席を外してもらっても宜しいでしょうか」

「ああ、気にしないで。俺が側にいても問題ないよね。ああ、そうか。ヘルーシュ、君は部屋の外にいるといいよ」

「そうじゃないですよね?」

 ラファイアの覇気に満ちた瞳を前にハーヴェ神は視線を彷徨わせて「えーと」と何か良い言い訳がないか探している。

「外で待っていて下さいね?」

「はい」

 この頃のラフィって妙に怖いんだよな、とハーヴェ神が小声で言うのを聞き流してラファイアは侍女を呼んで溢れかえっている花を屋敷中に飾らせる指示を出し、自身は身動きのしやすいズボンとシャツにさっさと着替えたのだった。


「ねえ、ラファイア。もう一度考え直さない?」

 朝食の席でラファイアの周りをちょろちょろしているのは偉大なる最高神。

 ベルシルク家家長である伯爵も後継のアンリも見ないふりを決め込んでいる。フィーランがいればツッコミが入っただろうが、生憎不在である。

「この服が一番好きなのです。ご理解頂けませんか、ハーヴェ様」

「いや、分かるよ。君の好みは。でもせっかく俺とのお出かけなのに、ドレスとかワンピースとか、こう男心をそそるような服があるでしょ」

「仰る意味がよく分からないのですが」

 心底不思議そうなラファイアにハーヴェ神は大仰に肩を落とす。

「うん、知ってた。ラフィがそっちの方向に全く興味がないこと。うんうん。ま、君は何を着ていても俺の情欲を煽るんだけど。おっと、今の言葉は誰も聞いてないよね」

 ベルシルク伯爵とアンリに威圧を放ち、ハーヴェ神はため息をついた。

 神の威圧を受けた二人は固まってしまっている。

「ハーヴェ様、何が気に入らないのか知りませんが、父と兄を虐めるのは止めて下さい」

「虐めてなんかないって。ラファイアは心配性だなあ。そこが可愛いんだけど。俺のラフィ。デザートにこの桃を食べさせてあげようか」

 どこから出したのか、切り分けられた桃を「あーん」とラファイアの口に運ぶハーヴェ神の姿に父兄が凍っていることに気が付かずに思わず口を開けてしまっているラファイアは、もう十分ハーヴェ神に染められていることを本人は分かっていない。

「ああ、本当に君は素晴らしい。俺の最愛」

 パクパクと餌付けされている本人は聞き慣れた愛の言葉も熱い視線も全てスルーして「ご馳走様でした」と彼に感謝を示したあとは口を拭いて立ち上がる。

「お父様、お兄様、本日ハーヴェ様の神殿へ帰ることになりました。滞在中便宜を図っていただき、ありがとうございました」

 ラファイアの挨拶に父が笑顔で頷き、アンリも「息災に」と言葉を返す。

「また里帰りさせるから心配しないでいいよ。ヘルーシュの子らは真面目すぎてお堅いんだから」

 ハーヴェ神が隅に控えるヘルーシュ神を見やる。

「そこが良いところなのですよ、ハーヴェ様」

 ラファイアが言うとハーヴェ神は肩をすくめた。その人間らしい姿に父と兄が驚いているのを見てラファイアは苦笑しかない。

「さあ、出かけようか」

 そう言ってハーヴェ神は有無を言わさず彼女を抱き上げると、ベルシルク伯爵とアンリに機嫌よさそうに神々しい微笑みを向けて消えていった。



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