聖女編28
夕食後、サロンで一人静かに紅茶を飲んでいたラファイアは不穏な気配に緊張をたぎらせる。
外の護衛の警戒する気配を感じて、まだ動かないで良いと判断し、彼女は温かい紅茶を一口口にして盛大に吹き出すことになる。
「ど、どうして」
「やあ、ラファイア」
自分を膝の上に乗せるようにして現れた偉大なる神にラファイアの狼狽ぶりは最高値を極める。
「危ないなあ、火傷でもしたらどうする」
溢れた紅茶を何でもなかったように元に戻したハーヴェ神は愛しそうにラファイアの首筋に後ろからキスを落とす。
「ああ、マズイな」
「何がですか」
ラファイアが動揺を収めて何とか問いかけると最高神はぎゅっと彼女を抱きしめる。
「君の匂いを嗅いだら止まらなくなっちゃうね。このまま手篭めにしようか」
「……そうですか」
何が何でもこの腕から逃れようとラファイアがハーヴェ神の膝の上で奮闘するが彼の力はますます強くなって彼女を腕の中に閉じ込める。
「ああ、ラファイアは可愛いなあ。そう思わないか、ヘルーシュ」
「主の言葉であれば間違いはないのでしょう」
うっとりねっとりした熱を持つ響きに絶対零度以下の氷河が答える。『可愛い』への同意に間違いがないって答えるのはどういう意味なんだ、とラファイアが隅に控えるヘルーシュ神をまじまじと見つめる。
「ダメだよ、ラファイア。俺だけを見なきゃ」
ハーヴェ神はそう言って、ラファイアと向き合うように彼女を抱き直す。
狂気を含むような瞳を前にラファイアは何と答えるべきなのか分からなくなる。
時折ハーヴェ神の中に見える暗い感情にラファイアは言いようのない思いを抱く。それは焦燥のようであり、同時に切なく苦しい恋情のように思える。
しかし。
「ハーヴェ様、何だかお疲れじゃありませんか」
最高神である彼が初めてやつれて見えるのだ。これは良いことではないはず。
ラファイアは不敬かなと気にしつつも、彼の髪を優しくかき上げる。そして顔がよく見えるように頬を両手で包み込んで覗き込む。
「大事はなさそうですが、顔色も良くありませんね。神様は医者が必要な時にはどうするのですか」
心配そうに問うラファイアを見つめるハーヴェ神の瞳が揺らめく。彼の心の深い部分にラファイアは触れている気がした。
「神に医者はいらないけど、聖女に癒してもらったりする奴もいるかな」
答えているのに心はどこか遠くにあるようにハーヴェ神が言った。
ラファイアは自分が偽の聖女であることは理解している。だから彼を癒せる力がないことに心の底から失望してしまう。
「あなたを元気付けるにはどうしたら良いですか」
「可愛いことを言ってくれる。私は君さえ存在してくれていれば何もいらないんだ。知っているだろう。君が私の全てなのだから」
彼の金の瞳が愛し気にラファイアを捕らえる。いや、ラファイアの奥に誰かを見ている。
また「俺」ではなく「私」と自分自身を呼ぶハーヴェ神。
彼女の胸がズキンと痛む。
これは何の痛みなのか。
「私の……」
誰かの名前をハーヴェ神が呼ぶ。けれどその前に彼女はハーヴェ神から逃げ出した。魔力の残滓がキラキラと光り、ハーヴェ神とラファイアの間の距離を埋めていく。
「そこまでして俺が嫌?」
ハーヴェ神が元の軽薄な表情に戻る。
「嫌なわけありません。だけど」
「だけど?」
「何だか胸がドキドキして」
ラファイアが誰にも見せたことのない乙女の顔を見せている。モジモジと俯く様は獲物を前にした獣に相当な打撃を与えたようで、ハーヴェ神が身悶えして何かを堪えるように天を向いて耐えている。
ラファイアはラファイアで考えていた。
この胸騒ぎは何だろう、と。変にドキドキして不安が広がっていく。何かよくない事が起ころうとしているのか。予知の力は持っていないが、ラファイアの魔力は相当強い。家族にも隠しているが聖女と言われた人々よりも実際はずっと強いのだ。
お互いのズレた思考に気が付かないまま、ラファイアとハーヴェ神は微妙に距離を空けたまま思考に耽っている。
「主よ」
「何だい、ヘルーシュ」
「一旦お戻りになられては如何か。あなたの聖女は責任を持って神殿へ送り届けますゆえ」
ヘルーシュ神の進言にハーヴェ神は深いため息をついた。
「君の目から見ても俺は不安定って事だよね。分かった。一旦帰る。それから、ラファイアは俺が明日迎えに来るから手出し無用だよ」
とは言っても、君なしじゃ彼女に触れられないけどね。
そう彼の目が語る。
それをラファイアも悟った。
「ラフィ、愛している」
そう言ってハーヴェ神の気配が消える。
「聞いていた通りだ。今日はゆっくり休んで明日の移動に備えよ」
「はい」
返事をしたラファイアをじっと見つめてくるヘルーシュ神。ラファイアはまだ話があるのかと聞く姿勢を保つが、結局何か言いたげにしていたヘルーシュ神はそのまま消えた。
訳が分からないままラファイアはため息をついた。聖騎士だった頃はため息なんてついた事なかったな、と思ってからハッとする。
いやいや、そうだ。カーティスの小言を聞く度にため息が漏れていた。
「それだけ厄介な立場に私がいるってことよね」
思わず声に出たところで屋敷中の護衛がここに集まっている気配に気がつく。
「神様相手に人間が敵うわけないものね」
ラファイアは心労の色濃い護衛たちに声をかけて不安を取り除いてから、やっとティータイムを堪能したのだった。




