聖女編14
帰省の準備は慌ただしかった。
元々、ヘルーシュ神は一瞬で自分の神殿に帰ることができたのだから準備も何もいらない。だが人間であるラファイアはそうではない。まして、ヘルーシュ神がラファイアを運ぼうものなら駄々をこねる子供の如く嫌がったので自力での帰省だ。神殿に頼めば馬車なり何なり用意してもらえるのだが、聖騎士であったラファイアは自分のことは自分でする主義なのである。つまり、単身馬に乗って帰路につく。
「ラファイア、主も御身を案じておられる。道中は何が起こるか分からないのだ。私が付き添おう」
ヘルーシュ神が眉間に皺を寄せて提案する。後ろでハーヴェ神が大きく頷いている。
「俺が運んでいいのならそうするんだけどね」
何かまずいことでもあるのかラファイアに触れてこないハーヴェ神は悔しそうだ。
「神々のお手を煩わせるわけにはいきません。私は馬には慣れておりますし、遠征も経験しています。むしろ一人の方が気楽ですので」
最後のは思わぬ本心が口から出てしまった。
ラファイアは笑顔で誤魔化し、ハーヴェ神の前に膝をつく。
「ハーヴェ様、しばし御身から離れることをお許しください。そしてヘルーシュ神、向こうでお会いできますことを楽しみにしております」
彼女は立ち上がると颯爽と用意されている馬に乗る。荷物は食料と剣だ。服はいらないと神官たちを驚愕に陥れたのだが、ラファイアは普通の令嬢ではなく聖騎士であると説得して軽快な出立となった。
「あなたが彼女を一人で行かせる許可をお与えになるとは思いもしませんでした」
ラファイアを見送りながらヘルーシュ神がハーヴェ神に呟く。
「まあ、そうだろうな。俺は何が何でも彼女を離さない。だけど今は万全の準備をしなければならない。そうだろう?お前の聖女を横取りしたのだからな」
「そのような……」
「事実さ。けれど、どうしたものか」
憂いを含んだ表情はラファイア曰くの「チャラ男」に似つかわしくない。
ハーヴェ神は遠くなるラファイアの背中を愛しげに見つめている。
「もう取り戻すことができないと思っていた」
「ええ」
「お前ならどうする?」
澄んだ瞳がヘルーシュ神を射抜く。
彼は答える代わりに主君に深く首を垂れた。
何も言わなくても通じ合える。しかし、そこにあるのは同意ではない。
「ままならないものだ」
深いため息と共に呟いてハーヴェ神はその姿を消した。
さて、意気揚々の出発を果たしたラファイアだったが、意外な事実に直面することになってしまった。
今まで最高神の神殿で過ごしていたせいなのか、それとも他の要因があるのか定かではないが、あれだけ一人になることを望んでいたのにも関わらず、ハーヴェ神が側にいないことに不安を覚えるのだ。
神殿内ではハーヴェ神が不在の時はいくらでもあったのに、こうして一人で旅立つと途端に彼がいないことが気にかかって仕方ない。
あんなに離れたいと思っていたのに。
自分の心とは意外と自分にも分かっていないものだったか、と口を固く引き結んでラファイアが己と向き合う。
いや、そもそも、あれだけ付き纏われてたから慣れた、からとか。
思考がやはりハーヴェ神の不在に心を揺らしている事実を認めたがらないことに気が付かない彼女はうんうん唸りながら馬を進めていく。
聖騎士として優秀であったからなのか通常の速度とは言い難い猛スピードだ。
ビュンビュン流れていく景色を何とも思わず、彼女は馬を休憩させる場所を頭に地図を描きながら確認し、ハーヴェ神を思い描くようなものから目を逸らす。
「帰ったら、まず剣の打ち直しね。そうそう、あれの確認をして……」
声に出しながらやりたい事を明確にする。聖女の里帰りなど、前代未聞と父に一刀両断されるかもしれない。そして気がつく。家族に連絡がいっているのか。
あれ、誰も連絡してないんじゃ?
自分はしていない。神がする訳もない。そして急に決まったことだ。
これではハーヴェ神の神殿から追い出されたか、もしくは抜け出したかと思われて父の雷に直撃するのでは、と不安がもたげる。しかしもう出発してしまったのだ。後のことは後で悩めばいい、と彼女は更にスピードを上げる。
幸いなことに野生の獣や魔獣にも出くわすことなく目的の休憩ポイントに到着する。馬を休ませるのが目的なので人の気配はほぼない。ここは聖騎士として魔獣の討伐に出向いた時に見つけた林の中の一角だ。そこだけ木々がなく、非常に明るい。清涼な小さな川が流れ、陽が当たるからか花が咲き誇っていて幻想的だ。
乗ってきた馬が小川で喉を潤し、草を食む。
ラファイアは地面に腰を下ろしてその様子を眺めている。
じっとしていると他の小動物が水を飲みに来たり、不思議な模様の蝶が花の蜜を吸っていたりと平穏を感じられる。
ハーヴェ神の神殿とは違う自然の美しさがここにはある。彼の神殿が生き生きとした豪快な生の美しさならばここは儚い繊細な美しさだ。そう、ここも美しい。
でも、彼はここにはいない。
胸がキュウっとなって彼女は膝に頭をつけて縮こまる。
どうして彼の不在がこんなにも胸を締め付けるのだろうか。
隙さえあれば触れてこようとし、言葉巧みに褒めそやし、信じられないくらい気楽な言葉を口にする。
でもいないと寂しい。
絆されたのだろうか。そう彼女は思った。それはそうか、と納得もする。
相手は最高位の神で迫力の美人。雲の上の上の存在である。
強烈な存在を前にしておいて、そこから離れたら感覚がおかしくなるのも当たり前。
そう考えると自分のこの寂しさが理解できて安心した。
ラファイアは顔を上げて光の中で大きく伸びをした。
まだまだ家への道のりは長い。少し仮眠してから出発しよう、と彼女は微睡の中に身を落としたのだった。
急足で投稿してきましたが仕事が立て込んでおり次回からはゆっくり投稿になります。
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