聖女編13
「やっぱり心配だな」
ハーヴェ神がにぎにぎとラファイアの手を揉みながら苦渋に満ちた顔で唸る。
「あの、何も心配するようなことは起きないと思いますけれど」
困ったように言った自分の聖女にハーヴェ神は眉を寄せる。
「奥の院から出て神殿で過ごすなんて、俺から逃げるみたいだ」
「いや、奥の院以外もあなたの神殿ですからね?」
「くぅ。どうしてこうもままならないのだ」
苦悩する最高神。
ことの発端はヘルーシュ神が祭りの為に自分の神殿に戻るという話からだった。
ハーヴェ神の神殿での祭りの時期とヘルーシュ神の神殿の祭りは時期が少し異なる。だから最初はハーヴェ神がラファイアを連れてヘルーシュ神の祭りに参加しようという話になっていたのだが、それをヘルーシュ神が断ったのだ。理由は明確で、最高神たるハーヴェ神が祭りに来ればただでさえ人の多い神殿に大混乱が生じると諌められたのだ。
この頃ではラファイアもヘルーシュ神が自分の面倒を見るためだけにハーヴェ神に呼ばれた訳ではないことは分かっていた。何か理由がある。それは神気が合わないからヘルーシュ神に中和させている、とかそんなところだろうという見当も付けている。だからヘルーシュ神の不在に奥の院にラファイアが居られないという事実を突きつけられても驚くことはなかった。
「方法がない訳でもない、けど。うーん」
ブツブツとハーヴェ神はラファイアの手から髪、そして頬を優しく撫でながら思案している。妙に居心地が悪いラファイアは彼の手から逃れようとするも、抵抗など皆無のように優しい愛撫は揺るがない。
「俺も天界へ戻るから影響は少ないはずだけど、君と離れるなんて辛すぎる。いっそ天界へ連れ帰るか?」
冗談ではない真顔にラファイが戦慄する。
ただの人間が天界へ行くなど正気の沙汰とは思えない。
「いい案だけどなあ」
ラファイアを見つめながらハーヴェ神が唸るとヘルーシュ神が眉を寄せている。
滅多に感情の機微を表に出さない神だけに、ラファイアが意外な思いでヘルーシュ神を見た。
「主よ、何が起こるか分かりません。それは最終手段として残しておいてもらえませぬか」
「最終手段ねえ。それもそうだな、諦めるのとは訳が違うが」
ブツブツ言いながらハーヴェ神がちゃっかりラファイアを抱き上げて首元に顔を埋めて彼女の匂いを堪能している。流石に気恥ずかしさのあまり彼女はいたたまれない表情で己を無にしようと目を閉じる。
「よし、ラファイア。君に里帰りを命じるよ」
ハーヴェ神は意気揚々と言った。
「里帰り、ですか」
目を見開き、驚いた顔でラファイアがハーヴェ神を見上げる。すると彼は愉快そうに頬を緩ませる。
「元々聖女には里帰りする権利があるんだよ。知らなかった?」
「はい。聖女は一生を神の為に神殿で過ごすのだと」
「まあ、今の世の中そうなっている節があるけど、昔は結構自由だったんだよ。気軽に家に帰るし、他の神殿にも立ち寄るし。神にとって地上の行き来など造作もないことだし、自分の聖女がどこにいようと守れる自信があるからね。しかも自分の力を受け渡す存在だ。どんなことがあっても、どこにいたって、その存在は感じ取れる」
確かに神の視点ならそうだろうけど、とラファイアは戸惑ってヘルーシュ神を見た。
「浮気もできないくらい自分色に染め上げるのが神ってやつだからさ」
ラファイアの顔を無理やり自分の方に戻して、ハーヴェ神はその唇に軽くキスを落とす。
「うーん、君はもぎたての果実のように瑞々しい唇を持っているね。これじゃ足りないけど、止められなくなるからほどほどにしておこうか」
背中をそっと指先で撫で上げられ、ラファイアが「ひっ」と情緒のない声を上げた。
「ふふふ。可愛いねえ」
ハーヴェ神はぎゅうぎゅうとラファイアを腕に抱きしめ、ヘルーシュ神の深いため息を誘う。
「ヘルーシュ、くれぐれもラファイアを頼むよ。まだ人間の男たちから未練を感じるしねえ」
「御意」
ヘルーシュ神が恭しく首を垂れる頃にはラファイアは息苦しさに昇天しかかっていたのだった。