聖女編12
「ああ、ラファイア、君は何て素晴らしいんだ。叡智をたたえた瞳、夢幻の言葉を紡ぐ麗しい赤い唇。程良い大きさの存在を主張しない形の良い胸。少し触ってみても良いだろうか」
「いえ、良くないです」
どさくさに紛れて手を伸ばしてくる最高神を軽くあしらって、ラファイアは集中力を手元に戻す。
今は祈りの儀式に使う衣装の刺繍中だ。
神の纏うローブは聖女が用意するしきたりらしい。仕方なく、本当に仕方なくラファイアは純白のローブを仕立てることにしたのだ。刺繍はハーヴェ神のイメージとして持っている「豊穣」の実り。オリーブの葉やブドウの蔦、果物の実や花など、一応ご令嬢として培った知識と技術を総動員して仕上げる。
ご令嬢は針子とは大いに違う。だが、それくらいの技術は持っていないと物の価値を判断できない、と言うことでみっちり仕込まれた縫製技術だが、ラファイアは剣の技術は平均以上にあっても家庭科の技術は壊滅的。家庭教師の努力の甲斐あって、平均レベルにまで至るには相応の時間を要した。つまり、縫い物は苦手なのである。
集中していないと手を刺しそうだ。
ラファイアは鬼気迫る表情で布に針を刺し、糸を変えては親の敵かと見間違うような表情で刺繍を進める。
「ラファイア、俺の相手をしないなら俺は儀式に参加しないぞ」
「……は?」
無視しようと思っていた言葉が無視していい内容じゃなかったことにイライラと素に近い表情でラファイアは顔を上げて相手を睨む。
そろそろ神様相手に不敬だとか言う概念を捨て始めているラファイアだったが、流石に今のは礼儀に適っていないと反省しつつ、刺繍の手を止めてハーヴェ神を見つめる。
淡い金色の瞳が一段と色濃くなり、不思議な色合いに染まる。
神は人間ではない。そんな当たり前のことに気がつく瞬間だ。想像を絶する美貌、そしてその色合い。神の持つ色は人間の認知するものと異なるらしい。だから彼の色を表現することができない。もちろん、金色だ、と大雑把に一括りにすることはできるのだが。
そういう意味ではハーヴェ神は最高神に相応しい。彼の輝かしさはヘルーシュ神のものよりも更に上をいく。もちろん、ヘルーシュ神も並々ではない輝きの持ち主なのだが。
というか、こんな目に痛い美貌にも慣れた。
ラファイアはニコニコしているハーヴェ神から目を逸らした。
「今まで聖女がいない時はどうやって衣装を用意していたんですか」
「神官が用意するか天界にいる俺の従者が用意していた。まあ、儀式なんて人間が決めたことだからね。参加する強制力はないんだよ。ただ可哀想だからね。神として人間を愛していると目に見えて理解できるようにしてあげているだけだ。どう、優しいでしょ。見直したかな」
褒めて、と顔に書いている最高神に吐息をついてラファイアは頭を下げる。
「神に愛された人間たちは幸せです。ありがとうございます」
「うん」
ラファイアは満足そうに頷くハーヴェ神の向こうで彫刻のように壁際に腕を組んで立っているヘルーシュ神を目に入れる。
ヘルーシュ神を祀る神殿はラファイアの育った土地だ。そこでは武闘大会があちこちで開催され、戦の神であるヘルーシュ神を楽しませるために一番強い者が選ばれ、神殿で剣舞が披露されることになっている。これは武人にとってとてつもない栄誉であり、ヘルーシュ神の神殿にある聖なる闘技場に聖騎士以外の武人が入ることを許される唯一の機会なのだ。
懐かしい。
戦うものたちの放つ熱い空気。応援するものたちの喧騒。その場にいるだけで血が湧き立つような高揚感。
「ラフィ、俺を見て」
目が合っていながら過去を思い起こしているラファイアにハーヴェ神が形の良い唇を寄せて言う。息が彼女の唇にかかって、ドキリと心臓が脈打つ。
普通の男女に許される距離ではないその近さにラファイアが戸惑いを隠せない。
「君は聖騎士だからか慌てることが少ないけど、俺にそうやって頬を染めてくれる瞬間は確かに一人の女性なんだと思って安心するね」
「あまり女に見えないと言われておりますが」
聖騎士連中の間ではよくそう言われたものだ。可愛げがない、強すぎる、獲物を見るような目が怖い、などなど。
「君はこんなにも可愛い女性だからね。あえて他人に盗られないように男たちは相手を牽制するのだろう。人間は愚かだよ。手に入れたいものは力づくでも側に置かないと意味がない。それからズブズブに甘やかして俺がいないとダメなくらい骨抜きにしていくんだ」
仄暗いハーヴェ神の目に密かに慄きつつ、ラファイアは「そうですか」と相槌を返す。まさか自分のことを言われているとは理解していない有様だ。
「まあ、いいけど。ラフィ、こっちに来て」
彼はいつものように彼女を自分の膝の上に乗せて髪を撫で、一房取って口付ける。
聖騎士だった彼女の令嬢としては短い髪も伸び、この頃は結い上げているのにも関わらず、彼は一瞬で髪を解き、それに触れるのだ。
「君がいれば俺は他に何にもいらない」
そう言って、ハーヴェ神は彼女をそっと抱きしめるのだった。