朽ちゆく果てに見る未来は
「悪魔の子なのよきっと」
「きっと心が無いんだわ」
「あの子が女王様にでもなったら、この国は終わりね」
使用人たちが周囲で耳打ちをしている
愚かだ。これからは私が女王であると言うのに、私に聞こえる声で私の事を好き放題に、
本当に愚かだ
私は誰に何を言われたって前に進むと決めたのだ。
母との大切な約束なのだ。
動かなくなった父と母の前で小さな箱を胸の前で固く握りしめ、心を殺す。
そして、母の遺体の入った棺桶を馬車に預け
一足先に兄の元へと向かった。
「せんせー!どうしてせんせーはメガネをかけてるの?」
「先生はメガネがないとジニアの顔も分からないくらい目が悪いんだ」
黒板の前に立つせんせーは苦笑いをする
「目が悪いと、どうしてメガネがいるの?」
さらに追って質問するとせんせーはメガネをこちらに向けて見せてくれた
「メガネはね、ガラスの板をこうして丸く削って作ってあるんだ。
こうして丸く削ったところから向こうを覗くと、ほら大きく見えただろ?」
ふたつの丸いガラス板の片方を覗くと確かにせんせーの顔が大きく見える
しかし、反対側のガラス板にはせんせーの顔が小さく写っていた
「せんせー、こっちのは小さく見えるよ?」
そう言ってメガネを返すと、なにやら困った顔をしていた
「それを説明するには、少し時間が足りないかな…じゃあ明日はメガネの仕組みについて勉強しようか」
せんせーは物知りだ、毎日こうして私の知らないことを教えてくれている
初めは文字の読み方、本の読み方、お花の種類、数の数え方
たまにこうして困った顔もするけど、明日にはすぐに教えてくれる
パパ、ママ、お兄ちゃんの次に好きな人だ
「他に気になったことは無いかい?」
せんせーが優しく問いかけてくれる
このセリフは授業の終わりの合図だ
「大丈夫だよ、せんせー」
そう言うとせんせーは静かに片付けを始める
今日もまた私の大好きなこの時間が終わってしまうと思うと少し寂しい
「そんなに授業の時間が好きかい?」
私は目を丸くして驚く
「せんせー心の中分かるの?」
私の言ったことがおかしかったのかせんせーが大きな声で笑った
何を笑っているのだろう私はこんなにも真剣に聞いているのに
「ジニアも時間が経てば分かるさ」
なんだか分かるようで分からない
でもせんせーが言うのだからそうなのだろう
「早く時間経たないかな」
大人になるのが待ち遠しい
「危ない!!!!!」
大きな声が聞こえる。
それと同時に目の前が真っ黒になった。
目の前にあるのがせんせーの体だと言うことに気付くのにしばらく時間がかかった
「っててて、大丈夫かいジニア」
せんせーの二の腕から血が滴っている
「ありがと、せんせー。大丈夫?」
「ごめん先生!ジニア!大丈夫か!?」
少し離れたところで輝石の器具を触っていたお兄ちゃんが駆け寄ってくる。
「せんせーけがしちゃった!どうしよう!」
せんせーの傷を見たお兄ちゃんは顔が真っ青になりひたすら謝り倒す
どうやらお兄ちゃんが触っていた器具の輝石が破裂してしまいその欠片がこちらに飛んできたようなのだ
「すぐに誰かに言ってくるから!ちょっと待ってて!!」
お兄ちゃんは慌てて助けを呼びに走る
「そんな大騒ぎしなくて大丈夫ですよ、こんな怪我大したことありませんよ。
少し腕を切っただけですから包帯でも巻いて時間が経てば治るでしょう」
せんせーは怒るでも叱るでもなく、優しく微笑んでくれた。
「これも時間が経てば大丈夫?」
「ええ、そうですよ。時間が経てばヘッチャラです!」
いつものせんせーよりももっと優しい顔だった。
「時間ってすごいんだね」
「えぇ、時間はなんでも解決してくれます。」
せんせーはまたクスッと笑った。
そんなやり取りをしてるうちに猛スピードでお兄ちゃんが帰ってくる。
その後ろにはメイドさんが救急箱を持っている。これで安心だ
「じゃあジニアは先に戻ってて」
せんせーがまた優しく微笑みかけてくれた。
せんせーは次の日も、その次の日も変わることは無かった。
メガネの仕組みも詳しく教えてくれた。
自分の腕の傷跡を見せてどうして傷が治るかも教えてくれた。
さらに、せんせーはあの日以来お兄ちゃんの輝石いじりも手伝うようになった。
私の好きなせんせーはもっと好きなせんせーになった。
そうして私はみんなの顔を見てみんなの気持ちが少しだけ分かるようになった。
この国の歴史や私たちが生きていく上で必要な物も、先生に教わった
本当に時間の力はすごかった。
しかし、時間の力は残酷でもあった。
お母さんが病で倒れた
病名は「輝石病」
時間が経つにつれ身体が少しずつ輝石になっていくという奇妙な病気だ。
幸い命の危険がすぐに訪れるわけでは無いようだ。
しかし、その病は命の危険が訪れるまで手の施しようがない病でもあった。
私は時間の力を呪った。
これまでに無いくらい時間の力を憎んだ。
しかし呪ったところで、憎んだところでこれまでと顔色を変えないのが時間なのであった。
「先生、私に医学を教えてください。」
時間は止まらない。運命も止まらない。
ならば、病を止めるしか方法は無い。
先生は全知全能などでは無い事くらい承知だ。
しかし、こんな時に頼れる知識人は先生以外考えられない
「さすがに私も医学を勉強していた訳では無いので貴女に教えられる事には限りがあります。
その代わり、貴方には学び方を教えます。
だから貴女自身の力で時間に抗ってみなさい。ジニア」
先生が私に教えてくれたのは簡単な体の構造、基本的な病の仕組み、そして大きな図書館の場所だった。
来る日も来る日も図書館に通い詰め病についてを調べ上げた。
徐々に身体が変質していく母を憂いで、解決の糸口を、不治の病の治療方法を探した。
そんなある日、母に呼び出された。
「ジニア、この数年で随分成長したわね」
母の声は元気だった頃に比べかなり弱々しくなっている。
「お母さん、もう少しだけ待ってて。必ず助けるから」
先の硬い手を強く握りそう伝える。
「例え、私が助からないと分かっても絶対に止めないで。
ジニアの力を必要だと言ってくれる人が居るから。
私のためではなく、未来のために。
この朽ちていく世界を見届けてその先に」
私は口を噤む。
母の言う通り、この巨大な土壁に囲まれた陸の孤島グナプス湿原は長くはもたない。
この限られた土地の中でしか生活出来ず止まない雨のおかげで作物はろくに育たない。
そんな土地の未来など15の私にだって分かる
母は今、母ではなく王妃として私に言っているのだ
「それとねジニア、これを預けるわ。大切にしてね」
母に子箱を手渡される。
「やめてよ、こんなのお別れみたいじゃん」
母は何も言わなかった。
言えなかったのだろう。
そうしてその日の晩、兄が失踪した。
王城に住まう全ての人間で捜索したが、痕跡さえも消えていた。
そして兄、即ち「第一王子の失踪」の原因が恐らく輝石と関係があるだろうなどと言う、なんの根拠もない噂によりその責任を先生に擦り付けられ、王城を追われた。
私はこの日、母、兄、先生と敬愛する3名を事実上失ったのだ。
耐えられなかった。私はわけも無く走り出した。
このまま私も何処かへ消えることは出来ないかと。
しかし第一王子である兄が失踪したばかり、王城の門は固く閉ざされ誰一人出入り出来る状態では無かった。
王城の門の前で項垂れ失意のさなかの私に一人の男が声を掛けた
「ジニア姫じゃないですか、こんなところでどうなされたので…」
軽装備を身にまとったガタイのいい人男性、この城の兵士であろう
「お話くらいならお聞き致しますよ?一旦こちらに」
声が出ない。なにか話す気力も私には残っていない。
兵士の男に手を引かれ兵舎の一室へ入る
暖かく、微笑む男に何処か懐かしさを感じる。
「どうして、生きなくてはいけないのですか?」
ただ口からこぼれた。昔、無邪気に尋ねていたように。
「そうだなぁ、生きたくないなら生きなくてもいいんじゃないか?」
男が話始める。そんなことで納得出来るとでも言うのか。私は唇を噛み締める
「生きる理由も死ぬ理由も無くていいんじゃ無いかな。
どうせ人間なんて100年経てばみんな死んでる」
「では、なぜあなたは生きているのですか?」
まるで身体がそうしろと言うように言葉が溢れる
「俺には生きなきゃいけないって思える大切なものがある。それを毎日必死に守ってるだけさ」
生きなきゃいけないと想える理由…
右手に握りしめた小箱を見やる
その子箱を開けると中には銀色のリングがあった
「わたしの生きなきゃと思える理由…」
まだ母は死んでない
まだ母を失ってはいない
そして母との約束
朽ちゆく果てに見える未来のために
「兵士さん、ありがとう。お名前は?」
私にはやるべき事がある
フラフラと立ち上がる私を見て男はまたニコッと笑う
「ソルだ。どうか我々とこの世界を良き未来へ」
なんとも賢く、気高く、勇敢な男なのだろうか
そう思うと少しだけ頬が上がった。
「悪魔の子なのよきっと」
「きっと心が無いんだわ」
「あの子が女王様にでもなったら、この国は終わりね」
使用人たちが周囲で耳打ちをしている
愚かだ。これからは私が女王であると言うのに、私に聞こえる声で私の事を好き放題に、
本当に愚かだ
私は誰に何を言われたって前に進むと決めたのだ。
母との大切な約束なのだ。
動かなくなった母とその後を追ったであろう父の前で小さな箱を胸の前で固く握りしめ、心を殺す。
そして、母の遺体の入った棺桶を馬車に預け
一足先に兄の元へと向かった。
輝石病、その性質の概ねの推論が固まりつつある。
「そのために話を聞きに来たよ。お兄ちゃん」
薄暗い洞窟の中、様々な機械群の中心に佇む人影に話しかける。
「お久しぶりです。元気にしてましたか?ジニア」
兄では無い。が、その顔はよく知っている。
「先生…?」
「輝石について話に来たんだよね?」
「ええ、そうよ…輝石の発生原理について研究をしているのでしょう?」
「その通りだよ、さすがジニア賢いね。」
「でもあれはお兄ちゃんが勝手に…」
「では答え合わせをしていこうか。輝石病についてどこまで分かったかな?」
「輝石病は不治の病であり今いる医者、今ある治療方法では進行を止めることすら出来ない。」
「それはなぜかな?」
「輝石病は、人体が輝石を発生させる症状の事を指す。だけど、そもそも輝石がどのように発生したどんなものかが分からない。だから、止まらない、止められない……」
「素晴らしい推論だ、私も同様の意見だよ。
では何故輝石の発生原理が分からないのだろう」
「誰も研究しないからしようとしないから」
「残念、不正解だ。正解は、研究出来ないのさ。国王の勅命によってね」
「…っ!?どうしてそんなことを!」
「それは私にも分からない。」
「じゃあどうして先生がお兄ちゃんと一緒に輝石の研究をしてるの!?
お兄ちゃんが勝手にやったことなんじゃないの!?」
「これも国王の勅命さ。」
「つまり、お父さんの命令で、お兄ちゃんの失踪事件が起きたっていうの?」
「私が追放され、君が輝石病の原理に辿り着くまで込みでね」
膝から崩れ落ちた。
私は肉親と恩師にまんまと騙されたというのだ。
さらにその理由は不明ときた
あの時の私の絶望は、あの失念は、
何にも変え難い苦しみは、
一体なんだったのだろうか
「残りの疑問は君のお兄様が調べに行ってるよ。国王が亡くなったこのタイミングしか無いからね。
そろそろ戻ってくる頃合いでは無いかな」
……ガラガラ……
洞窟の入口で音がする。
いや、洞窟全体に音が響く
音はみるみる大きくなり同様に地面が揺れる
さらに揺れは酷くなる
突如洞窟は大量の水流が押し寄せ機械もろとも私と先生を飲み込む
何が起きているのだろう
何も分からない
ただ信頼していた人に騙され、踊らされ、利用され、その先がこれなのだろうか……
これがあの時渇望し、お母さんと約束した、
朽ちゆく果てに見えた未来なのだろうか……………
朽ちゆく果てに見る世界
ジニア編
完