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兄さんを犠牲にした足で、僕は直接、王様のいる部屋へと向かった。扉の前に着くと、護衛の人が二人いたが、僕を止めるでもなく、不憫な顔をして、そこに突っ立ったまま知らん顔を決めている。
知ってたのなら、助けようよ…
「陛下、ウィル・ラメーです。入室してもよろしいですか?」
僕に見向きもしない護衛を置いて、僕はノックした。
「おお、ウィルか、よく来たな。入りなさい。」
扉の中に入ると、見慣れた灰髪のダンディーなおっさんがガラス張りの壁を背にして座っていた。
「どうしたんだ、こんな遅くに」
すでに日は落ち、彼の背後からは、街灯の明りが差し込んでいる。
「陛下、こんな夜中に失礼します。先ほど、……」
僕は、家を勘当されたこと、王子に襲われかけたこと、そして、姉に襲われたことを包み隠さずに陛下に話した。
「おぉ、それは、……君も苦労しているんだなぁ。」
僕が話し終わるまで、黙って聞いてくれた陛下は、疲れたようにこう続けた。
「わしも、ベイルのことは知っておったのだ。しかし、王子という以上、そのようなうわさを流すわけにはいかなかった。それでどれだけ苦労したことか……最近は、街に降りてまでなにか買っておるようだし、……すまなかったな、息子が迷惑を掛けた。」
「…いえ、王様もご苦労なさっているんですね……」
文句のひとつでも言おうとここまで来たが、陛下のやつれすぎた顔を見ていると、彼を非難する気が薄れてきた。
しかし、そんな人のよさそうな彼にも、苦手なところはある。
「そういえば、リーネとはいつ結婚するのだね? あの子と言えば、よくできた子でねぇ。本当にベイルの妹なのかと疑うときもあるくらいだよ。いや、ベイルも普段は優秀なんだけど……」
そう、早口にまくしたてる。そう、この人は、自分の子供、特にリーネ姫に甘いのだ。僕と普段、会話をするとき、話の約9割は自分の子供のことだ。
残りの1割は、まともな話なので、この人も優秀ではあるのだろうけれども、なんだか見た目のハンサムさとは真反対の、少し残念な感じのするおっさんであった。
「あ、あの、陛下。そろそろ話を戻しても良いでしょうか?」
「あ、あぁ、すまん。子供の話になると、ついな。」
そう言って、嫌な顔せず、僕に向き合ってくれる。この人は、基本的に良い人なので、会議でもよく子供自慢を遮られても、すぐこういう対応ができる。単に、慣れただけなのかもしれないけど。
「それでですね、先ほど申し上げたように、僕、家を勘当されちゃったんです。ですので、少しだけでもよいので、お金を下さらないかと。」
「あぁ、うーむ。それじゃあ、用意しよう。おい、これだけ持ってきてくれ。」
さすがは陛下。生活に困った子供を無償で助けてくれるなんて。
「でも、わかっているな。今日あったことを話したら…」
「はい、わかっています!!」
脅しっぽく聞こえる声にも、元気よく答える。ベイル兄さんのことなんて、他国の庶民の会話で出てくることなんてないだろうし、全く問題ない。
そして、執事が持ってきたトランクケースが僕と陛下の間に置かれた。
「開いてみな。」
陛下のその言葉に、トランクケースを開けた僕は驚愕した。
「な、なんですか、この額は!!」
帝国100万紙幣、4万枚。この額は、帝国貴族の一年の年収額に相当する。この額であれば、市民としてなら四十年くらい何もせずとも暮らして行ける。いくら僕が王国貴族と同じ水準で暮らしたとしても、十年は持つであろう。
そんな、トランスケースの中身に困惑している僕に、王様がこちらを真剣な表情で見つめてくる。
「ウィル、そなたには、ある人物を連れて行ってもらいたいのだ。」
「もしかして、リーネ姫ですか? 嫌ですよ、僕は絶対に彼女と過ごしたくありません!」
陛下の頼みに即答する僕に、陛下は困った顔をした。
「そう焦ぐでない、リーネはこの国の王女だぞ。そんなにひょいひょいどこかに出せるわけがなかろう。わしが連れて行ってもらいたいのは、わしの昔からの友人じゃよ。」
友人? 陛下に友人なんていたのだろうか。貴族の中では、特定の誰かと仲良くしているなんて聞いたこともないのに。
「まあ、いいですよ。」
子供ができることなんて、たかが知れている。それは、貴族であってもそうだ。そんなに難しいことは頼んでいないのだろう。それに、今ここで機嫌を損ねられたら、僕は明日の生活さえできない。王子に連れ去られるときに落としたのか、僕のポケットには金貨が一枚も入っていなかった。
「さて、実際に会ってみないことには、人柄もわからんだろう。それ、行くぞ。」
そう言って、立ち上がった陛下の顔には、これまで見たことのない、寂しげな表情が宿っていた。
「おい、入るぞ、ルーカス。」
陛下は、王城の地下にある一室の前で立ち止まると、ノックもなしにその扉を開けた。
「おい、シェード、ノックくらいしろと言っているだろう。」
陛下の失礼な態度に、躊躇ない叱責が飛んできた。中に居る人物は、長年、戦場にでもいたかのような、歴戦の雰囲気を纏っており、その腕にはいくつもの治りきることがなかったのであろう傷跡があった。
「なんだ、わしに用があるのか?」
ぶしつけな視線が嫌だったのか、その人物は横になっているベットの毛布でその腕を隠した。
「そう怯えるでない。紹介しよう、我が息子同然のウィルだ。ウィル、こっちは、ルーカスという。気難しい奴だが、仲良くしてやってくれ。」
陛下の紹介によると、この人はルーカスというらしい。僕の記憶の中には、やはり、ルーカスという貴族はいなかった。
「わしが気難しいだと!?」
「そうだろう。だって、お前、この前も……」
僕が静かに空想している中、二人は友人のように、互いの悪口を言い合っていた。
「そうだ、一応言っておくと、こいつは庶民だぞ。」
「あっ、そうなんですか。」
僕の疑問を感じ取ったのか、陛下がそう言った。
「こいつときたら、礼儀作法もなっとらんでなぁ……」
「おい、もうやめんか!!」
「いや、今日は最後まで言っておくぞ! お前ときたら…」
本当に仲がいいなぁ、としばらくそのやり取りを見ていると、
「ところで、ルーカス、お前の言っていたことがようやく叶いそうだぞ。」
「本当か! それじゃあ、この子がそうなのか。」
「そうだ。ウィル、黙っていないで、そろそろルーカスとも話したらどうだ?」
いや、さっきから二人だけで話していたから、黙っていただけなんですが。
「どうも、ウィルです。よろしくお願いいたします。」
「おお、ウィルだな。よろしく頼むぞ。それじゃあまず、わしの様態を見せんといかんなぁ。」
そう言ったルーカスさんは、ベットから起き上がり、今まで毛布がかかっていたその足を僕に見せた。
「…こいつはな、二年前にあったレイチェル王国とティルス帝国の戦争に参加していたのだが、……」
二年前、王国は、レイチェル国とティルス国の戦いに参入したそうだ。それにルーカスさんも参戦していたのだが、そこで左足を吹き飛ばされ、今に至るらしい。
「そうなんですか…」
一部の者にしか知らされていないのか、貴族であった僕でさえ、この国が他国の戦争に参加しているなんて知らなかった。これまで僕はこの国は戦争などしない、平和な国だと思っていたのだけど、今の言いぶりでは、どうやら僕の知らないところではおそらく他の戦にも参戦しているらしかった。
意外な事実と目の前の人物を見て、困惑した顔の僕を気にしてくれたのか、ルーカスさんが僕に話題を振ってきた。
「……それで、旅行の日程なのだが、明日にでも出発しようと思っている。」
( へ? 旅行って何? )
僕の疑問を背に、暗い話題から明るい話題に変えようと、不自然に明るくルーカスさんが次々に予定を離し始める。その合間を縫って、元気よく話してくれるルーカスさんには悪いが、僕は陛下に質問した。
「あの、陛下。僕はただ帝国にこの人を連れていくだけじゃないんですか?」
そうだ、大人が子供を連れていくのなら分かるけど、子供が大人を連れて行くなんてこと、ありはしないはずだ。そう信じていた僕を、陛下が優しく諭した。
「ウィル、頑張ってね。」
「そ、そんなぁ。僕はもっと、簡単なことを頼まれるのかと。」
「一度、君は了承しただろう? 約束は守らないと。それに、話は最後までちゃんと聞かないとダメだよ。まぁ、そういうところも可愛いんだけど……」
先ほど聞いた感じだと、ルーカスさんが行こうとしているところだけで、3年はかかると思う。それに、移動は馬車を使えばいいけど、観光中はどうするのだろう。もしかして、僕が担いで移動するのだろうか。
「やっぱり無理ですよ陛下。そんなことしてたら、僕の身体が持ちませんって。」
僕の他にも人は大勢いるのだし、僕でなくてもいいんじゃないか、と思い、僕は、そう告げた。
「なぁ、もし無理そうなら止めてもいいぞ。」
僕の言葉に、陛下ではなく、ルーカスさんが申し訳なさそうに答えた。
「どうせ、こいつが上手いこと言って騙したんだろう。それに、こんな老い先短い老人に付き合って死ぬこともない。」
そう述べた彼に、先ほどまでの興奮した雰囲気はなく、その言を後に、落ち込み、ベットに戻ってしまった。
その姿に、僕は少し申し訳なさを感じた。そこに、陛下が口を差す。
「ルーカスは、これでも戦士長だったんだ。ほんのそこらじゃやられないし、旅のいい護衛にもなる。それに、その足だって、義足を使えば、走ることだってできるし、他の国の言葉も話すことができる。他にも、……」
陛下は、ルーカスさんの良いところをたくさん僕に聞かせた。中には少し恥ずかしいこともあったが、それでも、彼の有能さをきっぱりと述べていた。
「……どうかな、ウィル。ちょうど良い人物は他にもいたけど、ここまで真剣に付き合ってくれたのは、君が初めてだよ。わしとしても、ルーカスと旅をさせるなら、君とがいい。」
陛下は最後の判断は、僕にまかせるようで、黙って、僕の返答を待っている。
何分経ったのだろうか、それまで旅について、いろいろ考えていた僕は、決断を口にした。
「…ルーカスさん、何も役に立てることはないかもしれませんが、よろしくお願いいたします。」
僕は彼と旅をすることに決めた。
「ほ、本当か!?」
その言葉を聞いて、一番驚いたのは、陛下だった。
「本当に良いんだな、今度は本当にだな!?」
だいぶ勢いの乗った感じでまくしたてられる。
「ほ、本当ですって。」
「おいルーカス、聞いたか? って、何寝てるんだ、ふてくされてないで早く起きろ!!」
ルーカスさんも僕の言葉に大層喜んだのか、ベットの中でびくっとしたが、未だに寝たままだった。
「おい、早くしないか。せっかくウィルがやってくれそうなのに、お前がそうしていてどうする!」
「お、おう。もう起きとるわい……ウィル、本当に良いのか?」
陛下に無理やり持ち上げられた格好のルーカスさんが言う。
「はい、よろしくお願いします。」
自分の耳を疑っているのか、彼はまだ僕の返答を信じていないようだった。
「本当に良いんだな?」
「はい」
「本当の本当に?」
「はい」
「本当の本当の本当にだな!?」
「はいってさっきから言ってるでしょうが!」
その言葉を皮切りに、ルーカスさんはベットから飛び上がった。
「よっしゃぁぁぁ~~~!!!」
「良かったな、ルーカス。本当に良かったな。」
どこにそんな力が残っていたのか、ルーカスさんは城全体に響き渡るくらい大きな声でガッツポーズをし、そんな彼の傍では、陛下が、泣きながら喜んでいたのだった。
「さて、では、まずは、旅程についてだな…」
先ほどの光景を思い出したのか、ルーカスさんが言いずらそうに、旅について語りだした。
「まず、西門からここを出て、帝国に行く。」
( 僕が目指していたところだな。)
「そして、そこの都、ルーベンを見て回って、しばらくしたら、ブランドン共和国に、」
ブランドン帝国と言えば、料理が有名で、グルメ家なら一度は行ってみたいところだ。
「そして、そこからは北に向かって、ティルス帝国とレイチェル王国の戦争がどうなっているのかを調べる。」
( ルーカスさんが足を無くしたところにも行くのか…… 何しに行くのだろう。 )
「その足で、北の大国、ルーマルに行く。こんな感じだな。」
彼の思っている予定では、だいぶ長い旅行にするらしい。それならば、一つ聞いておかなくてはならないことがある。
「あの、もしかして、旅費って僕払いですか?」
当然の疑問だ。いくら陛下から、テーネシア帝国紙幣をもらっていようと、このような旅に出るとなると、懐が心配だ。貨幣価値が変わっていたり、行った国で物価が急増していたら、一発でおしまいだ。
そんな素朴な疑問に陛下は、
「ああ、それならなぁ、ルーカスがどうにかしてくれるだろう。この前の戦いでも褒賞を与えたしな。」
それなら安心だ。僕としては、この旅が終わった後の生活も考えないといけないので、なるべくお金は取っておきたいのだ。
そう考えると、お金も払ってくれるし、旅はできるしで、この国にいるよりも断然良いかもしれない。僕を狙ってくる兄さんもお兄さんたちもいないし、ワクワクだ。
しかし、これからの旅にウキウキの僕の後ろのルーカスさんは、真顔になっていた。
「わし、報奨金なんか貰ってないんだけど。」
「ん? ≪へ?≫」
危懼なことを呟かれ、陛下と二人して聞き直してしまった。
「だからわし! お前から褒賞なんてもらってないぞ!」
「な、なんだと!?」
今度は陛下が真顔になった。
「これまでお前から褒賞なんぞもらったことないわ! 他のみんなはもらっとるのに、なんでくれんのか悩んどったが、財政が大変なのだろうと、友人を思って、黙っておった。それなのに、わしが動けなくなったら無一文でほったらかそうというのか?」
追撃と言わんばかりに、ルーカスさんが陛下に怒鳴る。
「そんなはずはない。そんなはずはないのだ! 確かに私は渡したはずだぞ!」
ルーカスさんに負けずと、陛下も声を荒げた。
「いや、わしはもらってない。絶対に。」
「いや、わしは絶対に上げたぞ! 家令が取りに来たし!」
「いや、もらってない。」
「いや、上げたぞ。」
いやそれ、家令の仕業なんじゃないですかね。そう僕は切り出そうとするが、なかなか言葉の応報が止まらず、口をはさめない。
「いや、待てよ。その家令は名をなんといっていた?」
やっと、やってるやってないから抜け出したか。子供かよ! そんな僕の心の声は彼らに伝わらず、ルーカスさんの疑問に陛下が答える。
「確か、ヤムへムと言ってた。」
「 !! そいつは私が首にした男だぞ!!」
「何!?」
ようやくそこまでたどり着いたか。何分かけるんだか。
「じゃあ、わしの受け取るはずだった金は全部あいつに持っていかれたっていうのか!?」
その言葉に、先ほどまで対等に渡り合っていた陛下の声が小さくなる。
「そ、そうなるのぉ。」
「それじゃあなんだ!? わしの旅はここでおしまいってことか!? それとも、お前が代わりに出してくれるのか?」
そう言われた陛下は、なんとも言いずらそうに、
「す、すまん。今月のお小遣いは、もう使い切ってしまったんじゃ。」
「何!?」
( 国王って、お小遣い制なんだ…… )
意外な発見をして、面白くなってきたとその場を静観していたそんな僕に、今度は、白羽の矢が飛んできた。
「それじゃあ、ウィルに払ってもらうしかないのぅ。」
今度は、僕が真顔になった。
「これで全部でーす!」
翌日、僕はルーカスさんと陛下と一緒に、王都の西門へと立っていた。
あの後、全員が真顔になった部屋に現れた執事が、僕たちのあまりの蒼白さに気まずくなり、朝一番に王妃に掛け合ってくれたそうだ
そのおかげで、こうやって物資を集めることはできたけれど、陛下は、今夜、王妃に何を言われるのかびくびくしている。
「おーい、ウィル。」
そんな陛下を眺めていた僕に、兵士たちと積み荷を点検していたルーカスさんが手を振ってくる。
「今行きます。」
その声の方へ行こうとした僕に、後ろから声がかかる。
「気を付けるんだぞ、ウィル。あいつは何かと奔放だから、注意しておかないとはぐれてしまうかもしれない。それに、……」
「あはは、、、それは何度も聞きましたよ、陛下。」
朝からこんな調子の陛下に苦笑いを向ける。
「そうか、でも、なにかあったらすぐ帰ってくるんだぞ。」
「はい、何かあったらすぐに追い返しますよ。」
僕は、ルーカスさんには金がないということを知ってから、何かあったらすぐに陛下に送り返そうと決めていた。
「違う。お前もだ。お前に何かあったら、すぐに帰ってきなさい。どうせなら、あいつごと逃げてきても良い。あいつなら、どうにかなるだろうしな。まぁ、そうなるまでは、楽しんで来い!」
先ほどまでとは違い、真剣なまなざしをして、陛下が僕の肩を叩いた。その反動でこけそうになった僕は、少し陛下にむかついた。しかし、僕は、権力の前では紙より吹き飛ばされやすいので、
「じゃあ、行ってきますね。」
なにかやりきれない感じの返事をして、陛下の元を離れた。
「ウィル、嫌になったら、いつでも帰るからな、遠慮するなよ。」
「それ、何度目ですか。」
ルーカスさんにも同じことを言われた。でも、少し、大切にされている感じがして、悪くない感じがする。
「じゃあ、行きましょう!!」
そう言って、僕は、ルーカスさんと共に王都を出た。
その後ろで、陛下は、見えなくなるまで、じっと立っていた。