胸がドキドキするのは気のせいだよね?
「ウォマさん」
食事が終わり、ウォマが自室にいるとハララカがノックと共に入ってきた。
「ちょ、ちょ!返事してから入ってくださいよ!」
「逃げられると思ったので」
彼はズカズカと部屋に入るとウォマの手を掴んだ。
「話せますか?問題は早めに解決したいので」
「わたくしも居ても良いのかしら?」
ヒバカリが冷めた目でハララカを見た。
勝手に女性の部屋に入るとは、どんな野蛮人だ。
「お好きに」
「言っておくけれど、昨夜のあなたの行動は今以上に余りにも乱暴だったわ。
彼女が怒るのも無理ないことよ」
「俺はあなたに何をしたんですか?」
ウォマの顔を覗き込む。
彼女の顔は真っ赤だった。
……こんなに顔を赤くするほど怒っているとは。相当なことのようだ。
「そ、れは、あの、」
「それは?」
「い、言えない……」
これは修復不可能なほどのことをしてしまったと見える。
ハララカは首をかしげた。何をしでかしたのだろう。
彼女を蹴ったり殴ったりしたのか、それとも言葉で貶めたか。
「ウォマさん。
俺はあなたと険悪な仲になりたいと思っていません。俺があなたに酷いことをしたならば謝りたい。
酒を飲むとどうしても、心にもない事を言ってしまったりする。そしてそれを忘れてしまうんです」
ハララカは誠意を込めて言った。
しかし、ウォマは依然目を合わせてくれない。
今日中の和解は無理か。
時間を置くしかないのだろう。出来れば出発前になんとかしたかったのだが。
「あのね、ハララカ。昨日のことを彼女の口から言わせるだなんてとんだ拷問よ。
そしてわたくしもとてもじゃないけれど言えない」
「あなたが言えない事となると」
下のことですね、と言おうとして言葉を飲み込む。
そんなこと言ったらヒバカリまで怒らせかねない。
何か適当な言葉はないだろうかと考え、結局そのまま伝えることにした。
「強姦でもしました?」
「この!馬鹿!」
ヒバカリはハララカの背中を叩いた。
彼は繊細さに欠けるので下のことですね、という言葉は飲み込めても強姦という言葉は飲み込めなかった。
繊細さに欠けるというか、デリカシーが無いというか、相手の気持ちが分からないというか、途中で相手の気持ちを推し量るのをやめてしまうというか。
「ちが!強姦されてないから!」
「ああ良かった。
純潔を散らしたかと」
「私処女じゃないよ」
「俺のです。守り抜いてるんです」
「え?600歳童貞?」
「17歳ですよお?」
「2人とも。それ以上下世話な話をするなら出てって」
ヒバカリの冷たい声にウォマは謝った。
それからハララカと目を合わせないで説明を始める。
「あのね……あなたは……。
私はあの時デュメリルさんが振り回した酒瓶が顔面に激突して鼻血を出していて、それを治療してもらおうと思ってあなたに魔法を頼んだの。そした、ら……その……」
「血の色を青くする魔法を使っちゃいました?」
「こわ。何それ。違くて……」
「わかった。体液をタールに変える魔法ですね?」
「そんな魔法しかないのか?
そうじゃないよ。私にキスしたの」
「でないと魔法使えませんから」
「じゃなくて舌、を、」
ディープなチッスをされて腰抜かしてました。
そうはさすがに言えなかった。
だが、ハララカにもやっと伝わったようだ。
「舌入れてキスしたんですかあ」
「ヒッ。なんでぼかして言ったのにはっきり言っちゃうの?」
「すみません。気持ち悪かったでしょう。
熱湯消毒しましょうか」
「そんなことないし、ってか、何痛めつけようとしてんの」
気持ち悪かったんじゃない。逆だ。
だからウォマは困っているのだ。
寝ている時も、あの感覚と、それからハララカのいつもとは違う獣のような笑みと、あの乱暴な言葉遣いが纏わり付いてきた。
「……ハララカさんって酔うと怖いですよね……」
「怖かったですか?すみません。もう飲まないようにします」
「いや、飲んでいいと思います」
「どっちですか」
依然ウォマは目を合わせない。が、怒っている訳ではなさそうだ。
「俺に怒っているわけではないんですね?」
「怒ってない……」
ならこのウォマの赤い顔は羞恥心からか。彼は1人納得する。
自分にキスをされてこんな顔をする……そう思うとハララカは堪らない気持ちになった。背筋が震える。
もっと酷いことをしたらどんな顔になるのだろう。今ですら、首元まで赤くして目を潤ませているのだ。もっと……。
そして彼は自分の息が荒くなっていることに気がつく。
なに、ヒバカリの前で盛っているんだ。
慌ててウォマから離れる。
「それなら良かったです。これからのクエストに支障が出ては困りますから」
「あ、というか、皆あんな酔い方してたけど大丈夫なの?」
「俺は」
自分で治せるから。
「わたくしは……少し気持ちが悪いけれど、でも大丈夫よ。
休んだら良くなるわ」
「なら良いけど。
なんにせよこのパーティはお酒禁止だね!」
ウォマの言葉に2人は頷いた。
もう二度と酒なんて飲ませるものか。
✳︎
さてさて、なんだかんだあったが彼らのクエストはまだ始まってすらいない。
一行は川に来ていた。
「この辺りに例の魔物は出るらしい」
曰く、その魔物は大きな鹿の魔物で人を見つけるとその角で人を突き刺そうとしてくるらしい。
実際何人もの人間が犠牲に合っていて、死体が川に流れていることが度々あったそうだ。
「退治が大変なんだっけ?」
「ああ。逃げ足が速くて後を追うとあっという間に消えるそうだ」
「おや、ならウォマさんの出番じゃない?」
「あ、罠ですね!任せてください!」
ウォマは意気揚々と罠を取り出した。
「普通に野生動物がかかることもありますけど、ま、美味しくいただきましょう」
残りの4人は犠牲者が見つかった場所を中心に散策をする。
特別変わったところのない川辺だ。魔物の気配も感じられない。
「また、姿の見えない敵かしら」
「今度は目撃情報があるから……!」
「罠にかかると良いけど」
夜になり、罠を見るために一行はここで一晩明かすことにした。
魔物を早急に見つけたいのだ。
「見張りは交代でやろう。
何か見つけたら必ずみんなを起こすこと。1人で行動しちゃダメだよ」
「わたくしに不眠の魔法をかければよろしいんじゃありませんか?そしたらすぐに見つけられますし」
「君に負担をかけるつもりはないよ」
ユウダはキッパリと言う。
その声はいつもの穏やかな声ではなかった。
「でも、」
「僕たちだって君ほどじゃないにせよ魔物を見つけることは出来る。昨日のこともあるし、皆疲れてるんだから負担は分散しないと」
ヒバカリは納得できなかったが結局口を噤んだ。
2人に言われているのに引き下がらないのも頑固というものだ。
「順番は……適当でいいか。今座ってる順でユウダ先生、僕、ヒバカリ、ウォマ、ハララカで。
2時間交代だ」
一同は頷いてマントや毛布を広げる。
順当に行けばウォマはそれなりに眠れ、疲れも取れる。
はずだった。
(近い)
ウォマは息を殺す。
そう、野宿ということは川の字……川?五本縦線なのに川……?とにかく横並びで寝ているのだが、彼女の隣はハララカなのだ。
彼はもう寝ているようで静かな寝息が聞こえてくる。
だがウォマは眠れない。
未だに彼の酔った時のあの表情と喋り方にウォマはノックアウトしていたのだ。
普段人を小馬鹿にしたような敬語を使っているが、本来はあのちょっと乱暴な突き放す喋り方なのだろうか。
あの時の彼はワイルドだった。そしてウォマは昔からその手の男に弱かった。
胸がドキドキする。まさか、これは。
いや。ウォマは必死で考えを振り払う。
彼女はサヴの依頼でこのパーティに入り込んだ。そして解散させ、使えるメンバーをサヴのパーティに取り込むことが彼女のやるべきこと。
ちょっと胸がドキドキするからと言って仕事は放ってはおけないのだ。
因みにこのウォマの苦しみはハララカにはバレていて、ああ自分のせいで眠れないのか……と思いながら彼はスヤスヤ寝ていた。
「みんな、起きて」
ユウダが小さな声で一同を呼ぶ。
皆音を立てないようにしながら体を起こした。
「魔物らしいのがいる。
対岸だ」
ウォマはそっと対岸を覗く。
暗くてよく見えないだろうと思ったがその魔物は白く輝いていて、はっきりと姿がわかった。
その魔物は大きな、大きな雄ジカだった。3メートル近くあるだろうか。
「エクスペクトパトローナム……」
「ディメンターはいないぞ。
……にしても、あれじゃ狙ってくれと言わんばかりじゃないか」
「魔物……?気配がしなかった……」
ヒバカリが小さく呟いて鹿を睨みつけた。
大きいが、魔力が弱いのかもしれない。
それならば倒しやすい。
もし遮蔽能力が高いとなると厄介だが、あんなに光っていて遮蔽能力もクソも無いだろう。
あの辺りはウォマの仕掛けた罠がある辺りだ。
が、雄ジカが掛かった気配はない。罠が分かるほどの知能があるか、運良く避けられてしまったか。
「ハララカ、出来るか?」
「ええ。あれだけ光ってくれてれば狙いやすいですよ」
「俺とウォマで気付かれないように近寄ろう。
河岸ギリギリに立って、ハララカが矢を放ったら飛び掛かる。
ちょうどあそこら辺は浅い。溺れるようなことはないだろう」
「わかった」
2人は出来るだけ静かに移動を始める。
その白く光る魔物はこちらに気が付いていないのか、全く微動だにしない。
「何してるんだろう。水を飲んでるわけでもないし……」
「番を探しているとか?そもそもアレがどうして人を殺しているのかわからない。
単に殺したいだけなら街に降りればいいのに、何故川の近くの奴だけを殺すんだ?」
「川に何かあるとか?」
「この川は血で汚れてるだけの川だ」
ウォマとデュメリルは気付かれない内に、対岸ギリギリにまで迫った。
魔物の耳がピクピクと動いているが目線は前を向いたままだ。
デュメリルがハララカに合図をする。
矢は放たれた。
それは弧を描いて輝く雄ジカの眉間に突き刺さる。
それを合図にウォマとデュメリルは飛びかかった。
ウォマとデュメリルは剣に手を掛けそれを振りかざしながら違和感を感じていた。
この鹿、何故動かない。
「っ、ウォマ、待て!何かおかしい!」
デュメリルの声にウォマは鹿を斬りつける寸前で止まった。
が、鹿の首がグルリと180度回転し、その横長の瞳孔がウォマを捉えた。
「え、」
鹿はまるで爆発するかの如く光を強めた。
それは閃光弾のように、ウォマとデュメリルの視界を攻撃する。
「ウォマ!!」
「デュメリルさん!」
声のした方に手を伸ばす。
しかし空を掻くばかりだ。
「デュメリルさ、あっ!?」
彼女の体を何者かが捕らえた。
デュメリルではない。こんなに筋肉隆々ではない。
「だ、」
誰だ、と言う前にウォマの頭に衝撃が走り、それから彼女は意識を失った。




