朽ちゆく果てに見える笑顔は
『お兄様へ………
書き出しが思い付かない。
なんと書けばお兄様は喜んでくれるのでしょう。
どんなに考えても、何か少し違う感じがして、どうにも筆が進みません。
「お手紙ですか?良いですね。」
びっくりした。
突然話しかけられたので声が出なかった。
「ご、ごめんなさい。すぐしまいます」
焦って紙をたたみペンを脇に寄せる
中身は見られてないといいな…何も書いてないけど
「ゆっくりでいいですよ。誰に宛てたお手紙ですか?」
どうやら見られてないらしい。よかった
「お、お兄様に宛ててです。まだ何も書いてないですけど」
「お兄さんねぇ!そうよねぇあんなに妹想いなお兄さん他に居ないものねぇ」
妹の私からしてもそう思う。あれほど私に良くしてくれるお兄様はお兄様以外有り得ません。本当に。
「あ、あの、手紙の書き出しが上手く書けなくて…」
こんなこと聞くのは恥ずかしいが、聞かないとずっと書けないでいる気もする。
「そんなの、思ったこと書けばいいのよォ〜
お手紙はね、一生懸命書いてくれたっていうのだけで嬉しいんだから!」
さすがおば様、人の気持ちを良く知っている。
なるほど。でも余計に何を書けばいいか分からなくなってしまった…
「さて、雑談はここまでにして検診しましょうか。痛いとこや違和感のあるところはない?」
いつもの様にキョロキョロとしながらバインダーにチェックを付けていく。
「ええ。いつもの様にとても元気です」
笑顔で答えるとおば様も満面の笑みを返してくれた。
「はい、じゃあまた夕方来ますね。何かあったらすぐ呼んだらいいからね?」
私の周りのみんなは本当に優しい人ばかりだと毎日実感する。
私の世界はこの白い部屋の中と窓から見える噴水といくつかの花壇の景色だけ。
そんな狭いであろう世界だけど十分に満足しているしとても幸せだ。
どうしてもここに居たくなくなったら本を開いて目を閉じれば良い。
それだけで行きたいところにどこへでも行けるのだから。
私は本当に…
「石オバケ!」
「虹色おんな!」
窓の外から声が聞こえる。きっと私のことだ
何も知らないみんなからこの生まれつきの輝石病の身体は変に見えるのだろう
「ただいま、調子どうだ?」
お兄様はお城のお仕事が終わると一番に会いに来てくれる。
そうしてお城でのお話や外の世界のお話を沢山してくれる
私が退屈しないようにと毎日沢山。
いくらなんでも沢山すぎるので、たまに嘘も混じってるんじゃないかと疑っている。
「お兄様、お兄様は私になんて言われると嬉しい?」
手紙の書き出しが思いつかなさ過ぎて思わず本人に聞いてしまった。
「えらく突然だな…うーん、なんでも嬉しいが強いて言えば…」
「言えば?」
「こうして笑ってくれてるならそれが一番だな!」
違う、違うの。そうじゃないのよね…
とても嬉しいのだけど、手紙の書き出しはまだ書けそうに無い……
時折、手持ちにある本を一通り読み終えてしまい手持ち無沙汰になる時がある。
そんな時には取っておきの宝物がある
この街の色んな場所の絵だ。
ひとつは商店街、ひとつは王城、ひとつは知らない木やお花
もう何度見たか分からない。何度見たって飽きやしない。これからだって何度も見るだろう。
これはその昔、一人の少女が私にくれた本当に大切な宝物だ。
そういえばあの時も窓から同じような日差しが射していた気がする
白い部屋と白いベッド、窓から見える見飽きた景色、これが私の世界だ。
どうやら私は病気で外に出てはいけないらしい
窓の外で子供たちがかけていくのを羨ましく、そして恨めしく眺める
しかし、窓の外で遊ぶ子供達の中ポツンと花壇に腰をかけなにやら筆を動かす一人の少女がいた
私にとっては不思議だった
周りの子達と話せる場所、遊べる体、があるというのに
好んで一人になるなんて、好きでこんな孤独で惨めな想いをしに行くなんて
有り得ない…
私はカーテンを閉めた
次の日も彼女はそこにいた
また1人で筆を動かしている
一体何をしているのだろう…
少しずつ、彼女の事が気になり始めた
次の日も、その次の日も彼女はそこにいた
変わらず1人で、黙々と。
私は彼女が羨ましかった
周りの事など気にせず、ただ自分自身の為に筆を動かし続けている彼女が、ただ羨ましかった
そうして彼女の事をじっと見ていると、彼女は私の視線に気付いたようでこちらをジッと見る
赤褐色の髪を風になびかせ、宝石のように青い目をこちらに向ける
思わずカーテンを閉めてしまった
これまで一心不乱に筆を動かして彼女がどうしてこちらを見たのだろう
心臓の鼓動が妙に早い
コンコン
小さく窓が鳴る
恐る恐るカーテンから顔を除くととてもきれいな青い目があった
「いつもそこにいるの?」
これが彼女との出会いだった
彼女は母に連れられ王都に来たらしく、王都の景色の絵を描いているそうだ
彼女は自分の集落の絵を見せてくれた。
深いみどり色の木々に囲まれた木造の家屋がいくつか並んでおりこの部屋と窓の外以外の景色を知らない私にとってはとても新鮮だった。
それからは彼女の描いた絵をいくつか見ながら外の世界の話を聞いた
この世界が大きな土壁に囲まれていること、木々や花々にたくさんの種類があること
種類によって色や形、香りが違うこと
絵を描くためのカラフルな液体は石を砕いて作られていること
そして!楽しい日々は一瞬で過ぎていった。
オレンジ色の光が窓から差し込み彼女と固く結んだ指に熱が帯びる。
「大きくなったら王都に来てね!それで、色んな絵を見せて!色んなお話を聞かせて!
だからもう一度、大きくなったら!」
彼女はとても悲しそうな顔をする。
なんて聡明で素直で優しい人なのだろう
時間の限られた私の、いつになるかも分からない次を肯定も否定もしなかったのだ。
きっと私は彼女の顔を私でなくなるその時まで覚えているのだと思った。
気付けば日はとおに傾き空が紫がかっていた
あの子が居なければ私はこの世界でこれほどの大冒険をすることは出来なかっただろう。
次にあの子に会えるのはいつなんだろう。
なんだか今なら手紙が書けそうな気がする。
そうしてしまっていたペンと紙を取りだし、
ピシッ
体に何かが走る
頭の上から針で貫かれたようなそんな痛みだ
ついに、来てしまった
震えた腕でペンを持ち上げるが、それ以上動かすことは出来ない。
結局私は何も残せずにただ居なくなってしまうのか。
そう思うと漠然とした恐怖が襲ってくる。
そして私の意識が痛みと恐怖に抗うことを止めた
目を覚ますと満点の星空が浮かんでいた
あれからどれくらい時間が経ったのか、
朦朧とした意識を自身の体とその周囲に向ける
膝元にお兄様の頭がある
ベッドの横に椅子を置き、右手に伝わる温もりから全てを察した
今すぐにお兄様に感謝を伝えられないのがとても申し訳ない
「だいたい一日と半分、ずっと付き添っててくれてましたよ」
おば様が奥から静かに寄る
「ご容態はどうですか?」
あの時に感じた痛みはもうない。しかし明らかに四肢の感覚が鈍くなっていることを確信する
ついに輝石病が進行し始めたのだ
しかし挨拶も出来ずにお別れにならなくて済んだのは本当に良かった。
少し安堵し心身の状況を伝えようと口を開く
…?
「やはり、声が出ませんか?」
どれだけ口を動かしても、空気の通る音しかしない
「喉の一部も輝石化してしまったようで」
首元を触る。確かに数箇所人間ではありえない感触だ
私の動きを感じたのかお兄様は頭を勢いよく持ち上げた
「コーフ!起きたのか!」
真っ白の顔をこちらに向け強く手を握り直す。
どれだけ心配してくれていたのか聞かなくても分かる
本当は大丈夫、心配をかけてごめんね
そんな言葉を言ってあげたい
だけど今の私は兄に向かって精一杯微笑むことしか出来なかった
そして、その日以降お兄様に会えていない
おば様から聞いた話だとどうやらお城で何かがあったらしく、お城から出れないでいるようだ
私は少し悲しくなった
自分の身体がどの程度蝕まれているか、いやでも自分でわかってしまうから
早くお兄様に会いたい
思いを募らせながらペンを取り、辛うじて動く肩から肘までを使ってゆっくり文字を書き連ねる
「お手紙は出来ましたか?」
手紙を咄嗟に隠すことは出来ない
隠すようなことも書いていない
もうじき身動きも取れなくなる、その前に
無理やり腕を動かしながら書き進める私をおば様が見かね、私のベッドの棚を漁り始める
「あった!これよね?」
おば様が取り出したのは彼女が書いた沢山の風景画だ。
1枚1枚丁寧に広げ壁や天井に貼り付けていく
「これでいつでも見れるわよね」
私は涙が止まらなくなった
どうして私は居なくなってしまうのだろう
そう思ったその瞬間、お腹の奥でなにかに亀裂が入ったようなそんな感覚がした
もう時間なのだ。
せめてこの手紙を書き上げるまでは
あと、少しだけ
『お兄様へ 私はこの世界が大好きです。白い部屋、ふかふかのベッド、優しい先生たち、窓から見えるお花や噴水、この世界の全てが大好きです。
私がこうやって思えているのは全て頑張ってくれているお兄様のお陰です。
本当に本当にありがとう。
私をこんなにも愛してくれてありがとう。
これを読む頃にはもうお話出来ないかもしれません。
なので私は待っています。
いつかまたお兄様やあの子と出会ってお話する時にたくさん色々なお話ができるように、
沢山の場所で旅をして待っています。
私、目をつぶって冒険するのが得意技なんです。
今、お兄様がどんな顔をして、どんな声で、どんな言葉を掛けてくれてるかも分かりません。
でもきっと、朽ちゆく果てにいる私は思い切り笑っているでしょう』
しんと静まった暗い部屋、ベットに横たわるひとつの像をどこからともなく現れた水流が押し流して行く
石造りであるはずの家屋が大きな音を立てて崩れ落ちる
彼女の願いを思い出を全て無に帰すように
轟音を鳴らして飲み込んでいく
まだ部屋の机に置かれた手紙さえ、届くことなく…
朽ちゆく果てに見える世界
コーフ編
完