ハートビート
お洒落な花模様がお気に入りのクッキー缶を開けると、そこには色とりどりのレターセットが
ぎっしり入っている。
便箋に走らせる今日の気分は「HB」だ。
私はレターセットを1点、そしてHB用のシャーペンを手に取ると、机に向かって、筆を走ら
せた。
私の机には4種類の細い⿊鉛たちがケースに密閉され列を成している。
愛用しているシャーペンの芯たちだ。
「3B」「HB」「2H」「6H」があるが、私は人間が持つ4つの感情のように、その時の気分
でこの芯を使い分けていた。
喜びにあふれ、機嫌の良い時には「HB」
怒っている時は濃い「3B」
悲しい時は「6H」
疲れたり無感情な時は、ちょっと薄い「2H」を使っている。
私は今、片思いの男の子と文通をかわしていた。
きっかけは、勇気を出して彼の机の中に忍ばせた一通の手紙。
時間をかけて何度も何度も書き直し、芯はもちろん、気分の高鳴る「HB」を使って書いた。
高校に入学した時から気になっていた。
そして2年になって、彼と同じクラスになった。
男の子に手紙を書くのは初めてだった。
返事が来なければ、同じクラスなのに距離が遠くなってしまう。
私と彼の机を結ぶほんの数メートルが、一枚の便箋で果てしない距離へと伸びてしまう不安を
募らせながら毎日を過ごした。
一週間経った頃、私の机の中に彼からの手紙が入っていた。
早鐘を打つ心臓が私の利き手を震えさせた。
彼との密かな文通はここからはじまった。
学校では会話はないけど、それでもこの手紙が私達を繋げてくれる。
距離を近くにも遠くにも出来る魔法の紙だ。
彼とつながっている―――それだけで充分だった。
私が4種類の芯を使って、その時の感情を表していることをしたためると、面白いと思ったの
か、彼も私と同じことをしてきた。
初めてもらった彼からの手紙は普段使っているという「B」で書かれたものだったけど、彼も
線の濃さを変えてきたのが嬉しかった。
歳の離れた弟と喧嘩した、なんていう時は「3B」でその内容が語られ、バスケの試合で良い
結果が出せなかった時や遅刻した時は「6H」
元気がなくてボーっとしている、なんていう時は「2H」で淡々と日常が書かれ、私は彼から
のそんな変化のある手紙に一喜一憂し、私も彼が悲しい時は「6H」彼と一緒に怒りたい時は「3
B」で返事を書いた・・・けど、手紙をもらえていることが何より嬉しかったから、だから「H
B」で書くことが一番多かった。
けど、私はひとつだけ不安があった。
彼はまだ一度も「HB」で手紙を書いてこない。
変化がわかるように、極端に濃さの違う芯を選んでいるので、どの芯で書いたかは、筆圧なん
かを見てもすぐにわかる。
彼は一度も気分が高揚する「HB」を使っていない。
怒ることも、悲しむことも、感情が乗らないことはあっても、私のように楽しくて仕方がない
時に使う、一本の⿊鉛を使用しないことに、私は、今にも折れそうな枝の先端に⽴たされたよう
な気分になっていた。
思い切って彼に声をかけたのは、手紙のやりとりが既に20通を超えた頃だった。
放課後、部室へ赴く彼の背中に思い切って声をかけた。
「あの・・・」
「え?」
振り返った彼の顔を見る。
目線が光の速さで私の心を射貫く。
小石を積み重ねる想いで、喉まで出かけていた言葉が彼の視線で押しつぶされてしまった。
「えっと・・・」
便箋でならどれだけでも想いを連ね、理屈をこねまわすことができる。
けど、目の前の彼に声をかけることが出来ず、顔すらまともに見ることが出来ない。
私は間もなく地平線に沈んでいく夕日のように真っ赤な顔で、重力に引かれうつむくことしか
出来なかった。
「あ、悪い。練習いかなきゃ」
終始言葉が出なかった私を置いて、彼は校舎の奥へゆっくり消えてしまった。
彼が私から遠ざかる一歩が何万キロよりも遠いものに感じられてしまう。
それでも、私は⽴ち去る彼の背中に何も伝えることが出来なかった。
その日以来、私は彼に手紙が書けていない。
家で悶々とし、教室では同じ空間、ほんの数メートルで届く彼の顔を見ることすら出来ない。
彼も私に声をかけることはなく、彼からの手紙も途絶えてしまった。
毎日書いてる日記はここ数日「2H」と「6H」しか使わなくなっていた。
冬が終わり、年があけ、桜が咲き始める頃。
2年生が終わりを迎えようとしていた。
これまで同じ空間にいた彼を、これからは見ることすら出来なくなる。
つかの間のまどろみに似た四角の楽園は消え、心の冬景色を残したまま3年生の春を迎える。
私はこれが最後と思い、彼に手紙を書く決意をした。
3年生が卒業式を間近に控えた今、初めて彼に手紙を書いた時のように、時間をかけて何度も
何度も書き直した。
ただ、初めて書いた時と、使う芯は違っていた。
悲しい時に使う「6H」
初めての時の濃さはなくて、今にも消え入りそうな薄い線を、それでも私は必死に走らせた。
来年は彼と違うクラスになる。
「1年間ありがとう」
この一文を書く時だけ、どうしても便箋が瞳から零れ落ちる6Hの滴で滲んでしまい、上手く書くことが出来なかった。
春休みを迎える間近に書けた手紙を大事にカバンに入れ、その日私は誰よりも早く登校し、こ
れまでと同じように、教室に誰もいない隙を見て、彼の机の中に手紙を投函した。
放課後にこっそり入れることが多かったけど、明日で2年生が終わってしまう。
間に合ってよかった、一刻も早く彼に伝えたかった。
彼からの返事は早い時は次の日の放課後に来るけど、明後日からは春休みに入るので、返事は
期待できない。
けど、それでもよかった。
勝手だけど、それでも最後に手紙が出せてよかった。
3年生の卒業式を終え、終業式を終えたその日。
当然だけど、私の机に彼からの手紙は入ってなかった。
分かってはいたけど、それでも少し落胆したのは、心のどこかで期待してたから。
私の恋は終わってしまった。
放課後、ゆっくりと1年間お世話になった四角の楽園を見渡し、ずっとポストの役割を果たし
てくれた机をそっと撫でた。
「1年間ありがとう」
手紙ではなかなか書けなかった一文を物言わぬ机に投げかけられたことが妙におかしくて、私
は思わず笑ってしまった。
校舎を出て、桜並木の校庭を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「あの・・・」
「え?」
振り返った私は驚いた。
そこにいたのは、1年間、数枚の便箋でつながっていた相手。
そして最後の手紙を出した彼だった。
心が脈を打ち身体が熱を帯びた、顔が体温と心拍の上昇に比例してほんのりと赤く染まっていく。
寂しさのあった心の内が彼の姿で打ち消され、私の感情を洗い流すように、風に弄ばれた桜の
花びらが舞い降りた。
「えっと・・・」
彼は気まずそうに頭をかいて、何を言うでもなくその場に⽴っていた。
彼の言葉を待つが、中々喋らない。
あの時と逆だ、あの時は私が彼に声をかけることができなかった。
「これ・・・」
やがて、彼はポケットから一通の手紙を取り出し、私に差し出してくれた。
「え?え??」
私が受け取ったのを確認すると、彼は再び気まずそうに私から視線を外した。
「そこに書いてあるから・・・そんじゃ」
そういって、彼は踵をかえし、私の前からゆっくりと姿を消してしまった。
消えていく彼に声をかけられないのはあの時と変わらない。
けど、あの時と違い、私の手には来ないと思っていた彼からの手紙が握られていた。
早鐘を打つ心臓が私の利き手を震えさせた。
震える手で封を切り、中を見ると、そこには短い文でこう書かれていた。
『手紙ありがとう。来なくなったからどうしていいか分からなかったけど、手紙が来て正直ホっ
とした。こちらこそ1年間ありがとう。3年になってもよろしく』
「3年に・・・なっても」
文の後には彼の家の住所が書かれていた。
たった数行の短い文だった。
それでも私はそれを見て、驚いた。
~彼からの短い文は「HB」の芯で書かれていた~
昔書いたものを少し修正して挙げてみました。
いつも落書きに使っているシャーペンのHBの芯を見て思いついた短編ですが、読んで頂けると嬉しいです。