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聖女編18

「ラフィ、体が鈍っているのではないのか」

 激しい剣戟の最中に余裕の表情でラファイアの兄アンリが彼女を挑発してくる。

 彼女と良く似た美貌はより洗練されて隙のない凜とした佇まいを醸し出しながらも社交的で華やかな雰囲気も併せ持つ。

 屋敷に併設された屋内型の訓練所は魔法の灯りで昼間のように明るい。

 食事後、無事に父への挨拶を終わらせて居間でフィーランと談笑していたラファイアを訓練所に誘ったのはアンリだった。お互いに訓練着を身に付け、己の愛剣を手に打ち合いを始めて一刻が経っていた。

 ラファイアは細身の剣で兄のずっしり重い剣の上からの攻撃を流れるように捌いて突きを放つ。アンリは剣を盾に防御して、その瞬間には次の一手を繰り出してくるからラファイアに余裕はない。

「確かに聖女は剣のお稽古ができませんから」

 聖女になって不服を覚えることの一つに剣を持てないことがある。ハーヴェ神やヘルーシュ神に何度訴えても帯剣は許されず、木剣での稽古も禁じられた。

「うむ。残念だな」

 アンリの眼差しは優しい。可愛がっているラファイアの剣の才能を大いに認めている彼は彼女が聖女で収まっているのが残念でならないのだ。

 アンリ・ベルシルク。ベルシルク家の嫡男で王宮では宰相の補佐としての地位を賜っている。文官として優秀であるだけではなく、やはりベルシルクの血故に剣術、馬術、体術ともに群を抜いて才がある。

 ちなみに、ベルシルク五兄弟の一番上は長女ラーライで聖騎士として風の神アブライドのフォーレ神殿に駐在している。次に長男アンリは嫡男として伯爵家を取りまとめ、そして次男サーウェインは聖騎士として火の神ネリのゴライン神殿に駐在している。そしてラファイアのすぐ上の兄で三男マルケインはドロスマジン王国騎士で大隊長の職位にいる。アンリ以外は全て剣で身を立てる騎士だというのだからベルシルク伯爵家がいかに武闘派なのか分かるというものだ。

 ラファイアは額の汗を拭もせずに、どうにか兄から余裕の表情を取っ払いたくて攻撃を止めない。

 アンリは片手を後ろに置いて、重い剣を利き手一本で支えては軽い身のこなしでラファイアの剣をひょいひょいかわして、時折ラファイアの隙を知らしめるように剣を突き出してくる。

 そこへぬっと漆黒の影が間に割って入る。

 剣と剣がぶつかり合う合間に両の手の人差し指と親指だけでそれぞれの剣を摘んで止めた強者はにっこり笑って良く似た美貌の男女を交互に見つめる。

「お坊ちゃん方、今夜はそれくらいにして居間に集合です」

「フィーラン、今良いところだったのに」

「はい、そうですね。お嬢様は一生アンリ様には勝てませんよ。理由は教えてあげませんけどね」

「そんなことはない。ラフィの腕は確実に上達しているよ」

 兄とフィーランの言葉に己の未熟さを実感して憮然と剣をしまったラファイアは、すかさずフィーランの差し出した柔らかなタオルに顔を埋める。爽やかな柑橘系の香りがしているあたり、彼の細やかな配慮が身に染みる。

 フィーランはアンリにもタオルを差し出し、次に手際よくラファイアの身なりを整える。

「せっかく風呂に入ったのに、また汗をかいて。まあ、そんなに臭くないですけど」

「え、臭くない?本当?」

「ええ、石鹸の匂いのままですよ」

 フィーランがクンクンと彼女の首に近いところを嗅いで、一瞬眉を顰める。

 アンリが物言いたげに彼を見て、そしてその視線にラファイアも気が付いた。

「え、何?」

「いや、あのクソ最高神、いつか殴ってやろうと思って」

 神に対して不遜な態度のフィーランにラファイアが目を丸くする。アンリはラファイアの首にある赤い痣に目を留めて小さな吐息を吐いた。

「どういうこと?」

「ラフィ、神とは言え、男性の前で無防備ではいけないよ」

「え?」

「お嬢様、その首の。誰にも見つからないように隠しておいて下さいよ」

 厳しい顔で言われたラファイアは訳が分からず、自分の首を見るも、さっぱり意味が分からない。

「駄目だ、こりゃ」

 フィーランが天を仰ぐ。それから新しいタオルを懐から取り出してラファイアの首に巻きつける。

「しばらくそのままで。マノア夫人も鍛錬の後なら身なりに文句は言われないでしょう」

 母代わりのマノア夫人はベルシルク家の女主人の代行をしてくれている。末っ子のラファイアを特に可愛がってくれているが、女性らしい身だしなみに関しては口うるさく妥協を許さない。ラファイアが伯爵令嬢らしく夜会や茶会に参加することを望み、ドレスやアクセサリーの入手も余念がない。だから彼女のクローゼットには袖を通したことのない煌びやかな衣装が眠っている。いつか金に困ったらこれを売ろうとラファイアが考えていることは秘密である。

 ラファイアはアンリと共に家族の居間である広い暖炉付きの部屋へ向かう。

 この部屋には代々の当主や父のコレクションである武器が壁に飾られ、実用性も兼ねていつもピカピカに磨かれている。

 ここは居間というよりは趣味の部屋のようになっている。武器以外に母のお気に入りの食器棚に可愛らしい花柄のティーカップや可憐な食器が眠っていたり、兄の読書好きが高じて書棚コーナーが作られたりと家族の思いのままに様々なものが入り乱れているが、不思議と乱雑さはない。伯爵家らしい品の良さは失われず、かえって唯一無二の落ち着いた空間になっているのが女主人代行のマノア夫人の腕の良さなのかもしれない。

「二人とも腰掛けてくれ」

 父が一人がけのお気に入りのソファに座って酒を嗜んでいるところを見ると執務は終わったようだとラファイアがホッとする。

 広大な領地経営と王宮の仕事、そしてベルシルク家騎士団の管理など、当主の仕事は多岐に渡る。アンリが手伝っているとはいえ、父にかかるその負担は大きい。父は何も言わないが、過労が積み重ならないか彼女はいつも心配している。

「アンリ、バーザワール領で魔物が暴れているらしい。フィーランに行ってもらおうと思うが、お前はそれで良いか」

 ベルシルク家騎士団でも最強のフィーランを遣わす事態ということはかなりの被害が出ているということだ。

 バーザワール領はベルシルク家の領地の中でも一番北に位置し、他国と隣り合わせという重要拠点でもある。以前は辺境伯としてベルシルク家の某系がその任についていたが魔物が増え出したことでベルシルク預かりとなった土地だ。

 ちなみに辺境伯の役職は王家から任命され、代々引き継ぐものではない。ただその土地柄を良く知る者が適しているので出身地に偏りが見られるのも事実だった。そう言うわけで、ベルシルク伯爵は他の地位同様バーザワール辺境伯という役職も引き受けている。王家から辺境伯分の予算を割り振られているものの十分とは言えず、魔物討伐となると伯爵の持つ資産で対応せざるを得ない場合も出てくる。豊潤な資産を持つベルシルク家でなければ辺境伯は務まらなかったかもしれないのだ。

「構いません。去年の魔物の出没量の三倍であると報告を受けています。ナテラ王国のマルカド神殿の聖騎士にも応援を要請しておきましょう」

 既に予測済みだったらしい。アンリは驚いた様子もなく答えた。

「よろしい。ではラファイア、お前は聖騎士として今回の事態をどう見る」

 父の賢者のような瞳に見つめられ、彼女は姿勢を正した。

「一般的な魔物の増加というだけではないような気がします。まず魔物の種類を特定し、その傾向によってどんな事態が起こっているのか見極めます。あの地域の魔物でしたらダンドリオンが多いでしょうが、もし他の種も混じっているようなら何かしらの生態系が崩れたか、もしくは上位種が紛れ込んだと判断します。その原因が何かは現地に行ってみないとわかりませんが、魔物の出没率が上がるのは瘴気の活性化が原因か、もしくは何か魔物を惹きつけるものがあるか、どちらかではないでしょうか」

「そうだな。バーザワールは神の力が及ばぬ土地。理由を探らぬと人間側の被害が膨大となる。注意して事を運ばねばな」

 七つ神でも力の及ばない場所がある。

 それは一見不思議な現象である。だが、神が聖女を世界に置くのは自分の力が大きすぎて世界を壊してしまうかもしれないからだ。そうなると神の力が届かない場所が出てくるのもやむを得ない。それを放置するのも神の意志。神だからと言って人間にとって使い勝手の良い存在では決してないのだ。



 


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