私たちに及ぼしたもの
男は体を震わせ街角に立っていた。
獲物を探しているのだろう。
「まだやってんだ」
「なんだよ……って、ヒ、お前は!」
男はウォマを見て怯えた顔になった。
彼女のネックレスをスったら酷い目にあった。そのことを彼はよく覚えていたのだ。
「な、何もしてねえよ、放っといてくれ!」
「私も話しかけただけじゃん!そんな怯えんなよ!」
「あ、あんたは怖いんだよ……!顔が!」
怯える男にウォマは乙女に対してなんたる言い草だと言い募ろうとしたが口を閉じる。
そして黙って男に袋を渡した。
「これは?」
「……あんたはもう臓器を売らなくて良いってそれだけ言いにきたの。
じゃあね、もうスリなんかしないでさ家族の所にでも帰ったら?」
男は袋を開ける。
中には金貨銀貨がたっぷり入っていた。
どういうことだ、彼はウォマを呼び止めようとする。
しかし彼女の姿は人混みに紛れて見失ってしまった。
「何で俺の、このこと知ってんだ……?」
男は自分の耳を撫でる。かつては耳殻があったが今は無い。切り落とされたのだ。
二人組の男に妻と娘を人質に取られ臓器を売る日々。
何度も何度も。再生魔法を繰り返されると体は変異していった。
皮膚は黒ずみ硬くなり、血は汚くドロドロとし始めた。
もうきっと長くないのだろう。それでも死ぬまで、妻と娘が救われるならこの生活を続けるしかなかった。
彼は袋を握りしめ、久方ぶりの家へと帰る。
臓器を売りたくなければ金を用意しろと言われ彼は盗みを働いてその金を捻出していた。
そんな姿を娘に見せたくなくて彼は家を出ていたのだ。
この金があればきっとやり直せる。
また、3人で暮らせる。
✳︎
「クエストの報酬、全部渡したんですかあ?」
「ギャッ!?は、ハララカさん……」
いつの間に見ていたんだ。
ウォマは彼を見つめる。
誰にも見つからないように部屋を出たつもりだったのに。
「優しいですね」
「別に、魔物退治じゃないからって大した額にならなかったし」
「素直じゃないなあ。
それを優しさと言わずしてなんと言うんです?」
「自己満足」
「面白いこと言いますよね。
やらない善よりやる偽善でしょうに」
ウォマは黙って宿まで早足で戻る。
その後ろをハララカは歩いていた。
「あ、もしかして照れてます?
すみません。誰にも見つからずヒーローごっこがしたかっただろうに俺が見つけてしまったせいで」
「い、意地が悪いよね!ほんと!」
彼女は頬を赤くしてハララカを睨む。
それから小さい声で「いいじゃん別に。ヒーローごっこしたって」と呟いた。
勿論ハララカは構わない。ただ彼女の赤い顔が見たいだけだ。
「お優しいヒーロー、次はどこに?」
「なんでついてくるんですかっ!」
「やることがなくて。
デュメリルさんもユウダ先生もヒバカリさんもあの事件の後処理でもう一週間も奔走してますけど、俺は特に無いので」
そう。
あの事件から一週間。
ユウダはパレアスの師匠に会いに行き、デュメリルはギルドへの説明や臓器売買のグループに関する情報やらで奔走、ヒバカリは貴族の知り合いに今回の事件のことを話さなくてはとかなんとかで毎日どこかに出かけていた。
魔術師が犯罪に関わると、その魔術師の師匠の面子を保ったり、もしその魔術師と関わりがあれば自分の保身をしたり、面倒なことになるのだ。
ヒバカリは直接は関係無かったが、パレアスの師匠とヒバカリの父がそこそこ仲が良かったこともありその尻拭いに追われていた。
しかし拭う尻もなく暇なウォマとハララカは日々こうして街に出てフラフラしたりして時間をつぶしていた。
「ハララカさんだって魔術師仲間とかいるでしょ?会わなくていいんですか?」
「俺は魔術師じゃありません。魔法が使えるだけです」
「何が違うんです」
「魔法が使えるだけじゃ魔術師じゃないんです。
魔術師にはルールがあります。俺はそれを守る気はサラサラありませんから」
なんだか無免許医と同じようなことを言っているなとウォマは思った。
かの有名な無免許ヤブ医者は医師会の方針が気に食わないとかで免許を取らなかったような。
「じゃあ魔術師じゃなくても友達……あ、友達いないですよね、すみません」
ウォマが嫌味でそう言うが、彼は平然と「なんだわかってるじゃありませんか」と言った。本当にいないらしい。
「ハア、じゃあ私と一緒に居たいって言うんですね。良いですよ、ならなんか奢ってもらおうかなあ」
彼女は通りの看板を見上げた。
「あ、あそこ」
パン屋と書かれているようだ。
暗い店舗だが、ああいう寂れたところこそ美味しかったりする。
小腹も空いたしちょうど良い。ウォマはハララカの袖を引いた。
「あそこに行きません?」
「は?あそこ?」
珍しくハララカが戸惑っている。どうしたのだろうかとウォマは疑問に思う。
「嫌ですか?」
「まさか、嫌じゃありません。願ったり叶ったりです。
ですが何かおかしい気がしますねえ」
「おかしい?
お腹空いてませんか?私朝食べたきりなので空きました」
ウォマはお腹を押さえる。腹の虫がいつ鳴き出すやもわからぬ状況だ。
ハララカはそんなウォマの態度と言葉に首を傾げた。
「なぜあそこに?」
「パン屋、ですよね?」
ウォマの回答にハララカはこめかみを押さえた。
あれはラブホテルだ。パン屋なんてものではない。
何故そんな間違いをするのか彼には理解できなかった。
「字の勉強しましょうかあ」
「なんですかいきなり」
「あれなんて読みました?」
「美味しいパン屋」
「あれはそうですね、男女がえーっと、」
ラブホテルの遠回しな言い方、ラブホテルの遠回しな言い方……ハララカは必死で頭を動かす。なんと言えば伝わるだろうか。
「あ、そうだ。男女が肉欲を発散させる場所ですね」
「言い方!」
「あれ、伝わりませんでした?つまり」
「いえ充分」
ウォマはハララカの言葉を遮った。
それから自分の言ったことを反芻して顔が赤くなる。
ウォマはハララカをラブホテルに誘ったことになっていたのだ。
「字が読めなくて、だからその、そういうつもりじゃ、」
「勉強しましょう」
彼はウォマの背中を押して宿への道を歩く。
自分だったから彼女が何か勘違いしていると分かったが他の人はそうはいかない。
何かある前に文字を覚えるべきだ。
「本を買ってあるんです。宿に戻ってそれを読む練習しましょう」
「な、なんかすみません」
まさか街のど真ん中にラブホテルがあるとは思わなかったのだ。
ウォマは赤い頬を押さえる。全くもって恥ずかしい。
ハララカはそんなウォマの赤い顔を見つめた。
やはり良い。
いつもどこか気怠げで眠たげな彼女の顔が赤くなるのを見ると電流が背骨に沿って流れる。
「……ハララカさん?」
ハララカの視線に気付きウォマは怪訝な顔で彼を見た。すると彼は誤魔化すように笑ってとっとと歩き出してしまった。
✳︎
ハララカの部屋で本を借りて読む。
が、全くわからない。
「ハララカさん。思うんですけどこれをただ眺めてても字が読めるようになる訳ないですよね」
ウォマは弓の手入れをしているハララカに話しかけた。彼は顔を上げずに同意する。
「うん、そう思います」
「教えてくれない感じすか?」
「面倒臭いなあって」
こいつ、自分が言い出したことなのに。
「えーっと……でもほら、私、さっきみたいな間違いしたくないです」
「それもそうなんですよねえ」
彼はため息をつくと、弓を置いてこちらに歩いてきた。
そして席に座るウォマの本を眺める。
小説のようだ。いきなりこれは難しいだろう。
「どう教えれば良いのか。
これはなんて読むかわかりますかあ?」
「えっと、くつ……くつや?」
「靴磨きですね。
これはどうですか?」
「鏖」
「合ってます。
こっちは?」
「うーんと、木……?太陽……?」
「木漏れ日です。
これは?」
「ジェノサイド」
「これはわかりますかあ?」
「腑分け」
ハララカはウォマの回答にニッコリ笑う。
「なんで鏖が読めて木漏れ日が読めねェんだよ」
「なんで怒るの!?」
「あ、すみません。思わず。
物騒な言葉は読めるようですね。物騒な字は。
ちなみに字は書けますか?」
「あんまり自信ないけど……。」
彼女は羽ペンを持ち、不慣れな手つきで本の裏に字を書く。
魑魅魍魎
「ちみもうりょう。
自分の名前は?」
ウォマは頷くと、やはり不慣れな手つきで字を書いた。
フ ォ ア
「ふざけてるのか?」
「だからなんで怒るの!?」
「魑魅魍魎が書けてウォマが書けないってふざけてますか?ふざけてますよね?ふざけてんじゃねえぞ。
良いですか、ウォマはこうです」
ハララカは彼女の書いた字の横に、「ウォマ」と書き直す。
「んん?何が違うの?」
「目腐ってるんですかあ?
これじゃフォアですよ。別人じゃないですか」
「フォア……」
彼女は自分の字とハララカの字を見比べる。
違いがわからない。
「うーん?」
「ここに点がなくて、払いもなかったら違う字になるんですよ」
「あー、なるほど」
彼女は彼の字を手本に何度も書く。
ウォマ、ウォマ、ウォマ。
なんだか書くうちに分かってきた気がする。
「どうですか!?」
「それじゃフョヌです」
✳︎
泣き声がする。
ハララカの腰の上に、ウォマが白い肌を全てさらけ出して座っていた。
彼女の肚は切り裂かれ真っ赤な内臓が溢れている。
「ア、アア、助けて、」
ウォマは真っ赤な顔で泣きながらハララカの肌に触れる。
「なんでもするから、キスして」
彼女の唇が、ハララカの体をなぞる。
腰がじんわり温かい。
彼の体はウォマの血で暖かく濡れていた。
✳︎
またあの夢だ。
ハララカは息を荒くしながら目を覚ます。
時折、ウォマの夢を見る。ああして肚を裂かれた彼女と繋がっている夢だ。
酷い淫夢。
彼は体の熱を覚ますために外に出た。
夜風が頬に当たる。涼しさに少し気分が良くなる。
「ハララカ?」
名前を呼ばれた彼が振り返ると、ユウダがいた。
彼と顔を合わせるのは3日ぶりだ。
「ユウダ先生。今戻られたんですか?」
「そう。もう疲れたよ……。
ハララカはどうしてこんな、宿の植え込みに?マンドラゴラでも植えるの?」
「悪い夢を見たもので」
そう答えると、ユウダは僅かに驚いた顔をした。
「君がかい?どんな?」
「とても口にできないような夢です」
「そんなに。
……疲れてるんだね」
ユウダは困ったように笑うとハララカの肩を叩いた。
「私たちがいない間に何かあった?」
「特になにも」
「そう……。
多分君達も忙しくなるから、休んどいてほしい、んだけど……。
寝れそうかい?」
ハララカは頷いた。眠れない夜の対処法はわかっている。
「ユウダ先生はウォマさんの夢を見たことがありますか?」
「ああ、もしかして君もウォマさんの夢を……?
私の夢に出てきた時も最悪だったよ……。何故かデュメリルと一緒になって私の口に生きたタコを詰め込んできたんだ」
ユウダの深層心理が気になるところである。
「へえ、楽しそうですねえ」
「どこが!?気持ち悪かった……。夢でよかったよ」
ユウダはため息をついて髪をグシャグシャと掻いた。
まるで早く頭から消したいとでもいうかのように。
「ヒバカリさんの夢は見たことありますか?」
「ヒバカリ!?しょっちゅうだよ!
夢の中でも私の話を聞かないで危険な所に突っ込んでいくんだ……夢の中ですら胃に穴が開きそうだった」
「なんだかさっきから変な夢ばかり見ますねえ?」
「君が出てきた時が一番ひどかった。
人間の死体を組み合わせて家を作ってるんだ。怖かったなあ」
「悍ましいですね」
果たしてユウダは一体ハララカをなんだと思っているのだろうか?
それを尋ねようとしたが、結局やめた。ロクな答えは返ってこないし、期待もしていない。
「ねえ、ヒバカリはまた強化魔法を使っただろ?」
ユウダの唐突な質問にハララカは虚をつかれ、咄嗟に言葉を返せない。
あの、臓器売買の奴等を殺した洞窟でのことを知っていたのか。
「いえ」
「いいよ、わかってるから。
……どうして強化魔法なんて使っちゃったんだ……」
「強くなりたいんでしょう」
「なんのために、いや、本人に聞かないとわからないよね。そうなんだけど……」
ハララカは首を傾げた。
何のためにかは彼でもわかる。
ユウダと一緒にいるためだ。彼女は親に無理難題を言って結婚しないで、ユウダと共にいることを願った。
例え寿命を縮めても。
「彼女はあなたのためならきっとなんでもしますよ」
「私の為なら早く誰かと結婚して幸せになってくれ」
彼は長い髪を揺らして「欲が深くなっていくんだ」と呟いた。
悲痛な響きがした。
「ヒバカリさんのことそんなに好きなんですか?」
「当たり前だ。皆彼女が好きだ。皆が彼女を愛している。私もそうだ」
「俺は好きじゃありませんけど」
「君は論外」
ユウダはキッパリ言うと、手を叩いた。
「さ、戻ろうか。
大丈夫、君から強化魔法のこと聞いたことは言わないから」
「彼女を怒るんですか?」
「怒っても使うからねえ。どうしたらいいのやら。
……ねえ、ウォマさんが夢に出てきたの?」
彼の質問にハララカはゆっくりと、微かに頷いた。
ユウダはまた困ったように笑う。
「そう。やっぱりタコを食べさせられた?」
「彼女は腹を切られて泣いているんです」
「……それは……あの時のことが頭に残ってるのかな……。
あんな酷いことをされて……可哀想だった」
彼は悲しむように目を伏せた。
だが、ハララカは違うと思った。
あの時彼はウォマを可哀想と思うと同時に腹と耳を切られ泣き叫ぶ彼女を愛しいと思った。
ハララカに魔法を使うよう縋り付く彼女に興奮すらしたのだ。
「ウォマさんもきっとあの時のことが悪夢に出てるかもしれない。
うん、わかった。私がよく眠れるお茶を淹れよう!
これはある人に教わった淹れ方……呪い方……で、夢を見なくなる。本当に効果があるんだよ」
「いえ」
ハララカはユウダの言葉に首を振った。
「俺はこのままで大丈夫です」
「だけど、」
「勿体無いので」
その言葉にユウダはキョトンとした。
「お茶、いくらでもあるから遠慮しなくていいのに」
ハララカは笑った。
勿体無いのは、ウォマのあの姿をもう見られなくなることだ。




