魔王と勇者と、聖女
「ヤハズ、もう良いの? 」
「ええ。何名かは生け捕りにしておきました」
ヤハズがフウと息を吐いてテルシオペロの元へ戻ってくる。
彼女はその背中を軽く叩いた。
「ハララカさんのことよ。ずっと心配だったんでしょう? 」
「ああ。多少まだ心配はありますがね。あの恋人は強い。支えていくでしょう」
「ウォマさんも男の趣味が悪いわよねえ。もっと良い人がいるだろうに」
テルシオペロはハアと息を吐いた。
「ですが、彼にはあの人しかいませんよ。
彼女と出会ってから彼は大きく変わった。彼女に出会わなければヒバカリも殺されていたでしょう」
「ヒバカリさん、ね。敬称付けなさい。
……もうこの世界の崩壊とか願ってないかしら? 」
ヤハズは恐らく、と頷いた。
初めてハララカと出会った時、彼は13歳の子供だった。
この世界に来て嫌な目に遭い続けたのだろう。澱んだ目でヤハズを睨んでいた。
彼は何故自分がこんな目に遭っているのわからなかった。
だからヤハズが教えたのだ。君は私を倒すために呼ばれたと。
だが彼は子供とは思えない皮肉げな笑みを浮かべて「こんな世界さっさと滅びればいい」と放った。
この国は弱者に厳しい。ヤハズは何かあるなら助けると伝えた。
ハララカは首を振ってその場を去った。
まさか冒険者となって再会するとは思わなかった。
あの澱んだ目は相変わらずだったが。
「早めに助けるべきだったのでしょうか」
「どうかしらね。私はそう思うけれど……でもそうなったらウォマさんと出会えなかったわ」
「出会わなければどうなっていたんでしょう」
「さあ。でも多分死んでたわ」
そう言ってからテルシオペロは仕切り直しとでもいうように手を叩いた。
「さ、証拠は揃えた?
ギルドマスターや判事にこのことを知らせないと」
「ナジャシュの皆さんは」
「時間はかかるけどいずれ……何かの形で、また話をするようになると思うわ。今は難しいかもしれないけれど……」
「そうではなく……置いて行くのですか? 」
「……まあ居辛いし……」
それもそうか、とヤハズは頷いてテルシオペロとその場を後にした。
*
目を瞑る。ここは嫌な思い出しかない。
ハララカは鼻をすするウォマを強く抱き締めていた。
酷いところだった。
気が付くと森を彷徨い続け、体はうまく動かず、飢餓感が彼を襲っていた。
そんな時に現れた真っ白な少女……ハクだった。
彼女は幼いハララカに何かを喋って微笑んだ。その優しい笑みにハララカは喜んで付いて行ってしまう。
それが悪夢の始まりだとも知らずに。
最初のうちはハクも優しかった。言葉の分からないハララカに根気よく文字を教え喋れるようにしてくれた。だが、それはあの得体の知れない器具を入れられるまでの話だ。
彼女は必死で抵抗するハララカの体を押さえつけ、意識ある彼の体を開くとそこにあの器具を埋めたのだ。
体に異物があるというのはそれだけで最悪な気分になるが、それ以上にその異物はまだ生きているかのように脈打ち、ハララカの体内を暴れ回った。
その度にハララカは壮絶な痛みと不快感に支配された。
だがハクは言った。良い子にしていたらそれを押さえててあげると。
だからハララカは良い子にした。ご飯は毎食ケーキで飽き飽きしていたが笑顔で食べたし、日本語で話すのを嫌がったので決して喋らなかった。魔法の勉強は気味が悪くて嫌いで、何よりハクにキスをしないといけないのが本当に堪らないほど嫌だったが、それも我慢した。
そうしないとハクはハララカに入れた異物を暴れさせる上に鞭で叩くのだ。
更に彼女はカガチという怪しげな集団とやり取りをしており、時々やって来る彼らはハララカを最高の実験体として扱っていた。話しかければ返事は返ってくるが、人間扱いはされなかった。
苦しかった。名前も言葉も趣味嗜好も奪われ、残ったのは何故自分がこんな目に遭わなければならないのかという疑問。
それがヤハズとの出会いにより解消されると燃え上がるような怒りに変わった。
ヤハズと出会ったのは、ハクに連れられ街に降りた時だった。
偶々ハクと離れていた彼は、いきなり男に声を掛けられる。
「会いに来ないから会いに来たよ」
最初は誰かと間違えられてるのかと思ったハララカは訝しげな顔で男を見たが、男はしっかりと彼を見つめ微笑んでいた。
「……なんの、はなしですか」
「私を殺しに来ないのか?
……ん……? 君のその腹の物はなんだ。そんなものなんか無くても、君には私を殺せるだけの力がある。だから呼ばれたんだ」
「ころす? なぜ、なにを言ってるんです」
「君は、私を殺しに異世界から来た勇者だろ? 王から呼ばれて……」
なにを言っているのか、ハララカは分からなかった。だが、徐々にその謎の輪郭が掴めてくる。
自分はこの男を殺すために7年前この世界にやって来たらしい。
「……なんで、あなたをころさなきゃならないんです」
「私が魔王だからだ」
「ま、おう」
「魔族を統べる王だ。最も、今はそんなもの放棄しているが」
「すべ……」
「魔族は分かるか? 君とは違う種族の集団だ。
その中で……簡単に言えば一番偉いってこと」
7年前の、日本にいた時のことを思い出す。そういえばそんなゲームをやっていた気がした。
「まおう……魔王。統べる……」
「君……言葉が分からない? 」
そう言われてハララカの頬がカッと熱くなった。カガチの連中にも、ハララカは言葉が下手だとからかわれるのだ。必死で覚えようとクスクス笑われる。
「魔王、とかは聞いたことがなかったから」
「違う。この世界に来たら勝手に言葉が分かるようになるはずだ。
君はどうやって来た? 誰に呼ばれた。名前は」
「し、しりません。いきなりこの世界にいて。拾われたんです」
「拾われた……? まさか」
目の前の男は驚愕したようにハララカを見つめていた。それから悲しそうに顔を歪ませる。彼が本当に魔王だというのなら随分人間的だなとハララカはぼんやり思った。
「私の名前はヤハズだ。君は? 」
「ハララカ」
「それは、君の名前じゃないだろう? 」
八岐 已月。それが彼の本当の名前だ。
だが魔王に教えるのがなんとなく嫌で彼は首を振った。
この世界で名前を聞かれたのはこれが初めてだったとふと気が付く。
「教えたくない? なら構わない。が、私の話をよく聞くんだ。
君は本当なら王城にいるはずなんだ。そこで手厚い保護を受けて私を殺すための準備をするはずだった。
だが……王城の魔法使いどもの不手際か、君は召喚される場所とは違う場所に出てしまった。
そして、今、君はここにいる。腹に変なものを入れる人間に拾われてしまっている」
「なら、オレはあなたを殺すためにこの世界によばれた……? 魔王を、ころすために? 」
「ああ。でも安心してくれ。別に私はこの国を侵略しようも破壊しようとも思ってない。好きなようにさせてもらってはいるが節度は守っているさ」
ヤハズは話は終わったとばかりに手を叩いた。
だが、ハララカの胸の内には燃え上がるものがあった。感じたことのない怒りが。
「魔王なのに、なんもしないのか。こんな世界滅びればいいのに、なにも……」
彼は笑った。なんでこの世界を壊さない。
ハララカを苦しめるだけの世界なのに。
「……助けようか、君を」
ヤハズがこちらを伺うように見下ろしていた。魔王の癖に、ハララカがこの世界で出会った中で一番優しい言葉だった。
だがハララカは首を振る。自分の望みはこの男には叶えられないだろう。
炎のような怒りを胸に抱えてハララカは思った。自分を呼び出した魔法使いどもを殺さなくては。
彼はハクの元を逃げる決意をした。何より殺したいのは彼女だったが、守護魔法のせいで彼女を傷付けるのは叶わなかったのだ。尻尾を巻いて逃げ出すのは嫌だったが、もし愛する人が出来たらその時にハクを殺せるだろう。
呪われた弓を見て思う。この弓を与えられてからどうしようもない飢餓感が彼を時々襲うようになっていたが、狙った獲物は百発百中だ。
これで、魔法使いを殺そう。
ハララカの調べたところによると彼を呼び出した魔法使いは13人だった。
偉い方から順に殺していきたかったがそれが難しいと分かったので出会った順に殺して行くことにした。
とはいえ、呪われた弓があろうとそれは簡単なことではない。ある時は下半身を骨が砕かれ、ある時は水責めにされ、ある時は3日間拷問にあったこともあった。
それでも彼は魔法使いたちを殺した。
13人目はユウダという名で、名のある家に生まれたがハクを探して冒険者紛いのことをしているということを知った。
まさかここでハクの名前を聞くとは思わなかったが、彼女の守護魔法は皆が欲するものであるので当然と言えば当然だった。
ただ、ユウダの望みは己に守護魔法をかけることではなかった。一人の少女にかけたがっていた。
ヒバカリ。貴族の娘だ。
なんの苦労も知らないくせに危険な魔法に手を出した愚かな娘。
ハララカは出会うからヒバカリのことが嫌いだった。それは嫉妬からだと分かっていたが。
ハララカは、ユウダがパーティの一人を殺していたためその穴を埋める形で入り込んだ。
気が付くとこの世界に来て10年経っていた。
その時に現れたのがウォマだった。
死んだ子供を抱きかかえ野次馬どもの目に付かないところへと運んでいく彼女が、酷く崇高なものに思えた。ウォマに抱き上げられる死んだ子供が猛烈に羨ましかった。
自分が死ぬ間際に見たのは、彼の死に様を面白がる群衆だったというのにあの子供はああやってウォマに抱き締めてもらっている。
その時、彼は自分の望みにやっと気が付いた。
復讐がしたかったのではない。誰かに看取られて死にたかった。
この世界でもう一度生をやり直せるというのなら、もう一度死をやり直したかった。
彼の中にあった怒りの炎が消えていく。後に残るのは燃え殻だけ。
その燃え残る体でウォマを渇望した。後もう少しで彼は灰になれる。
だがウォマはまだ生きてと言った。腕の中の彼女をまた強く抱き締める。
彼女がいるなら自分はまだ生きていよう。




